表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
32/441

女王の杖

「さあ、起きてください! 眠たい気持ちは分かりますが、夜までには船に着くようにしましょう」


 アルヴァは普段から規則正しい生活を心がけているらしい。昨日は早めに就寝したお陰か、朝から気力に満ちていた。

 それにしても女帝自ら、起こしに来る必要はないと思うのだが……。


 早朝に出発し、元来た道をひたすらに引き返す。

 辛い道のりに変わりはないが、既に目的は達成している。終わりが見えているだけ気は楽なものだ。


 川に沿って北東へと進む。

 途中、渡った木の橋は渡した時のままになっていた。安全なことを確認してから、また北岸へと渡り切る。恐竜の巣も同じように迂回(うかい)しながら進み続けた。


 そうして、夕方には双子の岩が目印となる元の浜辺へたどり着いた。行きの時よりは、迷いがなかった分だけ到着も早かった。

 船員達の熱烈な出迎えを受けて、探検隊の一同は竜玉船へ乗り込んだ。

 ここまでの帰り道は至極順調に進んでいたのである。


 ……がしかし、竜玉船が出発してすぐ、船員達が異変に気づいた。

 船が遠巻きに竜のような影に囲まれていたのである。

 数日前に交戦したのと同じ雲竜――サーペンスに間違いがなかった。

 その数は多く、五十を超えているだろう。


「もしかしたら、復讐のために待ち伏せしてたのかな?」


 ソロンの意見に、グラットは首を振って答える。


「まさか! そんなわけあるかよ。人間だってそこまで執念深くはねえよ」

「どうかな。竜っていうのはとっても賢いから、それぐらいはやるかも」


 ミスティンが言った通りかどうかはさておき、竜玉船は多くのサーペンスに囲まれていた。それだけは紛れもない事実である。


「一難去ってまた一難だな」


 と、グラットは今日もボヤく。

 既に冒険者や兵士達は、次々と武器を手に取っていた。ソロン達も同じように武器を構える。


「試してみましょう」


 そんな中で、アルヴァが大事に持っていた梱包(こんぽう)を解いた。中から現れたのは、女王の杖である。


「えっ、大丈夫なんですか? 危険なんじゃ……?」


 ソロンは驚き、懸念を表した。

 本来、新しい魔石を行使する行為は危険なのだ。通常なら人のいない場所で試験してから、実戦に投入するのが正しいやり方である。


「この数の雲竜を相手にせねばならないのです。被害が出る前に使える物は使うべきです」


 アルヴァはソロンの懸念を歯牙にもかけない。彼女は杖を使うという欲求を抑えられないようだ。

 ソロンが止める間もなく、アルヴァは女王の杖を雲竜に向けた。

 杖先の魔石が黒い光を放って輝き出す。

 赤黒い霧が魔石から湧き上がった。


「あれは……!?」「何事だ……!?」


 異様な事態に、船上の皆から声が上がり出す。

 赤黒い霧の噴出は止まらず、猛烈な勢いで雲海の上へと集まっていく。

 やがて集結した霧が、何らかの形を取り出した。

 大きな翼に、長いしっぽ……。人間の数倍程度の大きさはあるだろうか。

 鳥か飛竜か、何かの動物のようにも見える。だが、赤黒い影のようなそれは、輪郭(りんかく)曖昧(あいまい)で判別のしようがなかった。

 その異様にはサーペンスすらも、動きを止めて見入っているようだった。


 次の瞬間――影が伸ばした手が触手のように伸びた。

 まさに一瞬の出来事だった。

 影がサーペンスを貫くや、もうその瞬間に竜は絶命していたのだ。

 胴体がごっそり(えぐ)られた状態で、既に生命の気配は微塵(みじん)もなかった。

 そのままサーペンスの死骸は、雲海の上で不気味に浮かんでいた。

 仲間のサーペンスがけたたましい叫び声を上げながら、白い息吹を吐き出した。

 いかなる生物をも凍りつかせる息吹が、異形の影を包んでいく。たちまち影は息吹の中に見えなくなった。


「大丈夫かな……?」


 ミスティンが不安そうに声を漏らした。みな息を詰まらせるように、雲海上の戦いを見守っていたのだ。


「見ていなさい」


 そんな中で、アルヴァだけは余裕の面持ちだった。

 まもなく、息吹の霧の中から影の腕が現れた。

 伸びる腕が、一気に雲竜を貫いて絶命させる。

 白い息吹が晴れた後には、影が宙空にたたずんでいた。まるで何事もなかったかのように。


 サーペンスが、けたたましく泣きわめく声が聞こえる。得体の知れぬ敵の登場に、魔物すらも脅えているのだ。

