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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第八章 帝都決戦
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上帝の凱旋

 帝国本島の最北にある大防壁……。六隻の竜玉船が、そのそばを通り過ぎて南下していた。

 内三隻は帝国が所有する船。もう三隻はドーマ連邦に所属する船である。


 ドーマ連邦との同盟を締結(ていけつ)させた一同は、再び大雲海を引き返した。

 往路において、獣王の軍勢や魔物に襲われたことは記憶に新しい。けれど、今回はそういった問題もなく、つつがなく船旅は終わろうとしていた。


 そうして、旗艦に乗るソロンの視界に、町の姿が入ってきた。数ヶ月振りとなる帝国の町に、安堵の気持ちが沸き起こる。

 帝国最北の都市カンタニア……。北方防衛の(かなめ)としての役割を持つ城塞都市だった。

 町を囲む物々しい外壁が、雲海からも覗いている。外壁には雪が積もっており、それを兵士達が雪かきで落としていた。


 今は二月――帝国の暦でいえば雲海の月。冬の真っ最中だった。

 以前なら冬の寒さに震えたのだろうが、北方帰りの一行にとっては慣れたものである。

 やがて、雲海へと突き出た港が近づいてくる。そこだけがカンタニアの中で、城壁に囲まれていない部分だった。

 港には軍船が停泊しており、軍事拠点としての姿を垣間見せていた。



「なんだ、出迎えもなしかよ。久々の帝国だってのに、つまんねえなあ」


 港を目にしたグラットが声を上げた。旗艦オデッセイ号の船長たる彼は、舳先(へさき)へ近づいて港を確認していたのだ。


「そりゃ、こっちには何も伝えてないからね。グラットが期待するようなことは、帝都へ帰ってからだろうさ」


 ソロンはそう応えてから、アルヴァへと目をやった。


 アルヴァはいつもの黒服をまとい、自慢の黒髪をなびかせている。今は船団の総司令官として、仲間の船に異常がないか気を配っているようだ。

 その隣には、ミスティンとメリューの姿もある。

 ドーマの大使として同行しているメリューも、すっかり仲間達と打ち解けていた。亜人達の統率は、部下のラーソンに任せているらしい。


 アルヴァはこちらを振り向いて。


「ええ、先触れの船を通して、既に帝都へ伝わっているはずです。この機会に、あなた達も凱旋(がいせん)式の栄誉に授かるとよいでしょう。私達がここで用事を済ませている間に、お兄様が準備をしてくださるはず」


 ドーマの首都アムイに滞在していた折、アルヴァは最も速い船を選んで帝都へと先行させていた。もちろん、遠征の結果をいち早く帝都へ伝えるためである。


「へへっ、そいつは楽しみだねえ。軍を辞めた俺が凱旋式とはなあ」


 凱旋式という言葉を聞いて、グラットはだらりと表情をゆるめた。

 凱旋式とは大きな勝利や功績を挙げたものが、帝都へ帰還した際に行う式典である。かつて、アルヴァが北方から帰還した際にも執り行われた。

 もっとも、その当時のソロン達はあくまで聴衆の側だった。実際に行われれば、凱旋する側としては初めての経験となる。


「貴様。ただでさえしまりない顔が、よりだらしなくなっているぞ」

「ホントだ。変な顔」


 メリューとミスティンはいつも通り、容赦(ようしゃ)ない言葉をグラットへ投げつけた。


「仕方ねえだろ。凱旋式ってのは、男の浪漫(ろまん)なんだよ。女どもにゃ分かんねえだろうさ」


 芝居じみた口調でグラットは言ったが、アルヴァはなぜか頷いた。


「女ですが分かりますよ。二世紀前の女帝セーレインは、西方帝国に勝利し、盛大な凱旋式を執り行いました。かくいう私も、少女時代には憧れたものです。今回の式はそこまで大規模にはならないでしょうが、それでもそうそうないこと。存分に堪能するがよいでしょう」

「そ、そうか。まあ、お姫様はわりかし男だからな」


 饒舌(じょうぜつ)なアルヴァに意気を削がれたのか、グラットは適当な返事で応えた。


「いくらなんでも男扱いは失敬ですよ。……それより、そろそろ船長の出番ですが」


 グラットの失言にもさして気を悪くする様子もなく、アルヴァは港を指差した。船が船着き場に近づきつつあったため、その指揮が必要だったのだ。


「おう、任せときな」


 グラットはせわしく動きながら、船員達へ指示を出し始めた。段々と、船長の仕事も板についてきたようである。


 カンタニアに寄港する最大の目的は、ドーマから連れ帰った人間達を返すことだった。彼らはいずれも、この地方において獣王軍に滅ぼされた町村の出身である。


 紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、彼らはドーマの首都アムイに生活の基盤を持っていた。それでも、今回の機会を逃してはならないと、帝国に戻る意思を示したのだった。

