水路を築く
離脱するガゼットを見送ったアルヴァは、改めて対岸を見た。
遠くから眺めてみれば、神獣の破壊的な活動がよく見て取れる。
神獣は地面を喰らうように削りながら進んでいくのだ。街道だろうと土だろうと、勢いを削がれる気配がない。
神獣が進んだ後には、大きくえぐられた溝があるばかりだった。
「用水路ができちまうな」
「都市計画を無視して造られても邪魔なだけですよ」
グラットの軽口に、アルヴァもつい真面目に反応してしまう。なんだかんだで、この男とも付き合いが長かった。
「――ともあれ、感謝します。助けてくださらねば、私もあれに飲み込まれていたでしょう」
アルヴァは遅ればせながら礼を述べた。命を救ってもらった相手に礼も言えないようでは、貴族の風上にも置けない。
「いいってことよ。それより、どうするぜ?」
「もう一度、総攻撃をしかける機会が必要です。幸い、ここには万を超える軍隊が存在しています。その総力を結集すれば、神獣とて一溜まりもないでしょう」
「そうは言うが……できるのか?」
グラットは対岸の向こうに目をやり、疑問を投げかけた。
話している間にも、神獣の破壊活動は続いていた。ガゼットの一隊はうまく逃げ延びたらしい。しかし、神獣は目についた人間へ無差別に襲いかかっており、その動きが止まる気配はない。
勇敢な兵士達が屋根の上から、矢を放ち応戦する。
だが、神獣は建物に突進し、その土台を喰らった。建物の崩壊に巻き込まれた兵士達は、哀れにも神獣の餌食となった。
まさに縦横無尽の暴虐。
グラットの疑問はもっともである。帝都を高速で動き回る神獣に対し、上帝軍の総力をぶつけるのは至難だった。
人の足では追いつけず、騎兵でならどうにか追いつけるかもしれない。
そもそも、帝都はそこら中に建造物が並んでおり、大部隊を展開できるような広場は限られている。
その広場へ追い込もうにも、神獣は人間達の事情を汲んでくれない。建物を破壊しながら移動できる相手を、思い通りに誘導せねばならないのだ。
「一つ考えがあります。あの神獣は水が苦手なのだと思います」
「サメなのにか?」
グラットが意外だとばかりに口を開いた。
「サメではありません。サメに似た神獣です。先程の反応は、明らかに水を恐れていたようでした。最初に現れた時も、あれは水堀の埋まった部分を通ったのですから」
「そう言われてみれば、そうかもなあ。親父が邪魔しなくとも、水堀には入って来なかったかもしれん」
グラットは一応の納得をしながらも、まだ煮え切らないようで。
「けどよお、水かけたぐらいでアレ倒せんのか?」
「まさか」
アルヴァはあっさりと否定する。
「――言ったでしょう、総力を結集すると。重要なのは、あの神獣が水を恐れているという事実です。推測が正しければ、誘導と足止めには十分なるでしょう」
「なるほどな、決めるのは我らが上帝軍ってわけか。いやでも、水ってどうすんだ? この辺で水って言っても、そこの水堀ぐらいしかねえが。ああ、あの女将軍さんにでも頼むのか?」
言うまでもなく、水は高きより低きに流れる。低位にある水堀を、今回の目的に活用するのはなかなか難しい。イセリアの水魔法をもってしても、それは変わらない。
「あれを使いましょう」
アルヴァは遠く西方を指差した。街道の向こうにあるのは水道橋だった。
水道橋の水源は、ずっと北西のイシュテア海である。その海から流れる川の水を汲み上げ、帝都まで運んでいるのだ。
飲料、洗濯、農業、浴場などなど……水の用途は多岐に渡る。様々な分野で市民の生活には不可欠だった。
「水道橋? 確かに水が流れているけどよ……。お姫様の考えることはよく分かんねえな」
考えが及ばないらしく、グラットが当惑する。
「分からなくとも結構。それより、頼みがあるのですが」
「おう、なんでも言っとくれ」
「私を将軍達の元へ運んでください」
そう言って、アルヴァは自らグラットの肩に手をかけた。
*
グラットはとまどいながらも、アルヴァを運んでくれた。
ガゼットにイセリア、それからゲノス――帝都の上空を飛んで、三人の将軍の姿を探し求める。
今回は覚悟の上だったので、先程よりも体勢がマシである。アルヴァには、眼下の夜景を眺める余裕すらあった。
街路樹を飾る蛍光石が、未明の帝都を照らし続けている。
そこに映された神獣の爪痕が痛ましい。こうしている間にも、神獣は帝都を縦横無尽に破壊し続けているのだ。
まず最初に見つかったのはゲノス将軍だった。
神獣から散り散りに逃げ出したアルヴァ達とは異なり、彼の軍は今も統制が保たれていた。上空から見ても、数千規模の軍隊はよく目立ったのだ。
