ミスティンと枢機卿
「ところで、思い出したが……。お主、姫様の護衛の娘ではないか」
ワムジーはミスティンの顔をしげしげと覗き込んできた。どうやら、向こうも記憶していたらしい。
「ミスティン。護衛じゃなくて親友だけどね」
自分を指差して答えれば、ワムジーも納得を見せる。
「なるほど。姫様の命でここに潜入したというわけだな?」
「そうそう。ところで、二人はどうして連れて行かれてたの?」
「大方、人質にするつもりだったのだろう。上帝軍にはイセリアもいるしな」
「それだったら、皇帝陛下のほうが……」
そこまで言いかけて、ミスティンは手を打った。
「――ああそっか、おじいちゃんなら本当に殺しても支障ないもんね。人質として使いやすかったのかな」
「……その通りだろうが、口に出されると複雑な気分になるぞ」
ワムジーは渋い顔でミスティンを見やった。
「はあ……。その理屈なら真っ先に私が殺されていたな。一人殺せば、本気だと伝わるだろうし。その点では、やはり君に感謝せねばならん」
「そうそう、感謝は大事だよ。できたら、皇帝陛下を助けに行きたいんだけど、協力してくれるかな?」
ミスティンは死体から奪ったもう一本の剣を、ワムジーへと差し出した。
「望むところだ。嫌と断っても付いていくぞ」
ワムジーは剣を受け取り、力強い瞳でミスティンを見据えた。
「しかし、どうするのだ? たった三人でできることなど知れている。無闇に騒ぎを起こしては、却って陛下達を危険にさらすかもしれん」
ラザリックも異論はないらしいが、懸念を表してくる。
「う~ん、今は待ちかな。アルヴァが大公軍をコテンパンにしてくれるのを待とう。追い込まれたら、オトロスも動き出すと思う」
ミスティンは必死に知恵を絞って、方針を固めた。
*
三人はしばらくの間、皇城の前庭で息を潜めていた。
そうしていると、戦場の喧騒が城壁の内側までも届いてくる。戦いはいよいよ激しさを増しているようだった。
「くそっ、上帝陛下が戦ってらっしゃるのに、私は何もできないのか……」
ラザリックが歯がゆそうにつぶやきを漏らす。
「焦るな、ラザリック。我らがここにいるのも天の配剤。我らには我らの役目があると思え」
年長者らしく、ワムジーがラザリックをたしなめる。
ワムジーとラザリックは、そろって大公軍の兵装をまとっていた。守備力を得るため――ではなく変装が目的である。拘束用の輪と鎖も、小手と具足の下に隠れて好都合だった。
そして、ミスティンは相変わらずの使用人服だった。万が一見つかっても、兵士二人を案内する使用人という構図に見えるだろう。
「にしても来ないねえ。ひょっとしたら、追っ手ぐらいは来るかなって思ったんだけど」
そんな二人のやり取りを尻目に、あくまでミスティンは自然体だった。
「目撃者がいなかったのが功を奏したのだろう。城内で失踪するとは、オトロスも思わんだろうしな。しばらく作戦の報告がなければ、さすがに気づくだろうが」
ワムジーの説明にミスティンも納得して。
「なるほど。まあ追っ手が来たら、私がやっつけるよ」
「やっつけるだと? 随分な自信だな」
ラザリックは疑いの視線を向けるが、ワムジーはミスティンの握る弓に目を留めた。
「うぬ? もしや、魔法武器か?」
「そう」
「なんだと! 弓の魔法武器など初めて目にするが……」
ワムジーとラザリックが興味の視線で風伯の弓を見つめてくる。
「うん。作るのも使うのも難しいって言ってたね」
風伯の弓はソロンの兄――サンドロスからもらった逸品だ。扱いが難しいと聞かされたのも、その時だった。
「ほほう、さすが姫様が護衛に選ぶだけあるな」
これにはワムジーも感心の体である。
「そうでしょ、そうでしょ。あ――?」
ミスティンも得意満面だったが、途端に言葉を切った。
「どうした?」
ミスティンの変化に気づき、ワムジーが小声で尋ねる。
「誰か来る」
ミスティンはかすかな気配を察して警告した。
ワムジーとラザリックの二人も、表情を強張らせ警戒を強める。
本城の方角からやって来たのは、赤い服を来た奇妙な集団だった。
三人は木陰に隠れたまま、その様子を窺う。
人数は十人程度。いずれも静かな足音で、前庭へと集まってくる。
「不気味な連中だな……。オトロスはあんなのを飼っているのか?」
ラザリックが声を潜めながら怪訝な表情をした。もっとも、戦場の喧騒が響くお陰で、声が遠くまで届く危険はなさそうだ。
「あれ知ってる……」
ミスティンには見覚えがあった。あれはザウラスト教団の神官服だ。セレスティンが報告した通り、オトロス大公はザウラストとつながっていたのだ。
邪教の神官達は、怪しげな儀式を始めた。赤黒い魔石を囲み、奇妙な呪文を唱え始めたのだ。
「何をする気だ?」
