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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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蒼炎のソロン

 獣王が消滅しても、いまだアムイの夜が明ける気配はなかった。

 そして、獣王が死んだからといって、即座に戦いが終わるわけではない。

 ここは相変わらず戦場のど真ん中であり、崩れた市街地でもある。辺りにはいまだ敵が残っているかもしれないのだ。


 ……が、そんな可能性を思い浮かべることもなく。ソロンは目をつぶって、死んだようにぐったりしていた。

 今回の戦いでは、今までにないほど魔法を使用した。そして、魔法で消耗した精神力を補うには、休息が必要だった。

 戦いの緊張が途切れた今、ソロンの休息を妨げる者はもはやなかったのだ。


「なんだ、結局来たのかよ。ビビって来ねえのかと思ったぜ」


 倒れ込んだソロンの耳へと、話し声が聞こえてくる。どこか嬉しそうなグラットの声だった。


「たわけめ、少しばかり準備に手間取っただけだ。その上、こやつが走り回るから、追いかけるのに苦労したぞ」


 話し相手はメリューのようだった。こやつというのはソロンのことに違いないが、反応する気力が湧かない。


「まあ、ありゃ壮絶な追いかけっこだったもんな」

「時に……こやつは大丈夫なのか?」

「心配すんな。息はしてるし、大した外傷もねえ。ちょっとばかし魔法を使い過ぎただけだろ。それよか、お前の父ちゃんこそ大丈夫か?」

「ミスティンが治療してくれた。今は後始末に奔走されているはずだ」

「そいつは忙しいこったな」


 グラットが同情するように答えた。


「ソロン~!」「ソロン!」


 遠くから二人の呼び声が聞こえてきた。

 元気に近づいてくるミスティンの声と足音。それに隠れてはいたが、間違いなくアルヴァの声も聞こえた。


「死んでる!?」

「ねえよ!」


 ミスティンが上げた悲鳴を、グラットが即座に否定する。


「大丈夫ですか?」


 倒れ込んだソロンへと、アルヴァが心配そうに声をかけてきた。

 ささやくような優しい声なのに、随分とはっきり聞こえる。

 ソロンがゆっくりと目を開ければ、驚くほど間近に紅の瞳があった。


「!? だ、大丈夫」


 思わず悲鳴を上げるところだったが、すんでのところで飲み込んだ。

 それから、健在を伝えようとソロンはゆっくりと上体を起こす。アルヴァに顔をぶつけないよう気をつけながら。


「無理しなくともよいですよ。私達があなたを守ってあげますから」


 そう言って、アルヴァはソロンの背中へと手を回した。背中を抱くようにして支えてくれる。


「元気? ケガしてたら、私が治すけど」


 ミスティンもかがみ込んで、ソロンの顔を覗き込んできた。どこかケガをしていないか、丹念に体を見回してくる。


「大丈夫、疲れただけだから……」


 そう言ったソロンの語尾は既に弱々しかった。


「ならよかった。……さっきのカッコよかったよ、ソロン」


 ミスティンは安心したように微笑み、さらに付け加えた。


「そうかな……。逃げ回ってばっかりだったけどね」


 少し照れくさいが、褒められて悪い気はしない。


「いいや、俺から見ても見事だったぞ」


 そう言ってソロンを見下ろす大きな影は、シグトラのものだった。

 どうやら、二人の後ろを歩いていたらしい。


「ああ、師匠そっちはどうでしたか? まだ、獣王の手下が残ってるんですよね?」


 もはや考えるのも億劫(おっくう)だが、一応は聞いておかねばならない。


「残党がいないか捜索はしているが、見る限りは逃亡している。そもそも、獣王の変貌(へんぼう)を見て、士気を失う者も多かったようだ。誰しも、人ならざる者に従いたくはないからな」

