トンボ落とし
アルヴァが振り返れば、そこには茶髪の青年の姿があった。槍を固く握りしめて、羽ばたく魔物の姿をにらみつけている。
男は巨大なトンボに向かって、駆け出した。
無謀にも思える動作だったが、次の瞬間――男は高く舞い上がった。それも、人体の限界を遥かに越えて。
そうして、そのまま魔物の上まで浮かび上がった。
「おらよっ!」
かけ声とともに、男は鳥のように急降下する。
巨大トンボの脳天に、槍は深々と突き刺さった。
落下を始める魔物をよそに、男は槍を引き抜く。
「あばよっ!」
男は再び飛び上がり、さらなる上空へと浮上する。その狙いが別の魔物なのは明らかだった。
魔物の背中を飛び移りながら、次々と槍で突き刺していく。その度に巨大トンボが落下していくのだった。
やがて、近くにいた巨大トンボ全てが片付いた。
「おし、こんなものか」
落ちていく魔物達をよそに、男は軽やかに着地してみせた。そうして顔を上げるや、アルヴァに向かって得意気に笑いかける。
「――お姫様! 助けに来たぜ!」
「お久しぶりですね、グラット」
思わず、アルヴァも笑みをこぼした。
グラットが、父ガゼット将軍の元へ向かってから一ヶ月――久々となる友人との再会だった。
「おう、時間かかってすまねえ。カプリカのほうでも、大公派との戦いがあってな。おまけに、サラネドが乗じる気配まであったもんだからよ。随分と手間どっちまった」
グラットが向かった港湾都市ベオは、帝国南東のカプリカ島に属している。各地の情報を収集する中でアルヴァも察してはいたが、戦乱は帝国中に広がりつつあるようだ。
大きな戦争は先日の会戦ぐらいのものだが、それでも大公派の散発的な反乱があるのだという。
ただ、アルヴァやエヴァートに味方する者も少なくはない。
聞くところによれば、アルヴァの祖父――イシュティール伯爵ニバムも、兵を率いて鎮圧に回ってくれているらしい。敵の援軍がさほど集まってこないのも、彼らの奮戦によるものだろう。
ともあれ、帝国に戦乱が広がれば他国が介入する隙も生まれる。
カプリカ島の南西部を支配するサラネド国を抑えるため、ガゼットが尽力したのも想像に難くない。
アルヴァはゆるりと首を振って。
「いいえ、あなた方も苦労されたのでしょう。それより、ガゼット将軍はどうされましたか?」
「安心しろよ。ちゃんと雲軍こぞって連れてきたぜ。途中の妨害もあったが、どうにか船団で入港できた。俺はお姫様が心配で、一足先に来たってわけよ」
「妨害とは、要塞島の兵力ですか? ソブリン将軍も実際には、大公派ではないと聞いてはいるのですが……」
アルヴァは抜け目なく、情勢を確認する。
帝都南部――ネブラシア湾の兵力を統括するソブリンは、大公に人質を取られ、中立を余儀なくされている。これはガノンドの得た情報だった。
その彼が上帝軍へ矛先を向けるならば厄介だ。
「いいや、第三要塞の将軍とは親父が話をつけた。こっそり、兵力を融通してもらったくらいだ。俺らが戦ったのは、帝都雲軍のほうだぜ」
「なるほど、レゴニア将軍は雲海側の警戒もしていたわけですね」
帝都雲軍を統括するレゴニアの相手には、ゲノス将軍が向かっている。今頃は帝都内部で両軍は戦っているはずだ。
それでありながら、レゴニアは雲海からの援軍を警戒していた。……となれば、彼にしても苦しい舵取りを強いられていたわけだ。
「そんで親父だったら、ゲノスのおっさんと合流したところだ。相手の将軍も手強いらしいが、二人も将軍がいれば楽勝だろうよ」
「了解です。心強い限りですね」
ガゼットは貴族中心の帝国将軍の中では、数少ない平民出身者である。つまりは家柄よりも実力で認められた男なのだ。その力量は疑うべくもない。
そこで、グラットは不思議そうにアルヴァを見やって。
「つーか、お姫様こそ一人か? あいつらはどこ行ったんだよ」
「下界でも邪教が攻めてきたのです。ソロンは故郷へ戻り、メリューにもその協力を頼みました。ミスティンは別行動で城内に潜入しています」
状況が状況なので、アルヴァは簡潔に答えた。別れには大きな葛藤もあったのだが、それを語り合う余裕はない。
「ふ~ん、そうか……。そんじゃあ、今から俺がお姫様の護衛筆頭ってわけだな」
グラットも深くは触れず、余裕の笑みを浮かべてみせる。彼は彼で仲間達を信頼している。だからこそ今は、聞く必要もないと見なしたのだろう。
