将軍対将軍
イセリアが自在に操る水流を受けて、敵は戦列を維持できなくなっていた。水浸しになった丘陵に足を取られて、思うように動けないようだった。
当初の兵力では敵より劣っていたものの、戦いは優勢である。このままいけば、勝利は手堅いだろうと思われた。
「イセリア将軍! デモイの本隊が向かってきます!」
戦いに専念するイセリアへと、副官が報告してくる。
「来たか! 全軍、態勢を立て直すぞ!」
ここまでは想定通りに戦いが進んでいる。
だが、問題はデモイがやってきてからだ。自分より経験で上回る先輩将軍――それを相手にどう立ち回るかが、イセリアの腕の見せどころだった。
イセリア隊の右側は川となっている。デモイの本隊がこちらを襲うには、正面の敵に合流するか、左側面を突くしかない。
もっとも、左側にはアルヴァの本隊がいるため、デモイにしてもそちらの警戒が必要となる。たやすく側面を突かれることはないはずだ。
イセリアは水竜の剣を振るいながら、動き出したデモイ隊へと視線を向けた。
戦場の喧騒の中で、自分と敵の位置を見失わないのは至難の業だ。敵将を視界にとらえることができたのは、傾斜のある地形のお陰だろう。
デモイは騎馬隊を率いながら、自ら先頭を疾駆していた。
姿勢を低くしながら、力強く手綱をしごく。その手綱さばきは、やはり相当な実力者であると窺わせた。
彼らが目指す先は、今イセリアが戦っている敵左翼部隊の背後である。
どうやら、こちらの側面は狙わず、正面の敵に合流するつもりのようだ。
「引き下がるな! あんな小娘に負けて恥ずかしくないのか!」
デモイは左翼部隊の背後に取りつき、兵士達を叱咤した。
そのまま兵士の隙間をかき分けながら、前へと進んでいく。
大将直々となる援軍を得て、乱れていた敵軍も士気を取り戻し始める。
水たまりを蹴って飛沫を上げながら、デモイの騎馬は一直線に前衛へ抜け出した。
彼が率いる援軍も、続々と左翼部隊へと合流を果たしていく。いや――今まさに左翼こそが本隊となったといってよいだろう。
その間、イセリアは敵の援軍に備えて、乱戦に陥っていた自軍を立て直したところだった。適度な距離を取ってから、再び敵と向かい合う。
その結果イセリアは、否が応でもデモイと顔を合わせることになった。
帝国人にしては珍しい浅黒い肌。馬上にそびえ立つ長身から、長い黒髪を垂らしている。
長く伸びた大剣を右手に握りしめ、獣が獲物を狙うような目で、こちらをにらみつけてくる。
デモイとは副将軍であった頃に、挨拶程度の会話を交わしたことがある。特段交友があったわけではないが、それにしても、敵として剣を交わすとは思いもしなかった。
「総員、一気に殲滅するぞ!」
デモイはこちらに余裕を与えてくれなかった。仕切り直した自軍を引き連れ、一挙にこちらへ向かってくる。
彼の狙いは一目瞭然。
速攻でイセリアの首を取り、上帝軍右翼を壊滅させる。そうして、アルヴァ率いる本隊と有利な状態で決戦を迎える――彼が勝つにはそれしかなかった。
ならば、何としても自分達がここで踏み留まらねばならない。
「ここが踏ん張りどころだ! 上帝陛下がいらっしゃるまで持ちこたえろ!」
デモイの気迫に押されそうになる自分を、イセリアは必死に押しとどめる。精一杯の気力を振り絞り、大声で号令を放った。
突撃をしかける敵騎兵に向けて、イセリアは細身の剣を振り下ろした。
地面に染み込んだ水分が凝縮され、槍のように鋭い水砲が放出される。
足元からの予測できない攻撃が、敵の騎兵に直撃する。馬から振り落とされた敵は、水浸しの地面へと横たわった。
だが、イセリアの優勢もいつまでも続くものではない。
倒れた敵兵の後ろから、デモイ自らが騎馬を駆って向かって来たのだ。
「イセリア将軍を守れ!」
接近を防ごうと、味方の騎兵達がデモイの前に立ちふさがる。
「ふんっ!」
デモイが馬上で大剣を振り上げれば、鋭い土柱が地面から突き出した。
馬の腹を貫かれた騎兵は、振り落とされて地面へと落下した。
「――はあっ!」
デモイが息を吐いて大剣を振り下ろせば、今度は地面が陥没する。
もう一人の騎兵も足を取られ、戦場に転げ落ちるしかなかった。
デモイが持つのは大地の魔剣――土の魔導金属で作られた大剣である。噂には聞いていたが、実際にその技を見るのは初めてだった。
守る者がいなくなったイセリアへと、デモイがまっすぐに接近してくる。
「イセリアよ、悪いがその首頂戴するぞ! 女とて戦場では容赦せんからな!」
そうして、デモイはイセリアへと挑みかかったのだった。
「やれるものならやってみるがいい!」
イセリアはそう言い放ち、騎馬を走らせ距離を取った。
真っ向からぶつかるのではなく、併走しながら戦うことを選んだのだ。
かくして、将軍対将軍の一騎打ちが始まった。
*
イセリアは騎馬を駆りながら、追ってくるデモイの動きを注視していた。
なんといっても、気をつけねばならないのは大地を操る魔剣だ。地面からの攻撃は死角に等しく、油断すれば一瞬で騎馬をやられてしまう。