「そりゃそうっすね。万が一、お姫様がバケモノになったら、俺も従い続ける自信はねえな」


 グラットが一人納得していた。


「変な仮定をしないでください」と、アルヴァが苦情を入れて。「それより、ザウラスト教団の神官はどうなりましたか?」


 ザウラスト教団こそが、獣王を神獣へと変貌させた元凶である。アルヴァがその行方を気にするのは当然だった。


「いつの間にか姿を消していた。恐らくは下界へ逃げたのだろう」

「……そうですか」


 アルヴァはかすかに落胆を見せた。


「捕まえたところで収穫はなかろう。どうせいつも通りの繰り言を抜かすだけだ。それに、俺が生きているのは、あいつらのお陰らしいからな。そう考えて、見逃してやったと思うことにした」

「どういう意味ですか?」


 これにはソロンが質問した。


「獣王が俺を殺さなかったのは、ザウラストに引き渡すためだったようだ。俺を呪海の生贄にしたかったらしい」


 そもそもシグトラの所在が分かったのも、その生贄がきっかけなのだ。ヤズーの配下が生贄を助けなければ、情報は得られなかっただろう。


「そういうことですか……。獣王は捕らえた師匠を、交渉材料にするつもりだったんでしょうね」

「あまり思い出したくはありませんが……」

 アルヴァが付け加えて。

「――確か、魔力に優れた者ほど生贄にふさわしい――と、ラグナイ王国の王子が語っていましたね」


 かつてのアルヴァや、ソロンの母ペネシアも生贄とされそうになったことがあった。それはなんといっても、彼女達が魔力に優れていたからだろう。

 ……ちなみに、アルヴァが思い出したくないのは、生贄にされかけたこと――ではなく、ラグナイ王子のほうだろう。


「うむ。上界下界を合わせても、父様に匹敵する者はいないからな。ザウラストが欲しがるのも無理はあるまい」


 メリューが妙なところで父を賞賛し出した。


「それでは、俺は部下達の元へ戻るとしようか」


 シグトラが立ち去ろうとしたところで。


「あの師匠……」


 おずおずとソロンは切り出した。


「どうした?」

「町、たくさん壊しちゃいましたけど……。そのごめんなさい」


 アムイはドーマにとって、伝統ある首都である。貴重な建物も多かったに違いない。


「いや、俺に謝られても困るぞ。どちらかというと、俺も壊した側だからな」

「あ~……。そう言えば火攻めとかしてましたもんね」

「う、うむ……。実を言うと、俺も気が重い。だが、お前らが壊した分についても、俺の責任でどうにかしておく。謝罪から復興まで全部任せておけ」


 シグトラは本当に気が重そうな顔で言った。この人でもそんな気分になることもあるんだな――と、ソロンは驚く。


「それじゃあ、お願いします」


 そう言ったところで、ソロンは思い出した。


「あ、師匠! これ、お返しします」


 かたわらに抜き身で置いていた刀を、ソロンは差し出した。

 蒼煌の刀――獣王との死闘を戦い抜いた友である。素晴らしい刀であることも痛く分かっていた。名残惜しい気持ちはあるが、それでも持ち主へ返さねばならない。

 ところが、シグトラはそれを受け取らなかった。


「くれてやると言っただろう。大事にするがいい」

「ほえっ? でも、師匠の愛刀なんでしょう?」

「しかるべき者が使うなら、俺も文句はない。それぐらいの礼をせねば、お前も報われんだろう」

「刀がなくなっちゃいますけど、師匠はどうするんですか?」

「蒼煌は貴重な刀だが、一本限りというわけではない。どのみち大君になれば、宝物庫から好きな武器を借用できるしな。それからこれが鞘だ。しまっておけ」


 そう言って、シグトラは鞘をソロンに握らせた。


「それじゃあ……頂きます」


 これ以上、渋る意味はなさそうだ。ありがたく受け取ることにした。なんだかんだ言って、ソロンも一丁前の刀使いである。名刀の魅力には逆らえなかったのだ。


