表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
321/441

昼闇に羽ばたくもの

 そうして、一行は黒雲の下――深淵(しんえん)の荒野へと足を踏み入れた。

 深淵――この不吉な名前を冠する荒野は、イドリスとラグナイの両国に隣接して広がっていた。

 この荒野はどちらの領土でもないし、両王国ともに主張もしていない。人の住めない死の大地を、領有する利点は薄いためだ。


 見渡す限りの乾いた岩荒野。赤茶けた大地にはひび割れが目立っている。

 見通しはよく、目立った障害物は見当たらない。大小様々な岩が点在し、丈の短い植物がちらほらと群生しているぐらいだろうか。


 黒雲下の例にもれず、強く冷たい風が吹いている。日当たりが悪く冷えた黒雲下から、南の白雲下へと風が流れてくるのだ。

 それでも、吹きつける砂がないため、過去に旅をした砂漠よりは気楽かもしれない。


 冬の寒さを残した厳しい風を、一同はマントで防ぎながら進んでいく。


「メリュー、寒くない?」


 少女の体には辛かろうと、ソロンは気遣ってみたが。


「風が強くてかなわんが、涼しいのはありがたいな。……もしや、そなた寒いのか?」


 メリューは風に揺れる銀髪をうっとうしそうに撫でていたが、表情は至って涼しげだった。


「いや寒いよ。普通は寒いでしょ?」

「この程度で寒がっていてはアムイでは暮らせんぞ。人間は難儀よのう」


 と、憐れみを受けた。北国生まれは卑怯である。


 東の空には何十里も続く黒雲――その向こうから、朝の太陽が強くこちらを照らしていた。

 ソロン達はその太陽を右手にして、荒野を北上していく。

 ひび割れは先へ進むほどに大きくなっていった。

 初めは小さな溝程度のものだったが、次第に底の見えない亀裂へと移り変わる。


 やがては巨大な亀裂が至るところへ走るようになった。人間どころか走竜すらも平気で飲み込んでしまいそうだ。


「はぁ……これが深淵の亀裂っていうヤツか」


 初めて見る光景に、ソロンが溜息をつく。

 巨大な亀裂の数々――黒雲下には、こういった奇妙な場所が多々点在しているという。


「ううむ……」


 メリューが不思議そうに亀裂へと馬を寄せていく。

 彼女の美しい銀髪と着物も、今は風よけのマントとフードに覆われていた。

 ちなみに、マントは子供時代のソロンが使っていたお下がりである。大きさは気味が悪いほどにピッタリで、当人もお気に召したようだった。


 メリューは亀裂を遠目に覗き込んで。


「これが深淵と呼ばれる由縁か。荒野にクレバスとは面妖だな。なんなのだアレは?」


 クレバスとは、ドーマの氷雪地帯で見かける割れ目のことらしい。もちろん、ソロンは見たこともないので、これはメリューの言である。


「見た通りの亀裂としかいいようがありません。迂闊(うかつ)に近づけば崩れるかもしれませんので、気をつけてください」


 ナイゼルが注意するも、メリューは興味を抑えられないらしい。


「私も子供ではないから、心配はいらん。しかし、あの下はどうなっているのだろうな」


