大将軍の娘
「陛下、よくぞご無事で。ゲノス将軍もお疲れ様です」
迎える兵士達の中から、若い将校が一歩踏み出してきた。
他の兵士より小柄ながら、軍服をまといマントを羽織る姿が様になっている。栗色の髪を短めに切りそろえているため、一目では少年のように見えなくもなかった。
ソロンが見間違えなかったのは、その顔が男にしては整っていて胸のふくらみがあったからだ。
「イセリア将軍。随分と大仰な出迎えですね」
アルヴァは将軍に近づくなり、控えめな不快感を示した。今は緊急時であり、過度の演出は余計に思えたのだろう。
イセリアは何と言っても、ワムジー大将軍の娘である。
ソロンも父の将軍を見たことがあるが、歳を経てから生まれた娘であるらしい。父と娘というよりも、祖父と娘のように思えなくもなかった。
ちなみにワムジーというのは姓である。区別のために彼女は名前で呼ばれているようだった。
「お気に召しませんでしたら、申し訳ありません。ですが、陛下は我々の旗頭となられるお方。皆の士気を高めるためにも、ご協力いただければと存じます」
イセリアは遠慮がちながらも、はっきりと自分の意見を表した。
「なるほど、そういうことでしたら……。祭り上げられるのは好みではありませんが、必要とあらば善処しましょう」
と、アルヴァも理解を示した。
皇帝も大将軍も囚われた今、こちら側の陣営には中心となる人物が欠けている。ならば、お飾りであろうともアルヴァがそこに座るしかない――それはソロンにも分かる事実だった。
「――あなたもご無事で何よりでした。それから、昇進おめでとうございます」
「はっ。若輩ながら、先日退役したベンゼル将軍の後任を務めさせていただいております」
イセリアも生真面目そうに補足した。
「へえ、若いのに凄いんだねえ」
と、ミスティンが感心してみせる。イセリアはむずがゆそうに視線をそらした。
「若く優秀な方が活躍の場を持つのは、喜ばしいことです」
アルヴァも自分より歳上の若手に声をかける。
「いえ、陛下こそ。若くしていかに賢明であられるかは、父より伺っております」
イセリアもそつなく応答してみせた。見た目通りのいかにも秀才といった印象である。
「イセリアよ、まずは市庁舎へ案内してもらえるか? それ以上の立ち話もなんだからな」
ゲノスが折を見て後輩将軍へと提案すれば、イセリアも頷く。
「承知しました。船旅でお疲れのところ申し訳ありませんが、ご足労願います。市庁舎がわが軍の本部となっておりますので」
「了解です。本題はそちらで伺いましょう」
市庁舎まではさほどの距離がないらしい。徒歩を選んだアルヴァに、一同も続くのだった。
*
イセリアの先導で、ミューンの市庁舎へと一行は向かっていく。
出迎えの兵士は解散させたが、それでも目立つ行列なのに変わりない。
道中、港の住民達がアルヴァを一目見ようと沿道に集まってきていた。
「おお、上帝陛下だ!」
「オトロスをやっつけてください!」
彼らの声はおおむね好意的なようだった。一度は追放の憂き目にあったアルヴァであるが、その人気は今も健在らしい。
後ろに続くソロンも、どことなく喜ばしい気持ちになっていた。
アルヴァは優雅に手を振って、住民の歓声に応えた。
「アルヴァよ。そなたは大した人気だな」
メリューは感心したように、アルヴァを見上げた。
「さあて、どうでしょうね? 皇族に罵声を浴びせる命知らずは、あまりいませんから。何はともあれ、私はやるべきことをやるだけです」
アルヴァは自身の人気には懐疑的なようだった。挫折を経て以降、多少は傲りがなくなったらしい。
「陛下……。今、その娘が喋ったような気がしたのですが……」
ゲノス将軍は自分の耳を疑っている様子で、アルヴァを見た。
アルヴァは一瞬、その意味が分からなかったようで。
「ああ、そう言えば……。彼女なら、立派な帝国語を話しますよ」
