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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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皇帝と大公

 ミスティンの放った矢は、針に糸を通すような正確さで兵士の肩を射抜いた。

 巻き起こる風圧が、兵士をあらぬ方向へ吹き飛ばしていく。それに巻き込まれて数人の兵士も倒れていった。


 ミスティンはワムジー、ラザリックの二人と共に、城壁の内側に潜んで機を(うかが)っていたのだ。

 神獣によって破壊された城門のお陰で、皮肉にも見通しはよかった。角度を調整することで、正確に対象を射抜いたのだ。


「あ――?」


 オトロスは金縛りにあったように硬直した。周囲を取り囲む数十人の兵士達も、状況を理解できず呆然としている。


「陛下、お助けに参りました!」


 そこへ突入するのは、一般兵の装備をまとった二人の男――ワムジー大将軍とラザリック将軍だ。二人は多勢の敵中へと、恐れも知らず躍りかかったのだ。


「き、貴様らは!? 謀ったな、アルヴァネッサ!」


 オトロスは振り向き、二人の姿を確認して驚愕(きょうがく)した。

 捕虜であったはずの二将軍が、いつの間にか解放されていた。その事実にようやく気づいたらしい。


「陛下に弓引く大逆人よ! このワムジーがお前の首を叩き落としてやる!」

「だ、大将軍、お命頂戴(ちょうだい)します!」


 兵士達が気を取り直し、二人の将軍へと向かっていく。だが、そのとまどいと足並みの乱れは隠せない。かつての上司に対して、兵士達はいかにも及び腰だった。


「容赦はせんぞ!」


 前に出すぎた兵士を、ワムジーの剣が貫いた。老いたりといえど、剣の腕はいささかも鈍っていないようだ。


「オトロス閣下こそが、次なる皇帝にふさわしいのだ!」


 そこへ次なる兵士が襲いかかる。

 突き出された剣が、ワムジーの側面を狙った。オトロスの親衛隊だけあって、敵の技量も決して侮れない。

 それをさばいてみせたのは、ラザリックの剣技だ。


「ふん、それでも自称新皇帝の親衛隊か。鍛え方が足りないのではないか?」


 ラザリックの剣が兜を強打する。兵士は昏倒し、倒れ伏した。


「何をしている、相手はたった二人だぞ! 突出するな! 囲んで始末するのだ!」


 オトロスの指示に従って、兵士達が二人から慎重に距離を取る。囲むような位置取りで、両将軍を追い詰めようとするが――

 そこへ走るのは一筋の稲妻。

 兵士は体を痙攣(けいれん)させて、言葉もなく崩れ落ちる。思わぬ不意打ちに、兵士達の足が止まった。


「我々を無視するだなんて、随分と余裕ですわね。大公閣下」


 対岸のアルヴァが杖を突き出していたのだ。


「な、何を馬鹿な!?」


 卒倒せんばかりにオトロスの顔色が赤く染まっていく。

 水堀の向こうから正確に魔法で射撃するなど、常識的には不可能なのだ。だからこそオトロスも、人質がいる乱戦下で撃てるはずもないと油断していたのだろう。


「――畜生め! さっきの約束はどうした!? それでも、皇家の女か卑怯者め!」


 悔しまぎれにオトロスが叫ぶ。


「閣下、卑怯者呼ばわりとは心外ですわね。約束通り、あなた自身には危害を加えていないでしょう。もっとも、拘束はさせていただきますが。その後で処罰を決めるのは、『私達』ではなく皇帝陛下です」


 嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべて、アルヴァは(うそぶ)く。どことなく楽しそうに見えたのは、ミスティンの気のせいだろうか。

