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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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猫は好きだけど

「さあセレス、まずは掃除からやってもらうわよ」


 ミスティンはさっそく年配の女給頭に指示を受けていた。


「はいはい! 任せてください!」


 手渡されたほうきを握りしめながら、ミスティンは返事をする。


「元気がよいわね。けど返事は一回でいいわよ」


 女給頭はやや神経質そうに指摘してくる。


「はい!」

「じゃあ、そこの廊下をお願いね。まずは私と一緒にやりましょう」


 笑顔で受け流せば、女給頭も表情をゆるめた。笑顔の練習は確かに効果があるようだ。

 女給頭の真似をしながら、廊下をほうきで掃いていく。


「そこホコリが残ってる。もう少し丁寧に掃除してちょうだい」


 廊下の隅を指差しながら、女給頭が注意した。腰に手をやって鋭く目を光らせている。


「は~い」


 ミスティンは面倒に思いながらも返事をする。

 細かい作業が苦手なわけではなく、むしろ器用な部類である。しかしながら、性格が大雑把なせいで行き届かないのだ。


 ぶっちゃけ、ホコリが残っていたら何だというのだ。わざわざそんな隅まで見る物好きはあんたくらいだ――そう思っていても口に出さない程度には、ミスティンも大人だった。

 アルヴァはそんな自分をよくたしなめるが、同時に「ミスティンは大らかでよいですね」と言ってくれた。今更治すつもりは毛頭ない。


 そうして、ミスティンは掃いて掃いて掃きまくった。

 廊下の端から端まで丹念に。もちろん、掃き溜めたゴミを袋に回収するのも忘れない。

 城内は呆れるほど広く、単なる掃き掃除にも多大な時間がかかった。


「なかなか、がんばるわね。初日はもっとみんな疲れ果てるものなんだけど」


 息も切らさず掃除を続けるミスティンを見て、女給頭は満足そうに目を細めるのだった。


 *


「こんなに働いたのは、何年ぶりじゃろうか」


 初日の仕事が終わり、ミスティンとガノンドはそろって城門を出た。二人並んで宿へ戻る道中に、ガノンドがしみじみとつぶやいたのだった。


「そうだねえ、私も初めてだから疲れたよ」


 ちなみに二人して当たり障りのない会話をしているのは、意図的なものである。宿に戻るまでは『仕事』の話はしない。当然の心得だった。


 そうこうしているうち、橋を渡って大通りに達した。

 大勢の亜人奴隷を連れ歩く貴族の男……。車輪の音を鳴らして行き交う馬車の数々……。大公の統治下であろうとも、やはり帝都の繁栄は格別だった。

 季節柄、この時間になれば、すっかり日は沈んでしまう。にも関わらず、大通りは今も光に照らされ、人でにぎわっていた。


 というのも、ネブラシア城の頂上に安置された神鏡が、まっすぐに大通りを照らしているためだ。まばゆいその輝きは、真昼の太陽の如く人々を見守っている。

 まさにネブラシア帝国を代表する神秘の国宝である。

 去年、あれを盗み出そうと潜入した盗人がいた。

 しかも、実際に神鏡の元までたどり着いたというから驚きだ。……まあ、ソロンのことなのだが。


 ともあれ、今の皇城には捕らえた潜入者を、興味半分で雇うような皇帝はいない。バレてしまえばそれで幕切れだ。作戦は慎重に進めねばならない。



「二人ともお疲れ様」


 宿に戻ったところで、カリーナが出迎えてくれた。


「おう、カリーナや。今日は疲れたのう」

「親父さん、もう歳なんだから、無理しちゃダメだよ」


 カリーナがガノンドの背中をさすってみせる。


「これこれ、年寄り扱いするでないわ。わしゃ、後百年ぐらいは生きるからのう」

「あはは、それだとメリューより長生きしちゃうかもね」


 強がるガノンドに、ミスティンが笑って応じた。


「さて、収穫はあった?」


 そうして、部屋に戻ったところでカリーナが話を切り出した。

 ガノンドも外にいた時から一転して、真剣な表情へと切り替わっている。


「がんばって掃除したら、褒めてもらったよ。初日はバテバテになる子ばっかりだけど、私は筋がいいって」

「お前さん……本気か冗談か区別がつかんな。姫様は、頭は悪くないと評していたが」


 ミスティンの答えに、ガノンドは呆れるような声を返した。


「……一階から二階の廊下で仕事してたけど、特に成果はなかったよ。時々、貴族のおじさん達が通りかかったけど、大事な話は聞こえてこなかった」


 仕方ないので、真面目に報告することにした。

 ……もっとも、別にふざけていたつもりもない。少なくとも、仕事を褒められて嬉しかったのは本当だ。


「わしも似たようなもんじゃ。庭師の手伝いをしていたが成果はなし」

「そっか。私は奥の部屋を探るのも考えたけど、今日は監視もいたしね。ひとまずは無理せず様子見かなって」

「監視?」


 ミスティンの言葉に、カリーナは懸念の声を上げる。


「そういう意味じゃなくて、私の仕事振りを見張ってるってこと。初日だから」

「ああ、そっちか。まっ、雇って初日の使用人を、大事なところに近づけるわけもないからね。しばらくは気長にやるしかないでしょ。急ぐのは確かだけど、()いては事を仕損じるってね」