 当然ながら、彼らが生まれ育った町村は既にない。祖国へ戻ったところで生活する(すべ)はないのだ。そこでアルヴァは、カンタニア城主である公爵へ支援を頼むつもりだったのだ。


 ところが、カンタニア港に降り立った一行を待っていたのは、予想外の事態だった。

 港へと足を踏み入れたアルヴァに向かって、兵士達が駆け寄ってくる。まるでこちらが戻ることを、逐一待っていたかのようである。


「上帝陛下! ゲノス将軍がお待ちしております! 馬車にお乗りください!」


 兵士は息を切らしながら、アルヴァへと声をかけた。少し離れた場所には、馬車も用意されている。


「将軍が? 予定では帝都へ直行するつもりでしたが……」

「それが上帝陛下! 帝都で謀反が起こり、皇帝陛下が捕らえられたのです!」


 兵士は驚くべき報告をもたらしたのだった。


 *


「何が何だか……」


 急激な展開に、ソロンは混乱するばかりだった。

 あれから、アルヴァは兵士を問い詰めたものの「将軍にお聞きください」の一点張りだったのだ。恐らく、兵士自身も状況を把握していないのだろう。


 やむなく一同は馬車に乗り込み、ゲノス将軍が待つカンタニア城へ向かったのだった。

 馬車の窓からは、雪に包まれた美しい町並みが覗いている。だが、それを楽しむ余裕すら今はなかった。

 船団員の大半には、町で休憩するよう指示を出している。ソロンやグラット、ミスティンを含めた何人かだけが馬車に乗り込んだ。


「困惑しているのは私も同じだ」


 同じく、馬車に乗り込んだメリューも、とまどいを隠さなかった。彼女もドーマの代表として、ラーソンを船に残してやってきたのだ。ドーマの全権大使として、帝国の情勢を気にかけているようだった。


「…………」


 そんな中で、アルヴァは押し黙って窓の外を眺めていた。凍りついた表情からは極度の緊張が(うかが)える。敬愛する従兄の危機を耳にして、気が気でないのだろう。

 ミスティンすらも、アルヴァに声をかけるのをためらっている。ただ親友の様子を、心配そうに見つめるばかりだった。


 *


「どういうことですか!?」


 開口一番、アルヴァはゲノス将軍に詰め寄った。


 大きな体と角張った顔のいかめしい男である。並の女なら近寄るのも恐れるだろうが、アルヴァは例外だった。

 場所はカンタニア城の一階広間。出迎えたゲノスは、一行を応接間へ案内しようとしたのだが、アルヴァはその手間すら惜しかった。


「お伝えした通り、皇帝陛下が捕らえられたのです。安否は詳細不明ですが、反乱の首謀者はオトロスであると」


 対するゲノスも、それに応じた。応接間へと足を向けながら、単刀直入に告げたのだった。


「オトロス大公が……!? それは誠なのですか?」


 思わぬ名前にアルヴァは絶句した。足を速めてゲノスに並びながら、疑問を呈する。

 オトロス大公――アルヴァにとっては遠い親戚に当たる人物だ。

 アルヴァの曽祖父に当たるゼッカート帝――オトロス大公家を発足させたのが、その次男である。二代目に当たる現オトロス大公も、皇位継承権を持つ皇族であると同時に大貴族でもあった。


「ウソをついても仕方ありません」


 ゲノスは首をゆっくりと縦に振った。


「正直なところ……それほど大それたことをやる人物だとは、考えていませんでしたが……」


 押しも押されぬ大貴族とはいえ、オトロスはさほど存在感のある男ではない。正直に言えば、アルヴァが持つ印象は薄かった。


「ええ、私も同感です。元老院の中にも、協力者が多くいるようですな」

「厄介ですね。……ところで、ワムジー大将軍はどうされたのです」


 アルヴァはふと気づいて質問を重ねた。

 ワムジー大将軍は、アルヴァの父の代から仕える忠臣である。老いたりとはいえ、なんだかんだでアルヴァを支えてくれた人でもあった。彼ならば、大公に抵抗する軍をまとめ上げてくれるはずだが……。


