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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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放たれる嚆矢

 仕事を終えたミスティンは、仮の祖父たるガノンドと共に宿へ戻った。

 いつものように迎えたカリーナも合わせて、部屋で会議を行う。


「ミスティン、収穫あったみたいだね?」


 こちらの表情を見て、カリーナが察したらしい。


「うん、陛下の居所を突き止めたよ。五階だって」

「お前さん、見ているこっちがヒヤヒヤしたぞ。相手がビロンドでは助けにも行けんし……」


 ガノンドが深々と溜息をついた。ビロンドと会話をしている姿を、密かに見守っていたらしい。


「でも、うまくいったよ」

「うむうむ、その点については褒めてやらねばな。お前さん、なかなかやるではないか。オトロスの奴も、さすがに陛下とご家族を地下牢へは移せなかったようじゃな」


 ガノンドはここに至って、ようやく顔をほころばせた。


「えへへ、任せてよ」


 ミスティンもすっかり得意気である。この場にアルヴァやソロンがいないのが残念でならなかった。


「善は急げ、今夜さっそく姫様へ連絡するとしよう。わしのほうでも耳寄りな情報を得たぞ」

「何かあったの?」

「ソブリン将軍のことだ。どうやら、妻子を人質に取られているらしい」

「ソブリン将軍って、第三要塞だっけ?」


 第三要塞は帝都南部――ネブラシア湾にある雲上の要塞島である。そこに駐留するソブリン将軍は、いまだ旗幟(きし)を鮮明にしていなかった。


「ああ、貴族達の話を立ち聞きした。連中は(かくま)っているなどと(のたま)っていたがな。人質以外の何物でもなかろう」


 ガノンドは(いきどお)りを言葉に乗せて吐き出した。


「じゃあ、結局は大公側に付いたってこと?」

「いいや。大公が催促しているが、返事をかわしているようじゃ。両陛下に刃を向けるほど、ソブリンも愚かではないのだろうな」

「じゃなければ、人質なんて取る必要ないだろうしね。でも、奥さんと子供さんを見捨てられるほど冷たくもないって感じかな」

「そういうことじゃ。恐らくは今後も積極的な動きはないじゃろう。敵に回る可能性が低いと分かっただけで収穫と言える」

「どう見るかはお姫様の仕事だろうけどね」


 カリーナが指摘すれば、ガノンドも頷いて。


「それもまとめて姫様に伺うとしよう。ともあれ、これだけ情報があれば十分じゃろう。わしが暗号化して書面にまとめておくから、姫様への連絡は手はず通りに任せたぞ」


 慎重を期して書面の内容は暗号化することになっていた。

 もちろん、暗号化の方法はアルヴァとあらかじめ示し合わせている。子供の遊び程度の簡単な暗号でも、法則が分からなければそうそう解読できるものではない。


「了解」

「あいよ」


 ミスティンとカリーナがそれぞれ返事をする。

 夜間、帝都の門は閉じられている。日が昇るのを待っていては、連絡がそれだけ遅れてしまう。それを想定して、あらかじめアルヴァは連絡方法を決めていたのだった。


 作成した文書を手にして、ミスティンは深夜の宿を抜け出した。

 お供には身軽なカリーナだけを連れている。ガノンドは留守番だった。

 いかに治安のよい帝都といえど、女二人で夜間の外出をしないのは世間の常識。だが、今はそんなことを気にしていられない。


 街路樹を飾る蛍光石の明かりが、夜の帝都をほのかに照らしていた。緊張のせいか、淡い緑の光がどことなく不気味に思えてくる。

 外壁の内側に沿って、二人は人気(ひとけ)のない方向へと進んでいく。帝都といえど、この時間に道を外れれば、静かな場所はいくらでもあった。

 外壁の上には、ランプを持った警備兵の姿も見えている。もっとも、ただ歩いているだけなら疑われる可能性は低い。警備兵が監視しているのは、主に壁の外側だからだ。


 やがて、警備兵の間隔が広がっている地点を見つけた。ここならば、目立たずに任務を遂行(すいこう)できそうだ。


「ここでいいんじゃないかな?」


 慎重に周囲を警戒してから、カリーナがミスティンにささやきかけた。


「うん」


 ミスティンは矢を握りしめ、弓へとつがえる。矢羽にはもちろん、文書がくくりつけられている。

 夜空を仰げば、闇が広がっていた。新月を間近に控えているため、月明かりも覚束ない。それでも、漏れ届く街灯の光によって、そびえる外壁の高さは把握できた。


 弓を引き絞り、手を放した。

 人生で何千何万回と繰り返した動作。暗かろうが、緊張していようが失敗はない。

 森閑(しんかん)とした帝都に、空を斬り裂く音が流れる。

 反動に従って、矢は勢いよく外壁の向こうへと飛んでいった。


「いいよ、ミスティン。これで誰かが回収してくれるだろう。後は返事を待つばかりかな」


 矢を回収する場所は、あらかじめいくつかの候補に絞っていた。毎夜に渡り、外壁の向こう側にいる仲間が、じっと監視しているはずである。

 暗号化されているとはいえ、誤って大公側の者に見つかっては一大事だ。壁の外側には魔物もいるため、仲間以外の者がいるとは考えにくい。とはいうものの、どうしても不安はつのる。


