一筋の閃光
冬のアムイに熱波が吹き荒れる。
広間を囲む建物が炎上する光景を、ソロン達は坂の上から眺めていた。
シグトラが町を犠牲にする覚悟で、火攻めをしたのだろう。
けれど効果は限定的で、獣王は健在なようだった。
異形となった獣王は、今も広間のそばでおぞましい雄叫びを上げている。それは燃え上がる炎の中で暴れ狂っていた。
奮闘していたはずのシグトラ軍も、弓を射る兵士達の腕が止まりだす。成果のない戦いに、無力を感じざるを得なかったのだろう。
「父様……!」
悲鳴に近い叫び声を、メリューはどうにか飲み込んだ。今は、こちらが注目を浴びるべきではなかったのだ。
「メリュー、早くやろう。それでどうするの?」
ミスティンはそんなメリューの肩をつついた。
風伯の弓を右手に持って、ミスティンは既に準備態勢を取っている。まだ獣王との距離は離れているが、彼女にとっては既に射程圏なのだ。
辺りに敵兵の姿もなく、狙い撃つには絶好の条件でもある。
「う、うむ。まずは星霊銀の矢に魔力を蓄えるのだ」
「私が?」
ミスティンが言えば、メリューは首を横に振る。
「上帝に頼んでもよいか? 疲れているところすまないが、魔法についてはそなたが信頼できる」
そうして、メリューは矢の一本を、アルヴァへと差し出した。
「お気になさらず」
アルヴァは受け取り、矢羽の辺りを握りしめた。
アルヴァが魔力を込めるや、星霊銀がかすかに輝き出す。経験のない魔法系統にしては、上々な滑り出しのようだ。
「反応がよいですわね」
アルヴァはさらに強く魔力を込めていく。
「ぎゃっ、まぶしい!?」
ソロンは思わず手で遮った。
矢の輝きが増していき、目もくらむようなまばゆい光となったのだ。近くで見れば、まるで真昼の太陽の如しである。
「ん、はぁ……!」
アルヴァは呼吸を乱しながらも、魔力を込め続けた。やはり、それなりに消耗は大きいようだ。
「よし、もうよいぞ。ミスティンに渡せ」
メリューの指示に従って、アルヴァはミスティンへと矢を手渡した。
アルヴァの手を離れても、矢の輝きは途切れなかった。
「てか、まぶしすぎるだろ。大丈夫か、それ?」
光を手で遮りながら、グラットはミスティンを見た。
「余裕。あんなおっきな的、目をつぶってても外さないよ」
ミスティンも空色の瞳をまぶしげに細めていたが、自信を隠さなかった。
そうして、左手に持った矢を右手の弓へとつがえていく。両手には衝撃を緩和するための手袋をはめていた。
「予備の矢もまだまだ残っておる。外してもよいから気張らずに射つがよい」
「外さないから」
ミスティンの口調は少しだけムッとしていたが、今はそれが頼もしかった。
矢の輝きによって、この周囲だけが目立って明るい。
だが、騒がしい戦場の中で、獣王がこちらに気づく気配もなかった。
獣王の周囲には、相も変わらず赤黒い瘴気がまとわりついている。あれこそが混沌の障壁……。あれを今から破壊するのだ。
ミスティンは強く弓を引き絞って、狙いを定めた。
風伯の弓を中心にして、涼やかな風が巻き起こる。後ろにくくった金色の髪が、風に吹かれて舞い踊っていた。
ミスティンの左手が離され、星霊銀の矢が放たれた。
空を切る音と共に、一筋の閃光が深夜の街を突き進む。
閃光は赤黒い瘴気を貫き、異形となった獣王へと突き刺さった。
星霊銀の矢は、一層の輝きを獣王の元で放ち出す。まるで獣王の体と反応しているかのようだ。
獣王が耳障りな咆哮を上げてもだえ苦しむ。その周囲を包んでいた赤黒い瘴気が、徐々に晴れていく。
シグトラがこちらに気づき、『よくやった』とばかりに笑った。
「――!」
それから、手を掲げてドーマ語の号令を下す。
苦しみ出した獣王を見て、兵士達も勢いを取り戻した。次々と矢を放ち、獣王に攻撃の雨を浴びせていく。矢は遮られることもなく、獣王へと突き刺さった。
「行ってくる!」
ソロンは飛び出し、坂を駆け下り出した。
これで戦いが終わるわけではない。二度の神獣戦を経験したソロンには、分かり切ったことだった。
同時に右手で刀を持ちながら、魔力を込めるのも忘れない。出し惜しみはせず、自分が放てる最高の一撃を準備しておく。
「んじゃ、俺も!」
グラットも迷わずそれに続いてくる。
「ううむ……」
メリューが後ろで考え込んでいた。
意外なことに、彼女が付いてくる気配はなかった。
なんだかんだいって、戦いが怖いのかもしれない。それも無理はないか――と、ソロンは走りながら考えていた。
* * *
先程とはうって変わって、獣王は苦痛の叫び声を上げた。まとわりつく炎と無数の矢が、着実に痛手を与えているのだ。
とどめを刺すならば、この機しかない。
シグトラは蒼煌の刀を頭上に掲げた。残った魔力を振り絞り、全てを獣王にぶつけようと振り下ろす。
『焼き尽くせっ!』