「残念ながら、陛下と共に囚われているようです」

「そんな……」


 予想していたとはいえ、アルヴァは再び絶句するしかなかった。

 大将軍が囚われているとは、すなわち軍の頂点を抑えられているということ。話を聞けば聞くほど事態の深刻さを感じざるを得ない。


「…………」


 ゲノスは無言で頷くと、扉を開けて応接室へと一行を招き入れた。

 室内に入ったアルヴァは座りもせずに、ゲノスを見据え続けた。

 他の皆も緊張した面持ちで、立ったまま話を聞いている。そんな中で、ミスティンだけは頓着せずに、真っ先に椅子へ座った。


「ところで、そうやって話してくださるということは、あなたは私に味方してくださるのですか?」

「当然です。むしろ、なぜ私が連中に味方せねばならぬのです? 国家の守りより、自らの権益ばかりを考えていた奴らを」


 心外とばかりに、ゲノスは笑ってみせた。

 オトロスを始めとした中央の議員達は、北方防衛に消極的な者が多数だった。前線で戦ってきた将軍とは、積年のわだかまりがあるのだろう。


「失礼、それもそうですわね」


 アルヴァは穏やかに微笑を返し、言葉を続けた。


「――将軍、ドーマとの平和条約は無事調印されました。こちらのメリュー殿下が、全権大使として赴任される予定です」


 メリューはただ黙って話を注視していたが、アルヴァの紹介に応じて「うむ」と静かに頷いた。

 言葉少なではあるが、内容に興味がないわけではなさそうだ。なんせ物理的な意味で耳をピンと張っているので分かりやすい。ただ気を使って、帝国内部の問題に口を挟まぬよう心がけているらしい。


「おお……」


 ゲノスは目を見張って、メリューへと視線を向けた。

 ちなみに将軍は一度、使者として訪れたメリューを目にしている。あくまで彼が興味を持っているのは、平和条約についてだろう。


「また、帝国北方に亜人を送り込んでいた元凶――獣王は死に、その勢力は大いに減退しました。ドーマ大君も、その残党の殲滅(せんめつ)に積極的です。当分の間、北方が(おびや)かされることはないでしょう」

「我らが悲願の達成、ご尽力に感謝いたします」


 ゲノスは深々と頭を下げた。歴戦の将軍である彼は、不毛な戦いを続けることを喜ばなかったのだ。


「将軍、私はオトロス大公と戦います。共に帝都へ行ってくださいますか?」


 そうして、アルヴァは本題を切り出した。


「はっ……! その言葉をお待ちしていました。イセリア将軍が、ミューンで待っております」

「ほう、イセリア『将軍』ですか。というと、大将軍のご令嬢ですね」


 思い当たるイセリアといえば、大将軍の娘だ。生真面目な武人で、アルヴァの護衛を務めていたこともある。もっとも、アルヴァが知る直近の彼女は副将軍の地位だったが。


「その彼女です。エヴァート陛下の元で、先日昇格を果たしました。退役したベンゼル将軍の後任となります」

「ラザリック将軍と並んで若い将軍が増えましたか。私が言うのもなんですが、随分と思いきりましたね」


 ベンゼルは帝国十将軍の中でもワムジーを超えた最年長だったはずだ。退役自体に不審な点はない。

 ……が、そこでイセリアが昇進するのは、本当に妥当なのか。なんといってもイセリアは若く、まだ二十代の前半だったはず。

 父の大将軍ですら、将軍に就任した時には三十を過ぎていたと聞く。地位に穴が空いたとはいえ、いささか早計ではないだろうか。


「親馬鹿の可能性は否定できませんな。それでも、承認なさったのはエヴァート陛下です。人物については、あなた自身で見極めたほうがよろしいでしょう。なんせ、最近の若い娘はなかなか侮れませんので」


 と、ゲノスは笑ってアルヴァを見やった。


「なるほど」


 アルヴァはそこで一息ついて、ようやく着席した。ゲノスやソロン達も、そこでようやく席に着き出す。


「あのう……。謀反(むほん)っていうと、帝都はやっぱり危険な状態なんでしょうか? 僕の仲間も帝都にいるはずなんですが……」


 座ると同時に、おずおずと声を発したのはソロンだった。

 帝都にはナイゼルやガノンドといった国の仲間がいる。その安否を気にしているのだろう。


「ううむ……。こちらまで伝わっている情報も限られたものでな。ただ、帝都全体を巻き込むような戦いがあったとは聞いていない。詳細は、やはりミューンに向かってから尋ねるのがよかろう」


 ゲノスは大した面識のないソロンにも、真摯(しんし)に答える。


「承知しました」

 と、アルヴァは頷いた。

「――なるべく早く、ミューンへ出発しようと思います。将軍、夕方までに軍を招集できますか? もし間に合わないなら、小勢でも構いません」


 今の時刻は昼過ぎである。大軍を急に招集するのは、あまりに厳しかった。それでも、ここは急ぐべき時だと考えたのだ。


「既に最低限の準備はできています。もし、あなたが戻らなければ、我々だけでも向かうつもりでしたからな。夕方までには、三千の軍と六十の船を招集できますが、いかがですかな?」


 そんな要求にもひるむことなく、将軍は自信を持って答えた。


「十分です。ならば、お任せしましょう」


 アルヴァは満足気に頷いた。

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