羽の聖獣
アルヴァ達と魔物の戦いは続いた。
基本は弓と魔法での集中攻撃で、一体ずつ仕留めていく。
中には倒れずに接近してくる魔物もいるが、その時にはかなりの手傷を負っている。弱ったところを、槍で仕留めるのはたやすかった。
そうして十体、二十体と魔物の死骸が積み重なっていく。
美観を損ねるのが難点であるが、それも勝利の証だ。異様な魔物の姿に怯えていた兵士達も、徐々に自信を取り戻していった。
「順調です。その調子でいきましょう!」
アルヴァは笑みを浮かべ、兵士達を激励した。
かつての帝都の戦いよりも、遥かに円滑だ。実戦経験のある者が多く、軍としての質は高い。それにアルヴァ自身が、魔物の特徴をつかんでいることも大きかった。
「陛下、空を!」
その時、兵士が空を見上げて叫んだ。
ネブラシア城の上空に、飛翔する影が映ったのだ。
「!? 新手の魔物ですか。グリガントだけとは、思っていませんでしたが……」
ザウラスト教団はこれまでにも、様々な魔物をけしかけてきた。その中には空飛ぶ魔物の姿もあったのだ。
魔物は徐々にこちらへと近づいてくる。その数は確認できるだけで五体。蛍光石の街灯に照らされて、巨大なその姿があらわになった。
四本の透き通った羽――翼というべき大きさではあるが、形状からすれば羽と呼ぶべきだろう。
頭部の大半を占める両眼が、怪しく発光を繰り返している。黄色く細長い胴体が、蛇のようにくねっていた。
「あれは……飛竜か!?」
「いや違う!」
兵士達から口々にとまどいの声が上がる。
大きさもあって異形の飛竜という印象を受けたが、そうではない。羽といい、六本の足といい昆虫の特徴を持っていた。
「蜻蛉ですか……。色々と奇妙な魔物を持ってくるものですね」
ザウラストの魔物の例に違わず、遠近感が狂うような巨大さ。少なくとも、虫としての常識からは外れている。
「副将軍、あちらはお願いします!」
「はっ! お任せを!」
グリガントの相手をするよう、ターラン副将軍へと指示をやる。ターランも生真面目に返事を返した。
アルヴァは弓兵と魔道兵を手早く分けて、空飛ぶ魔物の迎撃へと当たる。街道は狭いため、同士討ちには注意せねばならない
敵が近づくにつれ、ブンブンという羽音が響いてくる。
動きは速く、方向も上下左右と自在だ。爆雷の魔法を放ったところで、まず当たらないだろう。
ならば、ここで頼るのは手慣れた魔法だ。
「耳障りです!」
アルヴァは杖を夜空に向けて雷撃を放った。
まだ遠いが外しはしない。
紫電に貫かれた魔物の体が、衝撃に大きく揺れた。
しかし、それだけで影が落ちる気配はない。
二撃、三撃と連射すれば、ようやく巨大トンボが墜落を始めた。
落ちた魔物は城壁をかすめるように滑空し、そのまま貴族の邸宅へと突入した。
……オトロス派の邸宅でないのは申し訳ないが、まあ不可抗力だろう。
ともあれ、グリガント程ではないが敵はかなりの耐久力だ。もっと、引きつければ一撃で落とせるかもしれないが、試すのは危険に過ぎた。
「上帝陛下に続け!」
兵士達もそれぞれの位置から攻撃を開始する。
矢と火球が、空中にいる魔物の群れを目がけて飛んだ。
……が、巨大トンボは自在に羽をはためかせ、向きを変えていく。矢も火球もひらりひらりとかわしてしまった。
トンボだけあって、空中での静止もできるようだ。お陰で動きが読みにくい。
「鬱陶しいカトンボですね……!」
思わず悪態をつきながらも、アルヴァは紫電を魔物へ向けて放ち続ける。この魔法なら、そうそう回避されはしない。とはいえ、何体も相手にできるわけではないのだが……。
アルヴァが二体目にとどめを刺した頃、ようやく兵士達が一体をしとめた。
だが、それで巨大トンボが途切れる気配はない。次々と新たな魔物の影が、城の方角から向かってくる。
そしてついに、兵士達が魔物の接近を許した。
魔物の狙いは、屋根の上で弓を構えていた兵士だった。
「く、来るなぁ!」
半狂乱になりながらも、兵士は矢を放った。
至近距離から撃たれた矢が、巨大トンボの胴体に突き刺さる。だが、それで魔物を止めることは叶わなかった。
魔物は六本の足で兵士の体へと取りついた。
「ぬわあ! 離れろ!」
兵士が体を揺らし、必死に振り払おうとする。しかし、そうするには敵はあまりに巨大だった。
魔物は尾をくねらせ、その先端を兵士の首へと近づける。
次の瞬間――尾の先が蛇の口のように開き、兵士の首を噛みちぎってしまった。まさしく尾そのものが、生きているかのような動きだった。
急いで屋根の上まで駆けつけた仲間の兵士が、巨大トンボを串刺しにして仕留めた。もっとも、噛まれた兵士を救うには手遅れだったが……。
