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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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荒野を越えて

 後ろの仲間達と一瞬だけ目線を交わし、ソロンは頷いた。

 躊躇(ちゅうちょ)せず、ソロンは高台の頂上へと躍り出た。

 一刀のもとに、側面を監視していた敵兵を斬り捨てる。


「あ――!?」


 敵兵は声にならない悲鳴を上げて倒れ伏した。

 そばにいたもう一人の兵が、唖然とした表情でこちらを見る。

 ソロンは駆け寄りながら、その腹へ向かって刀を払った。

 兵士は胸当てで腹を保護していたが、その程度で防げる攻撃ではない。


 ソロンは直撃する刀に瞬間的な魔力を込めた。

 刀から生じる爆発的な力によって、胸当てが崩壊する。兵士は遥か向こうへと吹き飛んでいき、高台の向こうへと落ちていった。


 敵は残り三人。


「ぐっ、バカな!? 貴様ら、イドリスか!?」


 ランプのそばで見張っていた兵士が、困惑のまま立ち上がった。


「あ、慌てるな! 火をつけて連絡だ!」


 もう兵士の一人が(まき)を手に取ろうとしたが――


「そうはいかんぞ!」


 メリューの瞳が怪しく光った。

 途端、兵士が手に取ろうとした薪が吹き飛んだ。


「のわあっ!?」


 衝撃で体勢を崩した兵士が、足を踏み外す。いや、どうやらメリューが念動魔法で押したらしい。

 哀れ、兵士は崖の向こうへと落下していく。

 少し遅れて、鈍い音が風の中に響いた。


 残った二人のラグナイ兵には、猫人と人兎の二人が飛びかかっていた。

 猫人の青年は爪の一撃で兵士の首を斬り裂いた。兵士は声もなく絶命し、荒野の高台にその身をさらした。

 人兎の娘は恐るべき脚力で兵士を突き飛ばしていた。あえなく、最後の一人も崖下へ転落していった。


 ソロンは高台から身を乗り出し、転落した三人の死体を確認する。万が一息があっては一大事なので、抜かりがあってはならない。


「……大丈夫そうだね」


 一目見ただけで、近づいて確認する必要もないと分かった。

 高台の頂上は建物の五~六階に相当する。ちょうどネブラシア城ぐらいだろうか。そこから受け身もなく落ちれば、結末は推して知るべし。

 特にソロンが吹き飛ばした兵士は、驚くほど遠くに転がっていた。一応、双眼鏡を覗いてみたが、見た瞬間に後悔した。


「うまくいったな」


 双眼鏡をとっさに下ろしたソロンへと、メリューが声をかけた。


「う、うん。これならラグナイも気づかないだろうね」


 ソロンは頷き、気を取り直した。

 周囲を見る限り、監視に向いた高台は近場に見られない。よそに待機しているラグナイ兵が、異変に気づく可能性は低いだろう

 ソロン達は手際よく高台を制圧したのだった。


 *


 高台の上に残されたランプが、二人の死体を照らしていた。残り三人はもちろん高台の下――荒野に死体をさらしている。

 奇襲での殺害にソロンの心は痛むが、やむを得ない。わずか三十人の部隊に捕虜を捕る余裕などないのだ。今は故国を守るために、やるべきことをやるだけである。


 ソロンは改めて高台の上を確認した。

 付近には食糧や救護用の備品などがあるが、目ぼしいものはない。使えないわけではないが、その程度のものはソロン達でも十分に備えている。


