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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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深淵の荒野へ

 ささやかな見送りを背に、ソロン達は密かに王都イドリスの南門を出た。

 本来ならラグナイ王国へと続く進路は北である。少なからず交流のあった国として、両国の間には街道が通っているのだ。

 それでも南門を選んだのは、当面の目的地が東だからだ。下界からイドリスへ向かった道を、途中までは逆進する格好になる。


 そうして、北の街道から距離を取りながら、道なき道を進む。黒雲の下を通って、秘密裏にラグナイへの侵入を果たす予定だった。

 隠密の任務であるため、時刻は人気(ひとけ)のない早朝である。


 ソロン、ナイゼル、メリューを含め、作戦部隊は合計三十人。そしてその多くは亜人の兵だ。種族に関わらず、みなマントを羽織って旅装としていた。

 同じ下界の国ではあるが、ラグナイは人間を中心とした国である。戦いにおいてもイドリスの亜人兵は差別化となり、大きな戦力となるだろう。


 彼らに加えて、部隊には一台の竜車が含まれていた。過酷な黒雲下を越えるため、大量の物資を運ぶ必要があったためだ。米俵、水樽など三十人分ともなれば、その量は馬鹿にならない。

 竜車を引くのは、馬よりも大きなトカゲのような竜――走竜(そうりゅう)だ。茶色がかった緑の鱗に、二本の角。鼻から伸びる長いヒゲが特徴だった。


 小型の竜に分類される走竜だが、その力は侮れない。実際、走竜に引かれる荷車の重量は、馬ならば三~四頭は要するほどだ。それをたった一頭で牽引するのだから、大したものである。


 *


 ソロンは馬上に揺られながら前方の竜車を眺め、物思いにふけっていた。今は人間の兵士が走竜を巧みに操っている。

 竜車は荷物を引くためのものであり、御者以外は基本的に乗車しない。ほとんどの者は馬を駆るか、自らの足で走るかを選んだ。もちろん、自力で走るのは屈強な亜人がやることなので、人間が真似してはならない。


 そんな中でただ一人の例外が、ソロンのほうを振り向いた。


「坊っちゃん、今日はなんだか物憂(ものう)げですねえ。さすがの坊っちゃんも緊張されているのですか?」


 ナイゼルはすっかり竜車の座席を陣取っていた。他者より体力に劣る彼は、早々に御者の後ろを指定席としていたのだ。

 今回はイドリスを目指した時とは違い、あえて部隊の皆を急かしたりはしない。旅程の長さを考えれば、今はまだ無理をすべきではないからだ。それをいいことに、この男はすっかり余裕の(てい)だった。


「別に緊張はしてないよ。ただ、ミスティンだったら、喜んで手綱を取っただろうなって」


 楽しそうに走竜を操るミスティンの姿が脳裏に浮かんだ。あれは今から、半年以上も前。ザウラスト教団に連行される母達を救うため、下界を駆けた時のことだった。

 緊迫した事態にも関わらず呑気な彼女に、ソロンは苦笑しながらも、心をほぐされたものだった。


「おや、しばらく見ないうちに、ミスティンさんへ乗り換えたのですか? てっきり、坊っちゃんはアルヴァさん一筋だと――」

「なんで、そんな話になるかな。二人とも大事な仲間だよ。このところ、旅をする時は彼女達と一緒だったからね」


 最後まで言わせず、ソロンは(さえぎ)ったが。


「いやいや、このナイゼル、坊っちゃんのことは何でも分かっております。二人とも情熱的な抱擁(ほうよう)でしたねえ。二人ですよメリューさん。もはや、隅にもおけないという段階は通り過ぎましたね」


 二人――という言葉を、ナイゼルは嫌らしく強調した。


「そうからかってやるな、ナイゼルよ。いつもの仲間がいなくて寂しいという気持ちは分からぬでもない」


 ナイゼルをたしなめてくれたのは、メリューである。こちらはナイゼルと違って騎乗し、しっかりとした手綱さばきを発揮していた。


「まあ、寂しいと言えば、寂しいかなあ」


 ソロンはぼんやりとつぶやいた。


「大丈夫ですよ。坊っちゃんには、このナイゼルがいます。最近は坊っちゃんもすっかり色気づいてしまわれましたが、そのことをお忘れなきよう」


 ナイゼルはそう言って、クククと気持ち悪く笑った。……正直、かなり鬱陶(うっとう)しい。


「……そなたら、そういう関係だったのか?」

「断じて誤解だから」


 ソロンはもちろん即座に否定した。


「ふむ、ならよかった。人様の趣味を無闇に否定するつもりはないが、これ以上股を増やすのはさすがに感心できんからな」

「ああ、そう……」


 股を増やすという言葉の意味は、面倒なのであえて尋ねなかった。


「ともあれ、私もそなたの友人だ。相談ぐらいなら、いくらでも乗ってやるぞ」

「いざという時は、いくらでも頼らせてもらうさ。それから、本当ならドーマ人の君が、危険な任務に付き合う義務なんてないからね。師匠に顔向けできなくなるから、君も無理しないで」