「それではな。メリューはこいつらの面倒を頼む。もう敵はいないと思うが、気をつけてな」

「はい、父様もお気をつけて」


 刀を譲り終え、シグトラはどこか満足そうに去っていった。

 ソロンは蒼煌の刀を、鞘へと収めた。


「その刀いいよね……。さっきのソロン、凄くカッコよかった」


 ミスティンが刀を見て、どこかうっとりと称賛を繰り返す。


「うむ。そなたはよいなあ。父様から認められて……」


 メリューもまた羨望(せんぼう)の眼差しで見つめてくる。


「なんだ。パパのプレゼントが欲しかったのか?」

「そんなわけなかろう。だから、私を子供扱いするでない!」


 グラットのからかいに、メリューが声を荒げる。


「ねえ、なんかカッコいい二つ名つけようよ!」


 そんな流れを無視して、ミスティンが何事か言い出した。


「二つ名って、なに?」


 一応、聞いてみるのが礼儀だろう。


「蒼炎のソロンとか。強そうでカッコいいと思う」

「やめてよ、恥ずかしい……」

「そうですか? 私は悪くないと思いますよ。帝国だと、まだあなたは無名ですから、イドリス王国の宣伝にもなるでしょう」


 なぜか、アルヴァがミスティンに賛同してくる。


「そ、そう……?」


 イドリス王国王弟、蒼炎のソロン――やっぱり、痛々しい気がする……。

 ともあれ、ソロンは蒼煌の刀の鞘を背中へとしまった。紅蓮の刀と合わせて二つの鞘が並んだ。


「――ふわぁ……」


 と、ソロンの口からあくびがこぼれた。

 視界がぼんやりとしてくる。……まぶたが重い。鉛のように重い。

 このままアルヴァにもたれて眠り込んだら、やはり怒られるだろうか。


「こやつ限界だな。……城に戻るとするか。ソロン、起き上がれるか?」


 メリューはこちらの様子に気づいたらしく、手をつかんできた。

 アルヴァにも背中を押され、ソロンはやむなく起き上がる。

 眠い体を無理に動かして、歩き出すが――

 すぐにガクンと、転びそうになった。アルヴァが支えてくれたので、事なきを得たが……。


「仕方のない子ですね」


 アルヴァの苦笑する声が聞こえた。


「しゃーねえなあ」


 体を支えるやわらかな感触が離れ、代わりにがっしりとした腕につかまれた。そのまま、グラットらしき背中におぶわれていく。

 ……とても残念な気持ちになったが、もはや意思を伝える気力もない。

 背中の主が歩き出し、ソロンの体を揺らす。その揺れがソロンをさらなるまどろみへと誘っていく。


「ねえ、メリューの超能力で運べないの?」


 ミスティンが何やら珍妙な提案を始めた。間違いなく面白半分である。


「超能力ではない。念動魔法と言え。……どれ、やってみるか」


 それに乗るほうも乗るほうだが。

 ソロンは何かに包まれて、体を引っ張られるような感触を受けた。……少し痛いのでやめて欲しい。


「ん、おお! 背中がちょっと軽くなった気がするぞ」

「そうであろう。思い知ったか、わが念動魔法の力を」

「……って、おい、それだけか? 結局、俺が運ぶのかよ」

「当然だ。そんな重いもの、持ち上げたら疲れるであろう。父様なら平気でやるだろうがな」

「意外と役に立たないね」

「そなた、言ってくれるではないか。いいだろう。銀竜の力、今一度見せてやろう」


 遠慮のないミスティンの発言に、メリューはムキになって答えた。同時に、ソロンの体がさらに強く引っ張られる感触があった。


「おやめなさい。ソロンを玩具扱いしないでください」

「んぐ……いや、そんなつもりは……」


 ソロンの体が重力に引っ張られ、グラットらしき背中にまた落ち着いた。


「や~い、怒られた!」

「今のはそもそもそなたが――!」


 まどろみの中で、ソロンはそんなやり取りを聞いていた。

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