「ナイゼル達を呼ばないとね」


 ソロンは双眼鏡とランプの光を頼りに、ナイゼル達が隠れている岩陰を探した。

 しかし、見つからない。


 昼闇の荒野には無数の岩が点在している。おおよその方角と距離は分かっているのに、見つけるのは至難の業だった。そもそも遠過ぎてランプの光が全く届いていない。

 これなら、監視に見つかる危険もなかった。結果論だが、もっと近づいてから部隊の皆と別れたほうがよかったかもしれない。


「あの岩だぞ。走竜の頭がはみ出しているな」


 メリューがそこへ助け舟を出してくれた。双眼鏡で見てもさっぱり分からないが、どういう眼をしているのだろうか……。


「助かった」


 ソロンは蒼煌の刃先を、指し示された方角へと向けた。

 魔力を込めれば、青い光が一直線に荒野へと伸びていく。

 目立つ光は極力避けるべきだが、ラグナイ兵がいたとしても北西だ。南側に向ける限りは、そうそう気づかれないだろう。

 しかしながら、光を当てた付近は相変わらずの暗闇で、ソロンの目では反応も(うかが)えない。


「……これ、ちゃんと気づいてくれるかな?」


 ソロンは不安になってつぶやいた。


「大丈夫だ、動き出したぞ。おおナイゼルが手を振っているな」


 メリューがそう言いながら、手を振り返した。


「向こうからは絶対、見えないと思うけどな……」


 *


 仲間達の到着を待つ間、ソロンは昼食を取ることにした。

 もっとも、隠密活動だったため、四人は食糧を持ってきていない。そこで監視兵の食糧を無駄にせず頂くことにした。

 ちなみに、ラグナイの糧食もイドリスのそれと似たようなものだった。米を中心とした食糧を炊いて食していたらしい。人種的にも地理的にもイドリスと大差ないため、当然といえば当然だが……。


 そうこうしているうちに、ナイゼル達は明かりを灯さずに高台へ登ってきた。無論、竜車と馬は下へ待機させてある。

 ソロンは下へ迎えに行くつもりだったが、今回はナイゼルも登るのを嫌がらなかった。


「うまくいったようですね。それで、他にも監視はいそうですか?」

「いや、大丈夫みたい。少なくとも、監視に向いた高台が他にないのは確認したよ」


 ナイゼルの質問に、ソロンは答えた。


「私もこの目で確認したから間違いない。近場に敵兵の気配はなかった」


 メリューがさらに付け足した。どうも、彼女の肉眼はソロンの双眼鏡よりも精度がよいらしい。


「ふむ、それは心強いですね」


 ナイゼルは頷き、それから高台の上に横たわる死体へと目をやって。


「死体は片付けておいたほうがよさそうですね」

「片付けるって、どうして?」


 たとえ、敵兵であろうとも遺体は粗雑に扱わない。それが戦いにおける暗黙の了解である。この場合は、仲間のラグナイ兵の到着を待って、埋葬を任せるのが無難なところだろう。


「死体が見つかれば、間違いなくイドリスの仕業だと疑われます。逆に言えば、死体さえ見つからなければ、我々がやったという証拠は残りません」

「なるほど……。兵士の姿が見えなくなったなら、最初は脱走を疑うかもしれないね」


 荒野での退屈な見張りに嫌気が差し、そろって脱走した。そう受け取るほうが自然かもしれない。事実、ラグナイの見張り達は、あまり士気が高いようにも見えなかったのだ。


「姑息だな」


 と、メリューは皮肉を一言。


「姑息ですが、大事なことです。我々がラグナイ国内へ入りこんだと確信されては、敵の警戒も強くなってしまいますから。案外、こういったことが作戦の成否に関わってくるのですよ」


