グラットの決意
港からミューンの市庁舎へ着くには、さほど時間はかからなかった。港から発展した貿易都市だけあって、その中枢も港に隣接しているらしい。
雲海からの風を避けるためか、港と町の境目には多くの植樹された樹木が並んでいた。
その向こうにある三階建ての幅広い建物が市庁舎だ。軍事拠点として建造したものではなさそうだが、それでも大勢の兵員を宿泊させることができそうだ。
市庁舎に入ったアルヴァ達を出迎えたのは、大勢の将校だった。
形式上はイセリアが代表となっているが、経験では彼女を上回る実力者達ばかりである。アルヴァも見覚えのある者が多く、心強い味方になってくれそうだ。
彼らはワムジーを慕って、ミューンまで同行してきたようだった。大将軍の娘というイセリアの肩書が、功を奏したのは想像に難くない。
一行が通されたのは、市庁舎一階にある会議室だった。ミューンの市長や将校達も合わさって、出席者は数十人といったところだろうか。
アルヴァはさっそく、話を切り出すことにした。
「さて、本題に入るとしましょうか。オトロス大公については承知していますが、その他にも反乱へ加担した主だった者は分かりますか?」
「反乱の首謀者はオトロスの他、デモイ将軍、レゴニア将軍――それにオムダリア将軍です。その他にも多数の貴族が参加している模様です」
イセリア将軍が簡潔に報告した。
「オムダリア将軍というのはもしかして……」
聞き覚えのある名前を耳にして、ソロンがつぶやいた。
「ええ、あなたの恩師――ガノンド・オムダリア元公爵の弟――ビロンド・オムダリアです」
そのつぶやきを拾ったアルヴァが説明を加える。
「先生の弟か……。あっと、ごめんなさい」
話を中断させたことをソロンが謝する。アルヴァもそれを受けて話を続ける。
「三将軍が敵に回ったということですね。しかも、デモイ将軍はネブラシアから西方、オムダリア将軍は東方、レゴニア将軍は帝都雲軍……。ちょうど帝都を挟む配置になっており、付け入る隙がありません」
わざわざ各将軍の管轄を説明したのは、ソロン達に伝えるためである。
本来、各軍団の兵は皇帝から任されたものに過ぎず、将軍が勝手に兵を動かす権限はない。
とはいえ、長年に渡って寝食を共にした関係は血のように重く、将軍による軍団兵への影響力は無視できなかった。
「対するこちらは二将軍……苦しい状況であることは否定できませんな」
ゲノスもいつもながらの難しい顔で相槌を打つ。
「ところで、ラザリック将軍はどうしましたか?」
ふと気になって、アルヴァは尋ねた。
帝都近郊を管轄とする将軍の中で、彼だけは名前が上がっていない。
なんといっても、帝都の治安維持はラザリック将軍の仕事である。彼がしっかりしていれば、このような事態にはならなかったともいえるのだ。
ひょっとして、ラザリックも裏切ったのだろうか。若く未熟なところはあれど真面目な性格は買っていた。エヴァートを裏切るとは考えにくいが……。
と思いきや、イセリアは頭を振って、
「不甲斐ないことに、ラザリックも敵に捕らえられたようです」
それはそれで落胆するような答えを返してきた。
「……そうですか、こちらに味方してくれそうな者は他に?」
名前の挙がった者は大将軍を含めて七名……。帝国十将軍のうち、まだ三名いる将軍の動向が分かっていない。その他にも各地の貴族からの協力が考えられた。
「ゾンディーノ、オーゼ両将軍には私の名で文を送っています。ただ、第三要塞にいるソブリン将軍については……」
語尾を濁したイセリアの意をアルヴァも理解する。
「確かに、ソブリン将軍と連絡を取るのは難しいでしょうね。彼については保留としましょう」
第三要塞は帝都南方――雲海にそびえる島を利用した天然の要塞である。同じような要塞島が五つ存在するが、その中の三つ目に該当する。帝都雲軍の勢力下に近く、連絡は困難だった。
「となれば、ガゼット、オーゼの二人ですな。イセリアの名ではなく、上帝陛下から改めて要請をしたほうがよいでしょう。今後、わが軍の旗印は、上帝陛下ご自身になっていただきますので」
続いてゲノスがアルヴァへと提案した。
大将軍ならいざ知らず、イセリアは一介の新人将軍に過ぎない。他の将軍へ命令する権限はおろか権威もなかった。
それでも、彼女の名で出さざるを得なかったのは、事態を知った段階で動ける有力者が他になかったためだろう。
「もちろん、そのつもりです」
ゲノスの提案を、アルヴァは堂々と受けた。
謙遜など必要ない。皇帝エヴァートと皇子ウリム、及び主要な皇族は敵の手中である。
ゆえに皇帝の代理を担うのは、アルヴァを除いていないのだ。
「もっとも、その二人が協力してくれるかですが――」
ゲノスがそう口にすれば。
「ガゼットのほうは心配いらねえよ」
そこで発言したのは、かのグラットだった。
帝国軍の幹部でもない彼は、あくまでアルヴァの協力者という枠を出ない。これまで発言を控えてはいたが、ここに至ってついに抑えられなくなったようだ。
「ほう……?」
ゲノスやイセリアを始め、一同の視線がグラットに集結した。
「あ、いや……。あれはウチの親父なんで、そのう……」
予想以上の注目に、グラットが狼狽する。そうして、アルヴァへ視線を送り助けを求める。相変わらず格好のつかない男だった。
「この者はガゼット・ゾンディーノ将軍の子息で私の友人――グラットです。先の遠征でも船長として、私を助けてくださいました」
