子供じゃない
竜車改め馬車を擁するソロン達は、フラガの門前に立った。
外壁の中に取りつけられた物々しい鉄門――その前面には、二人のラグナイ兵が槍を持って構えている。それ以外にも、荷物の検めを行う兵士が四人ほど働いていた。
一同のすぐ前にも、商隊らしき集団の姿。恐らくは、戦時下を稼ぎ時と見て商人達が集まっているのだろう。門番達は抜け目なく、その荷物を取り調べていた。
「いよいよだね。大丈夫かな……?」
ソロンは不安な声でナイゼルに尋ねた。
領内にはとっくに侵入しているが、ラグナイ人との接触は今回が初めてである。深淵の荒野とは別の意味で気をゆるめられない。
「坊っちゃんが挙動不審を起こさなければ大丈夫です。商人の振りをして、堂々と入っていきますよ」
ナイゼルはいかにも落ち着き払っていた。自ら先頭に立ち、門へ向かって一隊を引き連れていく。ソロンも胸を張ってナイゼルに続いた。
「どこから来たのだ」
門番が鋭い目でこちらに尋ねた。
「我々はソラゾートから商売に参った者です。こちらで物資が入用とお聞きして、遥々参ったんですよ」
ナイゼルは奇妙な抑揚で答えた。
イドリスとラグナイは古くから交流があり、言語的にも類似している。
とはいえ、多少の差異があるのも事実。迂闊にイドリス語を話せば疑いを抱かれるだろう。
ところが、そこはさすがのナイゼルである。ラグナイ方言の特徴を完璧に真似し、門番に疑いを持たせもしなかったのだ。
「ソラゾートか。それは随分と遠いところから、ご苦労であったな。中の物を検めさせてもらうぞ」
門番が馬車の中身を確認し出した。
ソロンは思わず緊張したものの、ナイゼルが「大丈夫です」と目線を送ってくる。
馬車の中には水・食料の他に武器が積んであるが、いずれも不審な物ではない。商隊の商品として、あるいは魔物から自衛するため、武器を持つのは至って自然なのだ。
実際、門番達に不審がる素振りは見られなかった。
ただ彼らが注目したのは――
「なんだその娘は? 亜人奴隷か」
兵士はメリューへと視線を据えた。
彼女はマントのフードをかぶり、美しい銀髪を隠していた。それでも、フードからこぼれる髪色やとがった耳、さらには体型から来る違和感は隠せなかったらしい。
メリューはとっさに視線をそらしたが、既にやり過ごせる段階ではなかった。
「はあ、何か問題ありますでしょうか?」
至って平静にナイゼルは聞き返す。
「いや、まだ小さい子供ではないか。そのなりで行商に参加させるのは酷だろう。もう少し育つのを待つべきじゃないか?」
兵士はとがめるような視線をナイゼルに送った。案外、言っていることが良心的な気がする……。
「私は子供ではないし、ましてや奴隷――んぐ!?」
……が、当人は気に喰わなかったらしい。
「静かに……!」
抗議のために叫ぼうとしたメリューの口を、とっさにソロンがふさいだ。
そこに間髪入れず、ナイぜルが説明をつなぐ。
「この子は亜人ながら、なかなか優秀なのです。読み書き計算もこの歳で、既に大人顔負けなくらいで。力仕事をさせるわけではありませんが、どうしても必要だったのですよ」
その間にも口をふさがれたメリューが、ソロンの頭をポカポカと殴って抵抗する。力は弱いが痛いことに変わりはない。一応、念動魔法を使わない程度の理性はあるらしいが。
「ふ~ん、そういうことなら仕方ないか。……というか、なんか暴れてるが、大丈夫か?」
兵士が眉をひそめてこちらをじっと見ていた。
「ははは、あの二人はまだ子供ですから。元気があり余っているのです」
ナイゼルは余裕の笑みと共に応えた。どさくさにまぎれて、ソロンまでも子供扱いされていた。
「わはは、そうか! 亜人とはいえ、子供はかわいいものだな。通ってよいぞ」
硬い表情をしていた兵士も、すっかり破顔していた。微笑ましいものを見るような目つきで、こちらを眺めている。