ゲノスは降り立った二人に驚いていたものの、すぐにアルヴァの話を聞く態勢になる。
敵の残党と戦っていたゲノスは、その掃討を終えていたようだ。神獣の出現を察知してはいたものの、事態を把握できず途方に暮れていたらしい。
「上帝陛下が北方で使った召喚魔法に似ていますな」
ゲノスが悪気もなくそんなことを言い出す。アルヴァはあの魔法に失敗し、一度は帝国を追放されたのだ。
「あれは禁呪です。私も二度と行使するつもりはありませんので。……それより、協力をお願いできますか?」
「あれを倒すためなら、何なりと」
「ありがとう。私はイセリア将軍と共に工事を行います。その間、あの神獣を現場に近づけないでください。ガゼット将軍にも助力を願うつもりです」
「工事? いえ、是非もなく」
ゲノスは怪訝そうにこちらを見たが、それ以上は問わなかった。
「危険な相手なので常に距離を測るように。多大な犠牲は望みません。目的はあくまで誘導であり、倒そうなどと決して考えぬよう。そう兵達にも注意してください」
それから神獣の現在地など、ゲノスに最低限の説明をする。そうして、再び二人は飛び立った。
次に見つけたガゼット将軍は、神獣を追っていたところだった。
機動性を重視してか、わずか数十人の手勢しか連れていない。それでも、敵の余りの速さに手を焼いていたようだ。
ガゼットの元に降り立ったアルヴァは、今度も同じように伝える。
ガゼットも深くは問わず、了承してくれたが、
「愚息は役立っていますかな?」
と、別れ際に問うてくる。
「見ての通りです。彼がいなければ、連絡もままなりませんので」
「おう、こき使われてるぜ。そんじゃあ、俺達は次行く。親父も簡単にくたばるなよ」
グラットは額に汗を浮かべながらも、飛び上がった。度重なる重力魔法の行使に、疲労は隠せないらしい。
最後に残ったのはイセリア将軍だった。イセリアは散り散りになった兵士達を、まとめ上げていた。そうして、再び神獣へ挑もうとしていたところだった。
「工事……ですか?」
アルヴァの手短な説明に、イセリアは困惑を隠せない。
「水路を掘って神獣を閉じ込めるのです。詳細な説明は後ほどします。できるだけ多くの人足を。先程と同じく、特に土魔法の使い手を集めて頂けますか?」
「承知しました」
イセリアは困惑を飲み込み、アルヴァに従ってくれた。
「それから、馬を二頭貸してください」
グラットが疲れ果てていたようなので、二人分の馬を借りる。
目的地は、ネブラシア城の南側から西へ向かった広場だ。広場は他にもあるが、水道橋が西側にあるため、そちらに寄せるほうが楽だった。
イセリア率いる軍を連れ、アルヴァは目的の広場を目指した。
神獣の気配を探り、見つからないように気を配る。もっとも、その気配は巨大で、暴れ回る破砕音は遠くまで響いてくる。否が応でも神獣の位置は察知できた。
アルヴァはそうして移動しながらも、イセリアへと詳細な説明を行うが。
「す、水道橋を破壊するのですか……!?」
「そういう意味だったのかよ……!」
奇想天外なアルヴァの発想に、イセリアは驚愕を隠せない。ついでにグラットも、アルヴァの意図をようやく理解して驚く。
帝都の生命線たる水道橋――それがなくなれば市民生活への影響は甚大だ。破壊するなど非常識極まりなかった。
「それぐらいの覚悟がなければ、神獣を倒すことは叶いません。水路を造り、神獣を包囲するのです」
「ですが、それでは帝都に被害が……」
父に負けず劣らず、イセリアはあくまで常識人らしい。しかしながら、今は常識よりも大事なことがある。
「被害ならもう十分です。全てが滅ぼされる前に、神獣を倒さねばなりません。いかなる手段を用いても」
強い視線で訴えれば、イセリアはひるんだ。
「しかし……それにしてもどうやって溝を造るのですか? そうそう短時間ででき上がるものでは……」
イセリアは逆接の言葉を繰り返しながら喰い下がる。
「溝ならあるでしょう。現在進行形で造られているものが。足りない部分を補うだけなら、短時間で済みます」
「おいおい、まさか、本気で用水路にしちまうのか? 将軍さんも災難だったな」
馬上のグラットは、大袈裟な動作で両手を広げた。イセリアへ向かって、これ見よがしに同情の視線を向ける。
「いいのだ。これでも私は将軍だからな。これしきのことで挫けるわけには……」
うつむきながらイセリアがそんなことをつぶやいていたが。
「――分かりました。必ずや、陛下のご要望に応えてみせましょう」
途中から意を決したように、アルヴァを見据えた。意を決したというよりは、やけになったと見えなくもないのが気懸かりだったが……。