雷鳥は帝都を舞う
水道橋が破壊され、人工の川が街中に生まれた。
それを確認したイセリアは、五人の騎士達と共に馬を駆った。
馬の負担を減らすため、全員が兜も鎧も身につけない軽装とした。一見無謀なようだが、結局はそれが合理的なのだ。どの道、追いつかれたなら防具など何の役にも立たないのだから。
荒れ果てた帝都の街道を駆けながら、破砕音が鳴り響く方向を目指していく。
常識を外れた強敵と当たるにも関わらず、騎士達も恐れずに従ってくれた。ここにいるのは勇気にあふれ、実力の確かな精鋭達だった。
やがて、イセリアは帝都を荒らし回るサメの巨体を視野に入れる。
今も二人の将軍とその部隊が、神獣の相手をしてくれていた。
「後は我らにお任せを!」
声を張り上げ交代を促せば、両将軍とその部隊も撤退を開始した。
神獣は撤退する部隊を追おうとするが――
「バケモノめ! 我らが相手だ!」
イセリアは水竜の剣を向けて、魔法を放った。
鋭い水の槍が、神獣の側面へと衝突する。
微動だにしない神獣へと、後続の騎士達も次々に弓矢を撃ち込んでいく。
矢と魔法が鱗へと突き刺さり、赤黒い血飛沫が上がった。
魔物の巨体にとっては取るに足らない攻撃でしかない。それでも、度重なる側面からの攻撃を無視できなかったらしい。重い体を動かして、こちらへと鼻先を向けた。
「さあ来い! こっちだ!」
イセリアは神獣を挑発しながら、渾身の水槍を放った。その命中を確認するなり、馬を走らせ逃走を開始する。
神獣の怒りの矛先は、もはや完全にこちらへと向けられていた。
イセリア達の逃走劇が今始まったのだった。
「遅れるなよ!」
イセリアは後続の騎士達を叱咤する。
イセリアとしては、単騎でこの役目を担いたかった。けれど、自分の攻撃だけで神獣を引きつけるのは難しい。そのために、騎士達も志願してくれたのだ。できれば、一人も犠牲を出したくなかった。
薄明かりの帝都を六騎で駆け抜ける。付近の人々は避難したため、すっかり人気はなくなっていた。
迫り来る破壊の音を背にしながら、必死に手綱をしごいた。怯えきった馬達も、死に物狂いで足を回転させる。
イセリア達の前に、瓦礫の小山が立ちふさがる。つまづいて倒れでもしたら、その瞬間に死は確定する。
「跳べ!」
イセリアの指示に従って、馬が高く跳躍した。他の五騎も次々と山なりに瓦礫を飛び越えていく。
広場を大きく囲む水路が目に入った。
即席の水路は瓦礫と土砂を巻き込みながら、激しい濁流となっていた。
円を描く水路の円周上に、一つだけ道が残されていた。それも、神獣の巨体がちょうど通れるような道幅だ。
「行け!」
騒々しい水音に負けじと、イセリアは声を張り上げる。
ここから先、敵を引きつける役割は一人でよい。騎士達を先へと逃がし、自分だけが水路の囲みの中を目指すのだ。
「あと少しです。ご武運を!」
騎士達が去り際に声をかけてくれる。
「ああ!」
イセリアは返事に加えて、駄目押しとばかりに水竜の剣を後方に向けた。
濁流から生まれた水の飛礫が、神獣の鼻先を執拗に打ちつける。
相変わらず効果は薄いようだが、それでも気には触ったらしい。神獣は他の騎士達を無視して、イセリアへと怒りの矛先を向けた。
「うまくいったな」
イセリアはほくそ笑んだ。
自分の生死は問わない。しかし、誘導に失敗すれば、計画の全てが意味を失ってしまう。それだけが気懸かりだったのだ。
流れに囲まれた広場へと、イセリアは駒を進めた。
そして、そこには一人の男が槍を手に待ち構えていた。
* * *
「よし来た!」
馬を駆って向かって来るイセリアを見て、グラットは歓声を上げた。
激流がグラットの周囲を包んでいた。アルヴァが心配した通り、泳ぐのは到底不可能だろう。運が良ければ、溺死せずに、どこかへ流れ着くかもしれないが。
もっとも、そんな分の悪い賭けをさせないために自分がいるのだ。ここまでくれば、後は役目を果たすだけである。
「うわっ、鎮まれ!」
ところが、ここに至ってイセリアの馬が暴れ出した。
