お酒は大きくなってから
手頃な酒場を見つけたソロンは、メリューを連れて中に入った。
壁に灯された松明が、店内をほのかに照らしている。
仕事を終えた男達が、杯を手に乾杯している姿が目に入った。期待した通り、客層の中心は兵士ではなく労働者らしい。
もっとも、数は少なめだが兵士らしき姿もちらほら見られる。さすがに鎧は脱いでいるが、付近にラグナイ軍の装備品が置かれているので一目瞭然だった。
「げっ……」
ソロンは小さく声を漏らした。
兵士らしき一団の中心には、赤い衣をまとった男の姿があったのだ。さすがに店内でフードはかぶらないらしく、まだ若い顔があらわになっている。
神官は周りの兵士達に対して偉ぶっているが、機嫌はよさそうだった。
「連中、酒場にも来るのか」
メリューがうんざりした視線を神官のほうへ向けた。ちなみに彼女は店内でもフードで髪を隠している。男臭い酒場の中ではソロン以上に浮いていた。
「……全くだね。あまり近づかないようにしよう」
「うむ。ところで、あちらの連中も兵士だろうか?」
頷いたメリューは、少し離れたところに座る別の一団を見た。一見して同じ軍人のように思えるが、身なりはやや上等だ。ただし、神官を中心とした集団からは、明らかに距離を取っていた。
メリューはそのわずかな違和を察したらしい。
「所属が違うのかな? どっちにしろ近づかないに限るけど」
ソロンは二つの集団から離れた方向へと足を運んでいく。
どうにか空いた席を発見し、二人で対面に座った。
近寄ってきた女給が、お品書きを渡して立ち去る。女給は若く、まだ二十代の半ばといったところだろうか。
文化的に近いだけあって、文字も料理の内容もイドリスと大差ない。近隣に目ぼしい水場がないので魚介類はないが、贅沢は言うまい。
「何がいい? このところ満足に食べられなかったし、好きなもの選んでいいよ。あっ、僕はミカンジュースと赤羽鶏のからあげ定食で」
ソロンはお品書きを一瞥し、メリューへと差し出した。情報収集は大事だが、まずは腹ごしらえである。
「フッ、ミカンジュースだと? そういえばそなた、酒も飲めぬと言っておったな」
……が、メリューは鼻で笑い、人の注文にケチをつけてくる。
「別にいいでしょ。酒なんて何がおいしいのか分からないし。成人した誕生日に、兄さんやナイゼルから飲まされたけど、気持ち悪いだけだったな」
ちなみにイドリスの成人年齢は十六歳、帝国は十八歳だ。飲酒が認められる年齢もそれに準じている。ナイゼルによれば、隣国のラグナイも十六歳で成人らしい。
「しょせんお子様か。酒も飲めぬとは人生損しておるな」
メリューはここぞとばかりに勝ち誇った。憐れむような目でこちらを見ているのが鬱陶しい。
「……おっさん臭いよ」
ソロンは聞こえないように小声で言ったつもりだったが。
「聞こえておるぞ」
と、強くにらまれた。銀竜族の聴力はさすがのようだ。
「――まあいい、ここは私が大人というものを――」
メリューはそう言って、酒を注文しようとしたが。
「あっ、ミカンジュースもう一つで」
ソロンがすかさず割り込んだ。
「なぜだ! 好きなものを選べと言ったであろう!」
「お酒は別」
メリューは抗議するが、ソロンはピシャリと跳ね除けた。
「さては、そなた! 自分が飲めぬから、私に嫉妬しているのだな!」
「なんでそうなるの。っていうか、僕の指示には従うって言ったよね?」
「ふふっ、お嬢ちゃん、お酒はもう少し大きくなってからね」
見るに見兼ねた女給が近寄り、たしなめてくれた。彼女は微笑ましい視線でメリューを見ていた。
「ぐ、ぐぬぬ……。だがミカンジュースは駄目だ。ブドウジュースにしてくれ。それから、この満月イモのシチューを頼もう」
