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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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大いなるイドリス川

 静かになった荒野に、乾いた風の音が響き渡る。

 一同そろって、哀れなカラス達については忘れることにした。

 昼闇の中で深淵の荒野を進むのは危険なため、しばらくは休憩となる。


「さて」


 ソロンは蒼煌(そうこう)の刀を手に取った。先程は出番に恵まれなかったが、一つ使い道を思いついたのだ。

 地面へと刃先をつけて、軽く魔力を流し込む。

 すると、青い火柱が地面から立ち昇った。


「うまくいった……!」


 蒼炎は消えることもなく、煌々と昼闇の世界を照らし出した。

 光は魔物を引きつけるという。しかし、闇鴉(やみがらす)がそうであったように、暗闇に生きる魔物には視覚以外で獲物を探すものも多い。結局、人の立場としては自分達の視界を確保したほうが安全だった。


「ほほう、随分と使いこなしているようだな。さすが、父様が刀を託しただけのことはある」


 メリューは感心するが、ナイゼルは不思議そうに炎を見つめる。


「はて、何もないところに妙ですね。もしや、地面を燃やしているのですか?」

「そう。ゆっくり燃えるように調整しておいたから、しばらくは(まき)いらずだ」


 通常の魔法では燃やせない土の大地すらも燃やす蒼炎――それが蒼煌の刀の能力だった。

 ソロンは少し得意気になっていたが、


「……まあ、これ程の魔刀を火打ち石代わりに使うのも、宝の持ち腐れのような気がしなくもないが」


 メリューは案外冷めていた。技量には感心しても、父の愛刀の扱いには不満があるらしい。


「いやしかし、これは革命ですよ。薪が不要になれば、荷物も減らせます。暖を取るにも、明かりにも、もちろん料理にも大活躍です」


 メリューに代わって、興奮気味なのはナイゼルだった。

 黒雲下の荒野は資源に乏しい地形である。樹木もなければ水もない。狩りで獲物を捕るのも難しい。

 そんな荒野を行軍するために、ナイゼルが入念な手配をしたとソロンは知っている。荷馬車に積み込まれた物資のうち、少なからぬ割合が薪のはずだ。それだけに感慨もひとしおだったのだろう。


「そういうものかのう」


 と、メリューもその勢いに押されて納得しかけていた。



「それじゃ、日が傾くまで休憩にするよ。ただし、五人ほど交替で警戒に当たって」


 ソロンが号令すれば、三十人の部隊はそれぞれに動き出す。

 蒼炎を囲むようにくつろぐ者もいれば、交替で警戒に当たる者もいる。細かい指示を出さずとも、自然に分担をしてくれていた。

 ちなみに、今回は土壁の作成を行わなかった。周囲は亀裂だらけの地形だ。下手に労力を使ってまで、地盤を刺激する必要もないと考えたのだ。


 今は三月――帝国の(こよみ)では大地の月と呼ばれている。今やソロンも、帝国の暦を自然と思い浮かべるようになっていた。

 ともあれ、まだ肌寒さの残る季節であり、黒雲下の昼闇はなおさら冷え込んだ。蒼炎で暖を取れるのは実にありがたかった。

 もちろん、蒼炎は食事にも大活躍である。皆で車座になって青い焚火(たきび)を囲みながら、食材に火を通したのだ。


「蒼炎で焼いた肉は一味違う気がするな。さすがは父様の愛刀。今後の料理は全て蒼炎焼きにするとしよう」


 メリューに至っては一転、そんなことを(のたま)っていた。……ソロンには違いが分からなかったが、味気ない兵糧(ひょうろう)を楽しめるのは良いことに違いない。



「じゃあ、この辺で検討といこうか」


 一足早く食事を終えたソロンは、(かばん)から二枚の地図を取り出した。


「了解です、坊っちゃん」


 片方の地図をナイゼルが手に取って、地面へと並べる。

 蒼炎を照明に、二枚の地図が照らし出された。


「ほう、そういう方法もあるのか」


 メリューが物珍しそうに地図を覗き込んできた。


「うん。去年、下界に降りた時もこの方法を使ったんだ」


 メリューが注目したのは、二枚の地図の内容がそれぞれ大きく異なったからだ。


 一つはイドリスからラグナイをつなぐ地域の地図である。通常の交易路を中心に記載しており、黒雲下の扱いは見るからに大雑把だった。


 もう一つは上界――ネブラシア帝国の地図だ。カプリカ島の地理が、目を見張るほど精緻(せいち)に書き込まれている。

 一見すれば関係のない上界の地図――しかしながら、今ソロン達がいる黒雲の正体は、上界のカプリカ島そのものなのだ。当然ながら、黒雲の輪郭(りんかく)は島の形と完全に一致している。


