邪教の儀式
枢機卿は神官達を従えながら、皇城の回廊を歩いていた。
枢機卿の手には、黒い結晶が大事に抱えられている。例によって、神官達はいずれも赤い装束をまとっていた。
帝都には似つかわしくない奇妙な集団を見て、城内の住民達が奇異の目を向ける。
もっとも、恐れるような視線ばかりで、声をかけてくるものはいない。大公の後ろ盾を持った神官達を忌避しているのだ。後ろ盾がなくば、確実に不審者として追い出されていたであろうが……。
何にせよ、凡俗が何を思おうと知ったことではない。自分達は選ばれし者。これから、始まるのは真の神へと通じる儀式なのだ。
そう――神竜教会のようなまやかしの神とは違う真の神である。
やがて、一行は前庭へと達した。
西の貴族街に立ち昇る火柱が、相も変わらず未明の帝都を照らしている。必死の消火活動の甲斐もあって、ようやく火勢も衰えてきたようだ。
少し気は散るが、儀式には問題ないだろう。
「聖紋を刻みなさい」
枢機卿は神官達へ最初の指示を下した。
「承知」
神官達は静かに返事をし、それぞれの配置へと動き出す。
まずは聖紋を、前庭の地面へと刻み込むのだ。皇城の前庭を儀式に使えるとは贅沢なことだ。それについては、大公に感謝せねばならない。
神官達は明かりを頼りにしながら、血で紋様を描いていく。前庭の樹木には、蛍光石の明かりが据えつけられていた。さすがに暗闇で儀式を行うわけにはいかないので、これも都合がよかった。
枢機卿も誤りがないように、神官達の作業を指導し監督する。
聖紋とは神との交信に用いる紋様のことである。いわゆる魔法陣に似た紋様の中に、古の文字を書き込んでいくのだ。
この紋様と文字の組み合わせが、神への請願となる。ゆえに誤りがあってはならなかった。
聖紋を刻み終われば、次は捧げ物である。
神への請願を行うのに必要なのは、やはり生贄だ。
……といっても、今この場で生贄を捧げる必要はない。
事前に生贄は捧げられ、結晶となっているためだ。捧げられた者達も、神の奇跡の材料となれるのだから本望というものだろう。
枢機卿は手に持っていた結晶を、聖紋の中央へと配置した。
ザウラスト教団の秘術に用いるカオスの結晶……。透けて見える内部には、赤黒い霧のような何かが渦巻いていた。
まるでカオスの神が鼓動しているかのように。
枢機卿はこの赤黒い霧を目にする度に、恍惚とした気分になるのだ。
結晶から離れた枢機卿は、聖紋の端へと移動した。それにならって、神官達もそれぞれの配置へと着いていく。
枢機卿と神官達が、聖紋にそって黒い結晶を囲む形になった。
前庭が静寂に包まれる。
今、ザウラスト教団に伝わる古の儀式が始まろうとしていた。
「――――」
枢機卿は呪文の詠唱を開始した。それに呼応して神官達が呪文をつむいでいく。
余人には理解できぬ神秘の呪文。
魔法を行使するために呪文を唱えるのは、おとぎ話の中だけ。魔法とは自らの精神と魔導物質を共鳴させるものであり、何かに呼びかけるわけではないからだ。
少なくとも、それが現代の帝国やイドリスにおける魔道士の常識である。
ところが、ザウラスト教団の秘術にはそれが当てはまらない。今唱えられているのは、カオスの神へと呼びかける正真正銘の呪文なのだ。
枢機卿と神官達の体から魔力があふれ出す。あふれた魔力は聖紋の中央――結晶の元へと流れ込んでいく。
魔力を引き金に結晶を活性化させ、神の化身たる神獣を呼び起こすのだ。