デモイ将軍
振り向かずとも分かる声の響き。
イセリアと入れ替わるように、現れたのはアルヴァだった。なぜだか、今日も冷ややかな調子である。
「えっと、こんなところまでわざわざ来たの?」
市庁舎からここまでは大した距離ではない。……とはいえ、わざわざ上帝陛下にご足労いただくにはもったいない。人を遣わせてはいけなかったのだろうか。
「来てはいけませんか? 用事があったので休憩がてら、あなたの顔を見に来たのです」
ソロンのそんな反応に、アルヴァは不満そうに目を細めた。
「いや、いけないってわけじゃ……」
弁解しようとするソロンへと、アルヴァがさっと距離を詰めてくる。
「それより、質問に答えてください。先程は何を話していたのですか?」
「何を――って、イセリア将軍のこと? 前の戦いについてお礼を言われたんだけど……」
「そのわりには、妙に顔を赤くしていたように見えますが。私が仕事をしていた間、あなたは余所の女にうつつを抜かしていたのですか」
「余所の女って、君の部下だよね……?」
よく分からない追及にソロンは戸惑うばかりである。そもそも、ソロン自体が帝国では余所者そのものなのだ。
「…………」
ソロンの指摘に反応することもなく、アルヴァは無言かつ無表情でこちらの腕をつまんだ。
「えっと、痛いんだけど……」
「気のせいです」
ソロンがひっそりと抗議するが、腕をつまむ力は変わらない。
「普通に話していただけだよ」
「ふ~ん」
柄にもなくアルヴァは鼻で返事をする。
「ちょっと理不尽じゃない?」
「さあ」
二度目の抗議にも取りつく島がない。
……これはあれか。ひょっとして、妙齢の女性とは話すらしてはいけないのだろうか。
「それより、何か用事があったんじゃないの?」
埒が明かないと、ソロンは話題を転じることにした。さすがにソロンの様子を見るためだけに、足を運んだとは考えにくい。
「ええ、デモイ将軍のことですが、意識を取り戻したそうです」
「あ、そうなんだ」
「はい。医師によれば今日は無理ですが、明日になれば面会もできるのではないかと。それで、見舞いにでも行こうかなと思いまして」
そう言いながら、アルヴァはつまむ手をゆるめた。もっとも相変わらず手を放す様子はなかったが。
「それじゃあ、僕も行っていいかな?」
見舞いとは言ったが、実質的には捕虜への尋問だろう。ともあれ、ソロンとしても容態ぐらいは見ておきたかった。
「そうおっしゃると思っていました。では、明日になれば声をおかけしましょう」
そこでようやくアルヴァは手を放した。
*
翌日、アルヴァは市庁舎の一室へと足を運んだ。ソロンも約束通りそれに同行させてもらった。
質素な個室の中には、ベッドが一つあるだけである。その上には包帯に身を包まれた男の姿があった。
アルヴァを見るなり、包帯姿のデモイは身を起こした。わずかに覗く浅黒い肌からも、火傷の跡が垣間見えている。
敗軍の将となった彼は、ミューンの市庁舎へと運び込まれたのだった。
負傷者の多くは修道院に収容されているはずだが、敵将となれば特別待遇らしい。上帝軍の本拠であるこの使節が、尋問にも便利だと考えたのだろう。
「難儀なようなら体を起こさずとも構いませんよ」
アルヴァは敗軍の将へと自ら歩み寄った。ソロンもピッタリとその横に張りつく。
今は見張りの兵も外してあり、護衛はソロンだけである。
「いや結構です。それにしても、ここまで酷くやられるとはな……。これでも戦には自信があったのだが……」
デモイは表情をゆがめながらも、ふてぶてしく口を開いた。
「実際、賞賛に値する戦いぶりだったかと思います。ただ、相手が悪かったのも確かですわね」
と、アルヴァは並んだソロンを指し示した。
「えっと、痛みますか?」
ソロンが尋ねれば。
「痛いかと問われれば痛いな。全身がヒリヒリしてたまらん。まあ、これしきのケガ、武人にはつきものだ。それよりも、あんたが蒼炎の使い手か」
デモイは痛みを感じさせない余裕のある喋りで答えた。それから、まじまじとソロンの顔を見る。
「ええ、まあ……。イドリス出身のソロニウスと言います。一応、加減はしたんですけど、元気があるようならよかった」
相手はつい先日まで殺し合いをしていた対象である。とまどいながらもソロンは頷いた。
「殺し合った相手を気遣うとは大した余裕だな。しかし、イドリスと言えば……。あんたが下界の王子というわけか? 色んな意味で噂に聞いていたが、これほどの魔剣士だとは思わなかった。いやはや、上帝陛下はお目が高いな」
デモイはイセリアと同じような賞賛を浴びせてくる。意外にソロンの注目度は高いのかもしれない。
