ミスティンの冒険
少し時間は遡る。
ミスティンは一人、ネブラシア城内を探索していた。
ガノンドと二人で起こした火災の後、アルヴァが東の外壁を破壊。ついに戦端が開かれた。危機を悟った貴族達は、護衛や使用人を引き連れてネブラシア城へと大挙したのだ。
カリーナに城外の監視を任せ、ミスティンとガノンドはその流れにまぎれ込んだのだった。
そうして、二人は城内への潜入に成功。
そうこうしているうちに、城内は騒々しさを増していく。とても夜明け前とは思えない頻度で、忙しく人が出入りしていた。
やがて、何千人もの兵士が城外へと出陣を開始した。それを率いる人物にも見覚えがある。
ガノンドの弟――ビロンド・オムダリア将軍だ。
ビロンドは自信ありげに、騎馬を駆って城門へと進んでいく。橋を渡り、アルヴァ率いる上帝軍と雌雄を決する覚悟なのだろう。
出陣する将軍達を、ミスティンは使用人達と共に陰から心配そうに見送っていた。……もちろん演技であり、本当に心配なのはアルヴァのほうだが。
ところが――
「すまぬ、ミスティンよ。わしは奴を追いかける」
突如、ガノンドがそんなことを言い出した。
「おじいちゃん、任務は?」
「すまぬ、お前さんに任せた」
「分かった、気をつけて」
生来の性格もあって、ミスティンは引き止めなかった。後でアルヴァに怒られるかもしれないが……。
*
結局、ミスティンは一人になった。今も使用人服を来たまま、何気ない素振りで庭を歩いている。
単身での行動に不安はつのるが、ミスティンは正式に雇われた使用人なのだ。見回りの兵士に見つかっても、しらばっくれるつもりだった。
もっとも、現状やれることはさほど多くない。皇帝一家がいる五階は警戒が厳しく、一介の使用人では近づくのも難しいのだ。
できることは庭をうろつきながら、さり気なく城の出入りを見張るだけ。
五階の居室にいると思しき皇帝一家が、脱出できる経路はさほど多くない。オトロスが一家を連れ出そうとしたら、容易に察知できるはずだった。
大勢の兵士を吐き出したせいで、城内は閑散としていた。人の出入りも目に見えて減っている。
次に動きがあるとすれば、戦況に何らかの変化があった時だろう。そうなれば、不利になった大公が、行動を起こすかもしれない。
その時を待ちながら、ミスティンは見張りを続ける。同時にアルヴァの無事を祈ることも忘れていなかった。
次にやって来たのは、七人の集団だった。
うち五人は大公軍の兵士だ。立派な兜をつけて先頭をゆくのは士官だろう。もっとも、ミスティンが注目したのはそちらではない。
残り二人の男が、奴隷のような輪と鎖で手足を拘束されていたのだ。そして、それぞれ二人の兵士がその両腕をつかんでいる。
恐らくは、兵士達が二人の虜囚を連行しているのだ。
「あれって……」
ミスティンは二人の虜囚の姿に目を留めた。
うち一人は老人で、年齢のわりにがっしりとした体格だった。粗末な服を着せられているが、それだけに鍛え抜かれた体の線も明らかだ。恐らくは軍人だろう。
……というか、どことなく見覚えがある。
確か、アルヴァと一緒に城へ行った時だ。ドーマへ遠征する前に開催された会談の後に、ちらりと顔を見た記憶がある。あの場にいたということは、きっと政府の高官だろう。
ミスティンは政府高官の顔など知らない。……が、軍人でかつ大公に捕らわれた側だとすれば、候補は限られてくる。
「イセリアのお父さんかな? だとしたら、助けてあげたいけど……」
もう一人の青年は見覚えないが、似たような立場と推測できる。
助けられるか――といえば、可能だ。
相手は五人。奇襲すれば、さほど難しくはないだろう。
なんせ今、ミスティンの手元には風伯の弓があるのだから。騒ぎのどさくさにまぎれて、持ち込むことに成功していたのだ。
その際、風伯の弓は鞄の中に隠しておいた。
お陰で不自然に大きな袋を背負うことになったが、とがめるものはいなかった。中身が弓だとバレても、護身用だと言い張れる。そもそも貴族の護衛達は、武器を当然のように持ち込んでいたのだから。
しかし、救助に成功する前提で考えても、なお問題はある。
ここで目立ってしまっては、皇帝一家の救出に差し障りがあるかもしれないのだ。
かといって、何も動かなかったとして果たして解決になるのか。ここで協力者を得たほうが、まだしも進展があるのではないか……。
結果、悩み抜く前にミスティンは動いた。
アルヴァだったらもう少し吟味しただろうが、あいにく自分はミスティンである。答えが出ないことをいつまで悩んでも仕方がない。
ミスティンは七人の背後へと、適度な距離を空けて忍び寄った。
狩人としての経験を活かして、気配を押し殺す。庭には観賞用の樹木が植えられているため、隠れる場所にも事欠かなかった。
近くには老人を挟む二人の兵士。その向こうには青年を挟む二人の兵士。先頭には偉そうに歩く士官――という配置になっている。
静かに弓を引き絞り、手を放した。
最初の一矢は、老人の左手にいた兵士の背中に命中した。ただの矢ではなく、風の魔力が存分にこもった一発である。
矢は鎧を貫き、兵士の背中に衝撃を与える。
兵士は前へと吹き飛び、さらに正面の兵士へと直撃した。
突然の衝撃に兵士達は言葉もない。計算通り、二人の兵士が倒れた。
「むう、なんだ!?」「うわっ!?」
むしろ、言葉を発したのは老人と青年だった。
