遺跡の罠
「この奥なら、機兵もやって来ないんじゃないですか?」
ソロンが扉に駆け寄りながら、アルヴァに言った。
「そうですね。まずは開くかどうか確認しましょう」
当然ながら古い扉である。最悪、壊れて開かなくなっている可能性も考えなければならない。
ソロンが扉に触れて動かそうと試みるが。
「……ダメです。押しても、引いても、横に滑らせてもビクともしません」
「俺達も手を貸そうか」
後ろに付いてきていた兵士や冒険者も力を貸してくれる。それでも、わずか足りとも動く気配がなかった。
「陛下。本当に扉なんですかね、これ? 壁を見間違えただけだったりして」
ソロンが疑問を漏らした。
「ふうむ……」
アルヴァは蛍光石のブローチを掲げて、扉を照らした。すると、何かの紋様が描かれていることが判明した。
紋様とは魔法物質に印を刻むことで、その力を制御する仕組みである。この扉らしき物にも、何らかの魔法的なしかけがあるかもしれない。
「これは……魔法感応式の扉ではありませんか? 最も簡単な形式なら、一定以上の魔力を流せば反応するはずです」
と、言いながらアルヴァは扉に手を触れた。
どうやら実際に魔力を扉に流しているようだ。
扉の紋様が淡い光を放ち出し、暗い通路を照らし出す。
「おお、正解みたいですね」
それを見たソロンが声を上げた途端――
扉が意外な反応のよさで回転し、アルヴァが向こう側に引きこまれた。
「ひゃっ!?」
「陛下!?」「アルヴァネッサ様!?」
アルヴァが悲鳴を上げれば、続いて皆も一斉に声を上げた。
ソロンも慌てて扉に触れて、同じように魔力を流し込む。
たちまち扉が回転し、ソロンも向こう側に引きこまれた。勢いのよい回転に押し出されて、向こうにいた人物にゴツンとぶつかる。
「きゃあっ!?」
本日、二回目の悲鳴。
ソロンはこの人でも、こんな悲鳴を上げるのだな――などと密かに感心しながらも謝罪する。
「ごめんなさい……大丈夫ですか?」
「ええ、何とか……」
顔を上げてみると、目に入るのはアルヴァの胸元から放たれる光だけ。
それもそのはず、ランプを持っていた仲間は扉の向こう側なのだ。今や彼女の蛍光石だけが唯一の光源だった。
こうなっては後の祭りである。
アルヴァが扉に魔力を流し込み、開くかどうか試してみるが――
「こちらからは開かないようです。……すみません、私の不注意でした」
アルヴァが意気消沈して、ソロンに謝った。
「だ、大丈夫ですよ。それより――」
ソロンはアルヴァを慰めながら、扉に顔を近づけた。
「――そっちに魔法を使える人はいませんか!?」
そうして、扉の向こうへと呼びかける。
魔道士がいれば、向こう側から扉に魔力を流せばよいだけだ。孤立することはない。
少し間があってから、返事が戻ってきた。
「すまん。一人もいない。魔法が使える者はみんな、あっちで機兵と戦ってる」
「……そうですか。でしたら、こっちはこっちで何とかしてみます」
申し訳なさそうな兵士の声に、ソロンも落胆を隠して返事をした。
さっきは思わずアルヴァの後を追ってしまった。だがそのせいで、向こうには誰も魔法を使える者がいなくなってしまったのだ。
後ろを振り向けば、アルヴァがさらに悄然としていた。
「――ごめんなさい。そもそも僕が落ち着いて、みんなを連れてくればよかったですね……」
「いえ、そもそもが私の失態ですから……。あなたは気にしないで」
そう言ってから、彼女は扉の向こうに呼びかける。
「――少なくとも、こちらには機兵がいないので安全です。そちらの皆さんは、他の方々を助けに向かってください」
ソロンはとりあえず、この人を孤立させなかっただけ、マシだったかなと思い直した。
改めて辺りを見回せば、この辺りは広い通路になっている。今までとは雰囲気が違っていた。
「陛下、ここで待ちますか? ミスティンが来てくれたら、助かるんですけどね」
ソロンの提案に、アルヴァは首を横に振って。
「いいえ、他の道を探してみましょう。戻る道があれば、皆を助けに向かえますから」
「分かりました」
ソロンもそれに同意し、先へ進む決意を固めた。
*
二人きりで静かな地下通路を歩き続ける。
大勢の仲間達がいなくなったため、二人の足音だけが寂しく鳴り響いていた。
たちまち気まずくなったソロンは、何か話題を振ろうと悩み出した。しかしながら、相手が相手である。迂闊なことを言って、逆鱗に触れてはならない。
仕方なくキョロキョロとソロンは周囲を見回すが、岩壁が続くばかり。元の場所に戻れるような扉は見当たらない。
「……ですが、これで可能性が高まりました。この地下に杖が隠されているに違いありません」
少し進んだところでアルヴァが話を始めた。消沈していた彼女も、いくらか気を取り直したらしい。
「どういうことですか?」
「言葉通りです。このような罠があること自体、ここがただならぬ場所である証拠です。日常的に使うような施設なら、罠などしかけるはずもありませんから」
