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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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ミューゼフ会戦

 左右に別れた大公軍は丘陵を登り、上帝軍を目指して侵攻する。

 対する上帝軍の両翼は、丘陵の上に陣取ったまま動かない。各自で武器を構え、いつでもしかけられる態勢である。

 大公軍の接近によって、両軍・両翼の距離が(せば)まっていく。

 そして――


「撃て!」


 戦端を開いたのは、猛々しい女将軍の声だった。上帝軍の右翼に構えるイセリアの部隊が、先にしかけたのだ。

 イセリアの叫びに呼応して、兵士達が一斉に弓を引き絞る。

 地の利を活かし、丘陵の上から矢の嵐を浴びせていく。


 それに真っ向から挑むのは、大公軍の左翼に相当する兵士達だ。

 彼らは大盾を構えて、矢を弾いていく。だが、全ての矢を防ぐことはできず、時には餌食(えじき)となる者もいた。

 それでも、数の利を活かして大公軍は突き進んでくる。

 犠牲を無視して距離を詰めたところで、盾兵の後ろに控えていた弓兵が構えを取った。負けじと反撃の矢を放ってくるつもりなのだ。


 だが――そうはさせじとイセリアは動いた。


「せいっ!」


 イセリアは自軍の前へと馬を走らせ、右手に剣を握っていた。

 左手に手綱を握ったまま、優雅な動きで剣を振り上げる。

 風のように軽い細身の魔剣。父である大将軍から送られた家宝――水竜の剣だった。


 途端、イセリアの右手にあった川が動き出した。

 一定して東へと流れていた川の水があふれ、新しい流れが生まれていく。

 流水が一気に激しさを増し、敵の前衛を目がけて襲いかかった。


「ぐああっ!?」


 大公軍の兵士は武器を捨てて、一目散に逃げ出した。

 だが、気づいた時には手遅れである。兵士達は重い鎧と共に、激流に押し流されるしかなかった。


 古来、流れる水は胴の長い竜の姿に例えられてきた。水を操るこの魔剣を、水竜の剣と称するのはそこに由縁している。

 とはいえ、水竜の剣の力を持ってしても、川の流れを変えて激流を起こすにはさすがに足らない。

 そこは工兵の努力で補い、準備をしておいた。地形を工事によって改変し、わずかなきっかけで川の流れを変えられるようにしていたのだ。


 一歩間違えれば、自軍にも被害が及ぶ危険な技ではある。そこを制御するのは、イセリアの巧みな技術あってのものだった。

 まだ若く父の七光りを自覚するイセリアだが、剣も魔法も鍛錬を欠かしたことはない。

 特に父から魔剣を送られて以来、その使い手に恥じないだけの修練を積んできたのだ。デモイやゲノス――他の将軍達に遅れを取るつもりはなかった。


「やあっ!」


 水の魔剣をもう一振りすれば、激流の中から水柱が巻き起こる。

 態勢を立て直そうとした敵へ向かって、ムチのようにしなる水が襲いかかる。

 敵の盾兵がたまらず体勢を崩し、中には斜面を無様に転がる者すらいた。大公軍は丘陵を登る足を止めざるを得なかった。

 そのままの勢いで、イセリアは自軍の中へと舞い戻っていく。


「うろたえるな! こちらも水を制御するんだ!」


 大公軍の分隊長が叱咤(しった)すれば、敵軍からも魔道兵が現れた。あちらも水の魔法によって、流れを制御するつもりのようだ。


 しかし、イセリアはそれを座視しない。

 イセリア軍から再び放たれた矢が、敵の魔道士を貫いたのだ。

 魔法の発展は戦争を変えたが、さりとて弓の射程にそうそう敵うものではない。それも、高所を取ったならばなおさらだった。

 地の利を活かした戦法と迅速な判断によって、イセリアは有利に戦いを進めていた。


 * * *


「助けが必要かと思いましたが、問題なさそうですね。さすが、大将軍の自慢の娘です。ここに大将軍がいないのが残念でなりません」


 遠方から戦いを眺めていたアルヴァは、イセリアの勇戦を褒め称えた。


「やっぱり、将軍ってのは大したもんだねえ。……にしても、イセリアは水使いかあ。難しい魔法なのによくやってるよ」


 イセリアと仲良くなったらしいミスティンも、嬉しそうに声を上げていた。


 * * *


 一方、ゲノス将軍率いる左翼も、敵の右翼と対峙していた。

 ゲノスは弓矢よりも、接近しての戦いを好む猛将である。その性格は軍の運用にも表れていた。

 大きな槍を両手に握りしめたゲノスは、馬を捨てて二本の足で大地を踏みしめた。

 自ら先頭に立って、迫りくる敵を鋭い眼光でにらみつける。数千という敵軍を前にしても、ひるむことがなかった。


「ゆくぞ!」


 そして、ゲノスは坂を駆け出した。

 大槍の穂先を向けて、眼下の敵へ向かって一直線に突進していく。

 少し遅れて、後ろにいた騎士達も将軍へ続いた。


「なんのつもりだ……!?」


 余りにも無謀な突撃に、大公軍の前衛がざわめく。


「慌てず弓を構えろ! 今こそ、ゲノスを討ち取る好機だ! 首を取れば、昇格も金も思いのままだぞ!」