 この二つの地図を照らし合わせて、現在地を把握しようという算段だった。

 ナイゼルと力を合わせ、現在地を割り出していく。頼りとなるのは上空に垂れ込める黒雲の形だ。


「今はこの辺りかな」


 ソロンは地図の一箇所を二人に指差してみせた。


「ほほう、ひとまず順調なようだな。目安では四日で抜ける予定だったか」

「うん。最短で荒野を抜けるだけなら、二日もあれば十分なんだけどね。ただそれだと険しい山を登る必要がある。もっと先まで北上して、安全に抜けるよ」


 下界の地図を指でたどりながら、ソロンは説明した。

 深淵の荒野とラグナイ王国の境目には、長大な山脈が連なっている。山脈の切れ目を抜けて、ラグナイ領へ侵入する予定だった。


 *


 昼闇の休憩を終えて、一行は再び北を目指した。


 西の空へと位置をずらした太陽が、白雲を(とお)して荒野を照らしている。いまだ大半が黒雲に(さえぎ)られているため、日差しは頼りない。

 それでも、あまり時間を無駄にしたくはなかった。しばらくすれば明るくなると考え、見切り発車で進んだのだ。


 やがて、日が傾いて太陽が黒雲の向こうへと完全に移った。

 黒雲の向こうに移った太陽は、時間が経てばさらに白雲の向こうまで移動する。本当の意味で遮るものがなくなるため、下界では朝と並んで明るい時間帯だった。


 そして、訪れるのはまばゆい夕日。不吉な黒雲下を照らす燃えるような炎だった。

 もっとも、深淵の荒野の西には小高い山脈がある。日が隠れるのも早く、夕焼けを眺める余裕もなさそうだ。

 行程は予定通りに達成できている。日が隠れてしまう前に、野営の準備をすべきだろう。


「今日はあそこまでにしよう。メリュー、疲れてない?」


 前方に亀裂の少ない大地を見つけ、ソロンは指差した。それから、隣の馬を操るメリューへと声をかける。


「大丈夫だ。この程度で弱音を吐くほどやわではない。強いて言えば、カラスの駆除に多少疲れたがな」

「あはは、大活躍だったもんね」

「坊っちゃん……私には聞いていただけないのですか?」


 馬を寄せ合って談笑する二人へ、嫉妬(しっと)するように口を挟む男がいた。今も竜車に座って揺られているナイゼルである。


「ナイゼルは座ってただけじゃない」

「そんなことはありません。亀裂に竜車が落ちぬよう、魔物が襲撃してこぬよう――細心の注意を張り続けていたのです。お陰で体も痛いし、もうクタクタですよ」

「……体が痛むのは、むしろ運動不足ではないか? そなたも明日は馬に乗ってはどうか」


 メリューは冷然と提案する。彼女もナイゼルの扱いをつかんできたようだ。


「ごもっともだな。というわけで、君も明日からは馬に乗ることだね。これは隊長命令だから」

「坊っちゃ~ん! それは殺生(せっしょう)ですよぉ。そもそも、古来より軍師は車に乗るというのが常識ではありませんか」


 ナイゼルが甘えるような鬱陶(うっとう)しい声を出した。ちなみにナイゼルの役職は副隊長だが、当人は軍師を自称している。


「そんな常識知らないよ。あっ、ナイゼル。夜は壁を作りたいからよろしく」


 取り合わず、ソロンは馬を野営地へ走らせた。ナイゼルもしぶしぶ従わざるを得なかった。

 ソロンが蒼炎の焚火を生み出し、それを囲むようにナイゼルが土壁を作る。

 そうして、三十人は冷え込む黒雲下の夜を、乗り越えたのだった。


 *


 黒雲下の旅は翌日も続いた。


 (あかつき)の低い太陽は上空の雲に遮られず、荒野を照らし始める。その先には、深淵の亀裂が果てもなく続いていた。

 ソロンの命令を受けたナイゼルはしぶしぶ手綱(たづな)を握り、馬へとまたがっていた。

