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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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そして下界へ

 復帰した皇帝エヴァートは、戦乱の事後処理のため懸命に働いていた。


 まず必要になったのは帝都の復興だ。

 縦横無尽に暴れ回ったサメ型の神獣のせいで、帝都の至るところに溝と水路ができている。

 さらに水道橋が破壊され、至るところが水浸しである。市民生活への影響は計り知れない。

 嵐が去った後――という表現すら生ぬるい。整然とした都市の面影は、今やどこにもなかった。


「お兄様や造営官は大変でしょうね。何より、市民にも申し訳ないことをしました」


 街を視察していたアルヴァは、胸を痛めて溜息をついた。

 一部は自分のせいであり、アルヴァも責任を痛感せざるを得ない。

 しかしながら、これを復興する権限は自分にはなかった。基本的に上帝という称号は単なる名誉職なのだ。皇帝が救出されるまでの間、その代理として軍を率いていたに過ぎない。


「アルヴァはがんばったよ。お陰でたくさんの人が助かったし。私が言うと軽く聞こえるかもしれないけど……」


 不器用ながらミスティンが慰めてくれる。どうやら軽いという自覚はあったらしいが……。それでも、親友の言葉に心がやわらいだ。


 ともあれ、エヴァートは集まった兵の力を借りて、公共事業を行う方針だった。

 また、今回の事件において捕虜とした者に労役を課す計画も上がっている。対象は反乱に加担した貴族とその傘下の者達だ。

 帝国の慣例では、たとえ重罪を犯そうと貴族に労役を課すことはない。それほどに貴族は敬われ、保護される存在なのだ。エヴァートはそこを改めるのだという。


 懲罰(ちょうばつ)を科しながら、復興の人手を補う――実現すれば一石二鳥の方策だ。性根の腐った貴族達も、自分達の手で復興作業を行えば、少しは罪の深さを思い知るだろうか。

 そのためにも、明確な基準の上で処罰をせねばならない。

 オトロスへ積極的に(くみ)した者。ザウラスト教団の支援を受けていた者がその対象となるのだった。


 *


 皇帝執務室にいたエヴァートの元へ、ワムジー大将軍が訪れた。アルヴァもその場へ同席していた。


「尋問の結果、オトロス派とザウラスト教団の関係が見えてきました。教団の支援を受けた議員は、二十を優に超えていると見られます」


 軍務に復帰して早々の大将軍による報告だった。内容を取りまとめたのは、その隣にいる娘のイセリアだという。

 もっとも、その報告内容は喜ばしいものではなかったのだが。


「それほどまでにザウラスト教団が浸透していたとは……」


 エヴァートは衝撃を隠せないようだった。

 帝国における元老院とは、皇帝と双璧を成す政治機関である。それが邪教の影響下にあった事実は、余りに深刻だったのだ。


「それすら雲山の一角に過ぎぬやもしれません」


 ワムジーの口調も重々しいものだった。


「ですが、ようやくしっぽをつかめたようですわね。去年、帝都を襲ったあの魔物達も、教団の仕業であったのは明白です。それから、イセリア将軍」


 アルヴァがうながせば、ワムジーのそばに控えていたイセリアが口を開く。


枢機卿(すうききょう)と呼ばれる女が、帝国における邪教徒の首魁(しゅかい)であったのは間違いありません。オトロスを(そそのか)していたのもこの人物です。これはオトロス自身が証言しました」

「ミスティンが報告してくれた通りですね。その者の行き先について検討はつきませんか?」

「恐らく、下界に戻ったのだろう――と、議員達は言っていました。話によれば、ザウラスト教団は多数の経路で上界と下界を行き来しているのだとか」

「経路とは界門のことでしょう。しかし、多数の経路とは……気になりますね。その配置は分かりますか? 私が把握していない界門があるかもしれません」


 アルヴァが把握している帝国の界門は二つ。一つはアルヴァが下界へ追放された時に経由した帝都側の界門。

 もう一つは、南東のカプリカ島にある界門である。先日も、ソロン達はそこから下界のイドリスへ向かったのだ。

 しかしながら、帝国には二つしか界門がないというのは、単なる先入観だったのかもしれない。奥まった森や孤島、洞窟――あるいは建造物の中に隠されていれば、発見は困難なのだ。


