使用人セレス
三人になったところで、ミスティンは帝都の街並みを見回した。
「お姉ちゃん、いないね」
「司祭だっけ。そりゃ、その辺にはいないでしょ」
カリーナがそう言えば、ガノンドが続いて提案する。
「時間があれば、教会でも探してみればどうじゃ? 私用での寄り道は感心せんが、情報収集と考えれば悪くはなかろう」
「まあ、後でいいや。けど、思ったより平和そうかな」
帝都の中では、以前と変わらず多くの市民が行き交っていた。記憶の中の活気あふれる帝都そのものである。
「物語に出るような邪智暴虐の王様でも期待したかの? オトロスとしても、市民感情を無視できん。為政者としての資質を疑われんよう、気を払っておるのだろう」
皇帝による専制国家としての印象が強いネブラシアだが、古くは市民が強い力を持った共和制国家でもあった。
長く帝政が続いた今となっても、伝統的に市民を無視した政治は難しい。歴代の皇帝達も、市民への人気取りに奔走したものだった。
「なるほどなるほど。けど、さすがに兵隊さんの数が多いね」
至るところに見られるのは、槍を構えた衛兵の姿だ。以前よりも、明らかに増員されている。
「治安を維持せねばならん事情もあるだろうが、何より姫様の逆襲を恐れておるんじゃろうな」
「コテンパンにしたもんね」
ミスティンが誇らかに言った。
もっとも、表向き敗戦の事実は伏せられているようだ。ガノンドがさり気なく聞き込みをしてみたが、一般市民の認識では大公軍の優勢で終わったことになっていた。
「こっちだと、お姫様の快進撃は広まってないみたいだね」
カリーナが口にすれば、ガノンドが応じる。
「当代のオトロスは余程の小心者と見えるな。負けが込んでいると見破られたくないのじゃろう。とはいえ、こんな姑息なやり口がいつまで通じるものではない。人の口に戸は立てられぬ。大きな戦いならば尚更な」
実際、大将が捕虜になった上に、近隣のカトバまで占領されているのだ。大量の敗残兵だって帝都へ戻ってきているだろう。これを隠せると思っているなら、愚かとしかいいようがない。
語るガノンドに、ミスティンも頷く。
「そうだね。商隊のみんなは知ってたし」
商隊長に限らず、商隊ではしきりに会戦の話題が上がっていた。商売柄という以前に、カトバ方面から来た者ならば知らないほうが難しいだろう。
「さて、そんなことより城内への潜入じゃ。使用人の仕事がないか探してみるぞい」
切り替えるようにして、ガノンドは帝都の中央へ続く道を歩き出した。
目論見通り、帝都の各地にある掲示板には、使用人の募集が掲載されていた。帝都のような大きな都市では、役所は区域ごとに分かれている。
三人はさっそく、役所の一つを訪ねた。
「わしは昔、先代オトロス様の軍で亜人と戦ったことがありましてのう。この歳で軍役は無理じゃが、それでも力になれぬかと思ってな。孫娘ともども伺いましたのじゃ」
ガノンドは事前に用意した説明を役所で使った。
先代オトロス大公は立派な人物であり、自ら積極的に北方の戦いへ参加していたという。
現オトロスの人望や勢力は、その父から引き継いだものが大きい。若くして北方遠征に参加したガノンドも、その活躍を記憶に留めていたそうだ。
「人間の若い娘さんは歓迎だが……」
ガノンドが熱心に語った説明を、役人はあっさりと流した。
彼はまずミスティンへと目をやり、それからガノンドへと視線を移した。その後ろにいるカリーナには見向きもしない。
「むっ、ジジイと侮るでない。読み書き計算はおろか、力仕事だって若い者に遅れはとりませんぞ」
難色を示す役人に向かって、ガノンドは胸を張った。演技ではなく、わりと本気で腹を立てているようだ。
「私もおじいちゃんと一緒がいいです」
ミスティンもガノンドの腕をつかみ、仲の良い祖父と孫を必死で演じる。
アルヴァによれば城内で雇う使用人は、それ相応に身元が保証されていなければならない。具体的には貴族や将官、神官といった社会的地位の高い者が仲介するのが常である。
大公が今もその習慣を踏襲していたなら、望みは薄い。こちらには大公派の有力者に対する伝手はないのだ。
となれば、城内への潜入は諦め、帝都内部からの支援に留める必要があるだろう。あるいはかつてソロンがしたように、城内へは強引な方法で忍び込むか……。
「まあ、いいだろう。今は猫の手も借りたいぐらいだからな」
そう思っていたら、役人はあっさりと折れた。
役人によれば、使用人の仕事は明日からでも開始できるらしい。どうやら、人手不足は予想以上に深刻なようだった。
「ふぅ……。うまくいったね。あたしは城には入れないけど、後は任せたよ」
役所を出たところで、カリーナが口を開いた。
このところ、使用人として大人しくしているため、鬱憤が溜まっているかもしれない。
「ごめんね、カリーナ。私もカリーナと一緒にお城へ行きたかったんだけど……」
