星霊銀の矢
一階の大広間には、大勢の亜人達の姿があった。
後方支援のために馳せ参じた者。ケガをして、手当を受けている兵士達。
そして、避難のために市街から逃げ延びた住民だ。
もっとも、敵の狙いが城の再奪還である以上、安全かどうかは怪しいものだった。狭い島の中では、他に頼るところもなかったのかもしれない。
「――――!」「―――――――――。――――――?」
グラットに抱えられたメリューを見て、亜人達の声が上がった。怪訝そうにも心配そうにも見える。
「このまま中庭に出たら、右に向かえ。ちょうど地下牢とは反対側だな。そこから地下に降りれば宝物庫がある」
メリューは大勢の注目を集めて恥ずかしそうだったが、それを誤魔化すように説明へ専念していた。
「分かった。まずは中庭だね」
大広間を直進し、中庭へ向かおうとしたところで、
「あっ、メリュー!」
聞き慣れた帝国語が耳に入った。
柱にもたれ座り込むアルヴァのそばで、ミスティンが手を振っていたのだ。
ソロンではなくメリューに呼びかけたのは、もちろん彼女が抱えられているせいである。
アルヴァは目をつぶって休んでいたが、ミスティンの声に気づいて目を見開く。
「メリュー殿下、まさかケガをされたのですか?」
そして、メリューを見て常識的な解釈を下した。それならばソロン達が、城内まで戻ってきた理由も説明がつくというわけだ。
「いや、こいつはバテてるから俺が持ってるだけ」
「人を荷物扱いするな!」
グラットの説明に、メリューが憤慨する。グラットは涼しい顔でそれを受け流した。
「ごめん、今は急いでるから」
それだけ言って、ソロンは中庭へと足を進めた。
名残は惜しいが、今は優先事項がある。アルヴァは思ったより元気そうなので、ミスティンに任せておけば大丈夫だろう。
中庭は以前、地下牢から上がった際に通っている。メリューの指示通り、地下牢の反対側に向かう。そこの階段から、地下へと降りていく。
「んがっ、暗いじゃねえか」
階段を降りる途中で、グラットが止まった。
「人間は不便だな。ランプはないのか?」
夜目が利くメリューが、二人を哀れむ。どうやら、地下には照明がないらしい。
「しょうがないな」
そこでソロンは背中の刀を抜いた。炎の魔法なら、明かり代わりにもなる。多少は精神を消耗するだろうが、短時間なら問題はない。
「こんなとこで何してるの?」
「わっ!?」
後ろから声をかけられて、ソロンは跳び上がりそうになった。
見上げれば、ミスティンが階段の上から見下ろしていた。その後ろから、ひょっこりとアルヴァも顔を出す。
「いつの間に……?」
「先程からです。気になったので追いかけてきました」
と、アルヴァは答えた。どうやら歩ける程度には回復したようである。
アルヴァは蛍光石のブローチを手に持って、階下を照らし出してくれる。
「――それより、この下に用があるのでしょう?」
そう言って、二人も階段を降りてきた。
「助かるよ。それじゃあ、行こうか」
別に危険なことをするわけではないし、問題はないか――と、ソロンも先へ進むことにした。
地下を小走りで進みながら、手短に二人へと説明を行う。
アルヴァはさすがの理解力で、即座に把握してくれた。ミスティンはそもそも、細かい点にはこだわらない性格だった。
その先には物々しい扉がどっしりと構えていた。頑丈そうな金属製で、中央のくぼみには宝石のような物が埋め込まれている。
扉やその周囲には何も書かれておらず、そこが宝物庫だとは一見して分からない。
見張りの兵士が誰一人いないのは、こんな状況だからだろうか。
「それで、どうやって開けるの?」
「力づくってのはナシだぜ」
ソロンとグラットが口々に言う。
扉には取っ手すらも存在しない。人力で開くようにはとても見えなかった。
「降ろせ」
メリューはグラットの腕を振り払い、軽やかに床へと舞い降りた。
