大公の抵抗
大公は眠気を振り払い、燃える炎を眺めていた。
先程、城内の魔道士を何人も投入して、鎮火に向かわせたのだ。
部下の中には、あれをただの火事とみなすものもいた。
外壁を越えて城まで炎が広がる可能性はない。心配はいらないから、閣下はお眠りください――と。
しかし、窓から見ただけで、あれは尋常ではない大火だと分かった。単なる失火による火事では、あのような巨大な火柱は起こり得ない。
何者かが人為的にしかけたのだ。そしてそれは、上帝軍の仕業に違いない。
だから、それからしばらくして――
「閣下、上帝軍が帝都に侵入したようです!」
ビロンド将軍が報告をしてきた時も、驚かなかった。
……もっとも、驚きはしなかったが腹立ちは収まらない。
「いったい防衛隊は何をやっていたのだ! 昼夜を問わず、防衛に当たるよう指示したはずだぞ!」
上帝軍がカトバのそばに陣地を構築していたのは、オトロスも把握していた。
オトロスは元老院の重鎮として、アルヴァの性格を知っている。決断の早いあの元女帝は、性急に行動を起こすと予想できた。近日中に戦いが起こるのは、もはや自明だったのだ。
そしてそうなったとしても、帝都は難攻不落の城塞都市である。
上帝軍が帝都の門を破るには、一週間を要する。少なくとも、それが歴史の常識だ。
その間、仲間の諸侯に背後を突かせれば、上帝軍はあえなく瓦解する。それがオトロスの計画だったのだ。
「それが……。上帝軍は門を通らなかったそうです。上帝自らが魔法で外壁を破壊したのだとか……」
「んなっ! 非常識な小娘め!」
上帝アルヴァネッサが優秀な魔道士であるとは、オトロスも把握している。若いながら戦場経験があるのも厄介だ。だからこそ、反乱を起こす時期を彼女の不在に合わせたのだ。
だがそれにしても、帝都の外壁を破壊するなど予想を超えた所業だった。
「申し訳ない、私の失態です。まさか、外壁を破ってくるとは思いませんでした。私自ら出陣し、連中を討ち果たしてみせましょう」
こちらの怒りを見て取ってか、ビロンドは頭を下げた。
苦渋の色を浮かべながらも、オトロスは頭を切り替えることにした。
「くっ……言い訳はよい。予想していなかったのは俺も同じだ。それより、レゴニアへは連絡を送ったか?」
まずは帝都に駐留するもう一人の将軍への連絡だ。それと同時に、もう一つの策を取る。
「それなら既に。ただレゴニアならば、連絡がなくとも自分で動き出すでしょう」
「頼もしいな。お前達二人が小娘を始末してくれれば、俺も切り札を温存できる。くれぐれも頼んだぞ」
オトロスは激励を送ったつもりだったが、ビロンドはかすかに顔をしかめた。切り札という言葉の意味するところを察したのだ。
「閣下、あのような異教徒に頼らずとも……。私とレゴニアがいれば、恐れることなどありません」
ビロンドは特筆して敬虔な神竜教徒というわけではない。それでも生まれながらの神竜教徒ゆえに、異教への拒否感を拭えないらしい。
もっとも、オトロスにしても異教を決して受け入れたわけではない。なんせ心中では、かの教団を邪教と呼んでいるほどだ。
あくまで必要に駆られ、手を組んでいるに過ぎないのだ。
「ふん、お前達を信用していないわけではない。だがな、真の勝者となるためには、圧倒的な力が必要なのだ。分かるか、ビロンドよ?」
ここでアルヴァネッサを倒し、オトロスが戴冠したからといって戦いが終わるわけではない。
帝国には貴族達とその代表たる元老院、さらには神竜教会が存在する。歴代の皇帝は君臨すれど、各勢力へ常に配慮を強いられてきた。オトロスはそれら全てを従え、真の意味で帝国の覇者となるのだ。
「はあ……」
「分かったら、早く行け! 炎獄の公爵の実力見せてもらうとしよう」
冴えない顔をするビロンドへ、オトロスは発破をかける。
「はっ!」
ビロンドは表情を切り替え、敬礼して去っていった。
少し抜けたところはあるが、それでも武人としては一角の男。最低限の役目は果たしてくれるだろう。
……もっともビロンドとレゴニアが、上帝軍に勝てる見込みは半分もあればよいほうだ。オトロスは冷静にそう判断していた。
「ビロンドの軍が渡り終えたら橋を落とせ。よいか、南も北もだぞ!」
城内の守備に残った将校へ、指示を送っておく。
上帝軍の勝利条件は城を抑え、オトロスを倒すことだ。表向きは皇帝一家の救出を掲げているが、そんなものは大義名分に過ぎない。
それどころか、オトロスによる皇帝弑逆を待ち望んでいるかもしれない。そうなれば、アルヴァネッサは堂々と皇帝に返り咲けるのだから。
最悪、御旗が一つに統合された結果、軍としての求心力が増すこともあり得る。
よって、今は何よりも時間稼ぎが必要だった。援軍を待つ時間ではなく、切り札を用意するための時間が。
「よし、入っていいぞ」
ビロンドが退室した扉の向こう――次なる来客へとオトロスは声をかけた。
入れ替わりにやってきたのは、赤い衣をまとった女だった。
「随分と城内が騒がしいようですね。……お困りですか? 閣下」
世間話でもするように、枢機卿は口を開いた。相変わらず、こちらの苛立ちを汲み取る気はないらしい。
「この期に及んで白々しい! 貴様らにも協力してもらう時が来たようだ。嫌とは言わせんぞ」
「よろしいのですね? 解き放った場合、帝都への被害も予想できませんが」
慎重な口振りとは裏腹に、枢機卿の瞳は怪しく輝いていた。
「構わんやれ! 虫けらどもを蹴散らしてから、帝都はゆっくりと再興すればよい。再興が無理なら、首都をわがゼプトに移すだけのこと!」
大公に迷いはなかった。
どんな手段を使ってでも、最終的な勝者になればよいのだ。そのために、たゆまぬ努力をしてきた。そのために、邪教とも手を結んだ。
「閣下の御心のままに」
枢機卿はうやうやしく頭を下げた。
「――では儀式を開始しましょう。閣下には聖石を存分にお渡ししますので、時間を作っていただければと思います」
「くくっ、聖石とはふざけた名前だ。……だが、任せておけ。そのために橋を落とさせたのだからな」
聖獣を封印した魔石が聖石である。おぞましい姿にしか見えない魔物を、教団は聖獣と呼称しているのだ。
だが、今更引き返すことなどできはしない。野心を満たすためなら、悪魔にすら魂を売ってみせる。それが、オトロスという男だった。