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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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一陣の風

「もはや、神獣すらも通じませんか……。アルヴァネッサ陛下、随分と厄介になったものですね」


 ネブラシア城の窓辺に立った枢機卿(すうききょう)は、戦いの結末を見届けていた。

 ザウラスト教団の秘術によって生み出されたカオスの神獣――星の(ことわり)から外れたそれを、アルヴァネッサはまたも破ってみせた。

 もっとも、枢機卿は感嘆すれど、焦る様子は微塵(みじん)もなかった。


「おい、これはどういうことだ! 最強の力ではなかったのか!? 貴様らの言う神獣とやらは、小娘一人も始末できんのか!?」


 対照的にオトロス大公は激昂(げっこう)した。確信していた勝利が、今や崩れ落ちようとしていたのだ。


「神獣は至高の力です。ただ、あなたがそこまでの器ではなかったというだけでしょう」


 枢機卿の声には露骨な(とげ)が含まれていた。信仰する神の力を否定されたことで、機嫌を損ねたのだ。


「何を言うか! ゼプトにはまだ万の軍隊が残っている。わが領土に戻って、再び戦の準備をするのだ。お前達も協力して俺を脱出させろ! 事と次第によっては、ザウラスト教を帝国の国教にしてやってもいいぞ!」

「諦めが悪いのですね」


 対する枢機卿は冷ややかだった。


「当たり前だ。諦めがよかったら、皇帝などハナから目指さんわ!」

「もう終わったのですよ。あなたにアルヴァネッサ陛下の相手は、荷が重かったようですね」

「……なんだと!?」

「時流も読めないのですか? あなたは最大にして唯一の機会を逸したのです。万の軍隊があったところで、国家全てを敵に回しては為す術もない」


 そのことはオトロス自身も分かっていたはずだ。だからこそ、オトロスはまず国家の中枢を抑え、主だった軍人と貴族を自陣営に引き入れた。

 それでも、残り全ての陣営が敵に回れば厳しいのは事実だ。


 しかし、帝国は長年に渡る貴族制が根付いた国である。領土と自治権を持った貴族は、それぞれ独立した利害関係を持っている。迅速に団結するとは考えにくい。少なくとも、一度に敵対する心配はなかった。

 それに何よりも、オトロスにはザウラスト教団という影の支援者がいた。不可能を可能にする彼らの秘術によって、オトロスは盤石(ばんじゃく)となる――はずだった。


「黙れ黙れ! 俺のやることに文句があるのか! そもそも、俺を皇帝にすると言ったのは貴様らではないか! 貴様らのような日の目も見ない邪教徒を、受け入れてやったのは誰だと思っている! この俺――俺ではないか! 貴様らなど、下界で朽ち果てていればよかったのだ!」


 そして、もはや修復できない決裂が訪れた。

 大公が腕を上げると同時に、左右にいた四人の側近が動いた。うち二人が枢機卿を弓で狙い撃つ。もう二人の側近も剣を持って、躍りかかろうとする。


 大公の側近ともなれば、選りすぐりの実力者である。放たれた二本の矢は正確無比に、枢機卿の左胸をめがける。

 だが、枢機卿が杖をかざすや、闇の障壁がその前に現れた。闇に飲み込まれた矢は、忽然(こつぜん)と消え失せた。


「そんな武器で私を殺せるとでも? まったく、ここまで愚かだったとは……」


 枢機卿はゆったりとした動作で、またも杖を振りかざした。

 闇のような塊が射出され、四人の親衛隊を貫いた。

 心臓を抑えた男達は、声もなくうずくまる。その顔からは既に生気が失われていた。


「なに……」


 左右の親衛隊を見回し、大公は動揺をあらわにした。

 目を大きく開いて前方の相手を見つめる。対峙していた相手の恐ろしさに、今更ながら思い当たったらしい。


「どうしたものかしらね?」


 枢機卿は薄笑いを浮かべて、大公を見やった。そこには怒りどころか、何の感情も読み取れなかった。


「た、頼む。命だけは助けてくれ!」


 大公は尻もちをつき、必死に懇願(こんがん)する。


「命乞いとは……最期までつまらない男ね。まあ、いいでしょう。どうせ、すぐにアルヴァネッサ陛下がいらっしゃいます。自害するもあがくのも自由。あなたの好きなようになさい。我々はお(いとま)させていただきますが」