二人は兵士に左腕をつかまれていたため、巻き込まれて倒れたのだ。さらには、右手側にいた二人の兵士も引っ張られて体勢を崩す。
これも計算通り。
すかさず、ミスティンは二の矢を放った。
慌てて体勢を立て直そうとした右の兵士に、矢は突き刺さった。
例によって、その体は吹き飛び、さらに前方の兵士を巻き込んでいく。
あっという間に四人の兵士を倒した。
「な、何事だ!?」
先頭にいた士官は、ここに至ってようやく振り返る。虜囚達の抵抗、兵士達の裏切り――彼が真っ先に疑ったのは、後ろの六人のようだった。
それから一拍遅れて、士官はようやく弓を構えるミスティンの存在に気づいた。ただし、目があった瞬間には彼の額に矢が突き刺さっていたのだったが……。
ミスティンは油断なく周囲の状況を窺った。辺りには人の気配もなく、目撃者はいなかった。
もし、目撃者がいれば始末するか、二人の虜囚を置いて逃げなければならない。そうならずに済んだのは幸運だった。
もっとも、矢を直接当てていない二人の兵士には、まだ息があった。そこは着実に二本の矢を追加して、とどめを刺しておいた。
ミスティンだって無駄な殺傷は好まないが、躊躇している余裕もない。助けを呼ばれては一巻の終わりなのだ。
「ううむ……何が起こったのだ?」
あまりの早業に、老人は状況を理解していないようだった。寝転がったまま、難儀そうにミスティンのほうを見上げる。
「……今の一瞬で殺したのか?」
青年も呆然と五人の死体を見やっていた。二人とも鎖で手足をつながれているため、起き上がれないようだ。
「おじいちゃんが、イセリアのお父さんだよね?」
声をひそませてミスティンは老人へと尋ねた。
「うむ、まぎれもなく。……お主はイセリアの友人か?」
老人――ワムジー大将軍は頷き、質問を返す。
「うん、そうだけど。ちょっと待ってね」
会話を続けながらも、ミスティンは横たわった士官へと歩み寄った。死体をまさぐって、カギがないか探すのだ。
「おお、イセリアは無事か? どうしているのだ?」
「今、アルヴァと一緒に帝都で戦ってると思う」
背を向けたまま答えれば、ワムジーは息を呑んだ。
「なんと! ということは姫様――上帝陛下が攻め込んだというわけだな。囚われの身で、状況がさっぱり分からんのだ。何にせよ、これでオトロスもおしまいか」
「そうだと思う」
「おい、小娘。さっきから態度がデカいぞ。このお方を誰と心得る。天下のワムジー大将軍であらせられるぞ」
寝転がっていても、青年の態度は尊大だった。
ミスティンはちらりと振り向いて。
「知ってるけど……おじさん誰? なんか、せっかく助けてあげたのに偉そうだね」
「おじさ……んだと? 私はレムナンド公爵家長子――ラザリック将軍だ!」
「そっちは知らない。ていうか、静かにしてくれないかな?」
ラザリックの叫びを無視して、ミスティンは士官の体を探り続けた。しかしながら、カギが見つかる気配はなかった。
階級からして、カギは士官が持っているものと考えていたが……。念のため、他の兵士も探ってみようかと考えていると。
「カギならば、ないと考えたほうがよかろう。そもそも、連中に我らを解放する意思があったとは思えんしな」
ワムジーの指摘に、ミスティンも落胆する。
「う~ん、そっか。そう都合良くもいかないか」
「剣を使え。そいつらが持っているだろう」
そこへラザリックが提案してきた。
「やってみる」
ミスティンは士官が挿していた剣を奪い、ついでに小手も借り受けた。
「おじさん、背中を向けて、鎖を伸ばして」
「おじさんじゃない」と言いながらも、ラザリックは背中を向けた。「遠慮はいらんぞ。どうせ女の細腕では簡単に切れん」
ラザリックは、後ろ手に縛っていた鎖をピンと横に引き伸ばした。
ミスティンは鎖とラザリックの背中の間に、小手を挟んだ。
そうして、ミスティンは高々と剣を振りかぶった。
普段は弓使いだが、一度は剣も振ってみたかったのだ。何度かソロンに刀を借りようとしたが、「やだ」と膠もなく拒絶された。
ソロンが刀を構える様を思い浮かべれば、どことなくいい気分になってくる。
当人も遠慮はいらないと言っていた。安全のために金属製の小手も置いてあるし、まあ大丈夫だろう。
「とあっ!」
気合一閃――ミスティンは全力で剣を振り下ろした。
ラザリックをつなぐ鎖を断ち切り、剣は激しく小手を打った。
「ふぎゃあ!」
ラザリックは情けない悲鳴を上げ、えびぞりに上半身を起こした。
「――貴様、今、私を殺す気だっただろう!?」
「静かにしてよ。本気でやれって言ったじゃない」
「そうだぞ、ラザリックよ。女の細腕などと侮るからだ。何の心得もない娘が、五人も倒せるはずなかろう」
と、これにはワムジーも苦言を呈する。
「ぐぬぬ……」
ラザリックは歯噛みしながらも、抗議を引っ込めた。
「――残りは私がやろう」
そうして、ミスティンから剣を奪い取ったのだった。
ラザリックは剣を振って、自らの足をつなぐ鎖を切った。同じようにして、ワムジーの手足をつなぐ二本の鎖も手際よく断ち切る。
その間、ミスティンは死体を引きずって隠しておいた。少しは時間稼ぎになるだろうと見越してのことだ。
「助かった。楽になったわい」
ワムジーは自由になった手足を嬉しそうに動かした。まだ輪と鎖の切れ端が残っているが、運動に支障はないらしい。
「ふん……確かに、感謝しなくてはならんな」
ラザリックは悔しそうにしながらも、彼なりに礼を口にした。