 ミスティンの不安は杞憂(きゆう)だったらしく、すぐに壁の外側から鳥の鳴き声が聞こえた。

 正確には鳥に擬態した笛の音である。

 外側に待機していた仲間が、無事に矢文を回収したという合図だった。


 *


 翌日もミスティンとガノンドはいつも通りに、城で勤務していた。

 突然、そろって来なくなれば怪しまれるという懸念もある。今はただ、アルヴァからの返事を待つべきだ。

 書類の内容を吟味し、決断を下すのはアルヴァの役目。それに従い、こちらも身の振り方を決める予定だった。

 そして、今日も二人は仕事を終えた。

 夕方、宿の部屋に集まったところで――


「お便り来てたよ」


 留守番のカリーナが、(ふところ)から封筒を取り出した。どうやら、アルヴァが送った連絡員と接触を果たしたらしい。


「ほほう、もう返事が来たのか」


 ガノンドがさっそくランプのそばで、手紙を広げた。

 ミスティンも覗き込めば、見慣れた流麗な文字が飛び込んでくる。アルヴァは自分自身でこれを書いたようだ。ただし、暗号化されているため、内容は意味不明だが。


「ふむ、明後日(あさって)の早朝、日が昇る前に攻撃を開始するとのことじゃ。まだ丸一日以上は猶予(ゆうよ)があるな」


 ガノンドが暗号をすらすらと解読していく。普段はとぼけた老人だが、こういうところはさすがだった。


「それで、私達はどうすればいい?」


 黙って文書を読み続けるガノンドへ、ミスティンは問いかける。


「要望は二つ。一つは内側で騒ぎを起こし、攻撃の契機を作ること。もう一つは皇帝ご一家の監視じゃ。どちらも責任重大じゃの」

「騒ぎを起こすのはともかく、監視は難しくない?」


 カリーナが疑問を投げかける。

 皇帝一家がいる五階は当然ながら警備が厳しい。使用人の立場では、立ち寄ることも困難だろう。


「監視といっても、常に見張ってろとは書いておらん。姫様はご一家がよそに移されないかを気にしているようでな。動きがあれば教えて欲しいとのことじゃ」

「んー、それぐらいならいけるかな」

「それじゃあ、あたしも城外を張っとくよ」


 ミスティンとカリーナがそれぞれ了承した。

 要人を動かすには、それ相応の警備がいる。注意していれば、見逃さずに済むかもしれない。


「危険なようなら、すぐに退避せよとも陛下は仰せじゃな。わしらが動かずとも、攻撃は予定通りに行うともある」

「いや、逃げない。私がアルヴァを導いてみせる」


 ミスティンは静かに、それでいて力強く言い切った。


「その意気じゃな」

 ガノンドもニヤリと笑って。

「――では、今のうちに作戦を練っておくとするか。連絡の時間を考えれば、姫様と内容をすり合わせる余裕もないが……」


 そうして、三人は急ぎ作戦を練り上げた。昨夜と同じように、ミスティンは壁の向こうへ返事を放り込むのだった。


 *


 帝都の中心にそびえるネブラシア城。その城壁の外側に貴族達の邸宅が並んでいる。さらに、それらをぐるりと水堀が囲んでいた。

 ガノンドとカリーナ親子を引き連れて、ミスティンは水堀の西側に立っていた。三人そろってフード付きのマントを着込み、目立たない格好をしている。


 まだ太陽が昇り切らない時刻であるため、辺りは暗い。場所を選んだせいもあるが、人気(ひとけ)もなく静かなものだ。

 もっとも、太陽が昇り始めても、しばらくは陽が射すこともないだろう。この辺りは、巨大な城の陰に隠れてしまうからだ。


「いよいよだね……」

「うん」


 カリーナがつぶやけば、ミスティンは小さく頷く。

 これから、上帝軍が帝都へ進行し、ネブラシア城と皇帝を奪還するのだ。歴史に残る重大な戦いが始まろうとしていた。

 そして、嚆矢(こうし)を放つ役目を担うのは、ミスティン自身に他ならない。だというのに、今ひとつ実感が湧かないのは、元来の呑気な性格のせいだろうか。


 元来、気ままに生きてきた。

 神職としての使命に縛られた姉を尊敬するが、同じ生き方は選べなかった。


 それから、仲間達との出会いがあった。

 自分とは違って、ソロンもアルヴァも使命感を持っていた。

 グラットも使命感はないけれど、夢を持っていた。なんだかんだで義理堅い男だから、しっかり父のガゼットを連れてくるだろう。


 自分には使命感も夢もなかった。けれど、大切な友人の力になりたいと思う。

 ならば、やるしかない。

 今はそれが自分の使命であり、夢なのだから。