 敵の指揮官が叱咤し、浮足立つ軍を落ち着かせる。

 まだ距離を(へだ)てているが、弓を構えて迎撃態勢を取らせた。一斉の射撃を受ければ、いかに歴戦の将軍とて耐えきれるものではない――そう考えているのだろう。


「ぬんっ!」


 ゲノスが気迫に満ちたかけ声を上げれば、大槍の穂先が赤光(しゃっこう)を放ち出した。

 穂先から炎が広がっていき、ゲノスの正面を(おお)っていく。

 ゲノスの走る勢いは止まらない。それどころかますます勢いを増して、群れる大公軍を目指していく。

 敵からは巨大な火の玉が、突進してくるように見えただろう。


「射ち殺せ!」


 敵の指揮官が叫び、一挙に矢が放たれた。たった一人の相手に向かって、百を超える矢が降り注ぐ。

 だが、そんな攻撃は無力だった。ゲノスを覆う炎に触れるや、矢は呆気なく焼け落ちていく。


「下がれ! 魔道兵、前に出ろ!」


 大公軍の指揮官はそれでも諦めない。弓兵が引き下がり、次には魔道兵が前方に出た。

 しかしながら、こちらも無力に変わりなかった。

 炎はただ吸収され、水を放てば焼け石に水。猛将を阻むことはできなかったのだ。


「止めろ! 誰か、奴を止めろ! 盾兵、死ぬ気で防ぐのだ!」


 指揮官は慌てふためきながら、部下へと命令を下す。

 だが、炎をまとう相手に接近などできようはずもない。無茶な命令を下された盾兵は戸惑うばかり。指揮官を含む大公軍は、ゲノスから逃げ惑うしかなかった。


 そうこうしているうちに、火の玉となったゲノスが逃げ遅れた相手に衝突する。

 何人もの兵士が炎の勢いに薙ぎ倒され、戦場に無残な火柱が上がった。

 まさに攻防一体の大技。

 大公軍はゲノス一人に圧倒される有様だった。


「将軍に続け!」


 そして、その後ろをゆく騎士達も機を逃さない。

 一斉に槍を構えて突進し、敵を串刺しにしてゆく。

 彼らにしても、北方で亜人との死闘によって鍛えられた猛者(もさ)達である。統制された動きで、敵が立て直す暇を与えなかった。


「ようし、引け!」


 敵を散々に打ちのめしたところで、ゲノスは炎の壁を解除した。さすがのゲノスといえども、いつまでも魔法を維持できるわけではない。

 そうして、ゲノスと騎士達は深入りせずに引き下がった。

 攻める時は烈火の如く。それでいて、引き際も心得ている。これが長年に渡って、北方を守ってきた猛将の実力だった。


 * * *


「あっちも大丈夫そうだね。……というか、圧倒してるし」


 圧巻の戦い振りに、ソロンはしばし呆気に取られていた。

 イセリアの戦い振りも見事なものだったが、ゲノスはそれすら上回っている。わずかな時間で、敵に与えた被害は計り知れない。


「当然でしょう。ゲノス将軍の部隊は、長らくドーマの亜人を相手にしていたのですから。デモイ将軍のいない部隊では、不足と言わざるを得ません」


 ゲノスに対して、アルヴァは多大な信頼を持っているようだった。二人はソロンと出会う以前からの戦友らしく、少しばかり嫉妬(しっと)してしまう。


「あれって、ソロンもできる?」


 ふとミスティンがそんな疑問を口にした。あれ――というのは、ゲノスが使った炎の突撃のことだろう。


「いや、同じ炎使いだからって、一緒にされても困るけど……」

「父様なら、あれぐらいの芸当はわけないぞ。そなたならできるのではないか?」


 メリューも冗談ではなく、本気でそう考えているらしい。


「だから、師匠と一緒にされてもなおさら困るって。理論上はできると思うけどね」


 炎を身にまとい敵へと突撃する技……。一見すると豪快な荒技だが、その内実は単純ではない。

 炎を制御し、自らを守る防壁とする。それでいて、体を焼かないよう絶妙に制御せねばならない。


 すなわち、失敗すればただの自爆技。

 見た目の荒々しさとは異なり、繊細(せんさい)な操作を必要とするのは明らかだ。ゲノス将軍も果てしない鍛錬(たんれん)を積んだのだろう。

 ソロンはそんなことを考えていたが――


「むっ、敵の大将が動くぞ」


 それを(さえぎ)るように、メリューは正面を指差した。

 デモイの本隊が左へと動き出したのだ。

 もっとも、ソロンにしても全く気をそらしていたわけではない。油断せず、視線でデモイの動向を追っていた。


「ふむ、そうきましたか。ひょっとしたら、私を直接狙うかと考えたのですが」


 アルヴァも同じく冷静に状況を分析していた。

 デモイが取りうる進路は大きく分けて三つ。こちらの本隊を狙うか、ゲノス、イセリアの各翼を潰すかである。

 デモイは左――つまりは上帝軍の中でもイセリアが率いる右翼を選んだ。彼女のほうがゲノスと比較して崩しやすいと考えたのだろう。


「あっちはイセリアの部隊だね。助けに行こう!」


 ミスティンはアルヴァを急かすように言った。

 アルヴァは無言で頷き、後ろを振り向いた。


「イセリア将軍の救援に向かいます!」


 そうして、よく通る声で後方の兵士達に指示を下したのだった。

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