帝都突入
都市国家から始まり、千年の栄華を誇ったネブラシア。
それを囲むのはコンクリートで造られた堅牢な外壁である。コンクリートは、凝灰岩など天然の資源を原料とし、古くから国内の建造に使われていた。
凝灰岩は火山由来の原料なのだそうだ。上界もかつては下界にあり、火山のあった証拠ではないか――というのは、余談ながらガノンドの推察だ。
ともあれ、外国からの襲撃、内乱、魔物の襲撃……。自慢の外壁は、長年に渡って確かに市民と貴族達を守ってきた。いずれの勢力も外壁は突破できず、帝都の安全は守られ続けたのだ。
ところが去年、魔物の襲撃があった。緑の巨獣と呼ばれた魔物は、恐るべし怪力で外壁を破壊したのだ。
かくして、安全神話は崩壊。
魔物との戦いが終わった後、時の皇帝は外壁の修繕をおこなった。奇しくもそれは、皇帝として彼女の最後の仕事となったわけだ。
そしてそれから、十ヶ月の時が流れ今に至る。
帝都の外壁はまたも無残に崩れ、ぽっかりと空洞を空けていたのだった。しかも、下手人は去年の皇帝であり、今の上帝でもあった。
「……まさか、本当に一撃とは。念のため持ってきた破城槌や、ハシゴは無駄になりましたね」
馬上のイセリア将軍は、唖然としながらもアルヴァを見ていた。
「帝都の外壁を力技で突破したのは、長い歴史の中でも陛下が初でしょうな。おっと、もちろん魔物の類を除いてですが」
ゲノス将軍はアルヴァを賞賛してみせる。こちらはアルヴァの実力をある程度知っているため、さほどの驚きを見せなかった。
「それほどでもありません。内部に潜り込んだ三人が、うまく計らってくれたお陰です」
アルヴァはわずかに息を乱しながら、馬上の将軍達を見上げた。
少し前、アルヴァは数人のお供だけを連れて、外壁に接近していた。近くの茂みに隠れ、じっと機会を窺っていたのだ。
危険ではあるが、大勢の軍隊を連れては目立ってしまう。これだけは少人数でやり遂げねばならなかった。
いつもなら、自分を守ってくれる少年の姿がない。そのことに心細さを感じながらも、アルヴァは待ち続けた。
果たして、ミスティンとガノンドはうまくやってくれるだろうか。
現在地は帝都の東側である。対して、予定では三人が火の手を上げるのは、城の西側に当たる。もちろん、そのほうが敵の分断に好都合だからだ。
ただ、この位置からだと西側は城の陰になる。火の手を視認できるかが問題だ。
その心配は杞憂だった。
やがて、外壁の向こうで見間違いようのない火の手が上がったのだ。いや……火の手という表現では全く足りない。
あれは炎の竜巻だ。
ネブラシア城の向こう側で、炎の竜が怒りのままに暴れていたのだ。城近郊での猛火に、大公も平静ではいられまい。
二人の活躍に応えるべく、アルヴァはたちまち精神集中を開始した。発動までに時間のかかる魔法であるが、ここには誰も妨害するものがいない。
しばらくのち、アルヴァは雷鳥の魔法を外壁に向けて放ったのだった。
先月にシグトラから譲り受けた杖と魔石のお陰か、少ない消耗でより強力な一撃を放つこともできた。
二人の将軍も、それから急ぎ合流してきた。アルヴァの安全を確保するため、騎兵だけを連れて駆けつけてくれた。
焦る気持ちはあるが、まだ突入はしない。遅れてやって来る歩兵の大軍を待つためだ。全部で一万を超えるため、集合と整列をするだけでも相当な時間となる。
心を落ち着けようと、アルヴァは外壁に空いた空洞へと目をやった。
十人程度が一度に通過できる大きな空洞である。堅牢を誇る帝都の外壁も、雷鳥の魔法を受けては形無しだった。
外壁の上には警備兵の姿もあったが、その運命は推して知るべし。運がよければ、壁の内側に吹き飛んで助かっているかもしれない。
「陛下、お疲れではありませんか?」
息を乱したこちらを見て、イセリアが気遣ってくる。
雷鳥のような強大な魔法は、術者の精神力を多大に消耗させる。全力で放った後は、意識を保つのも難しいほどだ。
「心配は無用です。これでも普段より加減をして放ちましたから」
実際、今回に関しては、少し疲れはあるもののそれだけだ。アルヴァ自身も幾度もの死線を越えて、成長したのだろうか。
そうして、アルヴァは馬上へと軽やかに跳び乗った。
後ろを振り向き、集まりつつある兵士達へ向かって高々と杖を振り上げる。
