走る蒼炎
「むっ……?」
不審に思ったのか、デモイはこちらから視線を外した。
イセリアもデモイの攻撃を警戒しながら、どよめきの正体を追う
そこで目にしたのは、大公軍の兵士達が青い炎に飲み込まれる姿だった。
それも一人や二人ではない。炎が飲み込んだのは十を超える兵士達だ。
炎の向こうから現れたのは、たった一人で戦場を突き進む少年の姿。
大公軍はそれを遮ろうとするが、
「邪魔するな!」
少年が一喝し、剣を一振りすればまたも蒼炎が巻き起こる。猛烈な炎の勢いに、大公軍の兵士達は近づくことすらままならない。
「彼はまさか……!」
イセリアは思わず声をもらした。
赤髪の少年――上帝の側近として常に従っていた少年だ。少女のようにあどけない顔つきとは違って、その実力は確からしい。
奇妙に曲がった魔剣を振るい、少年は戦場を焼き払う。魔力を帯びた蒼炎は、草木を一瞬で焼き払うが、不思議と引火することもない。
そうしながらも、驚くような勢いで丘陵を駆け上ってくる。その速さは騎馬の如く――まさしく、走るというよりは駆けるという表現がふさわしかった。
「命拾いしたな」
デモイはイセリアへと言い放ち、走り寄ってくる少年へと目をやった。少年の勢いを目にしては、イセリアに構う余裕もないと悟ったのだろう。
* * *
アルヴァの本隊と共に、ソロンはイセリア隊の救援へと向かっていた。けれど、デモイの接近は予想以上に速かった。
デモイは崩れかけていた自軍を立て直し、瞬く間にイセリアとの一騎討ちへ持ち込んだのだ。
正直なところ、二人の力量差は明白。遠目にもイセリアは不利だった。援軍がたどり着くよりも前に、イセリアが追い込まれてしまいそうだ。
そう思い立ったソロンは、単身で馬も捨てて走り出していた。騎馬を駆りながら戦う二人の将軍を、ソロンは自らの足で追いかけた。
無謀かと思える突撃である。
当然、邪魔をしてくる敵兵もいたが、それは問題にはならない。蒼煌の刀の前には、雑兵など無力でしかなかったのだ。
ソロンが軽く一振りするだけで、何人もの兵士が蒼炎に飲まれていく。
「これ、人間相手に使うのは反則かもな……」
それこそ、ソロンは自らが操る力の大きさに冷や汗をかいていた。
試したことはないが、本気で力を放てば敵兵など骨も残さず蒸発させられるだろう。この刀はそれだけの力を秘めているのだ。
以前、刀を振るった時にはザウラストの魔物や、魔物化した獣王が相手だった。容赦なく力を振るったし、そうでなければ生き残れなかった。
ところが、今の相手は正真正銘の人である。それも謀反人とはいえ同盟国に所属する者達だ。
強大な力を振るうには、それだけの責任が伴う。ソロンはそれを実感せざるを得なかった。
ともあれ、力の行使を躊躇して味方を見捨てるなどあってはならない。今はデモイを倒し、イセリアを助けることに専念するのだ。
*
そうして、ソロンは二人の将軍の姿を眼前にした。
馬上からソロンをにらむデモイに対して、イセリアは地に体を横たえている。
勝負が敵将の勝利に終わったのは明白だった。あと一歩遅ければ、イセリアは首を取られていたことだろう。
ソロンはデモイに視線を据えながら、イセリアを守るように駆け寄った。
「イセリア将軍、危険だから下がっていて。……歩けますか?」
どうにか起き上がったらしいイセリアを横目で確認し、声をかける。
「ああ、かたじけない。私のことは心配に及ばない」
イセリアはしっかりと返事をして歩き出した。敵兵を警戒しながら、じりじりと引き下がっていく。そこへ部下の兵士達も助けに寄ってくる。彼女のことは、後は彼らに任せておくべきだろう。
……となれば、残るは目の前の敵を倒すのみ。