無惨な犠牲に兵士達はひるんだが、
「胴体は硬いぞ! 羽を狙え!」
それでも自らの判断で、敵との戦い方を模索していく。
そんな兵士達を支援するため、アルヴァにできることはないだろうか。
「ならば……」
思いつきと共に、アルヴァは杖先の魔石を手早く交換した。
紫の魔石の代わりに交換したのは緑の魔石――風を司る緑風石だ。
アルヴァは杖を掲げ、精神を研ぎ澄ませた。
杖先に集まった空気の渦を、一気に上空へ放出する。
強風が巻き起こり、巨大トンボへと吹きつけた。魔物は抵抗するため必死に、羽をはためかす。
「今です!」
アルヴァの号令に従って、兵士達が一斉に攻撃する。
加速した矢と炎が、魔物へと襲いかかる。強風の中で、巨大トンボは自由をなくしていた。次々と矢が突き刺さり、火球が炸裂していく。
力尽きた魔物達は、あえなく強風に吹き飛ばされていった。
*
「ふう、はぁ……」
風がやみ、アルヴァは肩で息をする。
どうにか、空から来る魔物をしのいだが、疲れはごまかせなかった。
アルヴァは魔道士として、百の兵士にも勝る活躍をしてきた。けれどそれは、それだけの無理をしてきた証左でもあった。
そして――状況は休憩を許してくれなかった。
アルヴァ達が空に気を取られている間、陸の魔物が接近してきたのだ。
緑の聖獣が拳を振るい、地面を叩きつける。舞い上がる瓦礫に巻き込まれ、逃げ遅れた兵士が吹き飛ばされた。
魔道兵が火球の連射を浴びせ、どうにかグリガントを仕留める。
だが、事態はそれで終わらない。空から巨大トンボの第二波がやってきたのだ。
「ひるまない! 距離を取り、落ち着いて戦うのです!」
アルヴァは叱咤するが、一度崩れかけた軍はもはや余裕を失っていた。
グリガントと巨大トンボ――二種類の魔物に対応できていた布陣が、形を失っていく。
アルヴァは再び強風を放ち、空から来る魔物を迎え撃つ。
しかし、その強風も全ての敵を飲み込むには足らない。一体の魔物が群れを離れ、風から逃れたのだ。
「陛下! お下がりください!」
兵士の一人が警告の声を上げる。
巨大トンボが不規則な軌道で、アルヴァへと接近してくる。多くの魔物を倒したアルヴァを狙いに来たのだろう。
馬を走らせても、逃げられる距離ではない。だが――
「好都合ですよ!」
アルヴァは杖を上空に向けて、放電の魔法を放った。
放電は拡散する稲妻を放ち、大勢の雑魚敵を一掃する魔法だ。けれど、至近距離から放てば、巨大な魔物への強烈な一撃となる。
もっとも、遠距離からの戦いを基本とするアルヴァにとって、多用できる魔法ではなかったが……。
無数の雷光を下から浴びて、巨大トンボは爆散した。
飛び散る肉片と血液が、アルヴァの髪と服に降りかかる。
「もう、汚らわしいですね……!」
アルヴァはいらだちを隠さず、黒髪を振って肉片を振り払う。しかし、そんなことに気を取られているべきではなかった。
一連の事態に、馬が怯え出したのだ。
もっとも、臆病だと馬をなじるのも酷な話だろう。むしろ、これだけの異常な事態を前に、よく持ったものといえる。
「ぐっ、鎮まりなさい!」
アルヴァは叱咤するが、それで収まらないのが動物の性。いななきを上げながら、アルヴァの体を激しく上下に揺すった。
「仕方ありませんか……」
もはや御すことは難しいと、アルヴァも跳び下りざるを得なかった。
体を強く打ちつけたが、動じずにアルヴァは立ち上がる。逃げ去る馬を見送りもせず、再び杖を構えた。
雷鳥の魔法から始まり、今日は幾度も魔法を放っている。消耗は大きく、このままでは限界が来るのも時間の問題だ。
こうなればゲノスやイセリア、ガノンドらの援軍を待つしかない。だが、彼らは彼らで楽な戦いでないのは想像に難くなかった。
ミスティンがいれば――と思うが、彼女を城内へやったのはアルヴァ自身である。嘆いても仕方がない。今はこの戦力で乗り切るしかないのだ。
「いい加減にして欲しいものですね……!」
倒しても、倒しても、魔物は湧いてくる。
戦場としては狭苦しい帝都の街道には、魔物の死骸がうず高く積み重なっていた。その合間には、犠牲となった兵士達の遺体も混ざっている。
もはや犠牲なき継戦は困難だった。
既に百は倒したかもしれない。それでも魔物が途切れる気配はなかった。グリガントは死骸の山を押しのけながら、突き進んでくるのだ。
大公とザウラスト教団は、一体どれだけの魔物を召喚したというのか……。
そして、相変わらず空を飛ぶ魔物は厄介だ。襲いかかってくる度に、アルヴァが風と雷で応戦しているが消耗は大きかった。
「は~ん、今度はトンボのバケモノってわけか」
その時――場違いに陽気な男の声が、戦場にこだました。