「大勢の市民が我々の戦いを見ています! 市民や街へ危害を加えることはもちろん、略奪は厳禁です! 規律を守れぬ者は見せしめとして処断します!」
突入する直前に、アルヴァは改めて訓示を垂れたのだ。
この戦いはエヴァート皇帝と、オトロス大公――二人のどちらが帝国の支配者にふさわしいかを決めるものである。大義名分を損なうような行動は、差し控えねばならなかった。
「おお!」
「エヴァート陛下のために!」
「アルヴァネッサ陛下のために!」
兵士達が威勢のよい叫び声で、アルヴァに応えてくれた。
「ゲノス将軍、イセリア将軍、後の指揮をお願いできますか? 私は次に備え、しばし休憩します」
最初の役目を終えたアルヴァは、二人の将軍へと指揮を委ねた。
戦争については二人のほうが本職だ。特にゲノスは百戦錬磨の将軍といえる。しばらくは自分が出張る必要もないだろう。
「もちろんです。そのために私達がいるのですから。陛下は無理をなさらぬよう」
イセリアは了承しながらも、こちらを気遣う素振りを見せた。
「なんなら全て任せていただいても、構いませんぞ」
ゲノスはさらに余裕の軽口を叩いてみせたが、アルヴァは首を振った。
「結構です。戦況は見ておきたいですし、まだ役目もありますので。……それより早く行きましょう」
「承知しました」
ゲノスは頷いて、先頭の部隊へと指示を下した。
「――ゆくぞ! 目指すはネブラシア城! 謀反人オトロスどもを蹴散らすのだ!」
ゲノスと騎兵達が、我先にと壁の中へ突入していく。
イセリア将軍もそれに遅れじと続いた。アルヴァは少し遅れて、無理せずにその後を追うのだった。
上帝軍は整備された街道に沿って、騎馬を走らせた。
時刻はまだ未明にも関わらず、視界は悪くない。空を焦がす炎が、帝都を照らしているためだ。炎を背にしたネブラシア城が、逆光の中に浮かび上がっていた。
ゲノス将軍は勢いのままに、帝都を疾駆していく。前方から目をそらさず、敵の姿を探しているようだ。
それから少し遅れて、イセリア将軍の姿があった。
ゲノスとは対照的に、周囲を警戒しながら進んでいた。恐らくは、敵の待ち伏せを警戒しているのだろう。
それぞれ性格は異なるが、頼りになる将軍達である。ならば、アルヴァは彼らを信頼して後に続くだけだった。
*
しばらくは敵兵の姿もなく、進軍は続いた。
争いに巻き込まれるのを嫌ったのか、逃げ惑う市民達の姿が見られる。心を痛める光景であるが、それでも戦いを完遂せねばならない。
帝都の町並みは、人気が少ないことを除けば、以前と変わりなかった。少し前までは平穏に市民の生活が営まれていたのだろう。
「じょ、上帝軍が来たぞ!」
「皇城へ行かせるな!」
そんな上帝軍の進路へと、大公軍の兵達が姿を現した。
だが、その足並みは乱れており、態勢が整っていないのは明らかだ。
装備も人数も、軍隊とはいえない規模である。恐らくは外壁や街を守っていた警備兵を、急遽寄せ集めたのだろう。
ミスティン達が起こした西の炎によって、当初は消火のための人員が集められたのは想像に難くない。そこに今度は東からアルヴァの本隊が襲撃をしかけたのだ。
西から東――と、敵兵も相当に混乱していると思われた。
「その数で来るのは感心するが、容赦はせんぞ」
騎兵隊の先頭に立っていたゲノスは、馬の勢いを落とさずに長槍を振るう。
次の瞬間、槍先から伸びる炎が敵兵を襲った。
炎に包まれた敵兵は、あえなく街道に倒れ伏していく。
「ゲノス将軍だ!」
「まさか、あれが灼熱の魔槍か!?」
大公軍の兵士達は、驚愕に打たれて立ちすくんだ。彼らが相手をしているのは、歴戦の将軍なのだ。
「将軍に続け!」
隙を見逃さず、騎兵達は突撃した。ゲノスに負けじと、ひるんだ敵を仕留めていく。
敵が態勢を整える間もない猛攻撃である。敵はこちらの勢いを防ぎきれず、呆気なく蹴散らされた。
「どうだ、イセリア。これが北方で鍛えた俺達の戦い方だ」
ゲノスは後続にいた後輩将軍に向けて、勝ち誇った。
「ええ、見事なものですね。私にはとても真似できません」
イセリアもこれは素直に認めた。
前回の会戦においても、イセリアは苦い遅れを取ってしまったのだ。しかし、それも現状の実力差として認めるしかないということだろう。