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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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オトロスの野望

 アルヴァ率いる船団が、カンタニアへ到達する以前のこと。

 事前に送られた先触れの船は、帝都へといち早く到達していた。

 ネブラシア港に降り立った先触れの使者は、さっそく皇帝の元へと向かったのだった。


 皇城には元老院の貴族達を始め、数多くの権力者がひしめいている。一介の使者が皇帝に奏上する際は、彼らを仲介するのが一般的だった。

 ところが、皇帝エヴァートは自ら使者の謁見を受け、アルヴァからの報告書を受け取ってみせた。

 兄妹のように親密な二人の間に、余計な仲介は不要である。情報を漏れないようにするためにも、二人で事前に取り決めをしていたのだった。


「獣王を倒し、平和条約を調印か……。予想を越えた成果とは、さすがはアルヴァだな。僕も有能な従妹(いもうと)の活躍に応えないとな」


 報告を受けたエヴァートは、元老院の開催を決定した。

 日程は皇帝が元老院議長に宣言してから、十日後となる。


 元老院議員の多くは、広大な帝国各地に領地を持つ貴族でもあった。遠方に領地を構える議員にとっては、一見して厳しい日程に思えるかもしれない。

 しかし、そこは雲海の帝国を称するネブラシアである。高速の竜玉船を用いれば、主要都市から帝都へは数日で到達可能となっていた。


 そうして、諸侯が皇帝の下に集まり、国政について議論し決定する。それが元老院の役目である。

 名目上、元老院は皇帝を補佐するということになっている。しかしながら、その権力は強大で、皇帝ですらないがしろにはできなかった。

 皇帝と元老院による対立と競争の歴史――それこそが帝国の政治の常と言っても過言ではないのだ。


 エヴァートの目的はドーマとの同盟を宣言し、それを正式に元老院へ認めさせることだった。加えて、従妹アルヴァ達の凱旋式を開くという目的もあった。

 これは元老院の議員達にとっても、悪い話ではないはずである。


 彼らは帝国各地の利害を代表する者なのだ。自らが持つ領民から亜人と戦うための兵力を出す必要もなくなる。

 (こと)に北方を地盤とする者達にとって、亜人との戦いは死活問題だったのだから。

 元老院から選出される主要閣僚には、使節団を送る前に合意を得ている。こたびの議会は、紛糾することもなく形式的なものとなる予定だった。


 *


 そして、十日の後に元老院会議が開かれた。

 ネブラシア城一階にある広大な議場――そこには皇帝の招集に応じた議員達が着席していた。総数はおよそ三百。いずれも帝国を代表する老練な政治家達だ。


 そんな議員達の前で、エヴァートは壇上に立っていた。

 紫のマントを羽織った彼は、その地位にふさわしく堂々としていた。就任当初は頼りない姿を見せていた彼を、地位と月日が育てたのだ。

 従妹の活躍に報いるため、今この場で彼も力を尽くさねばならない。


 事の発端は、ドーマ大君の孫娘たるメリューが、カンタニアを訪れたことから始まる。

 彼女の招待を受けて、アルヴァを中心とした使節団がドーマへと旅立った。

 だが、かの国の大君は獣王の襲撃を受けて死亡。アルヴァ達はメリューと協力し、獣王を撃退。

 大君の地位は、その息子であったシグトラが継いだ。


 紆余曲折を経たものの、アルヴァはシグトラとの間で無事に条約を結んだのだった。皇帝もこれを認めたため、後は元老院の承認を残すのみとなる。

 エヴァートはそういった経緯を丁寧に説明し、締めくくろうとしていた。


「これで北方の脅威は大きく減少した。いずれカンタニアの民が、亜人の恐怖に怯える必要もなくなるだろう。わが従妹にして上帝――アルヴァネッサを始めとした使節団の貢献は計り知れない。凱旋式によって、その栄誉を(たた)えようではないか」


 ところが――


「凱旋式などとんでもない!」


 一人の議員が勢いよく立ち上がった。

 彼はエヴァートと距離を置く派閥の議員である。しかし、それにしてもこれほど礼を失した言動は初めてのことであった。

 そして、事態はそれに留まらない。

 絶句するエヴァートに対して、もう一人の議員が立ち上がったのだ。


「あなたはドーマの亜人と手を結び、帝国を売り渡そうとしている。さらには下界の国イドリスとも結託しているという。まさしく前代未聞。皇帝自身による売国である」


 彼もまた、激しく皇帝をなじったのだ。

 ただならぬ事態に議場が騒然となる。議員達が左右の者と言葉を交わしあい、ざわめきが広がっていく。


「なっ……馬鹿馬鹿しい! よりにもよって、皇帝である私を売国奴呼ばわりするとはな! 礼儀を知らぬ貴君らの態度こそが、前代未聞というものだろう。どうやら貴君らの仲間内では、他国と(よしみ)を結ぶことを売国と呼ぶらしいが」