恐らく、地面を操作できる距離には制限がある。例えば、何十歩も離れた地面を陥没させることは難しいはず。それはイセリアの魔道士としての経験からも確かだ。
対するイセリアの魔法は水である。
一般的に水魔法は、戦闘での扱いが難しい系統といわれている。
不可能を可能にするのが魔法とはいえ、無から有を生み出す術は困難。特に水のように質量を伴うものを顕現させるのは難しいのだ。
質量のないものを扱う炎や雷は元より、空気を扱う風魔法や、大地を扱う土魔法にも使い勝手は劣りがち。
空気中にも水分はあるが、それにしたって量には限りがある。結局は、戦場を選ぶのが常だった。
しかしながら、今この近くには川が流れている。わざわざ、そのためにイセリア自身が布陣したのだから。
事前に川の水をばらまいたのは、戦場の湿度を高める狙いもあった。今ならば、イセリアの水魔法も十全に力を発揮できるはずだ。
「どうした、それでも大将軍の娘か!?」
デモイは巧みな手綱さばきで、イセリアを追ってくる。兵士がひしめき死体が転がる戦場を、ものともしていない。
それでも、すぐに追いつかれなかったのは、自分のほうが身軽で馬の負担が少なかったからに過ぎない。一瞬でも気を抜けば、立ちどころに追いつかれてしまうだろう。
だからといって、イセリアも安々と追いつかれるつもりはない。
振り向きざまに、細身の剣をデモイへと向けた。
剣先から魔光が輝き、鋭い水の刃が放出される。空気中の水分を凝縮した魔法の水鉄砲である。水鉄砲といっても子供のおもちゃではない。やわな鉄ならば貫けるほどの水圧だ。
だが――高速で放出された鉄砲水を、デモイは大剣で受け止めた。呆気なく魔法の水は消えてなくなる。
魔力による魔力の相殺――熟練の魔道士同士の戦いにのみ起こり得る技だった。
続けて、イセリアは騎馬を狙って水撃を放つ。
……が、これも安々とかわされてしまった。なまじ距離を取っているだけに、デモイのような達人ならば回避は容易ということだろう。
「ならば――」
イセリアは手綱をしごき、川に併走するように馬を走らせた。剣へと魔力を集めながら、じっくりと敵との距離を測る。
デモイは川から若干の距離を取りながらも、しっかりと追跡してきた。
「せいっ!」
ここだとばかりに、イセリアは水竜の剣を振り上げた。
そばを流れる川から、大量の水柱が巻き上がり形を作った。その有様は、怒れる竜が鎌首を叩きつけるかの如し。
空中を駆ける激流が、乗馬もろともデモイを飲み込む勢いだったが――
「そんなもの!」
デモイがすかさず大剣を真横に払った。一瞬のうちに大地が隆起し、水流の前に土壁が立ちふさがる。
土壁に衝突した水流は、盛大な飛沫を上げて弾けて消えた。
「なにっ……!」
魔力を込めた大技を防がれて、イセリアの胸中に動揺が走る。
「次はこちらの番だ」
デモイが大剣を軽く振り上げた。
地面への攻撃を真っ先に警戒したイセリアだったが、足元が変化する様子はなかった。
代わりに変化したのは、デモイの近辺だった。土煙が立ち昇り、デモイと騎馬の周囲を包んでいく。
デモイを覆い隠す勢いの土煙だったが、彼の狙いは隠れることではないようだ。
デモイが剣を振り下ろせば、土煙が意思を持つかのように動き出した。風もないはずなのに、こちらへ向かってくる。
吹きつける土煙が、イセリアへと襲いかかった。
「ぐうっ!」
痛みはないが、イセリアの視界がふさがれてしまう。思わず目をつむりそうになったが、それをこらえて手綱を強く握りしめる。
だが、耐えるイセリアとは異なり、馬は平気ではなかったようだ。愛馬がいななき、激しく首を振り出した。
「くっ、落ち着け!」
イセリアは手綱を引き、どうにか馬をなだめようとする。しかし、そうなれば注意がおろそかになるというもの。
乏しい視界の中で、足元に注意を向けた時には遅かった。
地面に走る亀裂に、馬の足が取られたのだ。
一層激しくいななきながら上半身を起こそうとする馬に、イセリアは必死に捕まる。
どうにか転倒は避けたが、馬を思い通りに動かせない。
そこへ迫りくる蹄の音。
気づいた時には、もう敵は目の前だった。
突如、現れたデモイは大剣を横薙ぎに、イセリアへと襲いかかる。
刃と刃が衝突し、金属音が鳴り響く。
どうにか、一撃は剣で受け止めた。……が、こちらの得物は細身の剣である。衝撃を相殺するには余りにも足らない。
イセリアは体勢を大きく崩した。
これ以上は支えきれない。やむなくイセリアは、自ら馬を捨てて飛び降りた。
受け身は取ったが、地面に叩きつけられた衝撃がイセリアを襲う。
「勝負あったな。命が惜しくば、剣を捨てるがいい」
そんなイセリアを馬上のデモイが、見下ろして告げる。
だが、イセリアは落馬の痛みに見舞われても、決して剣を放さなかった。体を起こしながら、デモイを強くにらみつける。
援軍が来るまで持ちこたえることもできなかったのは、自分の失態だ。けれど、最期まで父の名に恥じない戦いをしようと、イセリアは決心していた。
せめて一太刀でも、デモイへ報いられないか。
「やむを得んか」
デモイは大剣を振り上げ、今まさに魔法を放とうとしたが――
そこに巻き起こったのは、兵士達のどよめきだった。