「今更だな。そなたなんぞ獣王相手に散々、命懸けだったではないか。それと比較すれば、この程度はわけもないことよ」

「メリューさんは男気がありますねえ。さすがはシグトラ師匠のご令嬢です」


 ナイゼルがしみじみと感心していた。


 東へ道なりに進み、黒雲の手前にある宿場で一夜を過ごした。

 今回の旅において、安全な宿泊はこれっきり。明日以降は厳しい旅を覚悟せねばならなかった。


 *


 翌朝、宿場を出た一同は北へと歩みを進めた。

 下界の朝は昼よりも明るい。その朝のうちに進むのが、下界の旅の鉄則である。


 空を見上げれば、白雲と黒雲が天を二つに分かっている。

 ソロン達がいる西側の空には白雲が、東の空には黒雲が垂れ込めていた。そして白雲の下には草原が、黒雲の下には荒野が広がっている。


 黒雲の正体は、雲海に浮かぶ帝国のカプリカ島である。

 上空を覆う大いなる雲海――その上に数多(あまた)の島が浮かび、それが上界を構成していた。

 しかしながら、雲海の上に浮かぶ島は、太陽の光を(さえぎ)ってしまう。すなわち、それが下界から見た黒雲の正体なのだ。


 そして、遮られるのは日光だけではない。

 黒雲は上界から降り注ぐ雨を遮断する。雨の恩恵がなければ草木は育たない。そうして、黒雲下には荒野や砂漠ができあがるのだ。


 ソロン達はもちろん草原側を選んで進む。

 馬達は時折、自生する草を頬張りながら、自然の恵みを満喫していた。

 この辺りはまだイドリスの領内である。多少の魔物は存在するが、難なく退けられる程度でしかない。


 そうして、旅の二日目も終わろうとしていた。

 ここから問題となるのは宿泊である。道なき道をゆくソロン達の前に、都合の良い宿場などあるはずもないのだ。

 ソロンは適当な木陰を選び、竜車を停止させた。


「さあ、ナイゼル出番だよ」

「お安い御用です。坊っちゃん」


 ナイゼルは竜車から颯爽(さっそう)と跳び下り、腰に差していた杖を抜き放った。

 さらには流れるような動きで杖先の魔石を入れ替える。緑色から黄土色の魔石へ――土魔法を行使するための土竜石だった。


「……そなた、日中は竜車の旅を満喫していただけあって元気よのう」

「ええ、野営の陣地作りなら任せてください」


 メリューは皮肉交じりに言ったが、ナイゼルはいつもの調子よさだった。

 何はともあれ、ナイゼルはここぞとばかりに働いた。魔法の力で、安全に野営するための土壁を作り始めたのだ。

 それに従う兵士達も、己の力で土を積み上げていく。イドリス兵たる者、こういった肉体労働は日常茶飯事である。


「あやつ、風の魔道士かと思いきや、土の魔法も使えるのか」


 メリューが意外そうにナイゼルの作業を観察していた。


「……うん。あれでも本当にイドリス一の魔道士だからね。さすがに雷は無理だけど、炎とかも実戦級まで使える」


 複数の魔法系統を実戦級まで使えるのは、超一流の証拠である。アルヴァやナイゼルを見ていると感覚が麻痺するが、彼女らのほうが常識を外れているのだ。


「そうか。さすがはそなたの友人だな」


 メリューはナイゼルに対する評価を改めたようだった。


 *


 ナイゼルの奮闘によって安全に野営を終えたソロン達は、明くる日も草原を進んでいた。

 ……が、ここに至ってついに草原は途切れた。

 目の前に広がるのは岩の荒野。その上空には、黒雲が広がっている。一行はいよいよ黒雲下へと足を踏み入れるのだった。


「ここから先が、深淵(しんえん)の荒野です。メリューさん、覚悟はよろしいですか?」


 ナイゼルがメリューを気遣う素振りを見せた。なんといっても、小さな体のメリューには、いかにも過酷な地形に思えたのだ。


「心配はいらん。第一、そなたに心配されても説得力がないぞ」


 メリューはそんな気遣いを一蹴してみせた。実際、竜車に乗ったナイゼルよりも、馬上のメリューのほうがまだしも体力があるに違いない。


「ははは……これは手厳しい。まあ、辛いようでしたら、いつでも替わって差し上げますよ。確かに、私は体力に自信はありませんが、女性への気遣いは心得ているつもりです」

「気持ちだけは受け取っておこう」


 と、メリューは気のない返事をする。


「――それにしても、深淵(しんえん)の荒野か……。黒雲下で光が当たらぬから深淵とは、芸がないな」

「黒雲の下は、我々にとっては不吉そのものですからね。これ以外にも、死の砂漠に暗闇の沼……黒雲下にはそんな地名が嫌というほどあふれています」

「そういうものか。あいにく、わが連邦には大規模な黒雲がないからな」


 メリューは暗い空を仰ぎ見ていた。


「ああそっか。あっちの上界は小島ばっかりだもんね」


 ドーマとは、小さな島の集合によって構成された連邦国家である。小さな島は小さな黒雲。影となる範囲もさほど大きくないというわけだ。


「もっとも、深淵と呼ばれる由来はそこではありませんが」

「ほう?」


 ナイゼルが付け足した言葉に、メリューが興味深げに目を細める。


「その目で見れば分かるよ。まあ、僕らも初めてなんだけど」

「ならば楽しみにさせてもらうとしようか」

「そんな余裕のある場所ならいいんだけどね」


 ソロンは一抹の不安を抱えながらつぶやいた。

 わざわざ黒雲下を進もうとする者は少ない。深淵の荒野についても横断された記録はあれど、詳細な地図など存在しなかった。今から自分達が向かうのは、そういった魔境なのだ。

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