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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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天上計画

「地球……?」


 聞き慣れない師の言葉に、アルヴァは怪訝(けげん)な目を向ける。


「天体としてのこの世界を表す言葉だ。太陽、月、数多(あまた)の星々……。この世界も宇宙に浮かぶ星の一つであり、我らは地球と呼んでいる。その名の通り、下界の大地は球体なのだ」


 シグトラは地面を指差しながら、驚くべき世界観を示した。

 呪海に囲まれた大地があって、その上に上界が浮かんでいる。ソロン達の世界観は、精々がその程度のもの。世界の形など推測する以上はできないのだ。


「この世界が球体? そんな馬鹿げた話が……!?」


 案の定、アルヴァは唖然(あぜん)とした顔を見せた。


「たが事実だ。下界は球体であり、上界もそれに沿う形で存在している。雲平線や地平線の向こうにある山が、なぜ低く見えるのか? お前に説明できるか?」

「それは世界が湾曲しているからではありませんか? この世界が球体である証明にはなりません」

「む……。お前、なかなか強情だな」


 アルヴァの反論に、シグトラは気勢を削がれたようだった。


「帝国における主要学説を述べたまでです。証明があるならそれで信用しますので、ご教示願えますか?」

「いや、悪いが今となっては証明困難だ。遥か昔、偉大なる冒険者は下界の大海を周回し、世界が球体であると証明したという。しかし、限られた世界に生きる我らには困難だ。ゆえに、今はただ信じてもらいたい」


 どこか無念をにじませた口調で、シグトラは語った。


「……分かりました、先生がそうおっしゃるなら。確かに世界が球体であったと仮定しても、一定の整合性は保たれると思います。何より、興味深い話ですので、先をお聞かせください」


 半信半疑ながらも、アルヴァは興味には勝てなかったようだ。そうして、形だけでも信じることにしたらしい。

 アルヴァの態度に、シグトラは不服そうだったが。


「では続けるぞ。……地球は大海に包まれた美しい星であった。海の恵みが大地に緑を与え、緑が生命を富ませた。文明は発達し、かつての下界には億を超える人数が暮らしていたという」

「いくらなんでも、億は誇張しすぎじゃないですか? イドリスなんて、あれだけの領土を合わせて十万人もいませんよ」


 ソロンはすかさず口を挟んだ。億などという数は、人を数えるための単位ではない。使うとすれば、精々が国家財政ぐらいだろう。


「いや、国全体で十万ないって、どんだけだよ……」

「さすがに……。お祖父様の領土だけでも、十万は超えていますね」

「ソロンの田舎者」


 ソロンの認識はすげなく否定された。


「今の上界でも、一千万を大きく超える人々が住んでいる。当時の下界はそれよりも遥かに広大で、文明も発達していた。そう考えれば、億という数字にも不思議はあるまい」

「そ、そうですか……。どうぞ進んでください」


 ソロンはしょんぼりと頭を垂れた。やはり、イドリス人は田舎者なのか……。


「……だが、今より二八〇〇年前、空から落ちてきたカオスが海を乗っ取り、星を(けが)した。それがお前達の知る呪海だ。呪海は生物を変異させ、世界には魔物があふれ返った。あまりに多くの者が死に、多くの文献が消え失せた」


 シグトラの言った通り、それはソロンの知る下界の神話にも似ていた。だが、具体的な史実としての年代は初耳である。


「師匠、呪海とは……カオスとは一体なんですか?」


 ソロンは駄目元で質問した。

 いかにシグトラとはいえ、答えられるとは思えない。それでも、ソロンよりはマシな見識を披露してくれるかもしれなかった。


「さてな。教団によれば、世界に破壊と創造をもたらす神の意思ということになるが……。俺達から見れば、世界に害をなす存在としか言いようがなかろう。獣王やザウラストの連中のように、あのような力を借りるのは正気ではないのだ」

「なんか、凄い話になってきたねえ」


 ミスティンはあまり話についていけない様子だったが、どことなく圧倒されているらしい。


「さて、お前達も呪海を見たなら分かるだろう。呪海によって(すた)れゆく世界から逃げることは、そこに住む者達の悲願であった」

「…………」


 みな食事する手を止めて、シグトラの口元に注目していた。こうして語られることは、まさしく世界の神秘そのものなのだ。

 いや、ミスティンだけは手と口を動かしていたが、それでも、どことなく神妙な顔つきになっていた。

 メリューにとっては既知の話であるせいか、驚いた様子はない。ただ、こちらの反応を興味深そうに見守っていた。


「それは天上計画と呼ばれるものだった。各国は力を合わせ、雲海を創り出した。雲海は大地を抱きかかえ、空へと飛び上がる。百年の歳月をかけて、天上の楽園が生み出されたのだ」