こうして、門番の検めはあっさりと終わった。
「ところで、戦はまだ続きそうですかね?」
ナイゼルはこちらから質問する余裕すらあった。
「忌々しいことに、ダルツの奴もなかなかしぶといようだ。もっとも、お前達にとってはそのほうが都合よいかもしれんがな」
「ははは、滅相もない。うまくいくことを願ってますよ」
と、ナイゼルはまた笑って応えた。
ミュゼック砦を守護する虎将軍ダルツ――その勇名はラグナイにも轟いているようだ。そしてどうやら、今もダルツは奮闘しているらしい。
ソロン達がラグナイで工作をする猶予は、まだありそうだ。
そうして、ソロン達はフラガの町中へと、馬車を進めたのだった。
フラガの町――その発祥は百年前ほど前に建造された砦に由来する。
当時のラグナイ王国は、今と比較して遥かに勢力の劣る国家でしかなかった。その軍事力も当時のイドリスと同程度。砦を築いた理由も、イドリスの侵略を警戒した防衛拠点だったというのだから驚きだ。
一転して、現在のフラガはイドリス侵略への拠点となっている。
町並みを見れば、石造りの頑丈そうな建物が並んでいた。これも騎士の国らしい質実剛健さの現れだろうか。
そんな中にもちらほら見られるのが、イドリスにもよくあるような木造の民家である。
仲が悪いといっても、ラグナイとイドリスは切り離せない隣国。二国の間では交易も行われており、フラガはその玄関口でもあったのだ。そのためか、どこかイドリスの影響を感じさせる部分が残されていた。
*
「いつの間に、ラグナイの方言なんて覚えたのさ?」
少し歩いたところで、ソロンは息を吐いた。
「いつの間にも何も、坊っちゃんと違って、私は普段から勤勉ですからね。ラグナイ出身の商人から習ったのですよ。私にとっては方言の一つや二つ、訳ありません」
ナイゼルは得意気に眼鏡へと手をやった。彼も今は馬車から降りて、自分の足で歩いていた。
「相変わらず多才だなあ」
勉学に魔法に――と、ナイゼルは昔からいつも有能な男だった。ただし、運動を除くという条件はつくが……。
ソロンが長年持っている劣等感は、主に兄とナイゼルに対するものである。とはいえ、どことなく憎めないのがナイゼルという男だった。
「……それより、坊っちゃん」
ナイゼルはソロンの肩を叩き、目線を送ってくる。その先には紫の瞳でこちらをにらむメリューの姿があった。
「わ、悪かったよ、メリュー。機嫌直してよ」
ソロンは頭を下げてなだめようとするが、
「ふん、この私が奴隷扱いとはな」
開口一番、メリューは冷めやらぬ怒りをぶつけてくる。
「けど、ラグナイは人間の国だから、亜人の平民っていうのはあり得ないんだ。だから、ここでは抑えて」
「むう……。その話は聞いたが納得はいかん。帝国でももう少し扱いは丁重だったぞ」
メリューはふくれっ面を作り、不満をあらわにした。
一見すれば、ラグナイにおける亜人の扱いは帝国に似ている。
しかし、厳密に言えば、帝国は亜人だから奴隷にしているのではない。捕虜にした敵国の者を奴隷にしているのだ。結果的にそれがドーマの亜人だったに過ぎない。
加えて、帝国には解放奴隷という制度があり、奴隷でない亜人も存在した。たとえ差別はあろうとも、亜人の人権が存在するという差は大きかった。
「そう言われても、この国の法律までは変えられないからさ。今は我慢してもらうしかないよ。あ……やっぱり、走竜と一緒に待っててもらったほうがよかったかな?」
「断る。助力すると宣言した以上、その程度の理由でそなたと離れるつもりはない」
ソロンの申し出を、メリューは歯牙にもかけなかった。
誇り高いがそれ以上に義理堅い。それが彼女の性格だった。やはりアルヴァによく似ていると思う。
「助かるよ」
