老人と孫娘
方針は決まった。ならば、詳細を練らねばならない。
将軍達に軍備を任せ、潜入する三人とアルヴァは作戦会議を続けた。
「明日にでも出発するよ。おじいちゃんもカリーナもそれでいいかな?」
善は急げとばかりにミスティンは言った。
「異論はないぞ。時間をかけたからといって、うまくゆくものではあるまいしな」
「だけど、どうするつもりなんだい?」
「だから、カリーナもそれを考えてよ。時間のかからない方法でね」
「う~ん、帝都に入るまではそんなに難しくないとは思うんだ。となると、問題はお城に入る方法だよね」
カリーナは当惑しながらも、どうにか答える。
「ひとまず、変装ぐらいはしたほうがよいでしょうね」
そこでアルヴァは提案した。
「変装かあ。別に私、アルヴァみたいな有名人じゃないけど」
「そうはいきません。有名でなくとも、ミスティンが私と一緒にいる姿を見た者もいるでしょう」
帝国に返り咲いて以降、アルヴァはミスティンを公然と連れ歩いていた。その姿を記憶している者がいても、不思議ではない。
「お姫様の言う通りさ。付け加えれば、ミスティンのような別嬪さんは印象に残るものなんだよ」
「別嬪というなら、カリーナもじゃよ。ほっほっほ」
ガノンドが親馬鹿を披露するが。
「ガノンド先生にしても同様ですよ。無理に変装はしないでも構いませんが、気をつけてください。二十年振りとはいえ、敵方には実弟も含まれているのですから」
「ご、ごもっともですな」
痛いところを突かれて、ガノンドはうろたえた。しかし、すぐに何かを思いついたようで。
「いや、変装といえばそうじゃな。……ミスティンや、お前さんもええとこの嬢ちゃんだったな。なら、礼儀作法はわきまえておろうな?」
「大丈夫。とりあえず、『ですます』つけとけばいいんだよね」
ミスティンが自信満々に答えれば、ガノンドは不安げな顔になった。
「なるほどね。じゃあ、料理はできるかい?」
と、カリーナは父の意図を察したようで質問を継ぐ。
「うん、獲物を取ってくるところから全部一人でできるよ」
「いや、そっちの技能はいらないけど。……まあ、専属の料理人がいるだろうし、給仕ができれば支障ないか。他の家事――例えば、掃除や洗濯はどう?」
「冒険者だし一通りは。けど、掃除は面倒だからあんまりしないかな」
「お前さん……。おなごにしては大雑把そうじゃからな」
「うん、まあね」
呆れるようなガノンドの指摘に、ミスティンはなぜか胸を張った。
「…………」
アルヴァもガノンドもカリーナも、その時には同じぐらい不安げな顔になっていた。
アルヴァにとって、ミスティンは愛すべき親友である。親友だが……本当にこの人選でよかったのだろうか。
「もしかして、メイドさん?」
アルヴァの胸中をよそに、ミスティンもガノンドの意図を察したようだった。
「うむ。現在、元老院の連中が城内に詰めているようだからな。使用人の募集もあるに違いあるまい」
親族、秘書、護衛、召使い……。通常、貴族というものは多くの人を伴うものだ。そうして、人が増えた城内では使用人もまた増やす必要がある。ガノンドの作戦はそういうことだろう。
「使用人なら私もやったことあるし、ちょっとぐらいなら教えられると思うよ」
カリーナが言えば、ミスティンも乗り気で頷く。
「うん。じゃあ、やってみる!」
「ならば、服装については私が手配しておきます。使用人服と旅装の両方を用意しておきましょう。ガノンド先生も同様でよろしいですか?」
「うむ、それでお願いしますじゃ」
「えっ、おじいちゃんもメイドさんやるの!? ソロンならともかく、おじいちゃんには無理だよ!」
ミスティンが真剣に驚いていた。どうやら、本気で言っているようだ。
「……姫様、くれぐれも男性用の使用人服をお願いしますぞ」
