猫は好きだけど
「さあセレス、まずは掃除からやってもらうわよ」
ミスティンはさっそく年配の女給頭に指示を受けていた。
「はいはい! 任せてください!」
手渡されたほうきを握りしめながら、ミスティンは返事をする。
「元気がよいわね。けど返事は一回でいいわよ」
女給頭はやや神経質そうに指摘してくる。
「はい!」
「じゃあ、そこの廊下をお願いね。まずは私と一緒にやりましょう」
笑顔で受け流せば、女給頭も表情をゆるめた。笑顔の練習は確かに効果があるようだ。
女給頭の真似をしながら、廊下をほうきで掃いていく。
「そこホコリが残ってる。もう少し丁寧に掃除してちょうだい」
廊下の隅を指差しながら、女給頭が注意した。腰に手をやって鋭く目を光らせている。
「は~い」
ミスティンは面倒に思いながらも返事をする。
細かい作業が苦手なわけではなく、むしろ器用な部類である。しかしながら、性格が大雑把なせいで行き届かないのだ。
ぶっちゃけ、ホコリが残っていたら何だというのだ。わざわざそんな隅まで見る物好きはあんたくらいだ――そう思っていても口に出さない程度には、ミスティンも大人だった。
アルヴァはそんな自分をよくたしなめるが、同時に「ミスティンは大らかでよいですね」と言ってくれた。今更治すつもりは毛頭ない。
そうして、ミスティンは掃いて掃いて掃きまくった。
廊下の端から端まで丹念に。もちろん、掃き溜めたゴミを袋に回収するのも忘れない。
城内は呆れるほど広く、単なる掃き掃除にも多大な時間がかかった。
「なかなか、がんばるわね。初日はもっとみんな疲れ果てるものなんだけど」
息も切らさず掃除を続けるミスティンを見て、女給頭は満足そうに目を細めるのだった。
*
「こんなに働いたのは、何年ぶりじゃろうか」
初日の仕事が終わり、ミスティンとガノンドはそろって城門を出た。二人並んで宿へ戻る道中に、ガノンドがしみじみとつぶやいたのだった。
「そうだねえ、私も初めてだから疲れたよ」
ちなみに二人して当たり障りのない会話をしているのは、意図的なものである。宿に戻るまでは『仕事』の話はしない。当然の心得だった。
そうこうしているうち、橋を渡って大通りに達した。
大勢の亜人奴隷を連れ歩く貴族の男……。車輪の音を鳴らして行き交う馬車の数々……。大公の統治下であろうとも、やはり帝都の繁栄は格別だった。
季節柄、この時間になれば、すっかり日は沈んでしまう。にも関わらず、大通りは今も光に照らされ、人でにぎわっていた。
というのも、ネブラシア城の頂上に安置された神鏡が、まっすぐに大通りを照らしているためだ。まばゆいその輝きは、真昼の太陽の如く人々を見守っている。
まさにネブラシア帝国を代表する神秘の国宝である。
去年、あれを盗み出そうと潜入した盗人がいた。
しかも、実際に神鏡の元までたどり着いたというから驚きだ。……まあ、ソロンのことなのだが。
ともあれ、今の皇城には捕らえた潜入者を、興味半分で雇うような皇帝はいない。バレてしまえばそれで幕切れだ。作戦は慎重に進めねばならない。
「二人ともお疲れ様」
宿に戻ったところで、カリーナが出迎えてくれた。
「おう、カリーナや。今日は疲れたのう」
「親父さん、もう歳なんだから、無理しちゃダメだよ」
カリーナがガノンドの背中をさすってみせる。
「これこれ、年寄り扱いするでないわ。わしゃ、後百年ぐらいは生きるからのう」
「あはは、それだとメリューより長生きしちゃうかもね」
強がるガノンドに、ミスティンが笑って応じた。
「さて、収穫はあった?」
そうして、部屋に戻ったところでカリーナが話を切り出した。
ガノンドも外にいた時から一転して、真剣な表情へと切り替わっている。
「がんばって掃除したら、褒めてもらったよ。初日はバテバテになる子ばっかりだけど、私は筋がいいって」
「お前さん……本気か冗談か区別がつかんな。姫様は、頭は悪くないと評していたが」
ミスティンの答えに、ガノンドは呆れるような声を返した。
「……一階から二階の廊下で仕事してたけど、特に成果はなかったよ。時々、貴族のおじさん達が通りかかったけど、大事な話は聞こえてこなかった」
仕方ないので、真面目に報告することにした。
……もっとも、別にふざけていたつもりもない。少なくとも、仕事を褒められて嬉しかったのは本当だ。
「わしも似たようなもんじゃ。庭師の手伝いをしていたが成果はなし」
「そっか。私は奥の部屋を探るのも考えたけど、今日は監視もいたしね。ひとまずは無理せず様子見かなって」
「監視?」
ミスティンの言葉に、カリーナは懸念の声を上げる。
「そういう意味じゃなくて、私の仕事振りを見張ってるってこと。初日だから」
「ああ、そっちか。まっ、雇って初日の使用人を、大事なところに近づけるわけもないからね。しばらくは気長にやるしかないでしょ。急ぐのは確かだけど、急いては事を仕損じるってね」