「申し訳ありませんが、しばしの間、ご容赦を願います」
ソロンは感謝し、ナイゼルも一言そえる。
「……まあ別に、私もそなたらに腹を立てているわけではない。こういう格好をせねばならないこの国は頂けないがな」
メリューは声を穏やかにして嘆息した。
彼女は今も目立つ銀髪をフードで隠していた。奴隷の亜人は存在するため、何が何でも姿を隠す必要はない。しかしながら、彼女の髪色は際立っていた。
結局、この国の町中にいる限りは隠さざるを得なかったのだ。
「それじゃあ、暗くなる前に宿を探すよ。宿が見つかったら情報収集だね」
「坊っちゃん、今日は終わりにする気はないのですか?」
「ないね。情報収集といったら夜の酒場でしょ」
多少の疲れはあるが、深淵の荒野を抜けてからは魔物に襲われることもなかった。まだ体力に余裕は残っている。
それにこうしている間にも、イドリスとラグナイの戦争は続いている。時間を無駄にはできなかった。
「まさか、坊っちゃんが自分から酒場に行き出すなんて……。分かりました。このナイゼル、疲れた体を押して粉骨砕身働きましょう」
ナイゼルは何やら感激した目でソロンを見ていた。
実際、酒も酒場もソロンは苦手である。多少なりと抵抗が薄れたのは、グラットが何度か連れていってくれたお陰だろうか。
そうして、ソロンは町の入口付近にある宿を見つけ、代金を支払った。
ラグナイとイドリスは交易が盛んであるため、イドリスの通貨も使用できる――はずだったが、さすがに今の戦時中は難しかった。
そこはさすがのナイゼルで、イドリスを訪れた商人とラグナイの通貨を事前に両替していたという。
宿の主人はメリューを始めとした亜人達を胡乱な目で見ていたが、それでも愛想は悪くなかった。結局のところ彼は商売人であり、数十人もの宿泊客を逃すほど愚かではなかったのだろう。
*
「手分けして情報収集しよう」
「構いませんが……。坊っちゃん、私がいなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫。僕だっていつまでも子供じゃないんだから」
宿を発ったソロンは、フラガの町を歩いていた。夜の迫る黄昏時、既に町中には松明の明かりが目立っている。
ナイゼルは数人の仲間を連れて、ソロンとは別方向に歩いていった。大人数での情報収集は目立つため、仲間のほとんどは宿で休憩させてある。
今、ソロンが伴っているのはメリュー一人だけだった。
「君は宿で待ってたほうがいいんじゃないの?」
「断ると言ったであろう。そなたの指示には従うし、奴隷扱いでも文句は言わん。連れていけ」
先刻のこともあってソロンは忠告したのだが、彼女は頑として聞き入れなかった。そうして二人、歩きながら酒場を探していたのだ。
小高い山を下から見上げれば、ゆらめく炎の数々が斜面を覆っていた。
山上の砦に向かう坂道に沿って建物が並んでおり、その壁面に松明が据えられていたのだ。それらが砦の威容を闇の中に浮かび上がらせている。
どうやらこの町は、山を登り砦に近づくほど、にぎわいが増すようだ。となれば、情報収集のためには、そちらへ向かうのが筋かもしれない。
しかしながら、それはすぐに諦めた。それは当たり前といえば当たり前。砦に近づけば軍人の数も増えるからだ。わざわざ見咎められる危険を冒す必要もない。
そして、それだけではなかった。
そんな軍人の町で異彩を放っているのが、赤い衣をまとった者達だ。無論、ザウラスト教団の神官である。
兵士達を従えながら、神官達は我が物顔で夜の町を闊歩していた。神官は現ラグナイの実質的な支配層だというが、思った以上に幅を利かせているようだ。
「感じの悪い連中だのう」
メリューが小さな声でつぶやいていた。
「下で探そう」
ともあれ、触らぬ神に祟りなし。ソロンはふもとで酒場を探すのだった。