メリューは歯噛みしながら、ソロンをにらみつけた。しかし、誇り高い彼女は自分の発言を破れないらしく、結局は折れたのだった。
「はいはい、かしこまりました!」
若い女給は笑顔で元気よく返事をしてくれた。
「私はそなたの倍近く生きているのだぞ。酒などどうということはない。いやむしろ、酒場で酒を飲まねば怪しまれる可能性すらある」
料理を待つ間、メリューが恨みがましく絡んでくる。
「いいわけないでしょ。ラグナイの法律は知らないけど、そのなりで飲酒されるほうがよっぽど目立つよ」
亜人の実年齢と見た目の齟齬について、イドリスなら多少の理解はある。けれど、ラグナイでもそうとは思わないほうがよい。
「むう、また子供扱いか……」
そういうメリューは子供っぽく頬をふくらませた。
「とにかく、こっちでは自重してくれるかな。この仕事が終わったら、いくらでも飲んでくれていいから」
「……むう、約束だぞ。その時はそなたも付き合うのだ」
露骨に不満げだったが、それでメリューはようやく矛を収めた。
「分かった、約束する」
結局のところ、メリューはソロンと酒を飲みたかったのだろうか。そう思えば、少しは可愛げがあるというものだが。
「それより、ソロン。そなたここに来た目的を忘れるでないぞ」
メリューは自分を棚に上げて、そんなことを言い出した。
「もちろん、分かってる」
目的は情報収集だ。
諜報だと疑われぬよう、慎重に聞かねばならない。かといって、慎重過ぎて何も聞き出せないようでは話にならなかった。
ソロンにとってはかなりの難題だ。実際、こういうのはナイゼルのほうが遥かに適任だろう。それでも大丈夫と宣言した手前、泣き言を漏らすわけにはいかない。
機会はすぐに訪れた。
「お兄さん達、若いわね。どこから来たの?」
料理を置いた女給が、自ら話しかけてきたのだ。
「ソラゾートから。行商に付いて来たんですけど、この町はまだ慣れなくて」
ナイゼルの真似をして言葉の抑揚を変えているが、徹底はしない。無理して付け焼き刃のごまかしをしても、あまり意味があるとは思えなかったからだ。
「ソラゾート? どの辺だったかしら?」
女給はきょとんとした目でこちらを見た。
ナイゼルによれば、ソラゾートは実在する地名だそうだ。しかし、あまり有名でないらしい。もっとも、話が弾んでも困るのでそれはそれでよい。
「王都より北なんですけど、田舎ですから。さすがに知りませんよねえ」
ソロンは苦笑して答えた。上界に渡った直後、ミスティンやグラットとそんなやり取りをしたな――と、昔をなつかしむ。
「まあ、そんなに遠いところから……。私なんてずっとこの町だから。行商の人は色んなところに行けて羨ましいわ」
「ははっ、そうですね。旅は大変ですけど、楽しいことも多いですよ。魔物にもしょっちゅう襲われますけどね」
嘘偽りなくソロンは旅への思いを口にした。
「あらそうなんだ。私、町から出たことないから、野生の魔物を見たことないのよね。けど、そっちの子なんてまだ小さいけど、大丈夫なの?」
「心配はいらん。こう見えても、私はそなたより年上だ。魔物に遅れを取るほどやわでもない」
関心を向けられたメリューが堂々と答える。……が、致命的に空気を読めていない。フリだけでも奴隷亜人になるつもりは毛頭ないようだ。
途端、女給はポカンと口を開け、メリューをじっと見やった。
会話が途切れ、店内の喧騒だけが耳に届く。
「えっと、この子は――」
どう言い繕ったものかと、ソロンが口を開いたら、
「ぷっ、あははは! 何その子、面白いわね!」
女給が突如吹き出した。何やらツボにハマったらしく、腹を押さえている。
「ぬう」
メリューが不機嫌そうに唸り声を出す。
「ごめんごめん、怒っちゃった? もうかわいいなあ」
