二つの式典
シグトラの勝利と獣王の敗北は、広くドーマの島々へと流布された。竜玉船による島間交通が盛んなドーマは、帝国に劣らず情報の伝達が速かった。
そうして、ラーソンとジャコムを始め、大勢の人々がアムイへと戻ってきたのだった。
「メリュー殿下、おケガもないようで何よりです。ジャコム殿が獣王に敗北したと聞いて、どうなることかと思いましたが……」
ラーソンは城内のメリューの元まで、急いで足を運んできた。
「ふふ、そうか。だが、いらぬ心配だったな。我らと父様の力を持ってすれば、獣王など恐れるに足らん」
対するメリューはすっかり調子を取り戻し、得意気になっていた。
そして、イノシシ頭のスエズア太守ジャコム。彼は獣王との雲海戦で敗北しながらも、九死に一生を得ていた。
『いやあ、面目ない。戦いは我々が優勢に進めていたのですが、獣王が奇妙な魔物を操ってきましてね。そこに総攻撃を受けて、一気に崩されてしまいました。こちらも反撃はしたんですが、なにぶん数が劣勢で……。散り散りになってしまいました』
謁見に訪れたジャコムが、申し訳なさそうに頭をかいていた。大きく威圧感のある風体も、シグトラの前では不思議と小さく見えた。
『気にするな。獣王相手に渡り合うのは俺でも難しい。お前達が善戦して数を減らしてくれたからこそ、勝機は見えたのだ』
シグトラは鷹揚に笑って、ジャコムへと言葉をかけた。そこには既に王者の風格が備わっていた。
その他にも、退避していた君族や有力者達が、続々とシグトラの元へ駆けつけた。
スエズアに留めていたアルヴァの部下達も、竜玉船と一緒にアムイを訪れた。その辺りも、ラーソンは滞りなく図ってくれたようだ。
もちろん、グラットの愛船オデッセイ号もアムイまで運ばれている。
こうして一行はようやく、元の目的地までたどり着いたのだった。
*
事実上の大君となったシグトラの下で、アムイの城と町の再建が進んでいった。
そんな中、二つの式典の開催が決定した。定められた日程は、獣王との決戦から十日後である。
一つ目はシグトラの大君即位式。
二つ目はネブラシア帝国とドーマ連邦による友好条約の調印式である。
大君へと就任したシグトラが、その場でアルヴァと友好条約を交わすというものだ。
通常、このような式典を同時に開催することは珍しい。しかしそれもやむを得ない。戦いの傷跡は深く、盛大な式典を二度も催す余裕はなかったのである。
「そのほうが合理的ですわね」
と、アルヴァもその点については気にしなかった。
*
やがて、式典の日がやって来た。
生き残ったドーマの重鎮達が、続々と玉座の間へと姿を現した。
犬の亜人、ニワトリの亜人、トカゲの亜人……。さらには、水槽に浸かった魚の亜人まで存在している。
列席する人々の姿は、ここがイドリスとは比較にならないほど多様な種族が暮らす国であることを思わせた。
玉座の左前には、大君の一族たる君族が列席していた。いずれも銀色の髪をしており、人間の感性から見ても美しい者達だった。
もちろん、メリューもその中に堂々と混ざっていた。
彼女は相変わらず着物を身につけていたが、旅の途中と比較すれば格段に着飾っていた。帯の色は鮮やかで、朱塗りの髪飾りも華やかだ。
見た目はやはり子供だが、こうして見れば、子供にはない艶やかさもあるような気がしないでもなかった。
見る限り、銀竜には背丈の低い者が珍しくない。メリューより背が低く、子供のようにしか見えない者も幾人かいた。
その寿命の長さゆえ、成長までに時間がかかるのかもしれない。なんせ、混血のメリューでさえ、ソロン達よりも遥かに成長が遅いのだ。
一方、ソロン達はその反対の右前に立っていた。
その他ドーマの有力者も、左右に分かれて遠くに列席している。ジャコムやラーソンらもここに含まれていた。
「この場所、ちょっと近すぎない……?」
玉座に近い場所を割り当てられて、ソロンは緊張していた。玉座の右前に最も近いのは、アルヴァだったが、ソロンもその隣に配されていた。ミスティンとグラットはその後ろである。
ソロンにとっては、兄サンドロスの戴冠式以来となる式典だ。しかしながら、ここは故郷ではなく勝手が違った。周囲を見れば、見知らぬ顔ばかり。
