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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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イドリス川を渡る

「じゃあ、渡ろうか」


 各々(おのおの)(のど)(うるお)し終えたところで、ソロンが切り出した。


「本当にこの川を渡るのか……?」


 先程まで意気揚々と水を飲んでいたメリューは、一転不安そうな面持ちでいる。川を渡るという予測は旅立つ前に説明していたはずだが、ここに至ってためらいを覚えたらしい。


「どこまで続くかも分からない川だし、迂回は無理だよ。大丈夫、流れはゆるやかだし、これもイドリス川の一部なんだからそんなに深くないはずさ」


 イドリスの少年達にとって、川で水遊びをした経験は一度や二度ではない。となれば、ソロンやナイゼルにとっては、これも馴染みの川であるはずだった。


「そうは言っても、水底も見えぬだろう。川幅だって二百歩はあるぞ」


 口をとがらせて不安要素を挙げるその様子は、歳相応と見えなくもない。


「おや、メリューさんは泳げないのですか?」


 ナイゼルが意外そうに尋ねた。


「泳げるわけなかろう。アムイにこんな大きな川はない」


 大都アムイを中心としたドーマ連邦は、小さな島々の集まりである。それこそ、川すらないような小島が大半なのだ。


「大丈夫だよ。心配だったら、僕の後ろに乗る? もし、落ちても助けてあげるけど」


 ソロンは自分の馬の尻を指差した。


「ううむ。そうだなあ……」


 メリューは悩む素振りを見せた。


「いけませんよ、メリューさん。坊っちゃんの後ろは、私が乗ると決まっています」

「いや、気持ち悪いからやだ。メリュー、遠慮せず乗りなよ」


 ナイゼルが妙な主張をしたので、ソロンは自らメリューを誘うことにした。


「う、うむ……。では頼もうか」



 そうして、ソロン達は渡河(とか)を決断した。

 前準備として、竜車の荷物をできる限り他の馬へと移しておいた。荷物を水に濡らさないのが第一の目的だが、同時に走竜の負担を減らすためでもあった。

 靴は(かばん)の中へとしまい、マントも首に巻きつけて邪魔にならないようにしておく。


 そうして、ソロンは馬にまたがり、メリューを後ろへと乗せた。


「刀が邪魔だな」


 ソロンの背負った鞘を触りながら、メリューがつぶやいた。


「……なつかしいな。昔、アルヴァにも言われたよ」

「ああ、帝都で起きたというあの事件か。そなたがアルヴァを背負って、走ったのだったな」

「……なんで君がそこまで知ってるんだろうね」

「あの二人にそなたの活躍を語らせたら長いからなあ」

「そ、そう……。とりあえず刀は君が背負うといいよ」


 ソロンは去年と同じ解決法を提示した。愛刀を託す不安はあるが、なんといっても彼女は師の娘だ。師から譲られた刀を、ぞんざいに扱いはしないだろう。



「ソロニウス殿下、ここはあっしが」


 背の高い熊人の兵士が、自ら先陣を買ってくれた。馬にも乗らず、水深を図りながら歩いてくれるらしい。


「うん、お願い。魔物にだけは気をつけて」


 ソロンの声援を背中に、熊男が川へと踏み入った。

 熊男は慎重な足取りで水をかき分けていく。


 そうして、彼は五十歩ほど川を進んだ。長槍を水底に突き入れて水深を確認していたが、そんな必要もなさそうだ。熊男にとっては腰の辺りが水に()かる程度だった。

 今のところ小柄なソロンでも、胸元が浸かる程度だろう。もっとも、メリューならば、顔の辺りまで浸かってしまうかもしれない。それも馬に乗ってしまえば関係ないことだが。


 そのまま熊男は川の中程へと到達する。そこでようやく、彼は口元までを水に浸からせていた。

 熊男がこちらに手を振ってくる。どうやらその辺りが最も深い地点らしい。


「問題なさそうだね」


 ソロンも手を振り返してつぶやいた。これぐらいの水深なら、馬でもどうにか渡れるだろう。

 対岸へと一息に泳いで向かう熊男を、ソロンは見送る。


「では、お先に行きますよ」


 次鋒を務めるのはナイゼルが乗る竜車だった。

 無論、働くのはナイゼルではなく走竜とその御者である。

 幸い、走竜には優に水面へ首を伸ばせる背丈があった。御者台や荷台もそれなりの高さがあるため、そちらも心配なさそうだ。


