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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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お互いの祖国を

 ミューンに引き返して数日が()った。


 上帝軍はカトバへの進軍を決定し、翌日にも動き出す予定だった。

 カトバを落とすこと自体はさして難事ではないだろう。だが進軍を始めれば、帝都を奪取するまで引き返せない。それが皆の共通認識であり、軍全体でも緊張が高まっていた。

 来客が訪れたのは、そんな時だった。


 訓練の合間、市庁舎で過ごす休憩時間。

 ソロンはミスティンやメリューと他愛のない会話をしていた。アルヴァが忙しく手を離せないため、三人でいる機会が多かったのだ。

 すると――


「ソロニウス殿と面会を求める方々がいらっしゃるのですが……。広間でお待ちいただいていますが、通してよろしいでしょうか?」


 兵士がそんなことを(うやうや)しく尋ねてきた。


「僕に?」

「そなたに来客とは珍しいな」


 メリューが意外そうにソロンを見やる。


「もしかして……!? 僕から行きますよ」


 兵士の返事を待たずに、ソロンは歩き出した。

 ソロンを指名して会いに来る人物となれば、候補は限られている。はやる気持ちを抑えきれなかったのだ。



「坊っちゃん!」


 市庁舎の広間に出たところで、一人の男が走り寄ってきた。

 灰茶の髪色をした眼鏡の青年。いかにも魔道士然とした草色のローブを身にまとっている。

 ソロンに対して、坊っちゃんなどと呼びかけるのは世界に一人しかいない。……いや、少し前に二人になったのだったか。

 ともあれ、来客は予想に違わぬ人物だった。


「ナイゼル! 脱出できたんだね!?」


 ソロンのよく知る故郷の親友――ナイゼルはいつにない真剣な面持ちだった。


「ええ、父さんも姉さんも来ていますよ」


 と、ナイゼルが後ろへと手をかざす。

 そちらを見れば、矍鑠(かくしゃく)と追いかけてくる老人の姿。さらにその後ろには亜人の娘が続いていた。

 ナイゼルの父ガノンドと、その娘のカリーナだ。


「全く……。わしを置いていくでない」


 ガノンドは息を切らしながら、ナイゼルへと苦言を呈した。

 息子と同じ灰茶の髪は加齢によって白さを増している。それでも六十を過ぎた年齢を考えれば、豊かなほうだろう。こちらも歴戦の魔道士らしく、茶色いローブをまとい、腰に杖を挿していた。


「親父さん。別に無理して走らなくてもいいんだよ」


 と、後ろを歩くカリーナがガノンドを気遣った。

 ウサギの亜人――人兎(じんと)の母を持つカリーナは、母譲りの薄紅色の髪と長耳の持ち主である。こちらは旅慣れた冒険者のような服装で、ナイゼルよりもよほど体力がありそうだった。


「みんな無事でよかった。けど、よくここまでやって来れたね」


 ソロンは顔をほころばせながら、三人へと尋ねた。彼らはそろって、帝都のイドリス大使館に滞在していたはずだった。


「脱出自体は、さほど難しくありませんでしたよ。元より、我々のような小国の者など眼中にないといった感じでしたし。商人に化ければ、あっさりと門を抜けられました。連中にしても、他の町との交易を止めるわけにはいきませんからね」

「そっか、安心したよ。ずっと気になってたんだ」


 ホッと息をついたソロンだったが、ナイゼルは真剣な面持ちで首を横に振った。


「残念ながら、安心できません。坊っちゃん、ラグナイがまたもイドリスに侵攻したそうです」

「なっ!? こんなに早く! それで大丈夫だったの!?」


 胸中の動揺を抑えて、ソロンは故国の安否を問いかけた。


 ラグナイ王国は、イドリス王国にとって不倶戴天(ふぐたいてん)の敵。イドリス北方と国境を接する下界の大国だ。

 ラグナイが前回の戦争をしかけたのは、おおよそ一年前のこと。それによって、ソロンが上界に逃れたのが全ての始まりだった。

 そして、両国が停戦に合意してから八ヶ月。あまりにも早い再侵攻だといえた。


「サンドロスがどうにか追い返したそうじゃ。とはいえ、それも敵の第一波に過ぎぬだろうがな」


 それには、ガノンドが答えてくれた。

 ラグナイはイドリスに比較して数倍の人口を抱えており、軍事面でも常に優勢だった。国王たる兄サンドロスの苦境は、想像するまでもない。


「ラグナイっていうと……。あの何とか教団絡みだよね」


 背中側からミスティンが会話に加わってくる。メリューと二人でソロンの後を追ってきたらしい。


「何とかじゃなくて、ザウラスト教団ね。この前、君の姉さんと話したでしょ」


 ソロンも振り向いて答える。

 ラグナイ王国はザウラスト教を国教として崇めている。怪しげな術を操る彼らの後援によって、ラグナイは飛躍的に勢力を増大させたのだ。


「ほう、ザウラストか……。連中があちらでも動き出したか」


 メリューもこれには関心を持った。

 彼女の故国たるドーマ連邦は、ザウラスト教団との長い対決の歴史を持っている。数ヶ月前のドーマで起こった騒乱は、今も記憶に新しかった。


「ええ、ザウラストの加担は疑いようもありません」


 ナイゼルは銀竜族の娘に、かすかな驚きを見せながらも言い切った。それから、ソロンをまっすぐに見据えて言葉をつむぐ。


「――数日前に、サンドロス陛下の使者とどうにか合流できたのですが、それによれば至急帰還せよと」

「だけど、僕は――」


 ソロンはためらった。

 先日の戦いで実感した通り、ソロンが持つ蒼煌(そうこう)の刀は絶大な力を誇っている。


 今の自分なら、一人で千の軍隊と戦うことも不可能ではない。それも自惚(うぬぼ)れや誇張ではなく客観的に評価してだ。少なくとも、ソロンはそう確信していた。

 単身で力を振るえる柔軟性を考えれば、千の軍隊を大きく上回る利点がある。この先もアルヴァの戦いを優勢へと傾けられるだろう。

 そして、ソロンとしては友好国の一員として、彼女に協力し続けるつもりだった。兄ならば、それくらいは許してくれるだろうと。


 しかし、それもイドリスが平時だからこそ言えるのだ。

 自国の危機を放置して、他国への協力を優先する――そんな行為にどれほどの正当性があるだろうか。


「ソロン」


 思い悩むソロンの背中へと、静かな声がかけられた。

 振り向けば、アルヴァはゆったりした足取りでこちらへと近づいてくる。


「アルヴァ……」


 ソロンはアルヴァと視線を合わせた。

 彼女は物憂(ものう)げな表情でこちらを見つめ返したが、すぐに首を横に振って長い黒髪を揺らした。


「行きなさい、ソロン。ザウラスト教団は大公とつながりを持っていると、セレスティン司祭は言いました。この時期にイドリスへ侵攻したのには意味があるかもしれません」

「…………」


 ソロンは言葉もなくアルヴァを見つめ続ける。


「私なら大丈夫です。お互いの祖国を守りましょう」


 自らも迷いを振り切るように、アルヴァは告げたのだった。

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