上帝の凱旋
帝国本島の最北にある大防壁……。六隻の竜玉船が、そのそばを通り過ぎて南下していた。
内三隻は帝国が所有する船。もう三隻はドーマ連邦に所属する船である。
ドーマ連邦との同盟を締結させた一同は、再び大雲海を引き返した。
往路において、獣王の軍勢や魔物に襲われたことは記憶に新しい。けれど、今回はそういった問題もなく、つつがなく船旅は終わろうとしていた。
そうして、旗艦に乗るソロンの視界に、町の姿が入ってきた。数ヶ月振りとなる帝国の町に、安堵の気持ちが沸き起こる。
帝国最北の都市カンタニア……。北方防衛の要としての役割を持つ城塞都市だった。
町を囲む物々しい外壁が、雲海からも覗いている。外壁には雪が積もっており、それを兵士達が雪かきで落としていた。
今は二月――帝国の暦でいえば雲海の月。冬の真っ最中だった。
以前なら冬の寒さに震えたのだろうが、北方帰りの一行にとっては慣れたものである。
やがて、雲海へと突き出た港が近づいてくる。そこだけがカンタニアの中で、城壁に囲まれていない部分だった。
港には軍船が停泊しており、軍事拠点としての姿を垣間見せていた。
「なんだ、出迎えもなしかよ。久々の帝国だってのに、つまんねえなあ」
港を目にしたグラットが声を上げた。旗艦オデッセイ号の船長たる彼は、舳先へ近づいて港を確認していたのだ。
「そりゃ、こっちには何も伝えてないからね。グラットが期待するようなことは、帝都へ帰ってからだろうさ」
ソロンはそう応えてから、アルヴァへと目をやった。
アルヴァはいつもの黒服をまとい、自慢の黒髪をなびかせている。今は船団の総司令官として、仲間の船に異常がないか気を配っているようだ。
その隣には、ミスティンとメリューの姿もある。
ドーマの大使として同行しているメリューも、すっかり仲間達と打ち解けていた。亜人達の統率は、部下のラーソンに任せているらしい。
アルヴァはこちらを振り向いて。
「ええ、先触れの船を通して、既に帝都へ伝わっているはずです。この機会に、あなた達も凱旋式の栄誉に授かるとよいでしょう。私達がここで用事を済ませている間に、お兄様が準備をしてくださるはず」
ドーマの首都アムイに滞在していた折、アルヴァは最も速い船を選んで帝都へと先行させていた。もちろん、遠征の結果をいち早く帝都へ伝えるためである。
「へへっ、そいつは楽しみだねえ。軍を辞めた俺が凱旋式とはなあ」
凱旋式という言葉を聞いて、グラットはだらりと表情をゆるめた。
凱旋式とは大きな勝利や功績を挙げたものが、帝都へ帰還した際に行う式典である。かつて、アルヴァが北方から帰還した際にも執り行われた。
もっとも、その当時のソロン達はあくまで聴衆の側だった。実際に行われれば、凱旋する側としては初めての経験となる。
「貴様。ただでさえしまりない顔が、よりだらしなくなっているぞ」
「ホントだ。変な顔」
メリューとミスティンはいつも通り、容赦ない言葉をグラットへ投げつけた。
「仕方ねえだろ。凱旋式ってのは、男の浪漫なんだよ。女どもにゃ分かんねえだろうさ」
芝居じみた口調でグラットは言ったが、アルヴァはなぜか頷いた。
「女ですが分かりますよ。二世紀前の女帝セーレインは、西方帝国に勝利し、盛大な凱旋式を執り行いました。かくいう私も、少女時代には憧れたものです。今回の式はそこまで大規模にはならないでしょうが、それでもそうそうないこと。存分に堪能するがよいでしょう」
「そ、そうか。まあ、お姫様はわりかし男だからな」
饒舌なアルヴァに意気を削がれたのか、グラットは適当な返事で応えた。
「いくらなんでも男扱いは失敬ですよ。……それより、そろそろ船長の出番ですが」
グラットの失言にもさして気を悪くする様子もなく、アルヴァは港を指差した。船が船着き場に近づきつつあったため、その指揮が必要だったのだ。
「おう、任せときな」
グラットはせわしく動きながら、船員達へ指示を出し始めた。段々と、船長の仕事も板についてきたようである。
カンタニアに寄港する最大の目的は、ドーマから連れ帰った人間達を返すことだった。彼らはいずれも、この地方において獣王軍に滅ぼされた町村の出身である。
紆余曲折を経て、彼らはドーマの首都アムイに生活の基盤を持っていた。それでも、今回の機会を逃してはならないと、帝国に戻る意思を示したのだった。