 車両を引きずりながら、走竜が川へと踏み入っていく。巨体の侵入を受けて、川は大きく飛沫(しぶき)を上げた。カラカラ鳴っていた車輪が、水に入って静かになる。


「僕らも行こう」


 ソロンは手綱をしごきながら、背中のメリューへと呼びかけた。


「うむ」


 と、メリューもソロンの背中をつかむ手に力を入れた。

 馬は嫌がりもせず、川の中へと細い足を踏み入れる。足先で水面を蹴飛ばしながら、軽快に対岸を目指していった。

 竜車に追いついた馬が、その左隣を併走する形になった。これは右から迫る水流を、竜車の質量で弱める狙いがある。


 仲間達も飛沫を上げながらそれに続いてくる。

 人間の兵士の多くは、ソロンと同じように馬へまたがっている。水泳が得意な犬の亜人は自ら泳ぎ、手綱で二頭の空馬を引っ張っていた。

 種族も特性もバラバラな部隊だけあって、渡河の手段に統一感はなかった。


 進むに連れて、徐々に馬の腹まで水位が達してくる。

 ソロンの裸足も既に水へ浸かっている。三月の川は今なお、冬の冷たさを残していた。

 下を覗いても、川底は見えない。そう濁ってはいないはずだが、薄暗い黒雲下ゆえに見通すことは難しいのだ。

 川の中程に差しかかり、水位が馬の頭に迫ってきた。ソロンとメリュー、二人の下半身も水に濡れてしまう。


「メリュー、滑るからしっかりつかまって」

「おう」


 背中へと声をかければ、腰へと回す腕の力が強くなる。


「ここからだよ、頑張って!」


 ソロンは馬の腹を軽く足で叩いた。そうして、水で滑らないように馬の腹を両足で強く挟む。


「頼んだぞ……!」


 メリューも懇願するように声を絞り出した。

 馬は水底を蹴って泳ぎ出した。

 水面下で手足を動かしながら、馬は必死に首を上下させている。掻き分けられた水が、騒がしく飛沫を上げていた。

「ハッ、ハッ」という馬の息遣いが激しくなる。流れはゆるやかといえど、さすがに苦しいようだ。


 左隣をゆく走竜は首を伸ばし、今も水底を歩いていた。こちらは至って余裕がありそうだ。


「坊っちゃ~ん!」


 竜車に座るナイゼルも、ここぞとばかりに両手を振ってくる。余裕の笑顔が憎たらしかった。


 幸い、わずかな距離を泳いだだけで、馬は再び水底へと着地した。深くないのは事前の調査から分かっていたが、それでもソロンは胸をなで下ろした。


「終わったようだな」


 背中につかまっているメリューも、大きく息を吐いた。

 馬は疲れたらしく、ゆったりした足取りで対岸を目指していく。

 周囲を見回せば、仲間の馬もそれぞれ深みを乗り越えているところだった。


「おわあっ!?」


 と、そこへ誰かの叫び声が聞こえた。

 人間の兵士を乗せて泳いでいた馬が、激しく体を動かし出したのだ。不慣れな泳ぎに、混乱を来たしたのかもしれない。闇雲に手足をばたつかせるだけで、先へ進めていないのは明らかだった。


「落ち着け! 私が助けてやる」


 メリューが叱咤し、視線を馬へと向ける。

 馬は手足をばたつかせたまま、急速に泳ぐ勢いを増していった。たちまち深みを乗り越えた馬は、再び川底へと足を着けた。そうして騎手もろともに、落ち着きを取り戻す。

 どうやら、これにて全員が川の深みを渡り切ったようだった。


「あ、ありがとうございます……!」

「うむ」


 いまだ困惑する兵士の礼を受け、メリューは鷹揚(おうよう)に頷いた。


「今、何やったの?」

「いつもの念動魔法だが」


 ソロンが尋ねれば、メリューは事もなく言いのけた。


「重い物は持ち上げられないって、言ってなかったっけ?」


 馬と騎手を合わせれば、体重比でメリューの何倍もあるはずだ。相当に困難だと思えた。


「水には元々の浮力があるからな。少し力を貸すだけで、事足りるのだ」

「は~、なるほど。泳げないのに詳しいんだね」


 ソロンは感心し、悪気もなく言ったが、


「泳げないのは関係なかろう」


 メリューは機嫌を害したらしく、ソロンの無防備な脇腹をつまんできた。こういうところを見ると、やはり見た目相応に子供のようだ。


「分かった、分かったって! とにかく助かったよ。こんなところで脱落者を出したくなかったからね」


 何はともあれ、無事に全員が欠けることもなく川を渡れたのだ。それも彼女のお陰というものだろう。


「うむ、私も水場は苦手だからな。そなたのお陰で助かった」


 メリューも今度は殊勝に礼を述べた。

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