 遠くから見る限り、亀裂は底知れない闇を抱えていた。混じりない闇――何の光も返してこない文字通りの深淵である。


「さあて? 誰も降りたことがないので何とも。一説には呪海につながっているとか。はたまた、地底世界につながっていると主張する者もいますね」

「ほほう。一つ試してみるか」


 メリューは一層の興味を()かれたらしい。そう言って、彼女は馬の足を止めた。

 何をするかと思いきや、視線を前方の地面と移す。


 彼女の視線にとらえられた拳大の石が、宙へと浮かび上がった。

 乗っている馬も、不思議そうに石を視線で追いかける。

 石はゆったりと宙を移動しながら、亀裂の上で停止する。次の瞬間、石は急速に降下した。自由落下を上回る勢いで、深淵の中へと飛び込んだのだ。


「便利ですねえ」


 ナイゼルがメリューをうらやましそうに見やった。銀竜族特有の念動魔法は、視線でとらえた物体を自由に動かせるのだ。


「…………」


 しばらくの間、皆でそろって亀裂のほうを眺めた。押し黙って反響音を待つが、何も返ってはこなかった。


「何も聞こえないね」

「ふうむ、全力で落としたのだがな。よほど深いのか……。本当に下が呪海になっているのか……」

「あの石、拾えないの?」

「無理だ。視線から外れたものは動かせん。亀裂のそばから覗けば見えるかもしれんが、危険だしな」

「それはそれは、残念ですね」


 ナイゼルが本当に残念そうな声で言った。なんだかんだで、彼も興味を持っていたらしい。


「うむ、時間を取らせたな。気をつけて進むとするか」


 メリューは気を取り直し、馬を歩かせるのだった。


 *


 ソロン達は深淵の荒野を進み続けた。


 亀裂を避けるようにして、慎重に手綱を操っていく。馬達も本能的な深淵への恐れがあるのか、どことなく足取りが及び腰だった。

 亀裂は到るところにあるとはいえ、広大な荒野のことだ。道を選べば、十の騎馬が並べる程度の余裕は常にある。

 それでも、気をつけねばならないのは竜車だ。大きく重量があるため、それだけ亀裂に巻き込まれる危険があった。


 自然、縦に長い隊列となった。

 ソロンは竜車の前に陣取って、油断なく周囲の警戒を行う。気をつけるべきは深淵の亀裂だけではない。ここは黒雲下であり、どのような魔物がいるかも分からないのだ。


 昼が近づくにつれて、日が陰っていく。昼になれば、中天の太陽が黒雲の上に隠れてしまうのだ。


 けたたましい叫び声が北の空から鳴り響いた。

 下界でも上界でもありふれた鳥の鳴き声。黒雲の下を飛び回る大量の黒い点は、どうやらカラスのようだった。

 不吉の象徴といわれるカラスだが、所詮はただの鳥獣である。取り立てて近づいてくる気配もない。

 ソロンは安堵し気をゆるめかけたが……。


闇鴉(やみがらす)かもしれません。気をつけてください」


 ナイゼルは反対に警戒を呼びかけた。


「闇鴉とはなんだ。魔物なのか?」


 メリューの問いかけを受けて、ナイゼルが解説する。


「見た目は普通のカラスより少し大きい程度ですが、立派な魔物ですよ。額に第三の目を持っていることが特徴ですね。黒雲下の昼闇に姿を溶け込ませ、獲物へ集団で襲いかかるといわれています。群れが去った後には死骸の骨も残らぬとか」