 ナイゼルは皮肉を余裕で受け流し、さらに続ける。


「――それでは、簡単に発見されないよう崖下へ埋めてしまいます。運んでいただけますか?」


 ナイゼルは兵士達へ指示を出し、死体を崖下へ運ばせた。もちろん、高台にあった物資も抜かりなく隠滅しておく。

 そうして、自ら土魔法で穴を掘り、ラグナイ兵の死体を埋めたのだった。


「じゃあ、暗いうちに早く先へ進もう。時間が経ったら、ここの見張りが全滅したのも気づかれるかもしれないし」


 定期的に、他のラグナイ兵と連絡を取り合っている可能性もある。いつまでも気づかれないというのは、楽観的に過ぎるだろう。


 *


 一行は昼闇の砂漠を再び歩き出した。

 日が落ちるに従って、白雲が近づいてくる。

 あちこちに見られた亀裂も、今は見る影もなくなっていた。

 深淵の荒野が終わろうとしているのだ。ラグナイの監視兵の姿は、あれ以来なかった。


 そして、目にしたのは緑の大地と赤茶化た大地の境界線。

 それこそが、黒雲下の終わりであり、白雲下の始まりでもあった。


「ようやくここまで来たんだ……!」


 ソロンは深い感慨に、両手を上げて声を上げた。

 ソロン達は警備網(けいびもう)を突破し、深淵の荒野を横断。そして、予定通りの四日で黒雲下を乗り越えたのだ。

 仲間達もそれぞれに快哉を叫ぶ。馬は喜びにいななき、走竜はさっそく草を()んでいた。人も動物も、暗澹(あんたん)とした黒雲からの解放は何物にも代えがたかったのだ。


「よかったな、ソロン」


 と、メリューも一緒に喜んでくれる。どちらかというと、喜ぶ子供を微笑(ほほえ)ましく見るような雰囲気だったが。


「全く……。喜ぶのは早急ですよ。所詮はラグナイ領へ入ったに過ぎませんから。むしろこれからが本番です」


 ナイゼルが苦笑して、皆をたしなめる。いつもはゆるいが、肝心なところで釘を刺すのは忘れない――ナイゼルはそういう男だった。それでも、その表情はどことなく朗らかだったが。


「分かってるよ、ナイゼル。けど、どっちにしたって今日はここまでだよ。いい場所を探して野営の準備に入ろう。もちろん、白雲の下でね」


 *


 白雲下を少し進めば、目に見えて樹木が増えてきた。この辺りは、今朝の高台から見た渓谷の入口に当たるようだ。

 既にラグナイ領へ入っているため、なるべく人に見つからない野営地を探す必要がある。警戒するのは敵兵だけではない。一般の旅人ですら、通報されれば危機的なのは同じだ。


 万が一、見つかったら行商の振りで(しの)ぐつもりだが、それも問題ないとはいえない。

 なんせ現在地は深淵の荒野の出口である。とても真っ当な人間が通る場所ではなく、怪しまれるのは必然だった。


 結局は見つからないのが最善。

 ソロンは苦心の末、林の中へ隠れるよう野営地を選んだのだった。



「敵の後方を撹乱(かくらん)するわけだけど、どうしたものかな?」


 蒼炎を囲んだ食事の場で、ソロンはナイゼルへと話を振った。

 もっとも、最低限の方針は出発する前に決めている。発言はあくまで確認のためだった。


「先日話した通り、基本は焼き討ちでしょうね。軍の陣地か食料貯蔵庫か……。とにかく、相手を混乱させられる場所が狙い目です」

「僕達の魔法が活躍できそうだね」


 ソロンの蒼炎魔法で着火し、ナイゼルの風魔法でさらにそれを(あお)る。嫌がらせにはもってこいだった。


「ですが、あくまでそれは基本です。できれば、敵の事情を調査した上で、より効果的な場所を狙いたいところですね」

「より効果的な場所か……。何はともあれ、町に潜入だね」


 作戦の目標はラグナイ軍を後方から撹乱(かくらん)すること。究極的には敗退させることである。

 ソロン達の部隊に求められるのは、奇襲による蜂の一刺しだ。

 そして、奇襲というのは何度も通じるものではない。一度しかければ、敵の警戒も厳しくなる。よって、限られた機会で戦局を一変させるような策が求められた。


 そのために必要なのは、ラグナイ国内における情報収集だ。

 情報を制するものが戦いを制する。それは古今東西ならびに古今上下における不変の真理だった。

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