「そりゃあ、特別待遇だからね。アルヴァとソロンは」
背中ごしにミスティンが答えた。
「アルヴァはともかく、僕は関係ないでしょ?」
「関係あるぜ。なんたって、獣王を倒した英雄だからな。その点、俺達は単なるお姫様の子分に過ぎん」
「そんなこと言われても、落ち着かないなあ……」
「大丈夫ですよ。あなたはそこで立っているだけですから」
アルヴァは至極、落ち着き払っていた。さすが、こういう場には慣れきっているらしい。
兵士が大声を上げ、扉が開かれた。
場内が静まり返り、シグトラが姿を現した。
飾り気のない白い衣の上に、マントを羽織っている。質素を好むシグトラらしい姿でありながら、威風堂々としたものを感じさせた。
腰には武力の象徴として刀を下げていた。蒼煌の代わりとなる刀を見つけたのだろうか。
列席する人々の間を、シグトラは悠然と歩いていく。表情にはさすがの余裕があって、ソロンのほうがよほど緊張していそうだ。
そうして、シグトラは玉座の前にたどり着いた。
振り向いて、居並ぶ人々を見下ろす。
シグトラがドーマ語で、何かを発した。言葉は分からないが、諸侯への挨拶だろうか。
それに応じて亜人達の代表が前に進み出ていく。
勇猛で忠義に厚そうな犬の亜人。
ギョロリとした目が怖いニワトリの亜人。
寒いらしく極端に厚着をしたトカゲの亜人。
イノシシ頭の亜人――これはスエズア太守ジャコムだ。
骨をかぶった亜人は、竜骨の町の太守ヤズーとその息子カズーだ。
相変わらず顔は分からないが、ミスティンとメリューによればアナグマなのだそうだ。どうやら、下界からも何人か代表を招いているらしかった。
そうして、権力者らしき亜人が、次々と口上を述べていく。彼らは各諸侯の代表として、シグトラの君位に賛同を示しているのだ。
王冠の授与は行わなかったが、これが正しい儀礼なのだそうだ。
ドーマの君位は、まず銀竜族の間で認められる必要がある。だが、それだけでは大君の資格を得たとはいえない。
ドーマはあくまで連邦であって、帝国ではない。つまりは複数の国から構成される国家なのだ。大君とは盟主ではあるけれど、王冠を頂く君主ではない。
そのため、諸侯から盟主と認められることで、初めて大君は大君足り得るのだ。
どうやら、これで就任式は終わったらしい。
「アルヴァネッサ陛下、どうぞ大君の元へ」
列から進み出たラーソンが、機を見てアルヴァへと声をかけた。次の調印式については、彼が補佐してくれるらしい。
前側に列席していたアルヴァは、すぐにシグトラの前へ進み出た。
帝国の代表として立ったアルヴァは、やはり帝国式のドレスで着飾っていた。久々の黒い衣装に、銀の髪飾りをあつらえている。普段の彼女なら毛嫌いしそうな重々しい衣装である。
「まずはシグトラ陛下のご即位、お祝い申し上げます」
アルヴァは敬々しく礼をした。丁寧な所作ではあるが、ひざまづきはしない。上帝として対等な条約を結ぶ以上、必要以上に謙ってはいけないのだ。
ラーソンがその言葉をドーマ語へと通訳し、亜人達へと伝えていく。
『ドーマ連邦大君シグトラより、ネブラシア帝国皇帝へ。両国に永き友好をもたらさんことを』
大君シグトラが口にした言葉を、ラーソンが通訳してくれる。
もちろんシグトラにしても、帝国語を話すことはできる。それでも、ドーマ語を使うのは、列席する重鎮達に伝えるためである。
「ネブラシア帝国皇帝エヴァートに代わり、上帝アルヴァネッサがお受けします。両国の友好を約束いたしましょう」
『獣王国の勢力を共に排さんことを。また、ザウラスト教団の野望を、共に砕かんことを』
アルヴァと新しい大君の間で、握手が交わされた。
続いて、玉座の前にテーブルが運ばれてくる。
その上に乗せられている羊皮紙が二枚。ドーマ語と帝国語のそれぞれでつづられている。これが二国間の条約の証書となるのだ。
アルヴァはさらりと羊皮紙に目を通し、二枚分の署名をした。内容は事前に打ち合わせているらしく、迷う様子はなかった。
後はこれを皇帝と元老院の元へ持ち帰り、承認を得ることになるのだ。
シグトラも同じようにして署名を果たす。
帝国とイドリス、帝国とドーマ……。期せずして、アルヴァは帝国と二つの国をつなげる役割を果たしたのだった。