「ええ、お願いします。あなたのような強者は、帝国軍でもなかなか得難いものですから」
お世辞も抜きに、アルヴァは本心から答えた。
重力を操る超重の槍――グラットは今やそれを自在に使いこなしていた。ザウラストの魔物を相手とするに当たって、百の兵士よりも頼りになるだろう。
「おお、任せろよ! ……とっ、話をする余裕もねえな」
グラットは途中で話を切った。耳障りな羽音がまたも迫ってきたのだ。
「無粋なことです」
アルヴァも苦笑してみせたが、心なしか表情には余裕があった。
「んじゃ、久々に俺の得意技、見せてやるか」
グラットは背中へと超重の槍を収めた――かと思いきや、兵士の遺体へと歩み寄り、遺品の槍を手に持った。
「借りるぜ。お前の恨み晴らしてやんよ」
遺体へと声をかけたグラットは、わずかな助走と共に全身をバネにして槍を放り投げた。
槍は放物線を描くこともなく、まっすぐに上空の魔物へと届く。胴体を貫かれた巨大トンボは、ひらひらと落下していった。
*
グラットの登場を境に、戦況は上帝軍の優勢へと傾いていった。
幾度も死線を共にした仲間の加勢に、アルヴァも大いに勇気づけられたのだ。
グラットに巨大トンボを任せ、アルヴァは再びグリガントを狙う。爆雷の魔法で、大きな頭を粉々に砕いていく。
「うげえっ……。お姫様、その魔法半端ねえな」
「ふふっ、驚きましたか?」
アルヴァは気分よく胸を張ったが、
「驚いたっつうか、グロいんだけど……」
グラットはなぜだか引き気味だった。どうやら、爆雷の芸術性を理解できないらしい。嘆かわしいことである。
やがて援軍の到来によって、状況はさらに盤石となる。
「上帝陛下、救援に参りました! ガゼット将軍の指揮下――副将軍のマグファーと申します。ここは我らにお任せを!」
やって来た将校はそう名乗った。どうやらガゼットが手勢を割いて、こちらへ送ってくれたらしい。
「感謝します。お言葉通り、私達は城へ向かいましょう」
アルヴァは千人程度の兵士を選び、自らの指揮下へ組み入れた。
いまだ魔物が途切れる気配はなかったが、そもそもここは局所戦に過ぎない。目標はあくまで皇帝一家の救出と大公の撃破なのだ。
戦いを終えるには、アルヴァ自身がネブラシア城へ向かう必要があった。
残りの兵士はターランとマグファー――二人の副将軍へ委ねた。ゲノスやガゼットの下で実戦を積んだ彼らなら、不足はないだろう。
そうして、アルヴァは指揮下の兵士達と共にネブラシア城へ向かった。グラット共々、今は用立ててもらった馬に乗り直している。
邪魔する者はなく、橋の前までは問題なく進んだ。各地点で繰り広げられていた戦いが、それぞれ上帝軍の勝利に終わったためだ。
ガノンドとビロンド――オムダリア兄弟の戦いも既に決着がついていた。周りの敵兵もイセリアが制圧してくれたらしい。
ガノンドは力尽きた様子で、木陰にもたれかかっていた。その隣には、いつの間にか駆けつけたカリーナが付き添っている。
「……酷え顔だな」
ガノンドの顔を見るなり、グラットが感想をもらした。
「姫様……わしはやりましたぞい!」
見るも無惨な顔になっても、ガノンドは誇らかだった。
少し離れたところには、拘束されたビロンドの姿もある。こちらは気絶したまま凄惨な顔をさらしていた。
いったい何をやったら、二人そろってここまで酷い顔になるのだろう。熾烈な戦いがあったのは間違いないだろうが……。
「お見事です。ですが、後はどうか修道院で治療を受けてください」
よく分からないが、とりあえずは褒めておく。それから、アルヴァは父を支えるカリーナへ視線を向ける。
「――カリーナ、ご一家の監視はどうなりましたか?」
「あたしが見た限りは動きなしだよ。……ってか、ゴメンお姫様。途中で持ち場離れちゃった」
カリーナが申し訳なさそうに長耳を垂れる。
事前の連絡によれば、彼女は城外から皇帝一家に動きがないかを監視していたはずである。途中で父と叔父による骨肉の戦いに気づいて、駆けつけてきたのだろう。
「いえ。わが軍が到着するまで、引き受けていただけたなら十分です。後はこちらで引き継ぎましょう。あなたはお父様に付き添ってあげてください」
元々、城外の監視は多人数でやるつもりだったのだ。軍属でもないカリーナに、全てを押しつけるのは酷というものだろう。