当然ながら、彼らが生まれ育った町村は既にない。祖国へ戻ったところで生活する術はないのだ。そこでアルヴァは、カンタニア城主である公爵へ支援を頼むつもりだったのだ。
ところが、カンタニア港に降り立った一行を待っていたのは、予想外の事態だった。
港へと足を踏み入れたアルヴァに向かって、兵士達が駆け寄ってくる。まるでこちらが戻ることを、逐一待っていたかのようである。
「上帝陛下! ゲノス将軍がお待ちしております! 馬車にお乗りください!」
兵士は息を切らしながら、アルヴァへと声をかけた。少し離れた場所には、馬車も用意されている。
「将軍が? 予定では帝都へ直行するつもりでしたが……」
「それが上帝陛下! 帝都で謀反が起こり、皇帝陛下が捕らえられたのです!」
兵士は驚くべき報告をもたらしたのだった。
*
「何が何だか……」
急激な展開に、ソロンは混乱するばかりだった。
あれから、アルヴァは兵士を問い詰めたものの「将軍にお聞きください」の一点張りだったのだ。恐らく、兵士自身も状況を把握していないのだろう。
やむなく一同は馬車に乗り込み、ゲノス将軍が待つカンタニア城へ向かったのだった。
馬車の窓からは、雪に包まれた美しい町並みが覗いている。だが、それを楽しむ余裕すら今はなかった。
船団員の大半には、町で休憩するよう指示を出している。ソロンやグラット、ミスティンを含めた何人かだけが馬車に乗り込んだ。
「困惑しているのは私も同じだ」
同じく、馬車に乗り込んだメリューも、とまどいを隠さなかった。彼女もドーマの代表として、ラーソンを船に残してやってきたのだ。ドーマの全権大使として、帝国の情勢を気にかけているようだった。
「…………」
そんな中で、アルヴァは押し黙って窓の外を眺めていた。凍りついた表情からは極度の緊張が窺える。敬愛する従兄の危機を耳にして、気が気でないのだろう。
ミスティンすらも、アルヴァに声をかけるのをためらっている。ただ親友の様子を、心配そうに見つめるばかりだった。
*
「どういうことですか!?」
開口一番、アルヴァはゲノス将軍に詰め寄った。
大きな体と角張った顔のいかめしい男である。並の女なら近寄るのも恐れるだろうが、アルヴァは例外だった。
場所はカンタニア城の一階広間。出迎えたゲノスは、一行を応接間へ案内しようとしたのだが、アルヴァはその手間すら惜しかった。
「お伝えした通り、皇帝陛下が捕らえられたのです。安否は詳細不明ですが、反乱の首謀者はオトロスであると」
対するゲノスも、それに応じた。応接間へと足を向けながら、単刀直入に告げたのだった。
「オトロス大公が……!? それは誠なのですか?」
思わぬ名前にアルヴァは絶句した。足を速めてゲノスに並びながら、疑問を呈する。
オトロス大公――アルヴァにとっては遠い親戚に当たる人物だ。
アルヴァの曽祖父に当たるゼッカート帝――オトロス大公家を発足させたのが、その次男である。二代目に当たる現オトロス大公も、皇位継承権を持つ皇族であると同時に大貴族でもあった。
「ウソをついても仕方ありません」
ゲノスは首をゆっくりと縦に振った。
「正直なところ……それほど大それたことをやる人物だとは、考えていませんでしたが……」
押しも押されぬ大貴族とはいえ、オトロスはさほど存在感のある男ではない。正直に言えば、アルヴァが持つ印象は薄かった。
「ええ、私も同感です。元老院の中にも、協力者が多くいるようですな」
「厄介ですね。……ところで、ワムジー大将軍はどうされたのです」
アルヴァはふと気づいて質問を重ねた。
ワムジー大将軍は、アルヴァの父の代から仕える忠臣である。老いたりとはいえ、なんだかんだでアルヴァを支えてくれた人でもあった。彼ならば、大公に抵抗する軍をまとめ上げてくれるはずだが……。
「残念ながら、陛下と共に囚われているようです」
「そんな……」
予想していたとはいえ、アルヴァは再び絶句するしかなかった。
大将軍が囚われているとは、すなわち軍の頂点を抑えられているということ。話を聞けば聞くほど事態の深刻さを感じざるを得ない。
「…………」
ゲノスは無言で頷くと、扉を開けて応接室へと一行を招き入れた。
室内に入ったアルヴァは座りもせずに、ゲノスを見据え続けた。
他の皆も緊張した面持ちで、立ったまま話を聞いている。そんな中で、ミスティンだけは頓着せずに、真っ先に椅子へ座った。