女給は謝りながらも、なおも笑顔を絶やさなかった。女給が機嫌を損ねている様子はないが、問題はメリューだ。
「いや、この子は本当に僕らより年上なんですよ。そういう種族の生まれだそうで。それで子供扱いされると、いつもこんな感じになっちゃって」
「はいはい。じゃあ、そういうことにしとこうかしら。背伸びしたい年頃だしね。それより、せっかくの料理が冷めちゃうよ」
女給は全く信じていないようだったが、それでも大人の対応をしてくれた。
メリューはそれ以上の不平は言わず、大人しく満月イモのシチューを口に運び出す。
女給はそれで立ち去ろうとする素振りを見せたが、
「あっ、そうだ」
ソロンは慌てて声をかけた。
女給はさして忙しくなさそうだが、話題を振らねば去ってしまうだろう。ここで逃したくはない。
何か話題がないかと思い、ソロンは改めて店内を見渡す。
再び目に入ったのは、騒ぐ兵士達と赤い衣の神官だった。
神官は立ち上がり、調子よく酒を飲み干していた。無口で不気味な印象しかない邪教の神官だが、中にはああやって騒ぐ者もいたらしい。
もう一つの軍人らしき集団は、それとは対照的で静かに食事を取っている。時折、神官達のほうを苦々しい顔つきで見ていた。どことなく肩身が狭そうなのは、気のせいではなさそうだ。
「教団の人達って、やっぱりこの辺でも偉いんですかね?」
頭の悪そうな表現になったが、これでも慎重に言葉を選んだ結果である。偉そう・偉ぶっている――などと言えば、支配階級たる神官への非難と受け取られかねないからだ。
「国内にいる限りは、どこでも偉そうにしてると思うけどね。けど、ああいう下っ端神官はまだ可愛げがあるさ。教団に染まりきったお偉いさんになると、人間味もどっか行っちゃうみたいでさ。そういうのは酒場なんかに来ないのが救いだけど」
女給は思いのほか積極的に話してくれた。
支配階級といっても、必ずしも尊敬されているわけではないらしい。まあ、あんな怪しげな連中を庶民が心から敬っていたら、それこそ驚きだが。
「確かに……。以前、熱心な教徒を見たけど、もっと冷たい感じがしましたね。その……表情がないというか、友達にはなれそうにない感じっていうか」
熱心な教徒というのは、ソロンにとって極めて穏当な表現だった。邪教徒達は過去何度となく、直接あるいは間接的にソロンや親しい者達へ危害を加えてきたのだから。
その点、店にいる神官はまだ好意が持てそうだ。いかにも権力を傘に来ているが、それこそ人間臭さの現れだろう。
「あははっ! ごもっともだね。まっ、残念ながら当分はザウラストの天下だろうさ。レムズ様もああなっちゃったし」
「へっ!? レムズ王子がどうかされたんですか?」
意外な名前を耳にして、ソロンは思わず身を乗り出した。
「あらぁ、知らなかったの? こういうのは旅の人のほうが詳しそうだけど」
「いや~、すみません。旅をしてると仲間以外と話す機会がないもんですから。どうも、情報が一周遅れみたいで……。できたら、教えてもらっていいですか? あっ、メリューも、もっと注文していいよ。お酒はダメだけど」
ソロンは髪をかき、人畜無害そうな顔を作った。他者の警戒を呼ばない顔つきには自信があるのだ。
ついでにメリューと二人で注文を追加し、金払いのよい客だと強調する。店で情報収集するからには、それが礼儀というものだろう。
「いいよ、みんな知ってることだしね。ああ、ちょっと待って。片付けてくるから」
女給は機嫌よさそうに立ち去り、仕事に戻った。
「ふむ、健闘しているな。やはり、年上の女は得意か?」
「その言い方はなんかひっかかるんだけど……」
メリューの揶揄を受け流し、ソロンは赤羽鶏のからあげをかじった。イドリス料理よりもソースの酸味が強いが、これはこれで悪くはなさそうだ。