「そんなことを成せる技術がどこにあったのですか? にわかには信じられませんが……」


 なおも疑いの目で、アルヴァはシグトラを見た。


「ああ、当時の者達もそれほどの技術は持っていなかったらしい。だが、呪海以前――下界を支配していた大帝国の技術は別格だった。大帝国の遺産と人々の努力が、奇跡を成し得たのだ」

「下界の大帝国ですか……。雲の上で暮らしていた我々には、知りようもありませんね」

「付け加えれば、あの星霊銀も大帝国の遺産の一つだ」

「そもそも、星霊銀とは何なのですか? こうなれば、聞けることは聞かせていただきますよ」


 アルヴァは情報の洪水に、半ばヤケになっているようだった。


「ご先祖によれば、星の生命力を引き出す物質だそうだ。銀と呼ばれているのは、見た目が似ているからに過ぎん。この星に元来は存在しなかった異物――つまりカオスとは相性が悪いのだろう」

「それじゃ、今の下界にどうして人が残っているんですか?」


 ソロンもアルヴァに負けじと質問する。


「新世界に移ることができたのは、選ばれし者達だけだったからだ」

「選ばれし者達っていうのは?」


 下界――選ばれなかった側の代表として、ソロンは質問を重ねた。


「権力者と金持ちだ。人数にして十万程度だったと記録されている」

「……うわ、身も(ふた)もねえなあ。てか、上界だったら、もっと人乗せれるでしょ。今はその百倍はいるわけだし」


 あんまりな回答に、グラットは失望を(あら)わにした。


「いつの世もそんなものだ。多くの人を迎え入れれば、それだけ資源と食料の問題が発生する。今の上界がそうなっていないのは結果論だ。ともあれその結果、当初の上界は比較的差別のない社会になったという。なんせ、差別を受ける側の大半は下界に置いてきたわけだからな」

「師匠、物凄い皮肉ですね……。それじゃ、下界との交通手段を残したのは?」


 自らが持つ界門のカギ――ソロンはそれを意識しながら尋ねた。


「もったいなかったからだろう。いずれ滅びる世界とはいえ、全てが即座に消滅するわけではない。目ぼしい土地を優先して上界に移したわけだが、まだまだ下界のほうが土地も広いしな。置き忘れた物を回収したい気持ちもあっただろうし、資源や奴隷の入手先としても使えるわけだ」

「なるほど~、さすがは二人のお師匠さんだ。説得力たっぷり」


 と、ミスティンは納得していた。人の浅ましさがむき出しだが、確かに説得力は申し分なかった。


「もっとも、俺はそれだけだとも思わん。もう少し前向きな見解を述べれば、呪海の浸蝕を止める方法が、いつか見つかると夢見ていたのかもしれん」

「浸蝕を止める……。師匠、呪海は止められないんですか?」


 ソロンの発言は、突然の思いつきではない。それはサンドロスやナイゼルと、何度となく話し合った内容だった。

 下界人にとっては夢物語かもしれない。けれど、シグトラになら相談できると思えた。


「それは俺にも分からん。分かっていたら、イドリスにいた頃にお前達へ教えているさ」

「そりゃそうですよね」


 ソロンはわずかに落胆した。わずか――というのは、元から大して期待してなかったためである。


「ただ、呪海を止めたいという思いは俺も同じだ。俺が親父に無理を言ってまで旅に出たのは、各地の呪海を見るためでもあったからな。それでふと感じたのは、呪海は意思を持っているのではないかということだ」

「意思ですか……?」


 アルヴァが考え込むようにつぶやいた。


「表現を変えれば、呪海は生きている」

「それはまた、気持ち悪い発想ですね。だけど、なんとなく分かる気がします。うまく言葉にできないけど……」


 呪海を見た時のあの得体の知れない感覚……。『生きている』という表現は、その感覚に合致していた。


「呪海そのものが、一つの意思を持って世界を蝕もうとしている。だから、その意思さえ砕ければ……。もっとも、これは俺の妄想に過ぎんかもしれん」


 シグトラはそこまで話したところで、深く息を吐いた。長々と話して、疲れが出たのかもしれない。きっと、昨夜からほとんど眠っていないのだろう。


「――さて、俺の知っていることはこれぐらいだな。それともまだあるか?」


 そう言って、シグトラは話を打ち切ろうとした。その視線はアルヴァに固定されている。


「いいえ、とても有意義なお話でした。何かと失礼な発言をしたかもしれませんが、お詫びします」


 アルヴァは深々と頭を下げた。なんだかんだと言いながら、その態度には師への尊敬が(にじ)み出ていた。


「気にするな。どこまでも追究し、学んでいくのがお前の長所だ。そんな女だからこそ、俺はお前の教師を引き受けた。さて……。では、料理が冷めないうちに食べてしまえ」

「冷めないうちに――っていうか、もう冷めてますけどね」


 グラットが冷めきった料理を口にしてボヤいた。


「もったいないなあ。こんなおいしい料理を」


 一人ミスティンだけは、全ての料理を平らげていたのだった。

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