やむなくアルヴァが助け舟を出しておく。
「ほほう、ガゼットの息子が遠征に参加していたとはな。息子が軍を辞めたと愚痴っていたが……」
ゲノス将軍が、興味深そうにグラットの顔を見る。どうやら壮年の将軍同士、勤務地が離れていても多少の交流はあったらしい。
「あはは。まあ、出来の悪い家出息子っすけどね」
グラットは少しばかり調子を取り戻したらしい。自虐を交えながら謙遜していた。……さすがに将軍を相手には虚勢を張れないようだが。
「当人はこう言っていますが、なかなか頼りになる男です。ドーマでも、下界でも……私の旅先ではいつも活躍してくれました。これまで見てきた私が保証しましょう」
「よ、よせやい、お姫様。こんなところで褒め殺しは勘弁だぜ」
照れを隠すグラットの姿に、失笑を漏らす者もいた。張り詰めていた場の雰囲気がどことなくやわらぐ。
「――まああれだ。ウチはそもそも平民だからな。親父だって、貴族様の腹黒い企みには興味ないと思うぜ。俺が行って説得してくれば、船団まるごと引き連れて帝都へ来るだろうよ」
「なるほど……。あなたがそう思うならそうなのでしょう。分かりました。そちらについては全面的にあなたへ任せましょう。後ほど私からの書状を託します」
「いや、あんまり当てにされても困るけどよ……。ともかく、ウチの親父は曲がったことが嫌いなんだ。それだけは間違いねえ」
グラットはアルヴァの信頼に、こそばゆそうにしながらも応える。
「信じていますよ。あなたも、あなたのお父様も」
アルヴァはためらいもなく言い切った。
アルヴァ自身もガゼット将軍とは一度会っている。その時の直感を信じることにしたのだ。
その後もアルヴァは、各勢力についての状況確認をおこなった。
敵対が確実な者、協力が有望な者、中立の風見鶏……などなど。
そうして、敵対が確実な者以外には、上帝アルヴァネッサの名で使者と書状が送られる運びとなった。
そこには事前に名の上がった二将軍の他、アルヴァの母方イシュティール伯爵も含まれていた。
「大公には皇帝一家の解放と、無条件での降伏を要求しましょう。拒絶したら、その上で堂々と戦を挑むまでです」
最後に、アルヴァはそう締めくくったのだった。
* * *
市庁舎の一室を借りたアルヴァは、さっそく書状をしたため始めた。
横で眺めるソロン達の視線の中で、彼女は羽根ペンを猛烈な速度で動かしていく。
早く仕上げれば、それだけ諸侯に届く時間も早まるのだ。
それでいて書状はどうやら定型文ではない。送り先に合わせて細かく内容を変える方針のようだった。
最初の一枚を書き上げたところで――
「グラット」
視線を書状に据えたまま、アルヴァは室内にいるグラットを呼んだ。
「おう」
少し離れて見守っていたグラットは、応じてそばへと歩み寄る。
アルヴァは自らの手で封筒へと書状を収め、指輪で印章を押して封をした。
世界に一つしかない紅玉帝の印章……。上帝に復帰すると同時に、印章もまた使用が許されるようになったのだ。これがあって、初めて差出人が証明される仕組みだった。
「お待たせしました。これをガゼット将軍に届けてください」
アルヴァは立ち上がり、ここで初めてグラットのほうを見た。
どうやら、最初の一枚はガゼット将軍へ当てると決めたようだ。それだけ、ガゼットの協力が重要だと見込んでいるのだろう。
「おう、任せてくれ」
口調はともかく、グラットは両手で恭しく封筒を受け取った。
そうして、決意の重さを隠すように、ぞんざいに宣言する。
「――つーわけで、俺はベオに帰る。悪いが、お前達とはここでお別れだ。どうせすぐ戻るから見送りはいらねえぜ」
「……グラット。そもそもが民間人であるあなたには、何の義務もないことなのに。本当に感謝しています」
アルヴァは深々と頭を下げようとしたが。
「おいおい、水くせえじゃねえかよ」
それをグラットが遮る。
「――言っとくけど、俺はお姫様のこともダチだと思ってるからな。俺にできることならやってやるぜ。親父については紐つけてでも引っ張ってくるから、せいぜい期待してな」
「分かりました。グラット、力を貸してください。……それにしても、あなたもなかなか良い男になりましたね」
熱意に感激したのか、アルヴァはグラットを見据えて言った。
「お姫様も俺様の魅力にやっと気づいたか……。惚れてもいいんだぜ……?」
「それは、遠慮させていただきます」
アルヴァは笑いをこらえるようにして答えた。
「――他に気になる方もいますので。あなたならもっと、良い相手が見つかると思いますよ」
「ぐっ、お姫様に言われても嫌味にしかならねえよ。んじゃ、親父のことは任せとけ。ソロン、ミスティン、お姫様のことはしっかり守れよ! メリューは部外者なんだから無理すんな!」
グラットはそう言いながら、ソロンへと手を伸ばした。
「うん、任せといて!」
ソロンも手を伸ばし、大きく力強い手をグッと握りしめた。
「グラットに言われるまでもないけどね」
「うむ、余計なお世話だ。私は私のすべきことを成すまでだ」
ミスティンとメリューも、憎まれ口を叩きながら握手――と見せかけて、グラットと手を叩き合った。二回ほど小気味良い音が鳴り響く。
そうして、グラットは力強い足取りで市庁舎を出た。
窓から見送るこちらに気づき、手を振りながら港へと歩いていく。
アルヴァもしばし作業の手を止めて、グラットを見送っていた。