さらには、扉のくぼみを覗き込み、その瞳を怪しく輝かせた。
ゴゴゴ……という音が静かな地下に響き渡り、扉が揺れ出した。
「――ぬう!」
さらに一息、メリューが目に力を込めると、扉がゆっくりと開き出す。
「面白い仕組みだね」
「あなたの瞳が条件だったのですか?」
ミスティンとアルヴァが感心する。
「うむ、銀竜の念動魔法に反応する仕組みだ」
そう答えながらも、メリューは瞳を光らせ続けた。扉が開き切るまで、魔法をかけ続ける必要があるらしい。
宝物庫の中に五人は足を踏み入れた。
武器や防具、杖や冠、金の彫像。見るからに貴重そうな品々が整然と並んでいる。アルヴァの蛍光石に照らされて、宝はきらびやかに輝いていた。
「なんか、役に立つもんねえかな?」
グラットがしげしげと宝を眺めている。
ミスティンもいかにも触りたそうに宝を見ていた。
「よしなよ。どんな値打ちがあるか分からないし、何かあったら一生弁償だよ」
「そうですよ。目的を忘れたのですか?」
ソロンとアルヴァが注意をすれば、グラットとミスティンもバツが悪そうにする。
メリューは単身で、宝物庫の奥まで進んでいく。
「ふー……。あったぞこれだ!」
彼女は安心したように息を吐き、箱を持ち出した。
そうして皆に見えるよう、フタを外して中身をあらわにする。
箱から現れたのは矢の束だった。全部で数十本はあるだろうか。
銀に似た金属で作られた矢は、蛍光石の下で神秘的な光を放っていた。
「へえ~、それが星霊銀の矢なんだ? 変わった作りだね」
ミスティンが不思議そうに矢を見ていた。
通常、矢の大部分は木で構成されており、金属は矢尻だけである。ところがこの矢は特徴的で、矢羽を除く大半が金属になっていた。
恐らくは魔法武器ゆえの特徴だ。魔法の効力は、用いる魔導金属の質と量に依存する。それゆえ矢尻だけではなく、大部分を金属にしたのだろう。
「全部持っていっていいのかな?」
ソロンが確認すれば、メリューは頷いた。
「そうだな。箱一つあればどうにかなるだろう。それで、誰がこれを射つかだが……」
神獣と化した獣王に、星霊銀の矢を撃ち込む――重大な役目だった。
それも、恐らくはただ撃ち込むだけでは不十分だ。魔力を込めてから、撃ち込まねばならない。
普通に考えればシグトラが最善だが、彼は相当に魔力を消耗しているようだった。何より獣王に目をつけられているため、そこまでの機会を作るのは困難だろう。
「わたし、私! 射ちたい!」
ミスティンは勢いよく手を挙げて、立候補した。背中の弓を手に持って、弓弦を引き鳴らしてみせる。
「……腕前に文句はないのだがな」
そんなミスティンを、メリューは渋い目で見ていた。どうにも子供っぽいミスティンの性格に、危惧を抱いているようだ。
「ミスティンに任せましょう」
アルヴァは迷う素振りもなく、太鼓判を押した。ミスティンもそれに「ウンウン」と頷く。二人の信頼は強固なようだった。
「いや……そうだな。他に適任はおるまいか」
メリューもアルヴァに押されるように頷いた。
「じゃあ、早く行こう」
そこまで決まれば長居は無用だ。
ソロンはメリューから箱を奪い取った。
箱自体もそれなりの重量があるため、メリューが持ったまま走るのは辛いはずだ。彼女も少しだけ不満そうだったが、文句は言わなかった。
*
宝物庫を抜け出し、五人は城の大広間まで戻ってきた。今はメリューも自分の足で走っている。
「じゃあ、アルヴァはここで待っていて。グラットもお願い」
全員を獣王の元へ連れて行く必要もないだろう――ソロンはそう判断した。
「ちっ、俺も留守番か」
「いえ、私も行きます。皆で行きましょう」
ところがアルヴァはそう言って否定した。
「でも、体は大丈夫?」
「疲れているだけで、ケガをしたわけではありません。不用意に近づかなければ問題ないでしょう」
アルヴァの意志は強固なようだった。
そんな中で、メリューはどこか不安げな表情をしていた。やはり、シグトラが心配なのだろう。
