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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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深淵の虫

 馬達が恐怖にいななきを上げる。

 兵士達が慌てて弓を取り、深淵の虫へと矢を引き絞った。

 虫の動きは鈍く、矢は難なく突き刺さる。

 衝撃で虫はわずかに押されたが、それだけだった。矢は奇妙にめり込むだけで、(こた)えている様子が見られない。まるで軟体生物を思わせる柔軟性だった。


「ちっ、しっかり張りついておるな。足に吸盤でもついておるのか?」


 メリューが舌打ちする。どうやら、念動魔法で深淵へと投げ飛ばそうとしたらしい。


「普通の武器では効き目が薄いかもしれません」


 ナイゼルが竜車から立ち上がり、杖を構えて言った。


「分かった!」


 ソロンは馬上から跳び下り、蒼煌の刀を振り下ろした。

 蒼炎が勢いよく放たれ、深淵の虫へと襲いかかる。

 蒼炎に包まれた三体が、甲高い悲鳴を上げる。虫は原型を残さない細かい(ちり)へと変わった。

 残った二体も余波で吹き飛び、大穴へと落下した。


「よし!」

「見事だ!」


 ソロンが快哉を叫び、メリューが称賛する。

 だが、次の瞬間――ソロンの目の前に新たな虫が現れた。底知れない深淵の崖を登って、またやって来たのだ。


「だったら!」


 ならばもう一度と、ソロンが刀に魔力を込めようとした瞬間――


「ぐっ、後ろにもいるぞ!?」


 隊列の後方に控えていた兵士が叫んだ。

 振り向けば、兵士達が半狂乱になって槍を振り回していた。


「囲まれた!?」


 ソロンは後ろに注意を引かれたが、すぐに思い直した。前方の敵を無視できないのだ。


「くそっ、近寄るな!」


 兵士は必死の抵抗をするも、突き刺さった槍に手応えは感じられない。やむなく彼は槍を手放し後退した。


「魔法で近づけるな!」


 後方の兵士達が叫ぶ。

 ソロンが指示をするまでもなく、兵士達も独自の判断で戦ってくれる。

 彼らも弱兵ではない。

 人数は少ないがイドリスの誇る精鋭を選び抜いている。その中には魔法武器の使い手すら含まれていた。なんせ魔法武器は、かのネブラシア帝国でも将軍などごく一部の者しか保有できないのだ。