 ちなみに、アルヴァがした約束とは『私達もあなたが自領へ戻るまでは、危害を加えない』の通りである。


 その間にも、彼女の杖先からは紫電が放たれ続けていた。射程外からの強襲を受けて、兵士達は倒れていく。

 かといって、アルヴァに気を取られるわけにもいかない。前方への警戒を(おこた)れば、ワムジーとラザリックによって立ちどころに斬り捨てられるのだ。

 数の上では有利だったはずの兵士達は、(またた)く間に恐慌へと陥った。


「人質だ! 人質を盾に使え!」


 オトロスはわめきながら、皇帝一家のほうへと視線を移す。皇后に剣を向けていた兵士は倒れたが、まだ何人か見張りが残っているはず。

 そうして、再度の脅しをかければ、アルヴァも両将軍も攻撃をやめる。オトロスの算段はそんなところだろうか。


 ところが――そこには一人の兵士の姿もなかった。

 いや、正確には皇帝一家の足元に軒並み倒れていたのだが。

 ミスティンは最初の一矢を放った後、ただ戦況を見守っていたわけではない。皇帝一家の周囲にいる兵士を、一人ずつ着実に始末していたのだ。

 そうして今や、皇帝一家に手を伸ばせる者は一人もいなくなった。


「な――」


 口をぽっかりと開いて、オトロスは虚空を見つめた。


「閣下、閣下!」

「しっかりなさってください!」


 二人の側近が、必死になってオトロスの肩をゆする。

 見た印象では二人とも高位の貴族だろうか。いずれにせよ、彼らもオトロスとは一蓮托生の運命なのだ。何が何でも、オトロスにすがるしかなかった。

 そして、オトロスが出した窮地(きゅうち)の打開策は――


「お前達も剣を取れ! こいつらを人質に取り、この場を収めるのだ! 腕ぐらいは斬っても構わんぞ!」


 オトロスは腰に差していた剣を手に取り、それを皇帝へと向けた。兵士達が当てにならぬなら、自らやるしかないということか。

 側近達もそれぞれ同じように剣を構える。

 三人そろって、戦いの経験などあるとは思えない腰つきである。それでも、毒を食らわば皿まで――と、腹をくくったのだろう。


「陛下!」


 皇帝へ接近する三人を察知し、ワムジーが叫ぶ。だが、彼もラザリックも敵兵との戦いに必死で、加勢に入る余裕がない。

 エヴァートは倒れた兵士のそばにかがみ込み、いかにも無防備だった。


「あなた!」


 セネリーがウリムを抱きしめながら、悲鳴を上げる。ウリムは事態を理解できないのか、きょとんとした目をしていた。


「皇帝陛下、お覚悟を!」


 オトロスの側近がエヴァートへと斬りかかる。

 武器も持たず、かがんだままの皇帝が対抗する(すべ)はない――はずだった。


 ところが、エヴァートは立ち上がりざまに、さっそうと剣を振り上げた。

 予想だにしない鋭い一閃。

 側近は剣を叩き落とされ、よろめいた。そこを逃さずエヴァートは追撃を加える。肩を打たれた側近は倒れ伏した。


「な……に!?」


 もう一人の側近は、思わぬ反撃に振り上げた剣を止めたところだった。

 そして、その一瞬の隙が命取りとなった。エヴァートの剣は、そんな彼の横腹を薙ぎ払ったのだ。


 流れるような剣技で、二人の男が皇帝の前に倒れ伏した。

 そんな中、ウリムは「キャッキャ、キャッキャ」と嬉しそうに手を叩いている。……なかなか、大物かもしれない。


「悪いが、幼少から剣の訓練は積んでいる。才には恵まれなかったが、素人にやられるほど未熟でもないよ」


 そうして、エヴァートはオトロスへと剣を向けた。

 エヴァートはいつの間にか腕の拘束を外し、剣を手にしていたのだ。拘束は縄によるものだったため、倒れた兵士の剣で断ち切ったのだろう。


「ば、馬鹿な……こんなはずは……!?」