「そうでしょう」
と、アルヴァもどこか誇らかだった。
「はは、どういたしまして。ところで、色んな意味とはどういう?」
相手の賞賛よりも、ソロンが気になったのはそこだった。帝国人からしてみれば得体の知れない下界人のことである。余計な注目を浴びぬよう気を配っていたつもりだ。
「ああ、それは……」
アルヴァは困惑したようにつぶやき、ソロンの腕をつかんだが、
「上帝陛下と仲が良いともっぱらの評判だな」
デモイはすかさず言い放った。その口調にはどことなく、一矢を報いようとする意地悪さが感じられた。
「……そうなの?」
と、ソロンは隣のアルヴァへと視線を向ける。さすがのソロンも、『仲が良い』の意味を察せられないほど子供ではない。
「そうらしいですわね。色々と連れ回してしまいましたし、分からなくもないですが……」
苦笑気味にアルヴァは答えた。
「えっと……もしかしてまずい?」
「何がですか?」
きょとんとアルヴァは紅い目を見開く。
「噂とか広まっちゃうと。いや、君って何かと難しい立場だし……」
「よく分かりませんが大丈夫でしょう。そもそも独り身ですし、政略結婚の類も今は考えていません。噂を立てられて、不義となったりもしないでしょう」
歯切れの悪いソロンの発言だったが、意図は何となく伝わったらしい。
「だったらいいんだけど。てか、やっぱり政略結婚とかあるんだね……」
「ありますよ。地盤を固めるには手早い手段ですから。もっとも、私は一度退いた身ですし、しがらみに縛られるつもりもありません。……まあ、今はそんな状況でもないでしょうけれど」
「そうなんだ」
とりあえず、ある日どこかに嫁いでいたという事態はなさそうである。密かにソロンは胸をなでおろした。
「……若い者はよいですな。昔はうちも、夫婦仲は悪くなかったんだが……」
脱線していく二人に、デモイは何やら遠い目で苦笑していた。一人合点した体である。
「雑談はさておき、本題に入りましょうか」
アルヴァはわざとらしい咳払いをして、話題を変えた。そもそも訪問の目的は捕虜の尋問なのだ。
見舞いは終わった。ここから先、ソロンが同席する必要はない。しかしながら、下がれとも言われていなかった。
ケガ人とはいえ、目の前の男は敵である。彼女に危害を加える可能性を無視できない以上、ソロンも黙って同席を続けた。
「ふむ」
デモイも覚悟を決めたらしく、口元を引き締める。
「どうして、オトロスに加担したのですか? あなたは皇帝陛下の下で、将軍という地位を得ていたのでしょう?」
「オトロス閣下は俺を大将軍に――と約束してくれたのでね」
一切のためらいもなく、デモイは言い放った。
「あなたはそれを信じたのですか? 他の将軍にも同じように声をかけていたと思いますが」
「俺とてそれほど愚かではない。だが、競合を黙らせるほどの成果を上げればよいのだ。例えば、あなたを討ち取る――なんてな」
デモイはこの期に及んでも不敵に笑ってみせた。
「随分と向上心がおありのようですわね」
「男子たるもの上を目指したいと思うのが普通でしょう。おっと……あなたには難しかったかな?」
デモイは野心を隠そうともせず、皮肉を放つ。アルヴァが血筋で皇帝になった女であることを揶揄しているのだろう。
心中でハラハラするソロンだったが、横目で見たアルヴァは至って平静だった。
「いいえ。私は女ですが気持ちは分からなくもありません。それから皇帝は最上の地位とはいえ、目指す上がないわけでもありません」
偉大な祖先に並ぶ皇帝に……。アルヴァもかつてはそのようなことを考えていた。だから、デモイの気持ちが分かるという言葉に偽りはないのだろう。
デモイは「ククッ」と笑って。
「なるほど。思慮の足りない発言であったと詫びねばならぬようだ。それから、付く相手を見誤ったのも事実だろう。さて、首をはねるなりなんなりするがいい」
「不要に同国人を殺める趣味はありません。それに何よりも、あなたの処遇を決めるのは、皇帝陛下のお仕事ですので」
「ふむ、好きにしなされ」
「それより、大公軍の内情について話してみませんか? さすがに、将軍ともあろう方……それも怪我人を拷問したくはありませんからね」
アルヴァの口調は至って穏やかだったが、内容までもそうとは限らない。つまりは話さねば拷問する――とも読み取れる。
それにデモイは動じもせず、どこか投げ遣りな調子で答えるのだった。
「話せることならば話してもよいが……。あいにく、俺は武人なのでな。政治屋どもの事情までは詳しくない」
「それで結構です」
どうやら交渉はうまく運んだらしい。アルヴァはいつものように、満足そうな微笑を浮かべていた。