「残念ながら……。重要なことは、オトロスにすら知らされていなかったようです。オトロス自身も教団に裏切られたと憤慨していたので、思いのほか協力的なのですが……」


 いかにも無念そうにイセリアは答えた。


「そんなところだろうと思いましたが……」


 これまでの戦いにおいても、ザウラストの者達はほとんど痕跡(こんせき)を残していない。期待は最初から持っていなかった。

 これ以上は期待できない。ならば情報収集は終えて、アルヴァが自ら動くしかなかった。


 *


 そして、翌日。


「お兄様、ご機嫌いかがでしょうか?」


 アルヴァは執務室にいるエヴァートの元を訪れていた。

 書類がうず高く積まれた机の隙間から、従兄が(おもて)を上げる。


「ああ、頭が痛くなりそうだ。外壁に橋、溝に水道橋と――復興にどれだけかかるか分からない」


 列を作って陳情する人をさばいては、書類と格闘する。それがこの頃の皇帝の日常だった。


「申し訳ありません。あの神獣を倒すために、他の方法が見つかりませんでした」

「それは分かっているし、むしろ感謝しているよ。しかし、責任を感じているというなら、君も手伝ってみないか?」

「手伝うとは?」

「造営官なんてどうだ」


 と、エヴァートは役職を挙げて見せる。


「――首をすげ替えるのは不評だろうけど、緊急に席を一つ増やすぐらいなら構わないだろう。これは皮肉ではなく懇願(こんがん)だけどね」

「いえ、協力したいのは山々ですが……」


 アルヴァは苦笑いしながら断ってみせる。


「まあ冗談だ。これぐらいの仕事は任せてくれよ。僕達は何の役にも立たなかったしね。それより、頼みがあったのだろう?」

「陛下、私はイドリスへ向かいます。願わくば、私に五千の兵をお与えください」


 アルヴァは単刀直入に願い出た。従兄ではなく、あくまで主君として敬った態度である。兵を借りるという性質上、従兄と従妹の関係で行える嘆願ではなかったのだ。


「下界に……どうしてだ? オトロスとの戦いが終わり、これから復興だというのに……。急ぐ必要があるのか?」

「一連の戦争――その主犯はオトロスにあらず。黒幕であるザウラスト教団に制裁を加え、壊滅させねばなりません。最低でも帝国へ二度と手出しをさせぬよう、思い知らせる必要があるでしょう」

「ザウラスト教団――得体の知れぬ連中だな。僕も窓からあの神獣が暴れる姿を見ていた。人があのようなバケモノを呼び出し、行使したとはとても信じられない」

「はい。教団は友好国となったイドリスへ攻め込んだと聞きます。友人達を助けるため、我らも立たねばなりません」

「ソロンか……。君のお気に入りだったね」


 とぼけるような口調で、エヴァートがつぶやいた。


「……私情がないとは言い切れません。ですが、今回の件を見れば、ザウラスト教団がわが国へ敵意を向けているのは明白です。これを見逃すようでは、わが国の威信と治安に関わるでしょう。イドリスと協力して、教団を打倒せねばなりません」

「僕が断っても君は行くんだろうな」


 アルヴァの頼みはあくまで兵の供給である。つまり、エヴァートの返事がどうであろうと、アルヴァの行き先は変わらない。


「ええ、叶わぬようなら私財をはたき、傭兵を雇ってでも」


 アルヴァの真剣な表情を見てとってか、エヴァートはふと表情をゆるめた。


「いや、意地悪を言ったつもりはないんだ。君の言い分はよく分かった。こちらとしても、手配させてもらおう。おあつらえ向きに今の帝都には多くの兵がいるからな。それをそのまま率いていくがいい」

「陛下、感謝いたします!」


 アルヴァは深々と頭を下げた。


「君にそうやって頭を下げられると、その度に恐縮してしまうよ。今回の件、僕も元老院も、オトロスの暴虐に対して何もできなかった。元老院だって、今回の件では被害を受けている。君の功績を考えれば、誰も文句は言えないだろうさ」


 *


 皇帝との会談を終えたアルヴァは、城内の待合室へと戻った。


「あ、アルヴァどうだった?」

「うまく行ったみたいだな」


 顔を見合わせるなり、ミスティンとグラットが口を開く。

 アルヴァも頷いて。


「お兄様は私の意を汲んでくださいました。全面的に協力してくださるそうです」


 二人は会談の間、待合室で待機していたのだった。別に皇帝の執務室まで伴ってもよかったのだが、「お姫様に任せようぜ」と、グラットが制止した。さすがに皇帝との会談は緊張するらしい。


「やったね、ソロンが心配だし早く行きたいね」

「一応、メリューのことも心配してやれよ」


 グラットがミスティンをたしなめる。なんだかんだ、異国で異種族の友人を心配しているらしい。


「分かってるって。メリューとは添い寝した仲だし」

「……添い寝ってなあ、お前」


 グラットはミスティンの顔を見たが諦めたように。


「――にしても、あっちは久々だな」


 それから感慨深そうにつぶやいた。

 下界へ追放されたアルヴァが上界へ戻ってから、既に八ヶ月が過ぎていた。同行していた彼らにとっても、久々のイドリスとなるのだ。

 二人は当然のように下界行きを決断してくれた。

 アルヴァにしても今更、二人にその覚悟を問いはしない。もしためらいがあるならば、この場に来ることもないのだから。


「三日後には軍を連れて、ネブラシア港から出発する予定です。時間がなく申し訳ありませんが、それまでにできる限り休息するようにしてください」


 予定ではエヴァートへ申告した通り、五千の軍隊を率いることになっている。ただこの状況下、それを三日で遠征させるのは困難だ。

 そのため、三日後に出発するのはアルヴァを含む先遣隊だけである。速度を活かすため、軍を分けるのはアルヴァの常套(じょうとう)手段だった。


「私達は別にいいけど、アルヴァもあんまり無理しちゃダメだよ」

「んだな、お姫様こそ働きづくしじゃねえか」

「私は大丈夫です。竜玉船に乗れば、少しは休憩できますので」


 仲間達の気遣いに感謝し、アルヴァは笑って応えた。実際、今のアルヴァは気力に満ちている。この程度で弱音を吐くつもりはない。


 かつては、帝国から追放され、意に反して下界へ降りねばならなかった。その頃の境遇を思えば、今の自分がどれだけ恵まれていることか。

 そして、下界に堕ちた自分を救ってくれたのは、今下界で戦っている少年だ。

 自らの意志で再び下界へと降り、ソロンを助ける――それがアルヴァの決意だった。

第八章『帝都決戦』完結です。

恐らく今までで一番長い章であると同時に、作者的にも構成に難儀させられた章でした。


次回は第九章『深淵を越えて』。

当然ながら主人公のターンです。

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