念を押すように、ガノンドはアルヴァのほうを見た。
「言われなくとも」
*
準備は整い、翌朝がやって来た。
場所は人気のない市庁舎の一室である。
旅立とうとする三人を、アルヴァは見送りするところだった。隠密の任務であるため、自分以外に見送りの姿はない。
「あんまりかわいくないね」
部屋に据えられた鏡を見ながら、ミスティンが感想をもらした。
ミスティンはいつも後ろでくくっていた髪をほどき、背中へと流していた。こうして見れば、アルヴァに劣らず長く美しい髪である。
もっとも、目的を考えれば余り華やかなのは好ましくない。飾り気のない旅装の上に、マントを羽織って印象をごまかしていた。
「それは我慢してください。人目を引かないための服装なのですから」
「けど、あんたも綺麗な髪してるねえ」
流れるような金髪を見て、カリーナは感心してみせた。彼女のほうも、ミスティンと同じように質素な旅装をしていた。
例によってウサギの耳は目立つが、亜人の奴隷を連れること自体はさして珍しくない。当人は不満だろうが、問題にはならないだろう。
「アルヴァには敵わないけどね」
と、謙遜したミスティンだったが、ふと思い当たったらしく。
「――ああ、でもソロンもこっちのほうが好きなのかな。今度会った時のため、髪型変えてもいいかも」
「……それは本人に聞かないと分かりませんね。ただ、私はいつものミスティンも好きですよ」
「えへへ、ありがと」
アルヴァがいつものように応えれば、ミスティンもいつものようにはにかんだ。
そんな二人のやり取りを、呆れるような顔でガノンドが眺めて。
「いや、そんなことより髪は頭巾で隠したほうがよさそうじゃな。そのほうが男どもの目にはつかんじゃろう」
「そう? そこは大事なんだけどなあ……。でも、おじいちゃんがそういうなら」
ミスティンは渋々ながら、助言に従うことにしたようだ。しばらくは相方として行動を共にする以上、意見は尊重するらしい。
それから、ミスティンはガノンドの服装をまじまじと見つめて。
「けど、おじいちゃんはあんまり代わり映えしないね」
ガノンドも同じように、飾り気のない服装をしていた。もっとも、公爵時代の彼と比較すれば、大抵の服装は貧相もいいところである。何もせずとも、十分な変装となっているのだった。
「わしは裏方じゃし、こんなもんじゃろ。表に出る仕事は、ソロンとナイゼルに任せておったからの。それに随分と歳を喰ったし、昔の知り合いと会っても気づかれる可能性も低かろう」
「それはそれで寂しいねえ」
と、カリーナは父を哀れむ。
「まあの。しかし、今はそのお陰で役に立てそうじゃ」
ガノンドはしみじみと返事をしたのだった。
別れ際の雑談が終わり、いよいよ出発の時刻が近づく。
人目につかぬよう、日が昇りきらないうちに市庁舎を出発せねばならない。
「ソロンに続いて、あなたまで危険な場所へ送るなんて……」
感傷に浸らぬよう自分を律していたアルヴァだったが、ここに至って気持ちを抑えられなくなってくる。
「いい成果があったら連絡するから」
ミスティンは努めて明るく応えてくれる。
アルヴァはそんなミスティンをしかと抱きしめた。同性なので、ソロンの時よりも遠慮がない。
「本音を言えば、心配で仕方ありません。私の権限で取りやめさせようか、何度も逡巡しました」
「大丈夫だよ」
ミスティンは根拠もなく楽観的に言って、アルヴァの背中へと手を伸ばした。いつものように不安さを全く感じさせない調子である。
「ううむ、これが耽美というヤツかのう」
「ほんと、仲いいよね」
その傍らから、ガノンドとカリーナが二人の抱擁を眺めていた。
「じゃあ、行ってくる!」
ミスティンはアルヴァから体を離し、市庁舎の扉を開いた。
ガノンドも歳に似合わぬ健脚で、カリーナも軽い足取りでそれに続いたのだった。