 オトロスは眼前の皇帝から視線を外さずに後ずさった。


「オトロス、君もかかって来たらどうだ? 僕にしても、少しばかり鬱憤(うっぷん)が溜まっているんだ」


 控え目な言葉の中には、隠し切れない怒りが満ちている。

 温和で知られる慈悲の皇帝エヴァート――オトロスはその逆鱗(げきりん)に触れたのだ。

 後ずさっていたオトロスの足が止まる。剣を握りしめる腕が震えていた。


「お、俺を舐めるなよ、エヴァァァァート!」


 オトロスが咆哮(ほうこう)を上げて襲いかかった。いや、咆哮というよりは理性を失った絶叫だろうか。オトロスは皇帝の眼光に耐え切れず、動かざるを得なかったのだ。


 エヴァートは無駄のない剣さばきで、オトロスの右手を打った。痛みに耐えられず、オトロスは剣を手放す。

 相手に息をつかせる間もなく、エヴァートは肩を貫いた。


「ふぎゃっ!」


 オトロスは滑稽な悲鳴を上げ、流血する左肩を押さえた。その顔は恐怖に青ざめている。

 だが、エヴァートは容赦なく、その右肩までも貫く。

 オトロスは重い体を支えきれず、仰向けとなって夜明けの空を仰ぐのだった。


「慈悲を送る気はないが、命だけは助けよう。君には聞きたいこともあるからな」


 冷然と見下ろし、エヴァートは言い捨てた。

 オトロスは言葉を返す気力もないのか、ただ虚空(こくう)を見上げるばかりだった。

 こうして、皇帝と反乱の首謀者による決戦は呆気なく終わった。


 *


「大丈夫ですか、陛下!」


 戦いの終わりを見届けたミスティンは、エヴァートの元へと駆け寄った。


「ああ、お陰様でね。助かったよ、ミスティン」


 エヴァートは気疲れを隠せないようだったが、それでもしっかりと礼を述べた。

 どうやら、こちらの顔を覚えていたらしい。直接話したこともあるのだから、当然といえば当然だが。


「えへへ、さっきの剣技お見事でした」


 ミスティンが称賛すれば、エヴァートははにかむように笑いながら。


「少しぐらいはいいところも見せないとね。ひょっとして、さっきは僕に花を持たせてくれたのかい?」

「さあ、なんのことでしょう?」


 と、ミスティンはうそぶいてみせる。

 実際のところ、先程の三人はやろうと思えば始末できたのだ。ただ、エヴァートが密かに剣を手に取ったのを確認して自重しておいた。

 もちろん、背後から敵に矢を向けて、いざという時の備えもしていた。ミスティンは空気を読める女なのだ。


「しかし……その服は使用人の真似事かい?」


 エヴァートは不思議そうにこちらの格好を見る。


「ええ、かわいいでしょう?」


 スカートをつまみ、にこりと微笑んで見せた。何だかんだでこの服装も、わりとお気に入りだった。


「妻に怒られるから感想は控えておくよ。……っと、すまない」


 そう言いながら、エヴァートは妻のほうへと視線を移す。


「――もう大丈夫だよ、セネリー」


 彼は剣を手に取り、セネリーの腕を拘束する縄を断ち切ったのだった。


「あなた……」


 恐怖に涙ぐむ愛妻を、エヴァートは皇子共々に抱きしめた。

 あまりジロジロと見るのもあれなので、ミスティンは視線をそらした。しつこいようだが空気を読める女なのだ。


 ……と、そこへ後ろからやって来るのは聞き覚えのある足音だ。

 ミスティンは後ろを振り向くなり、即座に抱きついた。


「ご無事なようですね、ミスティン。今日は大活躍でしたよ」


 ミスティンの体を受け止めながら、アルヴァが優しい声色(こわいろ)で応えた。


「アルヴァも、元気そうでよかった。おじいちゃんも、そっちに行ったと思うけど元気?」

「ガノンド先生なら、修道院で療養中です。ケガはあるそうですが、大事ないでしょう。カリーナに付き添いを任せています」