かつてメリューが帝国を訪れた時には、帝国語を理解できないふりをしていたのだ。
他の人間を見極めるため――というのが建前だが、恐らくは面白半分だろう。先日の将軍との会談でも、彼女は「うむ」としか発言していなかった。
「憎たらしいことになあ。中身は三十過ぎたおばさんだしよお」
と、グラットもここぞとばかりに付け加える。
「おばさんとはなんだ。私はお前より歳上だが、体は若い。見よ、この瑞々しい肌を!」
メリューは自分の頬を指差して、若さを誇った。
ミスティンがその頬をツンツンとつつけば、メリューは誇らしげに胸を張る。
「ガキンチョ扱いするな――つったのはお前だろうが」
「子供扱いするなとは言ったが、おばさん扱いは許さぬ」
「めんどくせえなあ、どうしろっつーんだよ」
「お前の中で、女は子供とおばさんしかないのか? 中庸がないのは典型的な愚か者だぞ」
「へいへい」
と、グラットは呆れ気味に白旗を上げる。
その間、流暢な帝国語で口喧嘩を続けるメリューを、ゲノスは呆気にとられたように眺めていた。
イセリアも後ろを振り返って、驚いたような顔をしている。
「ともあれ」
メリューはゲノスへと目をやった。
「――こう見えても、私の母はカンタニア生まれの帝国人なのだ。不自由はないと思ってもらっても構わん」
「そ、そうか……。それは失礼したな」
ゲノス将軍は困ったようにメリューを見ていた。どちらかというと騙された立場であるにも関わらず、なぜだか謝っている。
アルヴァはそれらの様子を見て、静かに微笑んでいたが、
「それにしても……。私がいないうちに、このような事態が起こるとは……。ドーマでも謀反、こちらでも謀反……。酷い巡り合わせですわね」
ふと皮肉げに苦笑してみせた。
「お言葉ですが、今回の出来事については偶然でもないでしょう。オトロスは、あなたの留守を狙ったと思われますからからな」
ゲノスの発言が意外だったのか、アルヴァは怪訝そうに目を向けた。
「わざわざ私の留守を……? まさか、私は形だけの上帝に過ぎませんよ」
「いいえ、あなたは自分を過小評価されています。北方や帝都で見せた絶大な力を、連中も恐れていたのでしょう。だからこそ、オトロスはあなたをドーマへと追いやった」
「女王の杖のことでしたら、今はもうありませんよ。それとも雷鳥のことでしょうか?」
「どちらにせよ、彼奴らは陛下の事情を知らんでしょう。ならば同じことですとも」
「そういうことだ。異国人の私から見ても、そなたには立派な影響力がある。自信を持つがよいぞ」
将軍に続いて発言したのはメリューだった。アルヴァは苦笑を浮かべて。
「メリュー殿下にお褒めいただき光栄です。私の不在が謀反の契機となるようでは、喜べませんけれどね。どこに行っても向かうところ敵ばかりです」
「そうでもないよ」嘆くアルヴァに、ソロンは励ましの言葉をかけた。「敵もいれば味方もいるってことさ。少なくとも、イドリスはオトロス大公を帝国の代表と認めることはない」
「そこまで断言してもよいのですか?」
「僕らは君の仲介で、エヴァート陛下と国交を結んだんだからね。むしろ『オトロスって誰?』って感じかな。陛下が動けないなら、君が代わりだ。だから、僕は君の味方だよ」
「ほほう、さすが王子様は言うことが違うねえ」
グラットの冷やかしに、ソロンは頷く。
「一応、これでも全権大使だからね。まあ、普段はナイゼルやガノンド先生に任せてばかりだけど……。たまにはこれぐらい言わせてもらうよ。兄さんにだって文句は言わせない」
実際には、兄が文句をつけてくることはないだろう。それでもそう言ったのは、ちょっとした見栄である。
「ふふ、頼もしいですね」
力説するソロンを、アルヴァは嬉しそうに見やった。
「まあ、帝国に比べたら取るに足らない小国だけどね」
「そうかもしれませんが、私はあなた一人でも嬉しいですよ」
微笑むアルヴァに、ソロンは照れくさそうに笑うしかなかった。