 枢機卿は吐き捨て、静かな足取りで去っていった。

 残された大公は呆然と尻もちをついていたが……。


「畜生めがっ! この俺が、この俺がこんなところで終わるはずが……! 今に見ておれ、俺の手にはまだ皇帝一家がいるのだ! ははっ、ははは!」


 * * *


 既に帝都の夜は明けようとしている。

 兵士達を率いて、アルヴァはネブラシア城を目指していた。

 進行経路はちょうど神獣が荒らし回った範囲である。帝都の惨状は筆舌に尽くし難かった。


 終わらせなくてはならない。必ずや、オトロスに報いを受けさせるのだ。

 今となっては、大公に残された戦力はわずかなものだろう。これ以上の抵抗は無意味だと、いい加減にオトロスも悟っているかもしれない。


 懸念があるとすれば、ザウラストが戦力を温存している可能性だ。ただ、これまでの例では神獣級の魔物を二体同時に放ったことはなかった。

 恐らくは、かの教団にしても神獣の召喚にはそれ相応の対価を要するのだ。ならば、これ以上の召喚はないと考えて突き進むしかない。


 もっとも、オトロスが抵抗するにせよ、投降するにせよ、見逃すつもりはなかった。

 自ら橋を落とした手前、オトロスが逃走するには水堀を渡るしかない。そこはイセリアに指示し、水堀を囲むように兵士を差し向けたので、抜かりはなかった。


 そして、アルヴァ率いる上帝軍は壊れた橋へとたどり着いた。

 橋の向こうには雄大なるネブラシア城の姿。ただし、その城門は神獣によって破壊され、無防備に前庭をさらけ出している。

 橋の下――皆の力で埋め立てた水堀も、嵐が過ぎた後のように崩れていた。ゆるやかな土の傾斜は崩壊し、人の手足で登ることは困難だった。

 それでも、無から埋め立てるよりはよいというもの。


 魔道士達を集め、アルヴァは工事を再開しようとしたが――


「そこまでだ、アルヴァネッサよ!」


 水堀の向こうから叫び声が聞こえた。

 破壊された城門を通って姿を現したのは、派手な服をまとった大柄な男。ふくれた腹を抱え、少しの距離を歩くにも足取りが重々しい。

 ドーマから帝国へ戻って以来、アルヴァはその男と初めて顔を合わせた。

 しかしながら、その姿は間違いようのない宿敵――オトロス大公だった。


 そして、そのすぐ前方に押し出されているのは三人の貴人。皇帝エヴァートと皇后セネリー。そして、皇后の胸に抱かれている赤子の皇子ウリムだ。

 エヴァートの腕は縄でくくられており、自由を制限されている。

 セネリーの拘束は夫よりもゆるやかだが、抱いた赤子を捨てられない以上、事実上の自由はない。セネリーは抱きしめた赤子に不安を伝えまいと、毅然(きぜん)と平静を装っていた。