「そだね」
ミスティンは賛同を示して。
「――そう言えば、おじいちゃんは中庭にいたんだよね? あそこから五階の窓が見えなかった?」
「五階といえば、陛下の居室だな。わしも注意してみたが、カーテンが閉じられておってな。他の窓にも目をやり、陛下のお姿を探してみたが……。さすがにそう甘くはないようじゃ」
そう言いながら、ガノンドは城内の見取図を卓上に広げた。
アルヴァが記憶を元に書き起こした謹製の逸品である。検証したイセリア達も、記憶の正確さに舌を巻いていた。
皇帝の居室が五階というのも、アルヴァから仕入れた情報である。わざわざ一階へ降りるのが面倒だった――と、かつての部屋の主は愚痴をこぼしていたが。
「けど、それはそれで絞り込みにはなるんじゃないかな?」
「ふむ」
「オトロスにしても、陛下と家族には逃げられたくないんだよね。窓から飛び降りたりしないよう、閉め切っておくんじゃないかな」
「一理ある。もっとも、その考えでいくと地下に幽閉されている可能性も否定できんが」
ネブラシア城には、複数の地下牢と地下室が備えられている。アルヴァ曰く『居住環境はよくありませんが、人目につかぬよう監禁するには最適です』とのことだった。
「うん。閉じ込めるなら、高い所か低い所だよね。どっちにしても、簡単には逃げられないから」
「ふうむ、連中が皇帝に対して敬意を持っているかによるな。少しでも良識があれば、陛下とご家族を地下にはやらんだろう。逆に敬意があるならば、やはり五階が有望じゃな」
「こっそりと城の外に送ってる可能性は?」
というのは、カリーナの指摘だ。
「ないとは思うがな。オトロスの臨時政府は公式に、陛下をネブラシア城で勾留すると発表している。奴一人の考えで、無闇に陛下を移動させるのは難しかろう」
皇帝エヴァートは亜人とつながりを持ち、元老院の不興を買った。その結果として、法に則って退位するのだという。
事実はともかく、表向きはそういう話になっているのだ。
限りなく強引なやり口ではあるが、オトロスも体裁だけは整えるつもりらしい。そのためにも、城内にいる皇帝が自ら退位するほうが望ましいわけだ、
「なるほどね。考えてみれば、人質は手元に置いたほうが便利だろうし」
カリーナは納得したようだった。
「じゃな。もっとも、居場所が確定できんからこそ、わしらが潜入しているわけじゃが。憶測ではなく確定した情報を得られるよう、互いに精進しようぞ」
「分かった、がんばる!」
ミスティンは握りしめた拳をガノンドに示して。
「――おじいちゃん、さすがはソロンの先生だねえ。付いてきてくれて助かったよ」
「それを言うなら、お前さんこそじゃ。普段はちっとばかしアレだが、その気になればそこそこ賢そうにできるのだな」
「あはは、ホントだね。ひょっとして、普段は猫でも被ってるのかい?」
カリーナは笑ってミスティンを見るが。
「う~ん、猫は好きだけど猫は被ってないよ。けど、難しいこと考えるのはアルヴァの役目だし。私は適当でいいかなって」
「互いに補い合う関係ってわけだね」
「そうそう、ソロンも含めてね。まあ、アルヴァは一人でなんでもやっちゃうことも多いけど」
補い合う関係――その言葉を受けて、ミスティンはどことなく嬉しい気持ちになった。
初日の成果はなかったが、任務はまだ始まったばかり。粘り強く取り組むことを、ミスティンは決意するのだった。
*
翌日以降もミスティンは働き続けた。
給仕、洗濯、掃除――元来、器用なので苦労はなかったが、城内は広大でいかにも人が足りていない。仕事はなかなかに忙しかった。
ガノンドも忙しいのは同じらしく、歳相応に疲労を重ねている様子が見て取れた。
働いているうちに、次第に城内の空気がつかめてきた。
今後の要職に就く者を決めるため、城内では熾烈な権力闘争が繰り広げられている。議員を始めとした貴族達も、城を離れるわけにはいかないのだろう。
貴族達が自らの配下を連れ込むことで、城内の人口はさらにふくらむ。当然、それらの世話をする者も必要となってくるのだ。
任務のためには貴族か、せめてその関係者とお近づきになりたいところだ。
とはいえ、掃除中に通りがかった貴族達から話を聞くのは難しい。不自然だし、サボっていると見なされるのも御免こうむる。
やはり、狙い目は晩餐会だろう。城内では連日のように、貴族達を集めた盛大な晩餐会が繰り広げられていたのだ。
晩餐会は単なる食事の場ではない。貴族達による交流の場であり、すなわちそれは権力闘争の舞台でもある。
自らの威容を知らしめ、利権を獲得するため、貴族達はこんなところでも暗闘を繰り広げているのだ。
地方貴族の出身たるミスティンには縁遠い話だが、親友はこの種の機会に散々恵まれたらしい。ご苦労様なことである。
ともあれ、ミスティンも給仕として、晩餐会に参加する資格を持っている。この機を逃してはならない。