「ゆくぞ」


 ガノンドが静かに声をかけ、杖を手に取った。その先には赤い魔石が付けられている。火竜石――ガノンドが得意とする炎の魔石だった。

 ミスティンは返事に代えて、弓を手に取った。ソロンの故郷――下界のイドリスでもらった風伯の弓である。


 左手に持った矢を弓につがえ、力強く引き絞る。しかし、まだ手は放さない。

 角度と力はこれで十分だろう。目的地は少し遠いが、的は大きく外す心配もない。


「おじいちゃん、お願い」


 視線を目標に据えたまま、ガノンドに声をかける。

 ガノンドも無言で、杖先を矢尻にあてがった。

 流し込まれる魔力に呼応して、矢尻が見慣れた赤光(しゃっこう)を放ち出す。

 燃えるような輝きと共に熱が手に伝わってくる。手袋で保護していなければ、火傷(やけど)していたかもしれない。


 矢はガノンドが下界から持ち込んだ特別製だ。

 紅蓮鋼(ぐれんこう)で作られた矢尻が、魔力を溜め込む仕様になっているのだとか。

 紅蓮鋼はソロンが以前、愛用していた刀の素材だそうで、なんとなく運命を感じる――というのは、こじつけだろうか。


 ミスティンも風伯の弓へと魔力を込めていく。

 淡い緑の光が弓へと宿っていく。この作戦には、二人の魔力を合わせることが肝心なのだ。


「うむ、よいぞ」


 ガノンドが合図を出す。十分な魔力が矢に溜まったのだ。矢尻からあふれんばかりの熱を感じる。


「行って……!」


 そして、嚆矢(こうし)が放たれた。


 矢は赤い軌跡を描きながら、水堀を軽々と越えて、対岸へと飛んでいく。

 水堀の内側に数多く点在する貴族の邸宅……。狙いはその中にあるオトロス派の屋敷である。正確にはその庭木に向けて、矢を放った。

 騒ぎを起こしたいが、無実の者は極力巻き込むべきではない――対象の選定はアルヴァの意向に沿ったものだった。


 目もくらむような赤い閃光が放たれる。圧縮された魔力が解放されたのだ。

 広がる爆風によって、起こり得ないはずの波が水堀に生まれる。ミスティンのマントが暴風によって、激しくはためいた。

 炎の竜巻が立ち昇り、荒れ狂う竜の如く天を焦がす。未明の帝都は、炎によって赤く照らされた。


 庭から起こった炎は、まもなく屋敷を飲み込む勢いだった。

 さすがに、城壁に守られたネブラシア城まで到達することはないだろう。それでも、貴族街へ甚大な被害を与えるはずだ。

 誰も巻き込まず――とは望むべくもないだろう。それは最初から覚悟していたことだ。


「逃げるよ!」


 カリーナに背中を叩かれて、ミスティンは我に返った。


「うん!」


 広がる炎を確認することもなく、三人は駆け出した。みすみす大公軍に捕らわれるつもりは毛頭ない。

 人通りの少ない道を通って、炎上の現場から離れていく。


 街道を外れ、木陰でマントを捨てた。その下には使用人服を着込んでいた。目撃者がいた時のため、服装を変更したのだ。

 もっとも、矢はかなりの距離を取って放ったため、簡単に見つかりはしないだろう。懸念があるとすれば、発射時の赤い光を見られていないかだ。

 ……が、いずれにせよ、こちらを追跡する余裕などすぐになくなる。しょせん、あれは巨大な狼煙(のろし)に過ぎないのだから。


 やがて、炎の竜巻を目にした住民達が街道に姿を現し始めた。ざわめきながら、口々に事態を確かめ合っている。みんなして、火柱が昇る方角へと歩き始めた。

 今のところ、混乱というよりは、ただの野次馬といった印象である。この付近の住民にとっては、規模が大きいだけの対岸の火事に過ぎない。

 三人も何喰わぬ顔で群衆に交じっていく。火事を気にする老人と娘達といった(てい)だ。


「そろそろかの」


 ガノンドがぽつりとつぶやいた次の瞬間――

 本日、二度目の轟音(ごうおん)が帝都をゆるがした。

 先程よりも遠い場所から響き渡る振動音。


「なんだ」「何が起きている……?」


 あちこちから不審の声が上がる。

 ここに至って、帝都の市民達も異常に気づき始めたらしい。事態はもはや、ただの火事ではなかったのだ。


「始まったね」


 もちろん、ミスティンは何が起こったのかを知っていた。

 ガノンドとカリーナに視線を向ければ、二人も頷く。


「うむ。では、行くとするか」


 任務は続く。三人は城へ向かって歩き出した。

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