砦の町
三十人からなる一行は、ラグナイ領に入って初めての朝を迎えた。
白雲下における清々しい朝日を浴びながら、渓谷の森へと足を踏み入れる。
目指すはフラガの町――ソロンにとっても初めてとなるラグナイ王国の町だ。
竜車を擁する一行は、木々の合間を抜けて進んでいく。
道は整備されておらず、獣道と大差はない。もちろん人通りはなかった。
隠密作戦を取るソロン達にとって、人通りがないのはありがたいことだ。もっとも、今後もそれが続くとは限らない。なんせ先日に始末した監視兵も、この付近を通過したはずなのだ。
もし交替要員が送られてきたら、ばったり顔を合わせてしまう事態も考えられる。
その場合、腹をくくって始末するしかない。けれど、心情としてはできる限り避けたかった。結局、ソロンはそこまで非情になれないのだから。
ソロンがそんな心情を吐露したところ。
「相も変わらず甘い男よの。だが心配はいらぬ。私が前方を見張っておこう」
メリューが快く見張りを買ってくれた。
彼女の視力ならば、遭遇するずっと前に相手を察知できるだろう。うまくやれば、無益な殺傷を避けられるかもしれない。見かけによらず、メリューは頼りになる女だった。
渓谷の森はさほど深い森ではなく、並び立つ樹木もまばらである。ナイゼルによれば、黒雲下の近隣は植物が育ちにくいため、深い森にはなりづらいそうだ。
お陰で歩きやすいとは言えないまでも、竜車が通れる程度の道幅は確保できている。その計算があったからこそ、ナイゼルもここを荒野の出口に選んだのだ。
もっとも、目的地の北西に向かうほど、黒雲下から離れることになる。自然と樹木の間隔も狭まってくるわけで……。
「鬱陶しいなあ……。一気に払えないかな」
蒼煌の刀を背中の鞘から抜き放ち、ソロンはつぶやいた。
走竜は迫りくる枝葉など物ともしない。凹凸のある森の道でも、負けじと荷車を牽引してくれた。
……が、問題は走竜ではなく荷物だ。荷台いっぱいに積まれた荷物は、たやすく枝葉に引っかかってしまう。そうして竜車が遅れれば、部隊全体も進行を遅らせざるを得ないのだ。
「坊っちゃんの魔法では山火事になりますよ。ここは私にお任せを」
竜車を降りたナイゼルは、道をふさぐ樹木へと杖を向けた。
ナイゼルは声もなく杖先の魔石へと魔力を込める。
放たれた風の刃が森を駆け抜け、前を妨げる何本もの木々が、水平に両断された。
「見事なものよ。そなたがいれば木樵もいらぬな」
「まあ、私の魔法をもってすればこんなものです」
メリューの称賛に、ナイゼルはいつもの如くうぬぼれる。
「まだ根本が邪魔かなあ」
木々は伐採されたが、後には切り株が残っている。ソロンはそれを指摘したが、
「坊っちゃん……姑の嫁いびりみたいですよ」
ナイゼルは渋い顔をでこちらをにらむのだった。
*
進むこと数時間。続いていた渓谷の森がついに途切れた。
森の出口には石が敷き詰められた道がある。ラグナイ王国の町と町をつなぐ街道だった。
「ふむ、恐らくはこの辺りのようですね」
ナイゼルが地図を片手に現在位置を確認する。
現在地は渓谷の森を抜けたすぐ北西だ。ここまで来れば、地図の信頼性も格段に上がってくる。
「フラガの町はあっちだね。今日中には着きそうかな?」
ソロンは街道が伸びる南西の方角を指差した。
両側を森に囲まれた街道は、南西から北東へ向かって伸びている。この街道は、ラグナイの主要都市を経由しながら王都まで続いているという。
遥か東の王都ラグルーブまでは、百五十里ほどの距離がある。馬を使って順調に街道を進めば、十日といったところだろうか。
南西はもちろんイドリスに続く。イドリスに面するフラガへ、裏側から回り込むというわけだ。
「いいですか、坊っちゃん。ここは既にラグナイの街道です。当然、行商から軍隊まで常に遭遇の可能性はつきまといます」
「分かってるよ。僕らはラグナイ国民で、フラガに向かう行商だ」
「ええ。こそこそとせず堂々と胸を張ってください。萎縮していては、逆に疑われてしまいますからね」
イドリス人ではなく、一介の行商人として振る舞う。それがナイゼルの立てた計画だった。ソロン達一行の人数は三十人ほど。ちょうど商隊としては自然な人数でもある。
服装は最初から旅に適したものをまとっている。春先にマントまで羽織っているのはやや大袈裟かもしれないが、それも違和感を抱かれる程ではないだろう。行商人として自然な範囲のはずだ。
しかし、気になるのは……。
「ねえ、今更だけどそれって大丈夫なの?」
ソロンの視線の先にあったのは、車を引く走竜の姿である。
この地方において、走竜はさほど珍しい動物ではない。どこにでもいるとは言えないが、人里離れた奥地に行けば見つけるのは難しくないのだ。
しかしながら、それを家畜として引き連れるとなれば別問題だ。なんせシグトラが伝えたドーマの知識によって、不可能を可能としたのだから。
おまけに昨年、イドリス軍は走竜を使った戦車を戦争に投入していた。これで目立たないわけはないだろう。
「……そなたら、そんなことも考えていなかったのか?」
メリューが呆れるように目を細め、ソロンを見た。
ソロンは「うっ……」と狼狽する。
「野に返すのも手だぞ。町に入れるなら補給も困らん。荷物を減らせば、後は馬だけでも事足りるだろう。こやつなら野に返っても生きていけるであろうよ」
「そ、そんなもったいないことできないよ!」
割り切ったメリューの意見に、ソロンはすかさず反対する。
走竜は卵の頃から育て上げた末、人に従う家畜となったのだ。これまでにかかったエサ代も馬鹿にならなかった。それを野に返すなんてとんでもない!