敵将デモイの周囲には、いつの間にか兵士が集まっていた。いずれも杖を持って構える魔道兵だ。デモイがソロンとの戦いに備え、集めたようだ。
「俺を援護し、炎から守れ!」
デモイは無駄口も叩かずに部下へと告げた。
自らの力だけでは、ソロンの炎を防げないと悟ったのだろう。こちらを少年だと侮る気配がないのは、さすがの帝国将軍といったところだ。
「はっ!」
ソロンが動くよりも前に、デモイは大剣を振り下ろした。
地を斬り裂く衝撃波が伸び、ソロンの足元を砕こうとする。
崩れた斜面に巻き込まれないよう、ソロンは跳んだ。
軽い身のこなしで、デモイに捕捉されないよう位置を変えていく。馬に頼らないソロンだからこそ、足元への攻撃も身軽に回避できた。
こちらの反撃を待つことなく、デモイは次々と大地を斬り裂く連撃を繰り出してくる。
どうやら、時間をかけるつもりはないらしい。後方にアルヴァの本隊が迫っていることを考えれば、当然の判断だろう。
幸い、デモイの魔剣は兄サンドロスの扱う大刀に類似している。繰り出す攻撃も予想の範疇だ。
離れた大地を瞬時に操作する凶悪な魔法――デモイの攻撃は、素人目にはそう見えるかも知れない。
けれど実際のところは、目に見えない魔力の糸のようなもので、大地を操っているに過ぎない。魔力の流れを読めば、敵の狙いも予想できるのだ。
これは師匠シグトラとの訓練で、徹底的に教え込まれたことでもあった。
ソロンは跳び上がりながら刀を一振り。
蒼炎が腕を伸ばすように、デモイへと襲いかかる。
「将軍を守れ!」
そうはさせじと、敵の魔道兵が風を巻き起こした。向かい風に阻まれて、蒼炎が散っていく。
どうやら、敵軍の中でも優秀な魔道兵が集まっているらしい。見ればそれが全部で五人もいる。守りを突破するのは容易ではなさそうだ。
それでも、蒼煌の刀の力を使えば押し切れるかもしれない。消耗はするだろうが、試す価値はあるはず――ソロンがそう考えていると、
「ソロン!」
遠く背後からミスティンの呼び声が聞こえた。まだ、かなり距離を隔てているようだが必死に声を振り絞ったらしい。アルヴァの本隊も、こちらへ近づいてきたようだ。
次の瞬間、魔道兵へ向かって一本の矢が飛び込んでいった。
向かい風に阻まれると思えた矢であったが、そうはならなかった。
風の魔力をまとった矢は、向かい風と目にも見えるような激しい衝突を起こしたのだ。
弾けるような音がして、風は相殺された。
魔道兵は再び、風を起こそうと試みる。だが、その暇もなく魔道兵は手から杖を放り出した。
いや――放り出したのではなく、放り出させられたのだ。彼らにしても唖然とした顔で、何が起こったのか理解していないようだった。
ソロンには分かった。メリューが念動魔法を使って、魔道兵達の杖を奪い取ったのだ。
「ありがと!」
仲間の援護に感謝して、ソロンはデモイへ向かって走り出した。
蒼煌の刀を高く振り上げて、魔力を蓄えていく。そして、接近しながら、一気に刀を振り下ろした。
猛烈な青い炎が、渦巻きながら敵将へと襲いかかる。互いの距離は十歩――逃げ切れる間隔ではない。
「ぐうっ!?」
素早い連携にひるみながらも、デモイはとっさに大剣を振り上げた。巨大な土壁が彼の前面に急造される。
土壁が蒼炎に焼かれ、みるみるうちに溶けていく。
だが、壁がなくなる前にデモイが新たな魔法を重ねてくる。壁は再び強度を取り戻した。
このままでは埒が明かない。もっと接近しなければ破壊は難しそうだ。
ソロンは一瞬だけ躊躇したが――
「いけるっ!」
すぐに意を決して、再び走り出した。
戦場の中で、ソロンの精神は研ぎ澄まされている。今なら、あの魔法も使えるかもしれない。