 竜車の車輪が、今日もカラカラと音を響かせて荒野を走る。その横でナイゼルは、ぎこちない手付きで馬を御し続けた。


 そして経過すること一時間。


「ふう……これで今日の目標は達成ですね」


 ナイゼルはやり遂げた表情で下馬し、竜車の指定席に戻るのだった。


「まずは一時間だけというわけか。甘い指示だが、そなたらしいな」


 メリューはそんなナイゼルを尻目にしながら、ソロンへと声をかける。


「いや、そんな指示出してないけど……」

「そ、そうか……」


 メリューは気の毒そうにこちらを見ていた。


 何はともあれ、その日も順調に行進は続いた。

 昼闇の頃にはまたも闇鴉(やみがらす)の襲撃はあったが、その度にメリューが深淵に放り捨てた。どうも、メリューは病みつきになっているようだった。


 昼下がり、荒野の中を流れる大きな川が見えてきた。

 川幅は太く、流れはゆるやかだ。その周囲だけが、黒雲下には珍しい緑に恵まれていた。樹木はないが、丈の低い草が繁茂(はんも)している。

 日当たりは悪くとも、水さえあれば植物は育つのだろう。不思議と川の周囲だけは亀裂もなく、そこだけが取り残された楽園のようだった。


「ほほう、こんな所にオアシスがあるとは。まさしく奇勝よな」


 満足そうにメリューが景色を眺める。

 ちなみに、奇勝とは思いがけない景色の意らしい。帝国人でもないのに、アルヴァに負けず劣らず難しい言葉を使う娘であった。


「地図にもありましたが、イドリス川の上流でしょうね。一体どこから流れてくるのやら……」


 ナイゼルは水の流れてくる東の方角を見やった。

 イドリス川はその名の通り、王都イドリスのすぐ北を東から西へと流れている。イドリス人はそこから水路をつなげて、生活用水として利用していた。

 そして、ここはそのイドリス川の上流というわけだ。


 もっとも、上流という表現も、ソロン達の知る流域との比較に過ぎない。川は地平線の果てから延々と続いており、途切れる気配はない。その水源は、イドリス人にも分からぬ謎だった。

 分かっているのは、その行き先だけである。川は大いなる旅を経た末に、王都の遥か西にあるマゼンテ海へとたどり着くのだ。


 また、マゼンテ海は、上界から落ちるエーゲスタの滝の行く末でもある。ネブラシアとイドリス――両国を代表する河川は、マゼンテ海へ結集しているのだった。


 ソロンは馬を水辺へと歩かせ、川の中を覗き込んだ。

 流れに沿って泳ぐ魚が、鮮やかな赤い鱗をきらめかせている。水辺には大きなカエルが白い腹をふくらませ、鳴き声を響かせていた。


「飲んでも大丈夫そうだね」


 ソロンは馬を跳び下り、握っていた手綱(たづな)をゆるめた。


「――さあどうぞ」


 馬は乾いた(のど)(うるお)そうと、勢いよく流れる川へと頭を突っ込んだ。音を鳴らしながら、猛烈な勢いで川の水をすすっていく。

 ソロンも両手ですくって水を口に含んだ。


「ふう……」


 人生で何度となく飲んだ変哲もない水の味――つまりは幼少から飲み慣れたイドリス川の味だ。イドリスからさして離れていないのだから当たり前だが、それでも無上の安心感があった。

 仲間達もそれにならって、馬を川へと寄せていった。


「ちょ……ちょっと焦らないでくださいよ!」


 突如、悲鳴を上げるナイゼルの声。

 竜車を引っ張る走竜が、川を目がけて走り出したのだ。御者が必死になだめているが、その後ろに座るナイゼルは激しく揺られていた。


「はははっ、我々もゆくぞ!」


 メリューは楽しそうに笑って、愛馬を川辺へ走らせた。

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