理由は考えるまでもない。前門の濁流、後門のサメ――迫り来る危機に馬が怯えているのだ。むしろ、よくここまで持ったというところだろう。
「おい、何やってんだよ!」
「そう言われても!」
イセリアは手綱を強く握り、振り落とされないよう必死に抵抗していた。
そうこうしているうちにも、背後からは生ける災厄が迫ってくる。
「しゃーねえ!」
グラットは駆け寄り、馬上のイセリアを強引に引きずり下ろした。
「うわおっ!?」
転がったイセリアが悲鳴を上げる。
「そうら、飛ぶぜ!」
「ま、待て!」
体勢を崩したイセリアが、慌てて抗議する。
「待たねえ。早くしねえと来るぞ!」
……が、それを無視して、彼女の体を左手で抱えてしまう。
アルヴァよりは重いが、それでも軍人としては華奢なほうだろう。この分なら問題はなさそうだ。
グラットは右手に構えた超重の槍に魔力を込めた。
二人の体重が軽くなり、鳥のように体が身軽となる。今にも浮き上がらんばかりの浮遊感。グラットにとっては慣れた感覚だが――
「お、おおお!?」
イセリアにとってはそうでない。かつてない感覚にとまどいの声を上げていた。
「しっかり、つかまってろよ!」
グラットが地面を強く蹴れば、イセリアも必死にすがってくる。
重力から解き放たれ、二人は宙へと浮いた。
眼下に見えるのは渦巻く急流だ。
「ひぃ、来てる来てる!?」
イセリアが背後を向いて、らしからぬ悲鳴を上げる。
神獣のヒレのような腕が異様に伸びて、こちらを追ってきたのだ。
「遅え! つうか、サメのくせに似合わないことすんじゃねえ!」
幸い、腕に伸びる限度があったらしく、つかまれはしなかった。
そして、神獣の背中方向――建物の影に隠れていた者達が姿を現した。
工事の仕上げのために待機していた魔道士達である。
ここぞとばかりに、彼らは杖を向けた。土魔法と水魔法を発動し、わずかに残っていた入口を水路で連結していく。
最後の工事は呆気なく終わった。水の勢いが魔道士達の仕事を手伝ってくれたのだ。わずかに地面を掘るだけで、流れ込んだ激流が水路をつなげてくれた。
即席の島が見事、帝都にできあがったのだった。
「おっしゃ! よくやったぜ!」
宙に浮かびながら、グラットは快哉を叫んだ。思わず槍を持った右腕を振り上げる。
「お、おい! 揺らすな、というか高すぎるぞ!」
イセリアは抗議し、グラットをつかむ腕の力を強くした。
「おいおい情けねえなあ。将軍さんは高いところ苦手か?」
役目を果たした高揚からか、ついつい軽口を叩いてしまう。
「苦手ではないが――この高さ、平気なほうがおかしいだろ!」
「お姫様はわりと平気そうだったぜ」
「私はこれでも普通の女だ。あの方と一緒にするな!」
「その言い方、不敬じゃねえか?」
「んぐ……あなたに言われたくない!」
「ははっ、そいつはそうだな。まあ、大丈夫だって。俺を信じろ」
「わ、分かった、あなたを信じる! 任せたからな、グラット殿!」
「おう、任された!」
姿を現した大勢の兵士達が、水路を囲んでいた。その数は千人を超えているかもしれない。そして、その全てが神獣を滅ぼすために集まっているのだ。
巻き込まれてはたまらない。
その円陣の向こう側へと、二人は舞い降りた。
イセリアを下ろせば、彼女は力が抜けたようにへたり込んだ。疲労と恐怖が合わさって相当に堪えたらしい。
「後はお姫様の仕事だが……」
グラットの視線は、円陣の中にいるはずの最高指揮官を探し求めた。
* * *
人工の川を隔てて神獣の正面に立ったアルヴァは、精神を研ぎ澄ませていた。
左手を前に添え、右手で杖の尾をつかむ。杖の先端――魔石から漏れ出る雷光が、アルヴァの目をくらませる。
それでも、弓のように両手で杖を握りしめ、一心不乱に神獣だけを見据えていた。
激流に囲まれ行き場を失った神獣が、大口を空けて咆哮を上げる。
怒りか、恐怖か、困惑か――その思考は読み取れなかった。
命の危険を感じれば、いかに水を恐れる神獣とて、激流を越えようとするかもしれない。
だからこそ、考える暇を与えずに決着をつけるのだ。
「ゆくぞ!」
