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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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大地を踏みしめて

 陽光にあふれる上界から、雲海の下へ。

 ソロンは今、再び下界の大地を踏みしめていた。


 空を見上げれば、大地を覆う黒い雲。ただ朝の太陽が低い角度から地上を照らしている。

 上界人ならば不安を覚えるであろう薄暗い世界だ。けれどソロンにとっては見慣れた故郷の景色である。どこか安心感を覚えるのだった。


 発端(ほったん)はネブラシア帝国で発生したオトロス大公による反乱事件。オトロスは皇帝エヴァートを捕らえ、帝都を占拠した。

 それに立ち向かったのは、上帝たるアルヴァだ。ソロンも同盟国の友人として、彼女の戦いに力を貸すつもりだった。


 緒戦(しょせん)の勝利に貢献し、ソロンは港町ミューンに留まっていた。ところが、そこへ帝都から逃れたナイゼルが訪れたのだ。

 ラグナイ王国とその国教たるザウラスト教団――イドリスに迫る危機を知ったナイゼルは、ソロンを探していたのだという。

 そして、ソロンは決心した。アルヴァ達との別れを惜しみながらも、下界へと降り立ったのだ。



「ふーむ。こちらの下界は随分と暗いのだな。遥か北方のわがドーマのほうが、まだしも明るいのではないか?」


 メリューは下界の空を、興味津々と眺めていた。

 下界の乾いた風に、青みがかった銀髪がなびいている。見た目の幼さに似合わず、故郷ドーマの着物を(あで)やかに着こなしていた。


「そりゃ上に大きな島があるからね。白雲の下まで来れば、また明るくなるよ」


 彼女の故郷ドーマは、雲海の上に小さな島々が浮かぶ地域である。その下にも下界はあるが、あちらは光を(さえぎ)る大きな陸地がなかった。


「ラグナイよりも遥か北の下界ですか……。実に興味深いのですがねえ。ただ、今は話をしている余裕もありませんか」


 ナイゼルはメリューのことが、気になって仕方ないようだ。先程から、何度もちらちらと視線を送っている。


「どうせ兄さんに報告しなきゃならないしね。メリューについては、その時にまとめて話すよ」


 ソロンはそれだけ約束し、先を急ぐのだった。


 ソロンが降り立った地点は、王都イドリスの東に当たる小高い丘である。かつては山と森に囲まれた未開の地でしかなかった。

 そこに変化が訪れたのは、おおよそ半年前――ネブラシア帝国とイドリス王国の間で、国交が樹立されたことが契機だ。


 外敵に対抗するための国力増強は、イドリスにとって急務だった。

 ソロンの兄――国王サンドロスは帝国との交易を頼みの綱とした。国王の肝煎(きもい)りによって、交易路の整備が急速に進められたのだ。

 そうして今、ソロンが降り立った界門から、西へ向かって真新しい街道が整備されていた。


 目標としたのは帝国のような石造りの街道だろう。デコボコだった斜面も、今はならされて歩きやすくなっている。

 街道の脇にある樹木には、蛍光石が吊り下げられていた。自然の樹木に手を加え、即席の街路樹としたのだ。

 もちろん、これも帝国を参考にしたものである。蛍光石の光を頼りにすることで、黒雲下の昼闇においても迷わずに済むのだ。

 そうした努力の甲斐あってか、界門から西へと歩く人の姿も散見されるようになっていた。


「随分、綺麗になったよね」


 小高い丘から連なる街道を降りながら、ソロンは感嘆していた。

 ここに至るまでには、少なからずソロンの貢献があった。そう思えば、この発展には感慨深いものがある。

 後ろに続くナイゼルも、その意味では同じ思いを共有する同志だ。


「ええ、今はイドリスから界門まで馬車一本でたどり着けるそうですよ。もう少し門に幅があれば、馬車だけで上下界を行き来できるでしょうが……。それは今後の課題といったところでしょうね」