 そうして、兵士達が放った火球は深淵の虫へと直撃する。

 炎上した虫は奇怪な悲鳴を上げて、自ら穴の底へと飛び込んでいった。

 消火する当てがあるのか、はたまた死を悟って身投げしたのか……。定かではないが、火が有効なのは間違いなさそうだ。


 しかしながら、それでも魔物は増え続ける。深淵の底から湧き出るように崖下から上がってくるのだ。

 現状ではこちらのほうが人数も多いが、道が狭いためその利点を発揮できない。兵士達も苦戦を(まぬが)れなかった。


「坊っちゃんは後ろを!」

「前は我らに任せるがいい!」


 そんなソロンに、ナイゼルとメリューが声をかける。


「大丈夫!?」

「心配無用だ。私も父様から武器を授かっている」


 メリューは二本の短刀を両手に持った。それぞれ刃の部分が赤と青――対照的な色になっている。

 短刀の刃が魔法の輝きを発した。やはり魔導金属で作られているらしい。恐らくは使われる金属もそれぞれ異なるのだろう。


 メリューは両手を振るって、短刀を同時に投擲(とうてき)した。

 赤と青――短刀の軌道が光の線を描いて深淵の虫へと突き刺さる。

 赤の短刀が突き刺さった虫から、炎が巻き上がった。一気に炎上し、虫の体を飲み込んでいく。

 青の短刀が刺さった虫は、急速に動きを止めた。次の瞬間、体表から白い霧が吹き上がる。どうやら、こちらの短刀は冷気を宿しているようだ。


 仕留めた虫から短刀が浮き上がり、メリューの手元へと戻ってくる。

 一般的に、希少な魔法武器を飛び道具に使うことは少ない。武器の回収を容易にする念動魔法あってこそできる芸当だった。


「やりますね。さすがは師匠のご令嬢です」


 竜車から降りたナイゼルは、そう言いながら杖を前方に向けた。

 杖先の緑の魔石が明るく輝く。

 その刹那、深淵の虫は二体まとめて、上下に分断された。

 ナイゼルが得意とする風魔法――空気を切り裂く不可視の風刃(ふうじん)が放たれたのだ。


「任せる!」


 ソロンは二人の奮闘を見届けることなく、駆け出した。あの二人なら心配はいらない。ならば、後は任せるまでだ。

 狭い道に密集した兵士達の隙間をすり抜けて、ソロンは後方へと走った。

 後方の兵士達は、もはや乱戦状態となっていた。

 兵士は大盾を構え、飛びかかる虫の攻撃を防ごうとする。だが、深淵の虫はその盾すらも噛み砕いてしまう。


「盾では防げんぞ! 下がれ!」

「すまん!」


 仲間の声を受けて、盾を構えた兵士が下がる。

 代わるように前に出た騎兵が、勢いのままに槍を虫へと突き立てた。

 虫は数歩よろめいたが、たちまち体勢を立て直して飛びかかってくる。


 敵の接近を受けた騎兵が、たまらず馬を捨てて飛び降りた。

 恐怖に見舞われた馬は逃れようとするが、そこへ深淵の虫が襲いかかる。虫の牙が深々と突き刺さり、悲痛な(いなな)きが上がった。


 そしてその瞬間、馬の体が急激に縮んだように見えた。それとは対照的に、牙を刺した虫の体が急激にふくれ上がる。

 どうやら、体内の血液を急速に吸われたらしい。体を細く絞られたその姿が哀れを催す。人の被害がなかったのは幸いだが、時間の問題だった。

 不幸にも、二頭の馬が深淵の虫の犠牲となっていた。


 次々と穴から這い出る魔物達に、兵士達は攻めあぐねていた。後方にいる虫の数は、既に十を超えていたのだ。

 蒼炎の魔法で一掃したくなるが、それはできない。強力な魔法だけに乱戦下では、同士討ちを招きかねないためだ。


 ならば――と、ソロンは後方に躍り出るなり刀を払った。

 兵士へ取りつこうとした虫を、蒼煌が断ち切る。両断された虫の体が、燃え上がって散り散りになった。

 ソロンは足を止めず、次なる標的へと向かう。

 三人の兵士が、一体の虫に苦戦を強いられていた。

 ソロンが刀を突き出せば、刃先から伸びる蒼炎が一息に虫を貫いた。


 そのまま流れるようにソロンは刀を振るう。青い剣閃が舞うように駆け巡り、虫を着実に始末していく。


「ソロニウス王子に続け!」


 ここに至って、兵士達も勢いを取り戻した。魔法を中心とした攻撃で、迫り来る虫を押し返し始めたのだ。


「残りは任せるよ!」


 ここまで来ればもう大丈夫だろう。兵士達の救助より、虫の殲滅(せんめつ)を優先させてもらおう。


「――うわっ……!」


 恐る恐る崖下を覗き込んだソロンは、小さく悲鳴を上げた。

 底も知れない深淵の大穴――その断崖を続々と登ってくる虫の姿があった。その数、十や二十では足らないかもしれない。彼らはああやって大穴のそばを通った獲物を、捕食してきたのだろうか。