先陣を切ったのはゲノスとガゼット――二人の将軍だった。この二人もイセリアに神獣を任せ、大急ぎで円陣の中へと駆けつけたのだ。
閃光の槍と灼熱の槍――二つの魔槍から放たれた技は、川を越えて神獣へと襲いかかった。
鋭い光が左の横腹を斬り裂き、炎が右の横腹を焦がす。両側からの攻撃に、神獣は忌々しげに体をくねらせる。どちらを向くべきか迷っているのだろうか。
だが、神獣が方針を決める前に次の攻撃は始まっていた。
将軍に続き、兵士達が一斉に矢と魔法を放ったのだ。
神獣は体を揺らし、攻撃を弾いていく。
しかし、全方位から絶え間なく降りかかる攻撃の全ては防げない。頑強な神獣の鱗にも、少しずつ傷が刻まれていく。
さしもの神獣も苦しそうな声を上げた。
もっとも、この程度でとどめを刺せるとは微塵も思っていない。
「美しき帝都を穢した報い、その身に受けなさい」
ありったけの怒りを込めて、アルヴァは杖先の魔力を解き放った。
術者自身の憤怒を乗せたかのように、雷の鳥は激しく舞う。
アルヴァが杖を振り上げれば、高く飛翔した雷鳥が真下の神獣へとクチバシを向ける。
サメの神獣は上空へと大口を開き、雷鳥を真っ向から飲み込もうとする。
「飲み込めるものなら――飲み込んでみなさい」
アルヴァは不敵に微笑み、杖を振り下ろした。
雷鳥は急降下し、大口へと吸い込まれていく。
神獣の巨体が無秩序にふくらみ、その大口から膨大な雷光があふれ出る。体内に侵入した雷鳥が、暴れ回っているのだ。
まるで不格好なフグの如く。もっとも、クジラより巨大なフグではあったが。
ふくれた体に無数の矢が突き刺さっていく。今や神獣は兵士達の良い的と成り果てていた。刺さった矢のせいで、今度はハリセンボンを思わせる有様である。
そして――臨界点を超えた神獣は破裂した。
強大な魔力を体内に飲み込んだ末、外からの攻撃を受け続けた。内と外からの攻めに耐えきれなくなったのだ。
莫大な光と風があふれ出し、巨大な水柱が噴き上がる。円陣を組んでいた者達へと暴風と水飛沫が襲いかかった。
アルヴァももれなく、その衝撃に吹き飛ばされていった。
*
しばしの時間が経ち、やがて光と風が収まった。
「お姫様、大丈夫か?」
強風に転がっていたアルヴァを、グラットが助け起こしてくれる。その周囲でも兵士達が同じように助け合っていた。
「問題ありません」
水に濡れた体を気にしながらも、アルヴァは応じた。酷い濡れ具合なので、早く乾かす必要がありそうだ。
しかし、今はそれよりも確認せねばならぬことがある。
「どうなりましたか?」
「見りゃ分かるさ」
グラットは言葉少なに指を差した。
指された方角には、ただ大きな川があるのみ。
数瞬の間、アルヴァは状況が理解できなかった。
というのも、水路に囲まれていたはずの陸地がまるごと消し飛んでいたのだ。
激しい攻撃の嵐が島を消し飛ばし、全てを川に変えていた。
そして、サメの神獣も跡形なく消え失せたのだった。
「はあー」
アルヴァは柄にもなく、大きな息を吐いた。
「まだ終わりじゃねえだろ」
グラットの冷静な指摘に、アルヴァもハッとする。
「そうですね……」
アルヴァはつぶやき、周囲を眺める。
兵士達の注目はアルヴァへと一身に集まっていた。みな何かを期待するように。
アルヴァは吐いたばかりの息を今度は大きく吸い込んで、
「デモイ、ビロンド、レゴニア――大公軍に属する三人の将軍は既に敗れました! そして、大公が力を借りた邪教の神獣も、今や滅び去りました! 我々の勝利は目前です!」
杖を高々と頭上に掲げ、大きな声で叫んだ。
兵士達から空気が割れんばかりの歓声が上がっていく。
「紅玉の上帝に栄光を!」
「我らの女神よ!」
兵士達も舞い上がっているらしく、過剰なぐらいにアルヴァを褒め称える。
気分が良いのは否定できない。
……が、それで目的を見失ってはいけない。
「しかしながら、これで終わりではありません! 皇帝陛下とご家族を助け出し、オトロスを捕らえるのです。勝利の美酒はそののちに! 皆様、もう少しだけ力をお貸しください!」