 だが、それを眺めている暇もない。

 なぜなら赤黒い影は、そのまま近くのサーペンスへ目標を変えて襲いかかったのである。


 逃げ惑うサーペンスへと影の腕が伸びる。

 つかまれた雲竜が、容赦なく握りつぶされた。体内の竜玉が砕かれたのか、無残な死骸が雲海の下へと沈んでいく。


 そうして赤黒い影は、次々と竜を(ほふ)って、死骸へと変えていった。

 船の上にいた一同も、その様を見て呆気に取られている。特に魔道士達は、見たこともない魔法の姿に驚愕(きょうがく)していた。


「素晴らしい力ですわね」


 雲海を照らす夕日の中で、アルヴァだけが紅い瞳をぎらつかせていた。


 *


 そうして、戦いはあっけなく終わった。

 事が終わり、影はアルヴァの杖へと戻っていった。まさに影が生きているとしか思えないような動きであった。

 竜玉船の周囲には、サーペンスの死骸が大量にプカプカと浮かんでいた。勝利の余韻(よいん)よりも、怖気が走るような光景だった。


 アルヴァは疲れた様子ではあったものの、どこか恍惚(こうこつ)とした表情で杖を眺めている。ソロンはそんな彼女が気がかりで声をかけた。


「その杖は……できるだけ、使わないほうがよいと思います」

「なぜ?」


 その言葉にアルヴァが不機嫌をあらわにする。返事には、今までの彼女にはないトゲが含まれていた。


「陛下が心配なんです。今だって、疲れているじゃありませんか。そんな魔法を使っていては、いつまで平気でいられるか……」

「余計なお世話です。自分のことは自分が一番よく分かっています。この杖をもっと使いこなせるようになれば、帝国を(おびや)かすものは何もなくなるでしょう」


 ピシャリと拒絶された。

 それまでのアルヴァにも、目的のために自分の意志を貫く強さがあった。

 けれどその中にも、他者のことを(おもんばか)る寛容さが含まれているように思えた。これほどまでに、他者を拒絶するような性格だっただろうか。


「……分かりました。ですけど、お体には気をつけてください」

「言われるまでもありません」


 アルヴァの意志は強い。ソロンが説得しても無駄だろうと思い直した。

 そもそもの仕事は、彼女が杖を手にできるようにすることなのだ。その目的を果たした以上、口を挟む権利は自分にはなかった。


 何にせよ一行に被害はなく戦いは終わった。

 再び竜玉船は出発し、帝都がある本島に向かって動き出すのだった。


 *


「あの杖ってどう思う?」


 帰りの船上、ミスティンに問いかけられた。


「僕はあんまり好きじゃない」

「やっぱり、ソロンもそう思う?」

「確かに凄い杖なんだろうけどね。それにしても気味が悪いよ」


 ミスティンも魔法については修練を積んでいる。それだけに、あの魔法には言い難い違和感を抱いたのだろう。


「うん、生きているみたいで怖かった」


 ミスティンも頷いて、率直に感想を述べてくれた。

 生きているみたい――とはもちろんあの影のことだ。魔法とは自然法則を操作するものであって、生物のように動くものではない。あのような作用は常識に反しているのだ。


 戦いが終わってしばらくすれば、アルヴァもやがては元の穏やかさを取り戻した。

 話しかければ、今まで通り気さくに会話をしてくれる。

 目的を達成した高揚もあってか、機嫌はいつもより優れているようにすら見えた。


 もっとも、彼女は機嫌が表に出るような性格ではないので、わずかな差異ではあったけれど。

 ただ、杖に関してだけは触れないように、ソロンは気をつけねばならなかった。


 *


 やがて、一行はポトム港を経由してネブラシア港に帰還した。


「神鏡については即時――とまではいきませんが、何とかしてみましょう。約束は守ります」


 別れ際にアルヴァは改めて約束してくれた。さらには自分の手で、ソロンの首輪を解除してくれたのだった。

 長い冒険のようだったが、考えてみれば往復で十日にも満たない日数であった。

 幾度も危険はあったのに、一人の死者どころか重傷者も出なかったのは奇跡的だ。彼女の指導力がもたらした賜物(たまもの)といってもよいだろう。


 それにしても、その短い間には随分と女帝と話をする機会があった。

 鏡や故郷の件があるため、また多少の言葉を交わす機会ぐらいはあるかもしれない。だが、共に仲間として冒険するような機会は二度とないはずだ。

 そう思えば、ソロンは少しばかり寂しい心持ちがするのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