蒼炎のソロン
獣王が消滅しても、いまだアムイの夜が明ける気配はなかった。
そして、獣王が死んだからといって、即座に戦いが終わるわけではない。
ここは相変わらず戦場のど真ん中であり、崩れた市街地でもある。辺りにはいまだ敵が残っているかもしれないのだ。
……が、そんな可能性を思い浮かべることもなく。ソロンは目をつぶって、死んだようにぐったりしていた。
今回の戦いでは、今までにないほど魔法を使用した。そして、魔法で消耗した精神力を補うには、休息が必要だった。
戦いの緊張が途切れた今、ソロンの休息を妨げる者はもはやなかったのだ。
「なんだ、結局来たのかよ。ビビって来ねえのかと思ったぜ」
倒れ込んだソロンの耳へと、話し声が聞こえてくる。どこか嬉しそうなグラットの声だった。
「たわけめ、少しばかり準備に手間取っただけだ。その上、こやつが走り回るから、追いかけるのに苦労したぞ」
話し相手はメリューのようだった。こやつというのはソロンのことに違いないが、反応する気力が湧かない。
「まあ、ありゃ壮絶な追いかけっこだったもんな」
「時に……こやつは大丈夫なのか?」
「心配すんな。息はしてるし、大した外傷もねえ。ちょっとばかし魔法を使い過ぎただけだろ。それよか、お前の父ちゃんこそ大丈夫か?」
「ミスティンが治療してくれた。今は後始末に奔走されているはずだ」
「そいつは忙しいこったな」
グラットが同情するように答えた。
「ソロン~!」「ソロン!」
遠くから二人の呼び声が聞こえてきた。
元気に近づいてくるミスティンの声と足音。それに隠れてはいたが、間違いなくアルヴァの声も聞こえた。
「死んでる!?」
「ねえよ!」
ミスティンが上げた悲鳴を、グラットが即座に否定する。
「大丈夫ですか?」
倒れ込んだソロンへと、アルヴァが心配そうに声をかけてきた。
ささやくような優しい声なのに、随分とはっきり聞こえる。
ソロンがゆっくりと目を開ければ、驚くほど間近に紅の瞳があった。
「!? だ、大丈夫」
思わず悲鳴を上げるところだったが、すんでのところで飲み込んだ。
それから、健在を伝えようとソロンはゆっくりと上体を起こす。アルヴァに顔をぶつけないよう気をつけながら。
「無理しなくともよいですよ。私達があなたを守ってあげますから」
そう言って、アルヴァはソロンの背中へと手を回した。背中を抱くようにして支えてくれる。
「元気? ケガしてたら、私が治すけど」
ミスティンもかがみ込んで、ソロンの顔を覗き込んできた。どこかケガをしていないか、丹念に体を見回してくる。
「大丈夫、疲れただけだから……」
そう言ったソロンの語尾は既に弱々しかった。
「ならよかった。……さっきのカッコよかったよ、ソロン」
ミスティンは安心したように微笑み、さらに付け加えた。
「そうかな……。逃げ回ってばっかりだったけどね」
少し照れくさいが、褒められて悪い気はしない。
「いいや、俺から見ても見事だったぞ」
そう言ってソロンを見下ろす大きな影は、シグトラのものだった。
どうやら、二人の後ろを歩いていたらしい。
「ああ、師匠そっちはどうでしたか? まだ、獣王の手下が残ってるんですよね?」
もはや考えるのも億劫だが、一応は聞いておかねばならない。
「残党がいないか捜索はしているが、見る限りは逃亡している。そもそも、獣王の変貌を見て、士気を失う者も多かったようだ。誰しも、人ならざる者に従いたくはないからな」
「そりゃそうっすね。万が一、お姫様がバケモノになったら、俺も従い続ける自信はねえな」
グラットが一人納得していた。
「変な仮定をしないでください」と、アルヴァが苦情を入れて。「それより、ザウラスト教団の神官はどうなりましたか?」
ザウラスト教団こそが、獣王を神獣へと変貌させた元凶である。アルヴァがその行方を気にするのは当然だった。
「いつの間にか姿を消していた。恐らくは下界へ逃げたのだろう」
「……そうですか」
アルヴァはかすかに落胆を見せた。
「捕まえたところで収穫はなかろう。どうせいつも通りの繰り言を抜かすだけだ。それに、俺が生きているのは、あいつらのお陰らしいからな。そう考えて、見逃してやったと思うことにした」
「どういう意味ですか?」
これにはソロンが質問した。
「獣王が俺を殺さなかったのは、ザウラストに引き渡すためだったようだ。俺を呪海の生贄にしたかったらしい」
そもそもシグトラの所在が分かったのも、その生贄がきっかけなのだ。ヤズーの配下が生贄を助けなければ、情報は得られなかっただろう。
「そういうことですか……。獣王は捕らえた師匠を、交渉材料にするつもりだったんでしょうね」
「あまり思い出したくはありませんが……」
アルヴァが付け加えて。
「――確か、魔力に優れた者ほど生贄にふさわしい――と、ラグナイ王国の王子が語っていましたね」
かつてのアルヴァや、ソロンの母ペネシアも生贄とされそうになったことがあった。それはなんといっても、彼女達が魔力に優れていたからだろう。
……ちなみに、アルヴァが思い出したくないのは、生贄にされかけたこと――ではなく、ラグナイ王子のほうだろう。
「うむ。上界下界を合わせても、父様に匹敵する者はいないからな。ザウラストが欲しがるのも無理はあるまい」
メリューが妙なところで父を賞賛し出した。
「それでは、俺は部下達の元へ戻るとしようか」
シグトラが立ち去ろうとしたところで。
「あの師匠……」