「了解だよ、お姫様」
と、カリーナも頷いた。
ともあれ、負傷者は接収した帝都の修道院へ送る手はずになっている。捕虜となったビロンド共々、そこで治療を任せるとしよう。
担架に乗せられたオムダリア兄弟は、兵士達によって修道院へと運ばれていった。カリーナもそれに付き添って戦場から去っていく。
そしてもう一人、話しておかねばならない人物がいる。
その場に現れたのはガゼット将軍だった。
「久しぶりですな、上帝陛下。いや、初めましてのほうがいいんでしたかな?」
ガゼットはとぼけた口調で言った。
前回会った時、アルヴァは一介の旅の魔道士を自称していたのだ。もっとも、ガゼットには自明だったようだが。
「どちらでも構いませんよ。お陰様で、それなりには返り咲けましたので」
「そうですか、そいつはよかった。取り急ぎ、三千の軍勢を連れてきましたが、足りますかな?」
「十分です。何よりご子息は頼りになりますから」
「ははは、不調法者ですがこいつでよければ!」
ガゼットは豪快に笑いながら、グラットの背中を叩いた。
「やめろよ。それよか、あっちの戦いはどうしたんだ」
グラットは嫌そうに父の腕を振り払い、話題を変えた。
「それですが、あちらはゲノス将軍に任せてきました。まあ、レゴニアは仕留めたので、問題はないでしょう。それより、橋はどうしますかな?」
ガゼットは息子ではなく、アルヴァに対して答えた。そうして、敵の将軍を仕留めた事実を、誇るでもなくさらりと述べる。
「皇帝陛下のもとで後日、論功行賞を行うと約束しましょう。しかし、おっしゃる通り、現状の問題は橋ですね」
アルヴァは破壊された橋へと視線をやった。
石造りの頑丈な橋は、今や無惨に破壊されていた。橋の残骸らしき物が、水堀の中に散乱している。
昨年、魔物の侵攻を防ぐために、橋を破壊したのは記憶に新しい。
だが、今回それを実行したのは、皮肉にも魔物を使役する側のオトロスだ。公共事業を一手に担う造営官は、またも頭を抱えることになりそうだった。
水堀は深く、平均的な成人男性を飲み込める程である。歩いて渡るのは現実的ではない。かといって、泳いで渡るのも論外だ。大公軍にとって良い的になるだけだろう。
全くの予想外だったわけではない。
ただ、アルヴァの予想では、もう少し抵抗してくるものと見ていた。敵にとってもここで閉じこもるのは、危うい賭けとなるはずだ。
恐らくはこちらの進行が予想外に迅速だったため、態勢が整わないまま戦うことを避けたのだろう。
「それにしても、オトロスは随分と臆病風に吹かれたようですな」
ガゼットは感想を述べた。
「ですが、付け入る隙がなくなる分、半端な対応をされるより厄介です。大公も思い切った策を取りましたわね」
と、アルヴァは遠縁の親戚を少しばかり見直した。
大公は時間をかけて、帝都の内外から兵力を結集するつもりだろう。そうなれば、アルヴァの現有兵力だけでは苦しくなってくる。
「イセリア将軍、北側は確認しましたか?」
アルヴァは、その場の兵を統括していたイセリアに尋ねてみるが、
「既に確認のため走らせています。ですが、期待しないほうがよいでしょう」
イセリアの答えは否定的だった。
さもありなんと納得する。南の橋を破壊して、北の橋だけはそのままなどという片手落ちは考えにくい。
「俺だったら、ひとっ飛びだけどよ」
グラットは重力を操る魔槍で、橋の向こうを指し示したが、
「お前だけが行ったところで仕様がない。やはり埋めるしかないだろう」
あえなくガゼットに否定された。
「仕方ありませんね。急ぎ魔道兵を集めるように。土魔法を使える者は全てです。それから資材を調達し、放り込める物は放り込んでください。多少強引でも構いません。資材の持ち主には、後ほど弁償すればよいでしょう」
アルヴァは溜息をつき、イセリアとガゼットへ指示をした。
橋を再建するには、何日かかるか分からない。水堀を凍らせる方法もあるが、それだと炎の魔法による妨害へ対抗するのは至難の業。結局は地道に水堀を埋めるしかないのだった。
ネブラシア城を目前にしての足踏みに、焦りがつのる。
それにしても、城内にいるミスティンはうまくやっているだろうか。いや、うまくやっていなくても、無茶をしていなければよいのだけれど……。