罠にかかっても彼女は決してめげなかった。この執念にはソロンも呆れるやら感心するやらである。
そうして、ひらけた道をアルヴァが迷いなく進んでいく。
けれどこの遺跡では、またどのような危機が襲ってくるか分からない。ソロンは少し心配になって声をかけた。
「僕が前に出ますよ。あなたは帝国にとって、代えがきかない人なんですから」
もっとも、ソロンにしても故郷を救えるのは、自分だけだと使命感を持っている。その意味では、ソロンだって代えがきかない人間なのだ。
それでも、そう口にしたのは勇敢なアルヴァの無鉄砲さが、気懸かりだったからである。
「代えがきかない――ですか。残念というか幸いというか、私だって唯一無二ではありません。死んだところで、帝国の土台は揺らぎもしないでしょう」
ところが、その彼女から意外な答えが返ってきた。
「だけど、あなたは皇帝なんでしょう? この国で一番の権力者で……」
「皇帝というのは、帝国という体系の一機関に過ぎません。皇帝が崩御すれば、元老院が次の皇帝を選出するだけ……。私自身は百年も経てば、短命な皇帝の一人として、歴史書の片隅に載る程度でしょう」
そう率直に語るアルヴァは少し寂しげに見えた。
それから、こう付け足した。
「――そもそも、慣例に従えば私は皇帝になれなかったはずですから」
「えっ、どういうことですか?」
意外な言葉に、ソロンは彼女の顔を凝視してしまう。
「皇帝が崩御した際に皇太子が定まっていなかった場合、通常は男子が優先されるのです。私には立派な従兄がいるので、本来なら彼が戴冠すべきでした」
「それじゃあ、どうしてあなたが?」
「さあて、それは元老院のみぞ知るところです」
と、アルヴァはどこか投げやりに答えた。
「――大方、与しやすい小娘とでも考えたのでしょう。強い指導力を発揮した父の時代、相対的に彼らの影響力は縮小したわけですから」
「なるほど、そういうことだったんですか……」
ソロンはようやく納得した。
どうやら、ソロンの故郷よりもよほど複雑な論理が働いているらしい。
「ですから、私はそれ以上を成し遂げるために力が欲しい。多少の危険は承知の上です」
この女性は計算高いようで、案外正直なところがある。
それでソロンも少しだけ、アルヴァという人物のことを理解できた。結局は彼女も、自分の生きる価値を見出すために必死なのだ。
「でしたら言い方を変えます。僕はあなたが心配だから。勇敢なのは結構ですが、もう少し自分を大事にしてください」
ちょっと生意気だったかな――とソロンが気にかけていると、アルヴァが口を開いた。
「お気持ちだけは、ありがたく受け取っておきましょう。ですが、あなただって故郷のため、懸命に努力しているのでしょう? 私のために命を賭けることはありませんよ」
帝国人でもないソロンが、自分のために無理する必要はない。そういう意味だろう。
「それでも、仕事として引き受けた以上は任せてください。雇い主を危険にはさらしたくありませんから」
そう言ってソロンが前に出た。
それ以上は彼女も何も言わなかった。
*
やがて、二人の前に重々しい岩の扉が現れた。
扉にはやはり紋様が刻まれている。
「先程と同じしかけでしょうか?」
と、またもアルヴァが扉へと近づこうとする。……が、その腕をソロンがすかさずつかんだ。
「ちょっと待って!」
「……慌てなくとも大丈夫ですよ。先に確認するだけです」
アルヴァは至って落ち着いたまま応えた。
「だったらいいんですけど……。あっ、ごめんなさい」
ソロンは慌てて手を放したが、今度はそれをアルヴァがつかみ返す。
「これならまた扉が回転しても、はぐれることはないでしょう。それでよろしいですか?」
「……分かりました」
罠が心配だったが、彼女はあくまで先に進むつもりのようだ。ソロンも仕方ないと覚悟する。
アルヴァが扉に手を触れれば、紋様が光り出す。
扉は回転するのではなく、横へ滑るように開いた。
拍子抜けして中を覗けば、広大な空間が広がっている。
二人で手をつないだまま足を踏み入れれば、後ろの扉が音を鳴らして閉じてしまった。
「やはり、罠でしたか……」
今回は冷静にアルヴァがつぶやく。この程度の罠は二人とも承知の上だった。
「静かに……!」
ソロンはアルヴァを手で制して、耳を澄ませた。
重い物を引きずるような音を鳴らしながら、何かが動く気配がする。部屋に入ったことに反応して、何かが動き出したのかもしれない。
ソロンはとっさに、天井から垂れる木の根に向かって刀を向けた。
木の根に火球が着弾し、炎が上がる。
広い部屋が少しずつ照らされていく。光源がアルヴァのブローチだけでは、いざという時に対応できないと判断したのだ。
「あれは……!」
ソロンは静かに指差した。
燃える根の下に照らされたのは、床に転がった黒い機兵だった。ただし、先程戦ったものより何倍も巨大である。
機兵はゆっくりした動作で起き上がろうとしていた。