 ソロンは蒼煌の刀へたっぷりと魔力を込める。

 そうして、崖下へ向かって刀を差し出し、一気に薙ぎ払った。

 巨大な蒼炎が放たれ、断崖へと広がっていく。

 登っていた深淵の虫達は青い炎に包まれ、奈落へと転落していった。

 虫に燃え移った炎がどこまでも遠ざかり、やがては消えてなくなった。


 *


 全ての虫を退けて、戦いは終わった。

 穴の底にはまだ残っているかもしれないが、少なくとも今すぐに登って来る気配はない。


「ふう……気味の悪い虫でしたねえ」


 ナイゼルは竜車の指定席へ戻り、息をついた。風魔法で奮闘した彼も、さすがに疲れは隠せないようだ。

 この世ならざる虫との戦いに、皆どこか呆然としていたが……。


「ゆくぞ。こんな場所は早々と抜けてしまうに限る」


 メリューが声を振り絞り、馬上に跳び乗った。


「そうだね。焦りは禁物だけど、今は進もう」


 その意見には反論もなく、ソロンも騎乗する。虫への恐怖冷めやらぬ兵士達もそれに続いた。

 ソロンはちらりと後ろを振り向き、戦場の跡を見やった。

 深淵の虫の死骸が、所狭しと道に散らばっている。改めて見ても、得体の知れない生物という印象に変わりはなかった。

 そんな死骸の中、無惨に喰い散らかされた二頭の馬が取り残されていた。部隊で犠牲となったのは、この二頭だけだったのだ。


「仕方ないですよ。替え馬は余分に用意してあるので、行進には支障ありません。人に被害がなかったことを喜びましょう」


 ナイゼルがソロンを気にかける。

 子供の頃のソロンは、狩りで仕留めた動物にも心を痛める少年だった。幼馴染のナイゼルも、そんなソロンを覚えているに違いない。


「分かってるよ」


 心が痛まないと言えば、ウソになる。しかし、今の自分の目的はラグナイとの戦争に勝利し、イドリス人を救うことだ。動物の犠牲にまで気を取られている余裕はなかった。


 穴沿いの行進は続いた。

 深淵の虫を警戒するため、数人で明かりを使い、崖下を確認するようにした。

 それ以外の者は、できる限り大穴から距離を取る。そうやって、速やかに進んだのだった。

 みな緊張は隠せず、川岸を出発した朝から一転して、息苦しい雰囲気が流れていた。


 西日が白雲の向こうに降りた頃、ついに巨大な穴が途切れた。

 一行の前に、広々とした荒野が広がっていた。


「ふう……。いい場所を見つけたら、今日は終わりにしようか」


 ソロンは安堵から息をついた。

 深淵の荒野はなおも続く。それでも、一行は荒野の解放感にひたるのだった。


 *


 黒雲下の四日目――旅が始まってからは六日目となる。

 一行の進路上空を覆っていた黒雲は、見るからに小さくなっていた。黒雲下の旅も終わりが近づいているのだ。予定した日程でも、今日には荒野を抜けられるはずだ。


 進むにつれ、到るところに目立っていた深淵の亀裂が少なくなっていく。それに代わって、点在する岩山が目につくようになってきた。

 ここまで来れば、もうラグナイの領土は近い。ここからは魔物だけでなく、ラグナイ兵への警戒も必要だった。



「今日中にはラグナイに入れそうだけど、監視の兵はいるかな?」


 馬を駆るソロンは、右隣を併走するナイゼルへと声をかけた。もちろん、ナイゼルはいつものように竜車の座席に座っていた。


「ええ、彼らにしても知恵はありますから、警戒はしていると思います。ただご承知の通り、深淵の荒野は並々ならぬ難所ですから」

「本当にな。あのような場所を通る物好きはそうそうおらんだろう。恐らく、警戒はあっても最低限に留まるであろうな」


 左隣で馬を操るメリューが、深々と同意する。深淵の荒野がいかに難所であるかは、ソロン達も身をもって経験したばかりだった。


「そうは言っても、慎重に行きたいな。何のためにこんな苦労をしてるかっていうと、敵の背後を突くためだからね。見つかったら台無しだよ」


 ソロンはあくまで慎重だった。

 難所を越えて、仲間達にも気のゆるみが出ている気配があった。だが、ここまではあくまで道中に過ぎない。今こそ気を引き締めねばならなかった。


「ふむ、一理あるな。ならば、まずはあそこに登ってみてはどうだ?」


 メリューが指差したのは、荒野にそびえる岩の高台だった。


 *


 メリューの提案に従って、一行は岩の高台を目指す。

 彼女が指差した時点ではまだ遠く離れていたため、おおよそ一時間をかけて足元にたどり着いた。

 四人だけを引き連れ、仲間の大半は高台の陰に待機させておく。どの道、馬や竜車が登れる地形ではなかったのだ。


「いえ、これはやはり私は遠慮したほうがよいかと」


 高台の険しさを至近で見たナイゼルが、途端に尻込みする。


「君も来るんだよ。軍師たる者、情報の把握に努めないと」


 もちろん無理矢理連行することにした。

 ソロンは先陣を切って、高台の急斜を駆け上っていく。

 その背中へとナイゼルが、泣き言を投げてくる。


「ですが坊っちゃん。これ人間が登る想定になっていませんよ」

「人工物ではあるまいし、当たり前であろう」


 メリューは自ら提案しただけあって、勇敢にも付いてきてくれた。持ち前の身軽さで、ソロンに続いてくる。


「軍師殿、我らが助けますからご安心を」


 残り二人の屈強な亜人がナイゼルを前後から引っ張り、押し上げてくれた。


「いえ、そんな無理して引っ張らなくともいいですよ……」


 もっとも、ナイゼルは顔面蒼白になっていたが。


 登ること約五分、五人が高台の上に立った。


「ふう……。出口は近いようですね」


 ナイゼルは息も絶え絶えながら、行き先を確認していた。

 目指す場所は北西にある渓谷(けいこく)である。二つの山脈に挟まれるそこが、深淵の荒野の出口となっていた。

 目測では、あそこまで一日といったところだろうか。

 渓谷の辺りは既に黒雲下を離れるため、鬱蒼(うっそう)と木々が茂っていた。久しく目にしていない自然の姿に気持ちが高まる。


「むっ、あれは……!」


 メリューが何かに気づいたようだった。彼女の視線は渓谷より手前の黒雲下――ポツンと立った高台を見据えている。種族的に、人間よりも視力が優れているらしい。

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