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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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大公と枢機卿

 まだ日の昇りきらない早朝、オトロス大公はいつもの如く眠りについていた。


 ここはネブラシア城の三階にある貴賓(きひん)室。オトロスが城を占拠した際に、居室にと選んだのだった。

 一人用としては不必要なほどに室内は広く、飾りつけの意匠も優れていた。そこいらの貴族なら、豪華絢爛(ごうかけんらん)と口をそろえて褒めそやすだろう。


 ……が、あいにくオトロスは大貴族である。この程度の部屋を手に入れた程度では満足できなかった。

 本当なら皇帝の居室を接収したいところだが、まだ早い。あまり欲を出しては無用な反発を招いてしまう。元老院の連中に、付け入る隙を与えるべきではないのだ。


 と、そこへ居室の扉を叩く音がした。


「閣下、オトロス閣下!」


 声は馴染み深い執事のものであるが、その声には激しい動揺が混じっていた。


「む、なんだ……」


 普段ならまだ数時間は眠りについているところである。渋々ながら、オトロスはベッドから起き上がった。寝間着のままで、扉を開ける。


「閣下! デモイ将軍が敗れたそうです!」


 扉を開けるやいなや、執事は非礼を詫びることなく言い放った。


「な、なんだと……!? デモイの奴、死におったか……!」


 オトロスの表情は凍りついた。眠気も一息に吹き飛んでしまった。

 敵に二人の将軍がいるとはいえ、兵力ではこちらが上回っていた。だからこそ、今回の戦いはデモイに任せて、オトロスは惰眠を(むさぼ)っていられたのだ。


「それが、上帝軍によって捕らえられたと!」

「小娘相手に生け捕りとは、恥さらしめ! せっかく、軍を任せてやったというのに、口ほどにもない!」

「は、はあ……」


 執事はどう答えたものかと、困惑しているようだった。もっとも、オトロスにしても何か返事が返ってくるとは期待していない。


「何をしている早く着替えさせろ! それから、ビロンドを執務室へ呼び出しておけ」


 気を取り戻したオトロスは、悪態をつきたい気持ちを抑えて指示を飛ばした。

 執事の後ろに控える召使いが、オトロスの衣服に手をかける。大貴族たるオトロスにとって、着替えは召使いの仕事である。それはこの非常時にも変わりなかった。


 着替えを済ませるや、オトロスは執務室へと急いだ。


「お呼びですかな、大公閣下」


 そこで待ち受けていたのは、赤いマントを羽織った中高年の男だ。帝国十将軍の一人ビロンドである。


「デモイが小娘に敗れた。以降、軍はお前に任せたい」


 オトロスは担当直入に言った。

 明確に味方といえる将軍は三名。その内の一人、ソブリンはネブラシア港の雲軍基地に駐在している。デモイがアルヴァネッサに敗れた結果、陸の防衛を一任できるのはビロンドしかいなかった。


「順当ですな。それでは私が軍を率いて、アルヴァネッサに挑みましょうか? 恐らく、敵はカトバを狙ってくるでしょう」


 冷静な口調ながらも、ビロンドはわずかに目を細めた。競合が減ったことをほくそ笑んでいるのだ。


「いいや、帝都の防衛を固めてもらいたい。あの小娘のことだ。どうせ早期決着を狙ってくるだろう。そこを(くじ)いてやるのだ。カトバ如きはくれてやっても構わん」

「さすがは大公閣下ですな。思い切りがよい」


 いつものようにビロンドは追従してみせる。決して実力がないわけではないが、こういう小物じみたところは残念なようにも思う。


「頼んだぞ。昼夜を問わず監視させ、敵の動きを見逃すなよ」

「お任せあれ」


 優雅に礼をして、ビロンドは退出していった。

 その背中を見送ったオトロスは、まだ呼ぶべき相手がいることを思い出した。


「次だ。枢機卿(すうききょう)を呼べ!」


 オトロスは再び執事に向かって怒鳴りつけた。

 執事はそれに従って、急いで別室へと走っていく。



「閣下、何のご用でしょうか?」


 呼ばれてやって来た人物は、大公とは対照的に落ち着き払っていた。ゆったりとした足取りで、オトロスのそばへと歩み寄ってくる。

 全身に赤い衣をまとっており、その顔も目深なフードに隠れている。声や体型、わずかに覗く顔から、性別は女であると判断できた。


「誰も部屋に近づけるなよ」


 オトロスの指示に従って、執事は枢機卿と入れ替わるように外へ出た。内密の話をするため、見張りをさせる必要があったのだ。

 それから、オトロスは枢機卿へと視線を移す。


「――何の用だと! あの小娘がデモイを破ったそうだ。お前達の計画によれば、上帝は帝国に戻って来ないのではなかったか!?」


 オトロスはまくし立てるように、枢機卿へ迫った。


「ほう、それはそれは……。さすがはアルヴァネッサ陛下ですね。獣王を破り、デモイ将軍を破り、こうも短期間で帝都へ迫るとは見事というしかないでしょう」


 枢機卿は穏やかな口調で、他人事(ひとごと)のように語った。なぜだか、この女はドーマの出来事について顛末(てんまつ)をつかんでいるらしい。

 その態度が、オトロスの頭に火をつけた。


「見事もクソもあるか! そもそも、お前達がドーマで、あの小娘を始末する約束だったろうが! 雲海の藻屑(もくず)にするのではなかったか!?」

「閣下。我らは約束通り魔物を放ち、上帝陛下の船団を襲撃しました。ただ運悪く、結果が伴わなかっただけに過ぎません」

「畜生めがっ……」


 大公は忌々(いまいま)しげに枢機卿をにらんだ。赤いフードの下から、うっすらとその目が微笑(ほほえ)み返してくる。


「ですが、多少の計画違いも承知の上でしょう。遠征が成功し、北方の情勢が落ち着けば、皇帝・上帝――両陛下の名声が高まってしまう。北に軍を割く必要もなくなれば、もはや付け入る隙はなくなる。その前に行動を起こすという閣下の決断に、誤りはなかったはずです」