おずおずとソロンは切り出した。
「どうした?」
「町、たくさん壊しちゃいましたけど……。そのごめんなさい」
アムイはドーマにとって、伝統ある首都である。貴重な建物も多かったに違いない。
「いや、俺に謝られても困るぞ。どちらかというと、俺も壊した側だからな」
「あ~……。そう言えば火攻めとかしてましたもんね」
「う、うむ……。実を言うと、俺も気が重い。だが、お前らが壊した分についても、俺の責任でどうにかしておく。謝罪から復興まで全部任せておけ」
シグトラは本当に気が重そうな顔で言った。この人でもそんな気分になることもあるんだな――と、ソロンは驚く。
「それじゃあ、お願いします」
そう言ったところで、ソロンは思い出した。
「あ、師匠! これ、お返しします」
かたわらに抜き身で置いていた刀を、ソロンは差し出した。
蒼煌の刀――獣王との死闘を戦い抜いた友である。素晴らしい刀であることも痛く分かっていた。名残惜しい気持ちはあるが、それでも持ち主へ返さねばならない。
ところが、シグトラはそれを受け取らなかった。
「くれてやると言っただろう。大事にするがいい」
「ほえっ? でも、師匠の愛刀なんでしょう?」
「しかるべき者が使うなら、俺も文句はない。それぐらいの礼をせねば、お前も報われんだろう」
「刀がなくなっちゃいますけど、師匠はどうするんですか?」
「蒼煌は貴重な刀だが、一本限りというわけではない。どのみち大君になれば、宝物庫から好きな武器を借用できるしな。それからこれが鞘だ。しまっておけ」
そう言って、シグトラは鞘をソロンに握らせた。
「それじゃあ……頂きます」
これ以上、渋る意味はなさそうだ。ありがたく受け取ることにした。なんだかんだ言って、ソロンも一丁前の刀使いである。名刀の魅力には逆らえなかったのだ。
「それではな。メリューはこいつらの面倒を頼む。もう敵はいないと思うが、気をつけてな」
「はい、父様もお気をつけて」
刀を譲り終え、シグトラはどこか満足そうに去っていった。
ソロンは蒼煌の刀を、鞘へと収めた。
「その刀いいよね……。さっきのソロン、凄くカッコよかった」
ミスティンが刀を見て、どこかうっとりと称賛を繰り返す。
「うむ。そなたはよいなあ。父様から認められて……」
メリューもまた羨望の眼差しで見つめてくる。
「なんだ。パパのプレゼントが欲しかったのか?」
「そんなわけなかろう。だから、私を子供扱いするでない!」
グラットのからかいに、メリューが声を荒げる。
「ねえ、なんかカッコいい二つ名つけようよ!」
そんな流れを無視して、ミスティンが何事か言い出した。
「二つ名って、なに?」
一応、聞いてみるのが礼儀だろう。
「蒼炎のソロンとか。強そうでカッコいいと思う」
「やめてよ、恥ずかしい……」
「そうですか? 私は悪くないと思いますよ。帝国だと、まだあなたは無名ですから、イドリス王国の宣伝にもなるでしょう」
なぜか、アルヴァがミスティンに賛同してくる。
「そ、そう……?」
イドリス王国王弟、蒼炎のソロン――やっぱり、痛々しい気がする……。
ともあれ、ソロンは蒼煌の刀の鞘を背中へとしまった。紅蓮の刀と合わせて二つの鞘が並んだ。
「――ふわぁ……」
と、ソロンの口からあくびがこぼれた。
視界がぼんやりとしてくる。……まぶたが重い。鉛のように重い。
このままアルヴァにもたれて眠り込んだら、やはり怒られるだろうか。
「こやつ限界だな。……城に戻るとするか。ソロン、起き上がれるか?」
メリューはこちらの様子に気づいたらしく、手をつかんできた。
アルヴァにも背中を押され、ソロンはやむなく起き上がる。
眠い体を無理に動かして、歩き出すが――
すぐにガクンと、転びそうになった。アルヴァが支えてくれたので、事なきを得たが……。
「仕方のない子ですね」
アルヴァの苦笑する声が聞こえた。
「しゃーねえなあ」
体を支えるやわらかな感触が離れ、代わりにがっしりとした腕につかまれた。そのまま、グラットらしき背中におぶわれていく。
……とても残念な気持ちになったが、もはや意思を伝える気力もない。
背中の主が歩き出し、ソロンの体を揺らす。その揺れがソロンをさらなるまどろみへと誘っていく。
「ねえ、メリューの超能力で運べないの?」
ミスティンが何やら珍妙な提案を始めた。間違いなく面白半分である。
「超能力ではない。念動魔法と言え。……どれ、やってみるか」
それに乗るほうも乗るほうだが。
ソロンは何かに包まれて、体を引っ張られるような感触を受けた。……少し痛いのでやめて欲しい。
「ん、おお! 背中がちょっと軽くなった気がするぞ」
「そうであろう。思い知ったか、わが念動魔法の力を」
「……って、おい、それだけか? 結局、俺が運ぶのかよ」
「当然だ。そんな重いもの、持ち上げたら疲れるであろう。父様なら平気でやるだろうがな」
「意外と役に立たないね」
「そなた、言ってくれるではないか。いいだろう。銀竜の力、今一度見せてやろう」
遠慮のないミスティンの発言に、メリューはムキになって答えた。同時に、ソロンの体がさらに強く引っ張られる感触があった。
「おやめなさい。ソロンを玩具扱いしないでください」
「んぐ……いや、そんなつもりは……」
ソロンの体が重力に引っ張られ、グラットらしき背中にまた落ち着いた。
「や~い、怒られた!」
「今のはそもそもそなたが――!」
まどろみの中で、ソロンはそんなやり取りを聞いていた。