「そだね」


 ミスティンは賛同を示して。


「――そう言えば、おじいちゃんは中庭にいたんだよね? あそこから五階の窓が見えなかった?」

「五階といえば、陛下の居室だな。わしも注意してみたが、カーテンが閉じられておってな。他の窓にも目をやり、陛下のお姿を探してみたが……。さすがにそう甘くはないようじゃ」


 そう言いながら、ガノンドは城内の見取図を卓上に広げた。

 アルヴァが記憶を元に書き起こした謹製の逸品である。検証したイセリア達も、記憶の正確さに舌を巻いていた。

 皇帝の居室が五階というのも、アルヴァから仕入れた情報である。わざわざ一階へ降りるのが面倒だった――と、かつての部屋の主は愚痴をこぼしていたが。


「けど、それはそれで絞り込みにはなるんじゃないかな?」

「ふむ」

「オトロスにしても、陛下と家族には逃げられたくないんだよね。窓から飛び降りたりしないよう、閉め切っておくんじゃないかな」

「一理ある。もっとも、その考えでいくと地下に幽閉されている可能性も否定できんが」


 ネブラシア城には、複数の地下牢と地下室が備えられている。アルヴァ曰く『居住環境はよくありませんが、人目につかぬよう監禁するには最適です』とのことだった。


「うん。閉じ込めるなら、高い所か低い所だよね。どっちにしても、簡単には逃げられないから」

「ふうむ、連中が皇帝に対して敬意を持っているかによるな。少しでも良識があれば、陛下とご家族を地下にはやらんだろう。逆に敬意があるならば、やはり五階が有望じゃな」

「こっそりと城の外に送ってる可能性は?」


 というのは、カリーナの指摘だ。


「ないとは思うがな。オトロスの臨時政府は公式に、陛下をネブラシア城で勾留すると発表している。奴一人の考えで、無闇に陛下を移動させるのは難しかろう」


 皇帝エヴァートは亜人とつながりを持ち、元老院の不興を買った。その結果として、法に(のっと)って退位するのだという。

 事実はともかく、表向きはそういう話になっているのだ。

 限りなく強引なやり口ではあるが、オトロスも体裁だけは整えるつもりらしい。そのためにも、城内にいる皇帝が自ら退位するほうが望ましいわけだ、


「なるほどね。考えてみれば、人質は手元に置いたほうが便利だろうし」


 カリーナは納得したようだった。


「じゃな。もっとも、居場所が確定できんからこそ、わしらが潜入しているわけじゃが。憶測ではなく確定した情報を得られるよう、互いに精進しようぞ」

「分かった、がんばる!」


 ミスティンは握りしめた拳をガノンドに示して。


「――おじいちゃん、さすがはソロンの先生だねえ。付いてきてくれて助かったよ」

「それを言うなら、お前さんこそじゃ。普段はちっとばかしアレだが、その気になればそこそこ賢そうにできるのだな」

「あはは、ホントだね。ひょっとして、普段は猫でも被ってるのかい?」


 カリーナは笑ってミスティンを見るが。


「う~ん、猫は好きだけど猫は被ってないよ。けど、難しいこと考えるのはアルヴァの役目だし。私は適当でいいかなって」

「互いに補い合う関係ってわけだね」

「そうそう、ソロンも含めてね。まあ、アルヴァは一人でなんでもやっちゃうことも多いけど」


 補い合う関係――その言葉を受けて、ミスティンはどことなく嬉しい気持ちになった。

 初日の成果はなかったが、任務はまだ始まったばかり。粘り強く取り組むことを、ミスティンは決意するのだった。


 *


 翌日以降もミスティンは働き続けた。

 給仕(きゅうじ)、洗濯、掃除――元来、器用なので苦労はなかったが、城内は広大でいかにも人が足りていない。仕事はなかなかに忙しかった。

 ガノンドも忙しいのは同じらしく、歳相応に疲労を重ねている様子が見て取れた。


 働いているうちに、次第に城内の空気がつかめてきた。

 今後の要職に就く者を決めるため、城内では熾烈(しれつ)な権力闘争が繰り広げられている。議員を始めとした貴族達も、城を離れるわけにはいかないのだろう。

 貴族達が自らの配下を連れ込むことで、城内の人口はさらにふくらむ。当然、それらの世話をする者も必要となってくるのだ。


 任務のためには貴族か、せめてその関係者とお近づきになりたいところだ。

 とはいえ、掃除中に通りがかった貴族達から話を聞くのは難しい。不自然だし、サボっていると見なされるのも御免こうむる。

 やはり、狙い目は晩餐会(ばんさんかい)だろう。城内では連日のように、貴族達を集めた盛大な晩餐会が繰り広げられていたのだ。


 晩餐会は単なる食事の場ではない。貴族達による交流の場であり、すなわちそれは権力闘争の舞台でもある。

 自らの威容を知らしめ、利権を獲得するため、貴族達はこんなところでも暗闘を繰り広げているのだ。


 地方貴族の出身たるミスティンには縁遠い話だが、親友はこの種の機会に散々恵まれたらしい。ご苦労様なことである。

 ともあれ、ミスティンも給仕として、晩餐会に参加する資格を持っている。この機を逃してはならない。

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