「甘いな。アルヴァならそのぐらいの決断はしてみせるだろうに」
メリューはこの場にいない友人を引き合いに出した。
ならば――と、ソロンも反論する。
「ミスティンなら反対するって」
「大丈夫です、坊っちゃん」
当の竜車に乗ったナイゼルが口を挟んだ。
「――北方の亜人から購入したと言い張ればよいのです。偶然、イドリスと同じ技術を手に入れた――そういうことなら矛盾もありません。その一点張りで行きましょう」
ラグナイよりも遥か北――北方には未知の技術を持った亜人の国がある。イドリスにはそんな伝説が伝わっていた。実際、北のドーマ連邦から伝わった技術であるため、部分的にはウソではない。
ちなみに、北に限らず東西南北について、その種の伝説は語られている。特に東と南は黒雲下に突き当たるため、全くの交流がなく謎めいている。
下界における交通の不便さは、未知の大地を容易に作り出し、それがまた伝説となっているのだろう。
「自信満々で言ったわりに、行き当たりばったりではないか」
呆れたような瞳はそのままに、メリューはナイゼルへと視線を移した。
「……まあ、ここまで来たらしょうがないよ。その方針で堂々と行こう。ただ、町に連れて行くのは難しいから、誰かが外で見張ってないとね」
ソロンは腹をくくり、言い切った。
そうして、南西の方角へと馬を歩かせていく。仲間達もそれぞれソロンの後に続いていく。
「さすが、坊っちゃん。いざという時の思い切りはよいですね」
「私にはヤケクソにしか見えんのだが……」
ナイゼルは称賛し、メリューは溜息をついていた。
*
昼下がりを過ぎて夕闇が迫る頃、遠方に見えたのは小高い山の上にそびえる砦だった。その砦を囲むように、斜面に沿った町並みが覗いている。
ソロンがいる北東からは、斜面を下る道は見えない。それは砦の正面が、南西のイドリス側を向いているからのようだ。
町並みは小高い山のふもとまで続く。その町並みをぐるりと石造りの外壁が囲んでいた。
対イドリスを想定した防衛拠点であり、同時に攻撃拠点でもある。それがフラガの町だった。
「あれがフラガの町か……」
故国に対する攻撃拠点を目にし、ソロンは複雑な胸中だった。
「まさしく砦の町だな。これを陥落させるのは難儀そうだ」
馬を並べるメリューが考え込む。
「別に陥落させる必要はないよ。僕達の戦略目的はあくまで国の防衛だしね。イドリス国内に押し寄せる敵を追い払えれば、それで十分さ」
「知っておる。しかし、敵の前線拠点を落とせば、それはそれで戦略目的の達成にもなるだろう。まあ、無理なのは分かったからよい」
「だったらいいんだけど」
ソロンは改めて、視線を町の方角へとやった。
地図で確認したところ、町の入口となる門は二つあるようだ。
一つはイドリスをにらむ南西側である。今、戦争中のラグナイ軍が用いているのは想像に難くない。こちらの門から敵兵が出陣し、日夜イドリスを脅かしているのだ。
そして、もう一つの門がソロン達のいる北東側である。行商ならば、そのままこちらから入るのが自然だろう。
もっとも、このまま町へ近づくことはできない。ソロン達は走竜を隠すため、道をそれて外壁の南側へと移動した。
外壁の南側には道が通っておらず、その向こうには山と森があるだけだった。南西側に向かうなら町中を通ればよいわけで、道がないのも当然だろう。ものを隠すにはもってこいである。
そうして走竜と五人の仲間を、浅い山中へと残した。魔物はいるかもしれないが、そもそも並の魔物なら走竜を見ただけで逃げ出す。問題はないだろう。