ミスティンはそんなカリーナを気遣った。
「いや、あたしは別に行きたいわけじゃないから。そんなの、考えただけでおなか痛くなりそうだし」
「分かった。アルヴァがお城を取り戻したら、カリーナも一緒にお城へ行こう。もちろん、お姫様みたいな綺麗なドレスで」
「……なんか、話が噛み合ってない気がするけど。まあ、楽しみにしとくよ」
「ほっほっほ」
と、ガノンドがそんな二人を微笑ましげに見つめながら。
「――まだ、日が暮れるまでには時間があるな。お前さんの姉とやらでも探してみるか?」
「そうさせてもらおうかな。おじいちゃんとカリーナは宿で待ってて」
「いや待て、お前さんだけでは目立つ。わしらも行ったほうがよかろう」
セレスティンの妹が上帝側なのは、周知の事実である。公然と姉を尋ねるのは危険過ぎた。ガノンドはそこを気にしているのだろう。
「そうだね、付き合うよ」
「二人とも、ありがとう」
そうして、三人は帝都内の教会へ探しに向かった。
大聖堂を始めとして主要な教会を巡っていく。だが、セレスティンの姿は見当たらなかった。
「う~む、手がかりすら得られんとはのう」
「残念だったね」
夕暮れに染まった教会の前で、ガノンドとカリーナはつぶやいた。
セレスティンについて得られた情報は一つ。
数週間前、妹へ会いにミューンへ向かったということだけ。ミスティンと再会して以降は、教会へも一切の連絡がないという。
いったい姉はどこへ行ってしまったのだろう……。
「仕方ないね。気にはなるけど、今は任務を優先しよう」
ミスティンは迷いを振り払い、二人と共に宿へと向かうのだった。
*
「気をつけて行ってきなよ」
カリーナの見送りを受けて、ミスティンとガノンドはネブラシア城へと向かった。
皇城の手前にある橋の入口で、案内の兵士が待ち受けていた。兵士に従って、二人は城の正門へと続く橋を渡ったのだった。
コンクリート製の見るからに頑強な城壁をくぐり抜ければ、白レンガの壮麗な建物がそびえ立っている。
もっとも、その栄えある皇帝の居城も、今は謀反人達の溜まり場と成り果てていた。
城内に入るのは、ミスティンにとって初めての経験ではない。アルヴァと同行する形で、何度かお邪魔したこともあるのだ。
残念ながら身体検査は入念にされるため、武器の持ち込みはできなかった。さすがにそこまで警戒はゆるくないようだ。
とはいえ、それも想定内。ここまでは順調。とんとん拍子といってよいだろう。
しかし、正念場はここからだ。
少しでもアルヴァの役立つ情報を得たい。理想を言えば皇帝の居所をつかみたい。
だが、一介の使用人がそこまでの情報を得られる可能性は低いだろう。全ては、ミスティンとガノンドの努力にかかっているのだ。
「セレスです。よろしくお願いします!」
使用人の控え室に向かったミスティンは、威勢よく偽名を名乗った。
ちなみに、セレスという名は姉のセレスティンに由来している。本当はもっと独自の感性を発揮したかったが、カリーナに止められた。
「あなたが新しい子ね。さっそくだけど、これに着替えてちょうだい。大きさは合ってるかしら?」
年配の女給が差し出してきたのは、使用人服だった。どうやら、この女給がまとめ役――つまりは女給頭になるらしい。
更衣室に向かって、ミスティンは使用人服に着替えた。ややスカートの丈が短いのが気になったが、大きさに問題はなさそうだ。
控え室へ戻る途中の廊下で、ガノンドとばったり出会った。
こちらも男性用の使用人服に着替えている。皇城としての品格を保つためか、使用人にしては上等な衣装だった。
「どうじゃミスティンよ。見違えたであろう。いや、セレスだったか」
若者に負けまいとしてか、ガノンドは背筋をピンと伸ばしていた。
ちなみに、ガノンドの偽名にはミスティンの祖父の名前がつけられている。『そのほうが覚えやすかろう』と彼が提案したのだ。
もっとも、ミスティンは『おじいちゃん』としか呼ぶつもりはないが。
「うん。いつもと違って、今日は老紳士って感じだね」
「……それは褒めておるのか? わしは普段から老紳士じゃぞ」
「おじいちゃん、私はどう? かわいい?」
ミスティンは軽やかに一回転して見せた。スカートがふんわりと舞って、長い足が強調される。
「ええぞええぞ。これなら元老院のジジイどもも放っておかんだろう。わしもあと二十年若ければな……」
ガノンドは鼻の下を伸ばして答えたが、
「まあ、おじいちゃんに褒められても仕方ないんだけどね。ソロンはあっち行っちゃったし」
と、ミスティンは遥か下界を指差しながら、少年の顔を思い浮かべた。
「……だったらなんで聞いたのじゃ。もっと、老人を敬ってもバチは当たらんぞ」
「そんなことより、お仕事。雑談してると怒られるよ」
「正論だが、お前さんに言われたくはないぞい」
二人は別れて、それぞれの職場へと向かっていった。