「そういえば、どうやってこっちに渡ってきたの?」


 出会ってそうそう、ミスティンは矢継ぎ早に質問を繰り出していく。


「俺が運んだんだ。……つうか、妙なメイドがいると思ったら、お前かよ」


 そこへ現れたのはグラットだった。片手に槍を持ちながら、油断なく構えている。


「あっ、グラットもいたんだ」


 アルヴァから体を離し、グラットへと向き直る。


「いたぜ。久しぶりだな」


 グラットはニヤリと笑い、こちらに合わせて左手を差し出す。ミスティンがその手を叩けば、小気味良い音が響いた。


「あーでも、あっちのほうは大丈夫なの?」


 ミスティンは今も戦っていると(おぼ)しき二人の将軍へと視線をやった。

 それにはアルヴァが答えて。


「終わりましたよ、つい先程」


 残った大公軍の兵士達は余さず倒れ、あるいは降伏していた。

 ワムジーとラザリックの奮闘に加え、アルヴァとグラットが水堀を飛び越えて加勢した。その時点で大勢は決したも同然だった。

 そして、決定的なのはオトロス自身が敗れたことだ。大公軍の命運が尽きたのはもはや自明の理であり、兵士達も抵抗の意思を失っていた。



「全く……今後、君には頭が上がらなくなったな」


 妻子を連れたエヴァートが、アルヴァに気づいて声をかける。


「いいえ。そんなことより、お兄様もお義姉(ねえ)様も、それからウリム皇子も――皆ご無事で何よりです。お疲れではありませんか?」

「ああ、本当に疲れたよ。もっとも、君達みたいに働き疲れたわけじゃない。ここからは責任を持って事態を収拾させてもらう」

「あっ! でも、気をつけて。まだあいつらが残ってるかも」


 ミスティンはふと思い出し、慌てて忠告した。


「あいつら……ザウラストの邪教徒ですか?」


 以心伝心。言葉足らずなミスティンの意を、アルヴァがすぐに察してくれる。


「そう。枢機卿(すうききょう)って呼ばれる女がいて、ちょっと危険な感じがした。弓で狙ったんだけど、変な魔法で防がれちゃって。けっこう本気だったんだけどなあ……」

「枢機卿……? 叔父が口にしていた人物でしょうか。いずれにせよ、あなたの弓矢を防ぐとは相当な手練ですね」

「重要人物なのは間違いないだろう。ぜひとも、捕らえて話を聞きたいものだ」

「ええ、後続を待ってから捜索を始めましょう。容易に逃げられるはずはありませんから」


 現状は多くの敵兵を少人数で制圧している有様である。

 降伏した敵兵を見張っているのは、ワムジーとラザリックだ。アルヴァにミスティン、それからグラットも会話に興じていても油断はしていない。

 ただ、このままでは身動きが取れないため、後続の到着を待つ必要があった。


 そうこうしているうちに三人の将軍――ガゼット、イセリア、ゲノスが兵士達を引き連れて、こちらへと渡って来た。埋められた水堀からこちらまでは高低差もあったが、ハシゴをかけて強引に解決したらしい。


「おお、イセリアや……」

「父上、よくぞご無事で……」


 ワムジーとイセリアの父娘は再会を祝い合う。


「陛下、この度は私の力不足でした。帝都の治安を守る将軍でありながら、面目ありません」


 ラザリックがエヴァートへ深々と頭を下げていた。ミスティンからすれば、ラザリックは無駄に尊大な男という印象である。しかし、こうして見れば、礼儀正しく立派な将軍に見えなくもない。


「やめてくれよ、ラザリック。それを言うなら、今回の件は僕の不徳の致すところだ。君達は命懸けで僕らを助けてくれた。それが全てさ」


 エヴァートは(ふところ)の深さを見せるのだった。

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