 それらを囲むように、大公軍の兵士が数十人ほど構えていた。

 オトロスは起死回生の一手に、皇帝一家を人質に取ったのだった。


「お兄様……!」


 緊迫する事態に、アルヴァは絶句する。


「オトロスめ……!」


 イセリアら将軍達は、オトロスを憎々しげににらみつけた。だが、敵を刺激するような叫び声を上げはしなかった。

 大勢いた上帝軍の兵士達も静まり返り、行く末を見守っている。


「兵を引け。我々の安全を確保でき次第、皇帝一家は解放しよう」


 オトロスは勝ち誇った声で、水堀越しに要求を伝えてくる。どこまでもふてぶてしい男だった。


「オトロス。堕ちるところまで堕ちましたね。(いさぎよ)く投降してはいかがですか?」


 返答の代わりに、アルヴァは言い放った。同時に杖を握りしめながら、向こう岸の敵陣を観察する。

 今日、アルヴァは二度も雷鳥を放っている。それ以外にも、爆雷など強力な魔法を何度も放ってしまった。一年前のアルヴァなら、既に気を失っていたであろう精神の酷使だ。


 疲労は濃い。けれどまだ、意識ははっきりしている。得意の雷撃を放つには支障ないだろう。

 それでもやはり、水堀の向こうまでは距離が遠すぎる。

 オトロスに雷撃を届かせるまではできるだろう。ただ、皇帝一家を盾にされている状況では迂闊(うかつ)に攻撃などできはしない。


「兵を引けと言ったのが聞こえなかったか? まずは、その物騒な杖を捨てたまえ。試しに皇后から殺してもよいのだぞ?」


 オトロスは苛立(いらだ)ちを隠さなかった。そうして、兵士を差し向け、その剣をセネリーへと向ける。


 上帝軍にとって守るべきは一に皇帝、二に皇子だ。正直なところ、皇位継承権を持たない皇后の優先度は、大きく劣るのが実情だった。

 重要度の低い人質を見せしめに殺し、自分が本気だと見せつける。オトロスの脅しはそういう意味なのだ。


「オトロス、剣を向けるなら私にしろ!」


 エヴァートが抗議をするが、オトロスは黙殺してみせる。


「……分かりました」


 アルヴァはゆったりとした動作で杖を足元に置いた。

 今、自分が打てる手段はない。こうなれば、残った選択肢は一つしかなかった。


「――要求を飲みましょう。水堀を囲っている兵士を、全て引き上げさせてください」


 アルヴァは振り向き、イセリアに向かって伝えた。


「よろしいのですか?」

「仕方ありません。皇帝一家の安否と比較すれば、大公の身柄など露程(つゆほど)の価値もないのですから」

「ですが……オトロスが正直に約束を守るとは」

「彼もゼッカート帝の血を引く遠縁の皇族です。その程度の誇りは持っていると信じましょう」

「……承知しました」


 苦虫をかみつぶしたような表情で、イセリアは頷いた。オトロスへの不審は捨てられないが、それでも選択肢はないと理解したのだろう。


「良い心がけだ。皇帝ご一家は俺がゼプトへ戻った後、責任を持って送り届けよう」


 オトロスはこちらの動きを見て取って、満足そうな笑みを浮かべた。

 ゼプトとは帝都南西にあるオトロス大公領のことである。()しくもかつて、帝国に反旗を(ひるがえ)した女王の領国として知られていた。

 つまりは、自領に戻るまで皇帝一家を解放しない。それが大公の意思表明であった。


「分かりました。約束は必ず守ると宣言してください。私達もあなたが自領へ戻るまでは、危害を加えないと保証しましょう。この身に流れるサウザードの血にかけて」

「もちろんだとも。ご一家をこれ以上、拘束するのは忍びないが、俺も命は惜しいのでなあ。約束は厳守しよう。それにしても、お前が話の分かる女で助かったぞ! ふははははっ!」


 オトロスが高笑いをしたところで――


「オトロス閣下。今日は風が強いようですので、くれぐれもお気をつけください」


 アルヴァがねぎらいの言葉と共に、微笑を作った。


「あぁ……風?」


 オトロスは意味が分からぬとばかりに首をかしげる。アルヴァの微笑に何か不穏な気配を感じ取ったのか。

 瞬間、一陣の風がオトロスの頬をかすめた。

 風は皇后へ剣を向けていた兵士を吹き飛ばした。


「あ――?」


 今度はオトロスが絶句する番だった。


「だから、忠告したでしょう?」


 アルヴァはそう言って、足元の杖を拾い上げた。

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