「う、うむ……。それは分かっておる」


 よどみない枢機卿の説明に、オトロスは頷かざるを得なかった。


「実際、閣下は帝都を手中に収めたのです。上界で最も繁栄した都市である帝都を……。既に計画の半分は、達成したも同然ではありませんか?」

「そうだな……だが――」

「それとも、閣下では皇帝陛下や、上帝陛下に敵わないとでも?」


 挑発的な薄笑いを浮かべた枢機卿に、オトロスの顔色は赤く染まった。


「な、何を言うか、俺があやつらに劣るはずなどなかろう。小僧も小娘も、全てを俺の足元にひざまずかせてやる!」

「そう――仰せの通りです。わが教団はあなたこそが、皇帝にふさわしい人物だと信じています。だからこそ、力をお貸ししたのですよ。一昨年には一人の皇帝が亡くなり、昨年にはもう一人の皇帝が追放されました。事が成ったにも関わらず、誰もあなたに疑いを持ちませんでした」

「それについては感謝しておる。だが、小娘は帝国に復帰し、俺はいまだ皇帝になれていない。今回こそが、その仕上げとなるのだ。失敗は許されん」


 少し気が鎮まったのか、オトロスの語調も冷静さを取り戻していた。


「ご心配なく。万が一の時に備えて、我々がついています。カオスの力――あなたもご覧になったでしょう? 何を恐れることがありますか?」


 オトロスは頷いたが、かすかな懸念材料を思い出した。


「ああ……。だが去年、あの小娘が呼び出した神獣は、倒されたではないか?」


 当時、オトロスは帝都を離れており、例の事件を目で見たわけではなかった。だが、死闘の末に神獣は消え去ったという。カオスの化身たる神獣とはいえ、絶対の存在ではないのだ。


「それも、心配無用です。あの神獣が滅んだのは、星霊銀の力によるもの。しかしながら、神鏡も宝物庫も今は閣下が抑えてらっしゃいます。上帝陛下が(あらが)(すべ)はありません」

「ふむ、そういうものか」

「第一、我々は上帝陛下を亡き者とするため、神獣を召喚させたわけではありません。結果的に、帝都へ必要以上の被害を与えなかったのも、閣下の注文通りでしょう?」

「うむ……。支配する帝都がなくなっては俺も困るからな。小娘を失脚させられれば、それでよかった」


 オトロスは枢機卿の説明に納得し、頷くしかなかった。

 今に始まったことではないが、目の前の女が何を考えているか理解できなかった。

 だがそれでも、皇位継承権の低いオトロスが戴冠(たいかん)するには、圧倒的な力を手に入れるしかない。それを成すには、目の前の枢機卿の協力が不可欠だった。


「カオスの力はあの程度ではありません。閣下が揺るぎない意志で、力を行使してくだされば、必ずや事は成就(じょうじゅ)するでしょう」

「分かった。だが、あくまでも最後の手段だ。お前達の魔物は何をしでかすか分かったものではないからな。この戦いには、なるべく帝都へ損害を与えず勝つつもりだ」


 口ではそう言ったものの、大公の本心は違った。

 邪教の力を借りている事実は、できる限り(おおやけ)にしたくない。公然と邪教の力を使う時期は、できる限り先延ばししたい。

 実情はそんなところだった。


「ええ、我々としてもそれで構いません。ですが、時を逃さぬことを願います。ふふっ……」


 枢機卿はそう応え、艶然(えんぜん)微笑(ほほえ)んだのだった。


 * * *


「相変わらず、浅ましいこと……」


 会談を終えて個室に戻った枢機卿は、わずかな疲れを感じて息を吐いた。大公の協力者として重用される彼女は、城内に部屋を与えられていたのだ。

 俗世にまみれた大公は、使命に(じゅん)ずる枢機卿とは正反対の性格である。話していても、必ずしも気分がよいものではない。


「それにしても……」


 気になったのは、帝都に現れた神獣を倒した少年だ。

 人畜無害な見た目の印象とは裏腹に、なかなかの実力者らしい。神鏡の力を借りたとはいえ、神獣が一日も経たず倒されたのは意外な驚きではあった。


 なんとなく気になっていたところ、後日、下界の小国の王子であると耳にした。追放されたアルヴァネッサを救出したのも彼らしい。それ以来、彼女達とも不思議と縁があるようだ。

 それに留まらず、ドーマで獣王を倒したのも彼だと報告を受けている。


 そして、少年も上帝と共に帝国へ戻ってきた。

 ――が、恐らくこちらに来ることはないだろう。王子であるからこそ、故国の危機は無視できないはずだ。

 彼なしでアルヴァネッサがどれだけ戦えるか、見せてもらうとしよう。

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