 *


 界門から数時間ほど歩けば、泉に臨む宿場へたどり着いた。既に黒雲の下は抜けており、上を仰げば白雲の空が広がっている。


 宿場は以前、兵士達が建てた小屋を拡張したものである。ソロンがアルヴァ達を上界へ送る途中に、拠点として建てた小屋だ。

 建物を囲む柵も広がって、今や馬屋まで備えている。宿の従業員に連れられた馬が、泉の水を勢いよく飲んでいた。


 上界にはない米料理を、物珍しげに食する帝国の旅人。観光に来たのか目立って身なりの良い帝国貴族。休憩中らしき警備のイドリス兵……。

 宿場の中はなかなかのにぎわいを見せていた。

 今のところ、好んで下界を訪れるのは、挑戦的な商人や物好きな貴族・冒険者ぐらいのもの。

 それでも、下界を訪れる人数は徐々に増えていた。魔導金属や竜玉のように、上界よりも安価な資源に着目する者もいた。


 千年を越える遥か昔には、上界と下界は強固に結びつき頻繁な交流があったという。時間はかかるだろうが、いずれはそのような時代が再来するのかもしれない。



「やあ、これから上界へ向かわれるのですか?」


 帝国の商人らしき人物がこちらを見るなり、声をかけてきた。こちらをイドリス人と見て取って、上界へ向かうと考えたらしい。

 ソロンもナイゼルも帝国で調達した服装を着ていた。それでも下界人と分かったのは、メリューを連れていたためだろう。メリューほどに身なりの良い亜人は、帝国にはまずいないのだ。


「いえ、帝国からイドリスに戻ってきたところです」


 ソロンは簡潔に答えた。


「おや、そうでしたかな。上界はどうでしたか? 帝都が大変なことになっておるそうですが……」


 彼はイドリスで滞在しているうちに、ラグナイとの戦いを知ったらしい。そうして戻ろうとしたところで、今度は帝都の異変を知らされたのだ。

 途方に暮れていたところでソロンの姿を見つけ、少しでも情報を得ようとしているのだろう。


「アルヴァ――紅玉の陛下が収拾に乗り出したところです。聞くところによれば、緒戦では敵に回った将軍を破り大勝したそうで。あの人の手腕なら、きっとうまく収めてくれると思いますよ」


 ソロンは現地で仕入れた情報を提供した。提供元はその紅玉の陛下と自分自身だが、そこは口に出さない。


「ほほう、紅玉の陛下が……。随分とお詳しいのですなあ」

「ええ、僕はあの方にお仕えしたこともあるので。オトロスに負けるような方ではないと思います。イドリスのことがなければ、僕もあっちで――ってすみません」


 そこまで語ったところで、ソロンは思わず饒舌(じょうぜつ)になった自分に気づいた。


「ああいや、結構ですよ。まさしくそういう話を聞きたかったのです。私もあなたと紅玉の陛下を信じるとしましょう。もっとも、問題は私が上に戻っても大丈夫かということですが……」

「少なくとも、すぐ上の町にまでは戦乱も及んではいないようでした」


 これについてはナイゼルが代わりに答えた。


「――もっとも、こちらはこちらでサラネド共和国に動きがあるとの情報があります。難しいところですね」


 現在地から上界に昇れば、帝国南東のカプリカ島にたどり着く。そして、その治安を担当するのはグラットの父――ガゼット将軍だった。

 そのガゼットは他国の動きを警戒しているため、即座にはアルヴァの救援に向かえないらしい。そういった歯がゆい状況も、通りすがりに把握していたのだ。


「ふーむ、そうですか。ひとまずは、カプリカまで戻るとしましょう。そこで様子見をしながら、紅玉の陛下の勝利を待つとします。ありがとう、助かりましたよ」


 商人はソロン達へ頭を下げたのちに、宿を()ったのだった。


「坊っちゃんはアルヴァさんのことになると、すぐ力が入りますよねえ」

「うむ。今度、上界に戻ったら土産話に含めておこう。あやつも喜ぶであろうな」


 ソロンの話を見守っていた二人が、優しげな視線を向けてくる。


「……さて、食事込みで一時間ほど休憩したら出発しよう。今日中にイドリスまで行きたいね」


 そんな視線から逃れるように、ソロンは方針を発表した。


「坊っちゃん、それはさすがに殺生(せっしょう)ではありませんか?」


 ナイゼルが情けない声で抗議する。三人の中で最も体力に劣るのがこの男だった。


「私は構わんぞ。ここからは馬も借りられるようだしな」


 見た目は少女同然のメリューだが、さすがにナイゼルよりも中身は大人なのだ。


「ほら、メリューもこう言ってるし。大の男がそんなこと言って恥ずかしくないの?」

「むう、言ってみただけですよ。私が坊っちゃんを呼んだ以上、責任を持って付き合いますよ」


 頬をふくらませながら、ナイゼルは渋々受け入れた。愛らしい子供のような仕草だが、残念なことにあまりかわいくない。


「しかし、坊っちゃんか。ククク……」


 メリューが何やら忍び笑いを漏らしていた。

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