混沌の化身――つまり神獣と化した脅威の獣王。まさか、あのシグトラが簡単に敗れるとは思えないが……。
「……分かった。行こう」
口論している暇もないか――と、ソロンはシグトラの元へ向かうことにした。
* * *
異形となった獣王は、今も町の広場で暴れ回っていた。シグトラが自ら囮となり、どうにか獣王を引きつけていたのだ。
生まれ変わった体を持て余しているのか、獣王の動きはまだぎこちなかった。
『今だ! 油を放て!』
シグトラの号令により、兵士達が動き出した。
四方に散らばった兵士達は、獣王を囲むように油をばらまいていく。彼らは獣王に恐怖し及び腰であったが、それでも立派に役目を果たした。
兵士達が速やかに獣王から離れていく。シグトラはそれを確認するや、次なる号令を下した。
『炎を撃て!』
弓を持つ者は火矢を射ち、杖を持つ者は魔法の火を撃つ。
それらが油へと着火し、獣王の近くから炎が立ち昇り始める。
炎は獣王を囲むように広がっていく。広場を包む建物までが次々と炎上していった。
駄目押しとばかりに、シグトラが蒼煌の刀を振り下ろした。
青と赤の入り混じった炎が、獣王を焼き尽くさんと踊り狂う。
獣王はまとわりつく炎を、鬱陶しそうに振り払おうとした。
だが、苦しんでいる様子はない。
精々が羽虫を振り払うような調子である。瘴気をまとった獣王には、やけど一つ負わせることもできないのだ。
『しょせんは時間稼ぎか……』
シグトラは自嘲気味につぶやき、燃え盛る炎を見守った。これで敵を倒せるとは、彼自身つゆほども思っていなかったのだ。
『ぐぐ、おおおおぁぁぁ!』
炎をまとった獣王が爪を振り回し出した。
暴風が荒れ狂い、炎上中の建物が崩れ出す。その向こうにいた兵士達も余波を喰らって、吹っ飛んでいった。
獣王は突進して、崩れゆく建物に追い打ちをかけた。炎を物ともせずに、残骸を踏みにじっていく。
そして、獣王は倒れた兵士達へと視線をやった。異形の口元がニタリと笑う。
『まずい!? 離れろ!』
危険を察知したシグトラが叫ぶ。兵士達は起き上がろうと藻掻くが、既に遅かった。
獣王が口を開き、赤黒い瘴気を吐き出した。竜の息吹を思わせる勢いで、高密度の瘴気が兵士へと襲いかかる。
『ぐ……ああああぁぁぁ――……』
直撃を浴びた兵士の体が溶け出した。
鎧や服からその肉体まで。氷が水へと溶解するように、いともたやすく溶けていく。既に原形を留めない口から、絶叫が放たれる。
そして、全てが地面のシミへと変わっていった。
『あれはなんだ!?』『浴びたら死ぬぞ!』
凄惨なその姿を見た兵士達が、恐れをなしていた。
彼らの多くは、既に死を覚悟した者達である。だがそれでも、溶けて死ぬなど想定外だった。
獣王が吐き出したのは恐らく呪海の瘴気……。下界の外を覆う呪海と同質のものに違いなかった。
『恐怖に負けるな! 近づかずともよいが、攻撃はやめるな!』
シグトラは叫び、兵士達を叱咤する。
再び、獣王が口を開いた。またもや、瘴気を吐き出そうとしているのだ。
『ひいっ!?』
獣王の口を向けられた兵士達が悲鳴を上げる。
『させんぞ!』
シグトラは獣王の前へと走りながら、蒼煌の刀を振るった。獣王の口元へ、蒼炎を真っ向から吹きつけたのだ。
熱波が霧をかき消していく。
呪海の瘴気すらも、蒼炎の熱波は消し飛ばす。もっとも、獣王を覆う瘴気の障壁までは、かき消せなかったが……。
みな獣王に近づくこともできず、逃げながら攻撃を続けた。
それ以上の恐慌に陥らないのは、やはりシグトラの存在が大きかった。大将自らが前に立つ姿を見て、兵士達もかろうじて士気を保っていたのだ。
『くそっ、これは万の軍隊でも足らんな。いや、数をそろえたところで無意味か……』
シグトラにしては珍しく、愚痴を吐き捨てた。立て続けに放った蒼炎の魔法に、さすがの彼も疲労を隠せなかった。