破壊の神獣
アルヴァの指示によって、水堀が埋められていく。
目覚ましい活躍をしたのは土の魔道兵達だ。彼らの魔法によって、地面がみるみる形を変えていき、川のように流れ始める。流れる土塊が水堀へと流れ込んでいった。
魔法が使えない者も、集めてきた資材を順次投入していく。
ちなみに、資材は帝都の材木屋などから現地調達したものである。抗議もあるかもしれないが、後で補償しておけば問題ないだろう。
「父祖代々の景観を汚してしまうとは……。ああ、嘆かわしい」
進みつつある作業を眺めながら、アルヴァは嘆いていた。
一流の建築士と一流の芸術家を集め、造られたのがネブラシア城である。水堀の中に積み上げられる土塊は、その芸術性を大きく損なっていた。
「自分で命令しときながら、よく言うぜ」
そんなアルヴァの胸中を、グラットは理解できないらしい。
「仕方ないでしょう。この芸術的損失が、あなたには分からぬのですか?」
「分かんねえ。俺はこっちの生まれじゃねえし、そもそもが平民だ」
「芸術を愛する心に、生まれも身分も関係ありません。ああ……なんと心根の卑しい男なのでしょう」
アルヴァは目頭を押さえ、芸術を解さない友人を哀れんだ。
「んな、大げさな……」
「おい」
そんなグラットの肩をつかんだのは、父である将軍だった。ガゼットは、アルヴァと軽口を交わす息子の様子を注視していたようだ。
「なんだ親父?」
「仲が良いのは分かったが、見ていてハラハラする。頼むからその辺で自重しろ」
真剣そうなガゼットとは対照的に、グラットはにたりと笑って。
「おいおい親父ぃ、ビビってんのかあ? 心配ねえよ。ウチのお姫様は神経質なようで、わりと器はデカいからな」
グラットは取り合う様子もなく、調子に乗っていた。
「勘弁してくれ……。俺の査定に響いたらどうするんだ」
哀れ、知性に劣る息子の言動に、ガゼットは頭を抱えるのだった。
アルヴァの嘆きはともかくとして、埋め立て作業はみるみる進んだ。
なんせ上帝軍の多くを動員した人海戦術である。疲労もあってアルヴァは眺めているだけだったが、自ら働く必要もなかった。
ガゼットやイセリアも敵の妨害がないよう、油断なく監視してくれている。
「順調だな。この調子ならそろそろ行けるんじゃねえか?」
来たるべき突入を、グラットは待ちきれない様子だった。
実際のところ、水堀を完璧に埋める必要はない。
要は対岸に渡れればよいのだし、足場が均一である必要もない。こちらから対岸に向かって傾斜を造り、よじ登れるだけの足場があれば十分だ。
「もう少し待ちましょう。まだ傾斜が急過ぎますから。あなたのような体力馬鹿なら問題ないでしょうが、他の皆までそうとは限りません」
「お姫様も言うようになったよな……。毒舌なのは前からだが、昔はもうちょっと上品だったぜ」
「さあて、そうでしたか?」
アルヴァは黒髪をかきあげながら、とぼけてみせる。
異変が起こったのは、その時だった。
城の前庭――その上空に赤黒い霧が漂い始めたのだ。
未明の闇の中でもはっきりと映る奇妙な色彩……。それはアルヴァ達が、かつて見たものと違わなかった。
「おい、お姫様。あれってまずくねえか。なんか既視感ってやつがあるんだが」
「ええ、大公が切り札を切ったのかもしれません。もっとも、主催は邪教で、大公は利用されているだけかもしれませんが」
アルヴァに動揺はなかった。ザウラストが絡んでいると知った時点で、こうなることも予想できていたのだから。
「……何事だ?」
「赤い霧とは奇妙ですね」
しかし、ガゼットやイセリア、さらには兵士達の多くはこの現象を初めて目にしたようだ。不審がってはいるものの、緊張は見受けられない。兵士達は手を止めず、作業を続けるのだった。
やがて、上空を漂っていた赤黒い霧は、下方の城内へと収束していく。
城壁に隠されて、何が起こっているのかは分からない。しかし、アルヴァには容易に想像がついた。グラットにしても似たようなものだろう。
「何かしかけてきます! 作業を中断して、警戒を!」
埋め立て作業をしていた兵士達へと、アルヴァは呼びかけた。
……とはいっても、何ができるわけでもないのだが。ただ全軍で水堀から距離を取って、城の様子を監視するだけである。
「ふうむ、何も起こらないようだが……」
ガゼットがそう口にすれば。
「俺がちょっくら飛んで、見てこようか?」
と、グラットが槍を片手に提案する。
「そうですね。危険のない範囲で――」
アルヴァが承諾しようとした瞬間だった。
突如、水堀の向こうにあった城門が弾けた。