刀が唸りを上げて、洪水のような蒼炎が獣王に押しかける。
獣王は爪を突き出し、それに真っ向から立ち向かってきた。
風圧を受けた蒼炎は、散り散りになりながらも獣王の巨体を包み込む。
一層の苦痛に獣王は咆哮した。それでもなお、シグトラをめがけて突き進んでくる。
『ぐっ……! ならば――』
シグトラはもう一度、炎を放つため刀を突き出した。
しかし、刀が輝くことはなかった。
度重なる蒼炎の魔法によって、ついに強靭な彼の精神にも限界が来たのだ。
『ちいっ! この俺が……!?』
シグトラの足元がふらつく。
獣王はそれを見逃さなかった。血走った眼光が、宿敵であるシグトラを狙い定める。
次の瞬間、獣王は巨体に似合わぬ跳躍をした。そして、降下と同時に拳を地面に叩きつけてくる。
シグトラは跳び上がり、どうにか直撃を避けた。
だが――
「ぬうっ……!」
路面をエグるような風圧が、シグトラを襲った。
空中で踏ん張ることはできず、シグトラの体が吹き飛ばされる。
長身のシグトラも異形の獣王に比較すれば、赤子にも劣る存在でしかなかったのだ。
* * *
走るソロンは、地面に伏したシグトラの姿を認めた。
起き上がろうと藻掻くシグトラに、獣王がとどめを刺そうと足を踏み出す。
「させない!」
ソロンは紅蓮の刀を獣王へと突き出した。溜め込んだ魔力を、走る勢いに乗せて一気に解放する。
渦巻く紅炎が、獣王の横腹めがけて走り出す。紅炎は爆炎となり、獣王の巨体を打ちのめしていく。
「よっしゃ、任せろ!」
グラットはその瞬間を見逃さず、シグトラの元へと駆け寄る。その体を抱えて、物陰へと走り去った。
地面に手をついて踏ん張っていた獣王が、獲物を逃すまいと動き出そうとする。
そこへ疾風のように矢が飛来し、獣王の側頭に刺さった。ミスティンが遠方から矢を狙い射ったのだ。
獣王はうなりを上げて、頭の矢を引き抜いた。赤黒い霧状の血飛沫が、傷跡から噴き上がる。
ソロン達の奮闘に勇気づけられたのか、兵士達も矢を射ってくれた。乱れ撃つ攻撃に、獣王はいらだたしげに腕を振り回す。
その隙をぬって、ソロンは師の元へと走り寄った。
「大丈夫ですか、師匠!?」
ソロンはかがみ込み、シグトラの顔を覗いた。
「すまん……俺も焼きが回ったようだ」
グラットの腕から降りたシグトラは、上体を起こしながら答えた。
「いいですよ別に。あんなの敵にしたら、師匠以外じゃ足止めもできませんから」
「だが……俺の精神力は尽きたようだ。蒼炎はもう撃てん」
シグトラは苦々しげに蒼煌の刀を見やった。倒れた時も、彼は愛刀を手放さなかったのだ。
「そんじゃあ、俺達だけであれを相手にしろってことですかね?」
グラットが不安げな顔で言った。ソロンも同じくして、不安に包まれる。
シグトラ抜きで、あの獣王に勝てるだろうか……。
今も大勢の兵士達が、獣王に矢を投じている。
だが、獣王はそれを鬱陶しそうに弾くばかりだ。攻撃を続けたところで、とても決め手になるとは思えない。やはり、シグトラのような強力な攻撃が不可欠なのだ。
「案ずるな。俺にいい考えがある」
二人の顔色を見て取って、シグトラは言った。
そうして、蒼煌の刀をソロンへと差し出す。
「師匠、何を!?」
「くれてやる! お前がこれであいつを討て!」
「師匠! でも僕は……」
蒼煌の刀――ソロンが憧れ続けた魔刀……。
それを前にしてソロンは躊躇した。どんな達人であろうとも、魔法武器を即座に振るうことは難しい。
帝都における神獣との戦いではうまくいったものの、常にやれる保証はなかった。
「迷わず取れ! 今のお前なら使いこなせる!」
そうしている間にも、兵士達は獣王の前に蹂躙され続けていた。シグトラを欠いたことによって、潮が引くように勢いを失ってしまったのだ。
「師匠……」
ソロンは意を決して、蒼煌の刀を握りしめた。代わりに、紅蓮の刀を背中の鞘へと収める。
迷っている暇はない。シグトラが刀を振るえない以上、それができるのはソロンだけだ。
ソロンは立ち上がり、静かに蒼煌の刀を掲げた。
そして、ゆっくりと魔力を込めていく。まずは軽く魔力を流して、反応を見るのが第一歩だ。
闇夜の中で青白い刀身が、怪しく輝き出した。
「いいぞ、もう少し力を加えてみろ」
「はい」
指導に従って、さらに強く魔力を込めていく。ボッと音が鳴り、青い炎が刀身から立ち昇った。
異なるのは炎の色だけではない。紅蓮の刀とは、秘めた力が段違いであると分かった。
不用意に振るえば、自分の身を焼くかもしれない。
それでも――
ソロンは直感した。炎の魔刀というだけあって、紅蓮の刀と性質はよく似ている。これならばすぐに我が物とできるはずだ。
「師匠、いけます!」
「おうっ、行ってこい! 弟子に手柄は譲ってやる!」
シグトラの言葉に背中を押され、ソロンは物陰から飛び出した。