「ところで、そうやって話してくださるということは、あなたは私に味方してくださるのですか?」
「当然です。むしろ、なぜ私が連中に味方せねばならぬのです? 国家の守りより、自らの権益ばかりを考えていた奴らを」
心外とばかりに、ゲノスは笑ってみせた。
オトロスを始めとした中央の議員達は、北方防衛に消極的な者が多数だった。前線で戦ってきた将軍とは、積年のわだかまりがあるのだろう。
「失礼、それもそうですわね」
アルヴァは穏やかに微笑を返し、言葉を続けた。
「――将軍、ドーマとの平和条約は無事調印されました。こちらのメリュー殿下が、全権大使として赴任される予定です」
メリューはただ黙って話を注視していたが、アルヴァの紹介に応じて「うむ」と静かに頷いた。
言葉少なではあるが、内容に興味がないわけではなさそうだ。なんせ物理的な意味で耳をピンと張っているので分かりやすい。ただ気を使って、帝国内部の問題に口を挟まぬよう心がけているらしい。
「おお……」
ゲノスは目を見張って、メリューへと視線を向けた。
ちなみに将軍は一度、使者として訪れたメリューを目にしている。あくまで彼が興味を持っているのは、平和条約についてだろう。
「また、帝国北方に亜人を送り込んでいた元凶――獣王は死に、その勢力は大いに減退しました。ドーマ大君も、その残党の殲滅に積極的です。当分の間、北方が脅かされることはないでしょう」
「我らが悲願の達成、ご尽力に感謝いたします」
ゲノスは深々と頭を下げた。歴戦の将軍である彼は、不毛な戦いを続けることを喜ばなかったのだ。
「将軍、私はオトロス大公と戦います。共に帝都へ行ってくださいますか?」
そうして、アルヴァは本題を切り出した。
「はっ……! その言葉をお待ちしていました。イセリア将軍が、ミューンで待っております」
「ほう、イセリア『将軍』ですか。というと、大将軍のご令嬢ですね」
思い当たるイセリアといえば、大将軍の娘だ。生真面目な武人で、アルヴァの護衛を務めていたこともある。もっとも、アルヴァが知る直近の彼女は副将軍の地位だったが。
「その彼女です。エヴァート陛下の元で、先日昇格を果たしました。退役したベンゼル将軍の後任となります」
「ラザリック将軍と並んで若い将軍が増えましたか。私が言うのもなんですが、随分と思いきりましたね」
ベンゼルは帝国十将軍の中でもワムジーを超えた最年長だったはずだ。退役自体に不審な点はない。
……が、そこでイセリアが昇進するのは、本当に妥当なのか。なんといってもイセリアは若く、まだ二十代の前半だったはず。
父の大将軍ですら、将軍に就任した時には三十を過ぎていたと聞く。地位に穴が空いたとはいえ、いささか早計ではないだろうか。
「親馬鹿の可能性は否定できませんな。それでも、承認なさったのはエヴァート陛下です。人物については、あなた自身で見極めたほうがよろしいでしょう。なんせ、最近の若い娘はなかなか侮れませんので」
と、ゲノスは笑ってアルヴァを見やった。
「なるほど」
アルヴァはそこで一息ついて、ようやく着席した。ゲノスやソロン達も、そこでようやく席に着き出す。
「あのう……。謀反っていうと、帝都はやっぱり危険な状態なんでしょうか? 僕の仲間も帝都にいるはずなんですが……」
座ると同時に、おずおずと声を発したのはソロンだった。
帝都にはナイゼルやガノンドといった国の仲間がいる。その安否を気にしているのだろう。
「ううむ……。こちらまで伝わっている情報も限られたものでな。ただ、帝都全体を巻き込むような戦いがあったとは聞いていない。詳細は、やはりミューンに向かってから尋ねるのがよかろう」
ゲノスは大した面識のないソロンにも、真摯に答える。
「承知しました」
と、アルヴァは頷いた。
「――なるべく早く、ミューンへ出発しようと思います。将軍、夕方までに軍を招集できますか? もし間に合わないなら、小勢でも構いません」
今の時刻は昼過ぎである。大軍を急に招集するのは、あまりに厳しかった。それでも、ここは急ぐべき時だと考えたのだ。
「既に最低限の準備はできています。もし、あなたが戻らなければ、我々だけでも向かうつもりでしたからな。夕方までには、三千の軍と六十の船を招集できますが、いかがですかな?」
そんな要求にもひるむことなく、将軍は自信を持って答えた。
「十分です。ならば、お任せしましょう」
アルヴァは満足気に頷いた。