ワムジーも不気味な連中から目を離せないようだった。
しかし、ミスティンには予想がついた。あれはザウラスト教団が神獣を呼び出す儀式なのだ。実際に目にしたのは初めてだが、そうとしか考えられない。
「あれ止めないと。二人ともごめん、どこかに隠れてもらったほうがいいかも……」
ミスティンは二人へと声をかけ、弓矢の準備をした。
自分一人でも儀式を妨害するつもりだった。自分の身の安全はともかく、神官の代表を仕留めれば妨害はできると踏んでいた。
「よく分からんが、尋常じゃない儀式が行なわれているのは分かった。私も協力してやる」
「うむ、私も同じだ。魔法武器を持たぬ今、どの程度、力になれるかはともかくとしてな」
ラザリックとワムジーも、逃げるつもりはないようだった。
「ありがとう。時間ないから、一気にやるよ」
ミスティンはそう答え、風伯の弓へと魔力を込めた。
狙うは一人だけ異なる衣をまとった神官だ。顔は隠れているが、どうも女のように思える。周囲の神官が敬うような態度を取っているため、あれが儀式の責任者だろう。
声もなく弓を引き絞り、力を解き放った。
矢はまっすぐに女神官を目指していく。
届くかと思われたその時――突如、女神官が左手をかざした。その先に握られているのは杖――赤黒い燐光を放つ魔石が杖先に付けられていた。
宙空に闇の穴が開いた。
矢は闇の中へと音もなく吸い込まれていく。闇が閉じた後には、何も残らなかった。
「うそっ……!?」
衝撃にミスティンは声を抑えられなかった。
手加減などしていない。一撃で周囲の神官もろともに吹き飛ばすつもりだったのだ。
「枢機卿、ご無事ですか!?」
周囲の神官達が女神官へと駆け寄り、守りを固め出す。
女神官はどうやら枢機卿と呼ばれているようだった。
確か、イシュティールで事件を起こしたアルヴァの叔父――ダナムがその名を挙げていた。彼女がダナムを唆した人物かもしれない。
「いったいどこから!?」
遠く離れていたため、神官達はこちらをすぐには見つけられぬようだったが、
「あそこにネズミがいますね」
枢機卿はまっすぐに、こちらの木陰を杖で指し示した。
「逃げよ」
ミスティンはとっさに判断し、走り出した。二人も黙って従ってくれる。
不意打ちに失敗した以上、無理に戦っても勝ち目は薄い。無謀な戦いに二人を巻き込みたくもなかった。
「ふふっ……」
遠く背後からささやくように笑う声。
「枢機卿、どうされました? 追いかけましょうか?」
「いいえ、何でもありません。ネズミは無理に追わずともよいでしょう。そんな義理もありませんし。それより、我らは儀式の完成を急ぎましょう」
人間味の乏しいほどに落ち着いた女の声――なぜだか、言いようのない違和感と不安感をミスティンは持つのだった。
広い前庭を走りながら、三人は神官達から隠れるように木陰を移っていく。
枢機卿の言葉に偽りはなく、追っ手は来なかった。それで安心してよいかは怪しいところだったが……。
「ごめん、失敗しちゃった」
「いや、狙いは正確だった。正直、あれを防ぐとは信じられん」
ミスティンが謝れば、珍しくラザリックが擁護してくれる。
「うむ。魔力の込め方といい、矢の狙いといい、見事なものだった」
「そうでしょ、そうでしょ」
二人に褒められ、ミスティンもつい得意になったが。
「調子に乗るな。このままではじきに追っ手が来るぞ。どうするつもりだ?」
「作戦はさっきと一緒だよ。このままじっとしてよう」
「君は正気か!?」
「どうせ逃げ場もないし、それだったらまだこの辺でかくれんぼしてたほうがいいよ」
幸いにも前庭は広く、身を隠す木立には事欠かない。それでいて、城内からやって来る兵士を監視するのも容易だ。迎撃にはもってこいだろう。
そして、ミスティンにはもう一つの目論見があった。儀式の妨害に失敗した以上、次なる展開も予想できる。となれば、必要なのは……。
「ふーむ、姫様といい最近の女子は肝が据わっておるな」
「大将軍、感心している場合ではないでしょう! 大体かくれんぼとはなんだ! 子供の遊びじゃないんだぞ……!」
ラザリックはわめき立てながらも小声だった。取り乱していても、潜んでいるという自覚はあるらしい。
「いや考えてみよ、ラザリック。城内の兵が出払っている今ならば、すわ大捕物ともいかぬだろう。五人や十人の追っ手ならば、我らとミスティンだけでも十分に対処できるのではないか?」
「そういうことだよ。分かってないなあ、ラザリックは」
ワムジーの言った通り、大抵の敵ならばミスティンの技量で退けられる。先程の枢機卿が追ってくれば厄介だが、『追わない』という当人の発言を信用するしかないだろう。
「くそっ、呼び捨てするな」
ラザリックは歯噛みしてこちらをにらんだが、ミスティンは素知らぬ顔だった。