「けど闇の中だと、獲物も見えないんじゃないの?」

「それが、闇鴉は暗闇の中でも獲物を見逃さないそうです。一説によれば第三の目が、光に頼らず獲物を見つけてしまうのだと」


 通常、人が足を踏み入れることもない黒雲下――そこに現れる魔物に関する情報は限られている。そこに精通しているナイゼルはさすがの博識だった。


「分かった。気をつけるよ」



 遠くのカラスを警戒しながら、ソロン達は馬を歩ませる。

 次第に日の陰りがはっきりと感じ取れるようになった。まもなく昼闇の時間が訪れるのだ。

「ガァガァ」とけたたましい鳴き声が、ますます耳障りになってくる。

 黒い点にしか見えなかったカラスが、いつの間にかはっきりと形を確認できるようになっていた。


 それでも、カラスが襲いかかってくる気配はなかった。

 かといって、こちらから離れる気配もない。付かず離れず――それが彼らの方針のようだった。

 やはりこちらを獲物として狙っているのだろうか。不気味ではあるが、追い払おうにも距離が遠すぎる。ここから矢を命中させられるのは、ミスティンぐらいのものだろうか。


「あそこに止まろう」


 嫌な予感がしたソロンは、亀裂から離れた広い一帯を指差した。周囲が暗闇になれば、亀裂に転落する恐れも増してしまう。今のうちに安全な場所を確保しておきたかった。

 仲間達がソロンの指示に従って移動し、それから動きを止める。

 皆、馬や竜車から降りて、大地に立った。


 そして、真昼の荒野に闇の(とばり)が降りた。

 真上を見れば星も映さない闇があるばかり。

 遠く離れた白雲の下には、降り注ぐ太陽の光が漏れている。こちらから見れば、神秘的な光の帯となるのだ。


「ほほう。これが昼闇というものか。なかなかどうして、味のある光景ではないか」


 メリューは初めて見る昼闇の世界に、感心しきりだった。東西南北それぞれの方角へと忙しく視線をやっている。方角が違えば白雲との距離も変わるため、景色の印象もまた異なるのだ。


「お楽しみのところ申し訳ありませんが、来るようですよ」


 ナイゼルがそんなメリューへと注意をうながした。

 闇の到来と共にカラスが動き出したのだ。

 けたたましい鳴き声は間近に迫り、耳をつんざくかのように騒がしい。

 それでいて、闇に隠れたその姿は定かでない。もっとも、その程度の対策は難しくもないが。


「みんな、気をつけて!」


 ソロンは蒼煌(そうこう)の刀を掲げ、魔力を流した。

 刀身が青い光を宿し、周囲を照らし出す。

 カラスの額にある第三の目が、光を反射してはっきりと見て取れた。まぎれもない闇鴉の姿だった。


 ナイゼルの説明にあった通り、大きさは普通のカラスをやや上回る程度。鳥としては大型だが、魔物としては驚くほどではない。

 それでも、あれだけの数に襲われれば脅威だ。何十羽という闇鴉の群れが、視界を覆わんばかりにこちらへ向かってきていたのだ。


「ふん、騒がしい奴らだな」


 メリューは慌てる素振りもなくつぶやいた。


「坊っちゃん、久々に我々の連携を見せてやりましょう」


 ナイゼルがソロンに向けて声をかけた。

 シグトラやガノンドの指導を受けた兄弟弟子として、二人は何度となく力を合わせてきた。息を合わせるのはたやすいことだった。


「分かった、ナイゼル。けど、この刀でやるのは初めてだね」

「なに、要領は同じですよ。坊っちゃんが炎を放ち、私の風がそれを広げる。それであんな鳥など一網打尽ですよ」

「よし!」


 ソロンはかけ声と共に、蒼煌(そうこう)の刀を迫りくる影へと向けた。

 ……が、目の前で展開する光景に、ソロンは思わず絶句した。


 闇鴉が一羽、また一羽と深淵の亀裂へ吸い込まれていく。

 一瞬、自ら飛び込んでいるのかと疑ったが、そうではない。カラス語は分からぬソロンにも、その鳴き声は悲鳴に近いと察せられた。

 闇鴉の勢いと数は次第に増していき、やがては群れのまま吸い込まれていくようになった。青い光に照らされて映るそれは、まるで黒い奔流(ほんりゅう)のようだった。


「あー」


 呆けたようにソロンはその流れを見ていた。武器を構えていた部隊の皆も、同じように拍子抜けしていた。


「……メリューさん、何をされているのですか?」


 かろうじてナイゼルがメリューへと声をかけた。

 メリューは瞳を強く紫に光らせながら、黒い奔流を凝視していた。……というよりも、この流れを作ったのは彼女らしい。


「見ての通りだ。おあつらえ向きに手頃な穴があったので、試しに捨ててみた。あのぐらいの大きさなら私の魔法も有効らしい」


 メリューは視線をそらさずに答えた。


「捨てるって……ゴミじゃあるまいし」

「焼いて食えるわけでもあるまいし、ゴミと大差なかろう」


 メリューは容赦なかった。

 そうこうしているうちに、哀れ全ての闇鴉が深淵へと飲み込まれていった。

 翼があれば深淵の底からも、舞い上がってくるかもしれない。そう思いしばらく待ってみたが、鳥達が亀裂から戻ってくる気配はなかった。


「……戻ってこないね。みんな、どこ行ったんだろう?」

「さてな。深淵の底としか言いようがあるまい」


 瞳を休めるように、メリューは(まばた)きしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