 壇上のエヴァートはひるみながらも、激しい語調で反撃した。温厚な彼にしては珍しいことである。


「好を結ぶですと!? それが真っ当な国家が相手ならば確かに納得できたでしょう。ですが、亜人共は我らがネブラシアにとって不倶戴天(ふぐたいてん)の敵。同盟も友好も、あり得ないことなのです!」

「それは違う! 我々が長年戦ってきたのは、亜人の中でも獣王と呼ばれる者達の勢力だ! 彼らにしても、我らと同じように様々な事情を抱えている。そんなことも想像できないのか! 私が同盟を結ぼうとする相手はドーマの大君であって、獣王ではない! そして、その大君を見極めるために、私は上帝を代表として送ったのだ!」

「その大君とやらが、獣王に成り代わって侵略を始めないと、どうして断言できましょうか! 人ならぬ亜人共が、信義を重んじるとでも? 陛下は利用されているのです! いや、あるいは知った上で、亜人と結んでいるのではありませぬか!? この国を売り渡すために!」

「愚かな! なぜ私がそのようなことをせねばならない! 私は皇帝として、この国を治めているのだぞ!」

「それは、あなたが元老院を支配するためです! 我らを恐怖と武力で押さえつけ、思うがままにしようとしているのでしょう!」

「そう思うならば、私を罷免(ひめん)すればよい。元老院全体で三分の二の賛成を得られればよいのだろう? アルヴァに対してそうしたようにな。お前達がそうしないのは、正当性がないことを自覚している証左ではないのか?」

「黙れ黙れ! 我らこそが真の国士なのだ。オトロス様こそが皇帝にふさわしい! 全ては帝国のために!」


 我慢が利かなくなったのか、血気盛んな若い議員が叫んだ。


「馬脚を現したな! やはり、オトロスか!」


 エヴァートは議席に悠々と座っているオトロス大公をにらみつけた。

 大柄でふくれた腹に薄い毛髪、派手好きらしく金の刺繍(ししゅう)が施された衣服を幾重にもまとっていた。

 エヴァートやアルヴァとは曽祖父を同じくするが、似た点は黒髪ぐらいだろうか。目を細め、ヒゲをいじりながら、ふてぶてしく笑っている。


 大公はエヴァートの眼光に動じることもなく、手を上げた。

 それを合図に、元老院へと兵士達がなだれ込んでくる。警備の兵士を倒したのか、それとも何らかの方法で買収したのだろうか。


「貴様ら! 神聖なる元老院で争いをするつもりか!」


 一括したのは、ワムジー大将軍だった。

 彼は現役の軍人でありながら、元老院の重鎮でもある。軍と議会を兼任し、それらを仲介する役目を担っていた。

 ワムジーは剣を鞘から抜きながら、エヴァートの元へと馳せ参じた。


「皇帝に刃を向けるかっ!」


 エヴァートも叫び、剣を引き抜いた。

 元老院の中であっても、皇帝を始めとした高位の者は帯剣を許されているのだ。

 エヴァートが持つのは雷を帯びた魔剣である。その刃に走った紫電を見て、兵士達はわずかにひるんだ。


「陛下を守れ!」


 良識ある議員達も大将軍にならって、エヴァートを守るために走り寄ってきた。

 ある者は許可された剣を持って。ある者は徒手空拳で。

 だが――


「余計な抵抗はやめてもらいたい。陛下の妻子は既に我らの掌中にあるのですよ」


 立ち上がったオトロス大公が、下卑(げび)た笑いと共に言い放った。


 そうして、議場の入口へとエヴァートの妻子が連行されてくる。

 皇妃セネリーに抱かれた赤子の皇子ウリム――拘束などはされていなかったが、周囲を兵士に囲まれている。逃げ場がないのは明らかだった。

 城内の奥にいた彼女達が、捕らえられたということは――城内もオトロスの手の者に制圧されたということだろうか。


「卑劣な……!」


 エヴァートはオトロスをしかとにらみつけ、吐き捨てた。……が、それが精一杯の抵抗であり、やむなく剣を収めるしかなかった。


「陛下……」


 ワムジーもならって、剣を下ろした。


「すまない、大将軍……。オトロスの増長を見抜けなかったのは、私の不徳だ」


 多勢に無勢。

 ワムジーの本来の得物は大型の魔斧(まふ)であり、この場には携帯していない。

 エヴァートの魔剣ならば、十や二十の相手は倒せるかもしれない。しかし、敵は視界に入っただけで何十人といる。到底敵うとは思えなかった。


 勝ち目の薄い戦いに身を投じて、妻子を危険にさらすほどエヴァートは愚かではなかったのだ。

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