無論、城門とは弾けるようなものではない。
頑丈なはずの鉄の大門が、轟音を立てて破砕したのだ。コンクリートの城壁もそれに巻き込まれ、木っ端微塵となっていた。
衝撃が暴風を起こし、水堀を越えたアルヴァの元まで吹きつける。衝撃で飛び散ったのか、瓦礫の破片までもがこちらに届いた。
城門のあった付近には、もうもうと噴煙が上がっていた。そして、その噴煙にまぎれるようにして、赤黒い瘴気が漂っている。
下界を覆う呪海へと捧げた生贄……その成れの果てがこの瘴気であり、ザウラストの操る邪法の源でもあった。
「ぐっ、馬鹿な!?」
「陛下、お気をつけて!」
唐突な事態の変化に、二人の将軍と兵士達がとまどいを深くする。
赤黒い瘴気の中に、巨大な何かの影が見えた。姿を確認せずとも、ザウラストの神獣であることは明白だった。
「またこれか、いい加減見飽きたぜ」
既に事態に慣れたのかグラットは落ち着いたものである。それから、アルヴァのほうを振り向いて。
「おい、お姫様。矢は持ってるのか?」
「星霊銀の矢でしたら、ミスティンが持っています」
「って言うと、ここにはねえのかよ。しゃあねえ、俺が城内までかっ飛んで、あいつを探しに行くかね」
水堀の向こうへ飛び立とうとしたグラットを、アルヴァは引き止める。
「無用です」
「はあ、なんでだ?」
「ミスティンが、こちらの騒ぎに気づかぬはずもないでしょうから」
「ほーん、大丈夫かね」
「私は信じるだけです。それより、時間稼ぎが必要ですね」
そうこう話しているうちに、もうもうとする煙が徐々に晴れてくる。赤黒い瘴気に包まれた異形が垣間見えた。
黒と銀色の入り混じった鱗を持つ巨体――それが地面と一体化していた。奇妙な表現であるが、アルヴァの第一印象はそれである。
平たいトカゲのような姿をした魔物だろうか。平たいといっても、巨大過ぎるせいで人を遥かに超える高さがあるわけだが。
ともあれ、姿がなんであれやることは変わらない。
「私の魔法に続いてください! 決して水堀を渡らせないように!」
アルヴァは二人の将軍へと指示を発したのだった。
「構えを取れ! 上帝陛下に続いて攻撃を開始する。ありったけの矢と魔法をぶつけてやるのだ!」
唖然としていたガゼットも、すぐに立ち直って指示を叫んだ。さすがは百戦錬磨の将軍といったところか。
「バケモノを操るオトロスに帝都は渡せん! 我らの力を見せてやるぞ!」
続いて、イセリアも剣を掲げて兵士達を鼓舞する。
グラットも投げ槍を手に持って構えていたが、
「なんだありゃ、サメか?」
今や明瞭となった神獣の姿をとらえて、素っ頓狂な声を上げた。
ヒレが発達したような短い腕には、太い無骨な指があった。虚空をにらむ黒い瞳からは、感情が読み取れない。ただ、尖った鼻先は鋭利な槍のようにこちらを向いていた。
平たいトカゲと思われたそれは、むしろ魚のような姿をしていた。まさしく、グラットが呼んだようにサメという印象である。
ただし、その大きさはクジラをも遥かに凌駕していたが……。
そしてその巨大ザメは動き出す。埋め立てた水堀を通って、こちらにやって来る気配を見せた。
「何でもいいでしょう。さあ、続いてください!」
そう言うなり、アルヴァは杖先に集めた魔力を解放した。今日、何体ものグリガントを葬った爆雷の魔法である。
「撃てっ!」
魔法が届く前に、ガゼットとイセリアの声がこだました。
兵士達も二人の将軍の指示に応えて、矢と魔法の雨を降らせる。
直前まで工事に勤しんでいた魔道兵も、土を操り攻撃へ加わった。埋められた土砂が飛礫や土柱に変わり、魔物へと襲いかかる。
アルヴァも精神を集中させ、新たに爆雷の魔法を放った。
これほどの大軍が一体の魔物を集中攻撃することは、歴史にもそうあるものではない。かつての帝都における神獣戦は夜間の強襲であり、戦力もそろってはいなかったのだ。
比較して今の上帝軍は、決戦のために集められた何千という兵隊の集合である。当初の目的とは異なるが、その兵力は格段に上だった。
それでも……。
「ちくしょう、やっぱり効果ねえなあ」
悔しそうにグラットがつぶやいた。
瘴気に包まれた神獣には、いかなる攻撃も損傷を与えられはしない。それはかつての戦いにおいても繰り返されたことだった。
それでも、攻撃は無駄にはならない。巨大ザメの動きは、激しい攻撃を受けて止まっていたのだ。無敵ではあっても、一切の抵抗を感じないわけではないのだろう。
「それも想定通り。……頼みましたよ、ミスティン」
神獣を倒せる唯一の手段――それは彼女が握っている。ただアルヴァはそのために、時間を稼ぐのだった。