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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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異形と化す

 シグトラの目に入ったのは、大型の黒い魔石。神官はそれを獣王の口元へと押しやる。魔石の中には、赤黒い流体が渦巻いていた。


「あれは……! 師匠、止めないと!」


 ソロンが叫び、シグトラも応じる。

 シグトラにしても、ザウラスト教団の得体の知れぬ術を警戒していたのだ。


「何のつもりか知らんが、させんぞ!」


 シグトラは刀を突き出し、蒼炎を放った。ソロンも続いて火球を放つ。

 二つの魔刀から、青と赤の炎が放たれた。メリューも剣を投げつけて、攻撃をしかける。

 だが、それを三人の神官が妨害する。夜の闇を凝固させたような障壁が、炎を途切れさせ、剣を弾き落とした。


「ちいっ、破れんか……!」


 本来のシグトラなら、この程度の障壁――破ることも造作はない。

 だが、さすがのシグトラも牢から出たばかりで状態が万全ではなかった。加えて、既に何度も強力な魔法を放っており、疲弊(ひへい)は隠せなかった。

 最後の力を振り絞って、獣王が魔石へとかじりつく。そのまま大きく口を開いて、魔石を飲み込んだ。


『ぐっ、あああああ!』


 獣王がのたうち回り、叫び声を上げた。深夜の戦場に、不気味な咆哮が響き渡る。

 その巨体から、赤黒い瘴気が立ち昇っていく。夜の闇にもまぎれることなく、瘴気は奇妙に浮かび上がっていた。


「むっ、どうなっているのだ!?」


 メリューが困惑をあらわにした。


「ひょっとして、カオスの結晶じゃ!?」


 ソロンが意外な言葉を口にした。


「なんだそれは?」


 攻撃を続けながらも、メリューが聞き返す。


「レムズ王子――ザウラストと組んでる国の王子が話してたんだよ。呪海を使った魔力結晶だって」

「話は後だ! 力を入れろ!」


 二人を叱責しながらも、シグトラは蒼炎を再び放つ。ソロンもメリューも、闇の障壁を砕こうと力を振り絞った。


「ぐっ……」


 神官達が声を上げて、後ずさる。

 やがて、闇の障壁が溶けるように消えてなくなった。


「今だ!」


 シグトラが叫び、三人の攻撃が獣王へと殺到する。

 赤と青の炎が毛皮を焼き、剣が頭へと突き刺さった。

 だが――


『くっぐ……があっ!』


 攻撃を受けながらも、獣王はゆったりと起き上がり出す。

 血走った目でシグトラをにらみつけながら。


『てめえだけは俺様の力で殺したかった……。だが、もうどうなっても知らんぞ。俺様もこんな力にまで、頼りたくはなかったんだがよお』


 体が炎に包まれているはずなのに、剣が刺さっているはずなのに……。何事もなかったかのように、獣王は立ち上がった。

 そして――赤黒い瘴気の勢いが増すと共に、獣王の体がふくれ上がっていく。

 頭に刺さっていた剣が抜け落ちた。身にまとっていた鎧が破裂し、獣の姿が丸出しとなる。筋肉が浮き上がり、肉体は今にも弾けそうだ。


『おお、おお、素晴らしいぞ!』『殺せ! 神の敵を殺せ!』


 ザウラストの神官達が歓声を上げた。

 その表情は恍惚(こうこつ)とした狂信者のものだった。彼らは後ろにさがって、獣王から距離を取っていた。

 獣王の膨張(ぼうちょう)は止まらない。既に元の倍程の大きさになっていた。


「なにこれ……」「父様……!」


 あまりの状況にソロンもメリューも絶句していた。


『何だあれは!?』『まさか獣王陛下のお姿なのか!?』


 戦場にいた兵士達も、尋常ならざる事態に気づいたようだった。敵も味方も戦いの手を止めて、獣王の姿を静観している。

 シグトラは手を上げて、


『弓を構えよ!』


 と、兵士達に号令を下した。

 それから、帝国語に切り替えて、


「メリュー、ソロン、いったんさがるぞ!」


 二人に指示を送った。


「はい、父様!」「分かりました、師匠!」



 三人そろって、町の広間から離れていく。

 その間も、獣王の膨張は続き、肉体からは赤黒い瘴気があふれ出していた。今のところ、彼が動き出す気配はない。


 兵士達は広間を囲むようにして、位置へと着いていった。獣王を遠巻きに囲んで、弓矢を構えていく。

 三人もその囲みの中へとまぎれ込んだ。

 獣王軍の兵士達は、あまりの事態に呆然となっていた。異形と化した獣王の元で、戦いを続行する意志を持てなかったのだろう。


『矢を放て!』


 シグトラの合図と共に、猛烈な矢の嵐が獣王に浴びせられた。

 獣王はそれを回避することもなく、唸り声を上げていた。そこに無数の矢が突き刺さった――かに見えたが。

 矢は獣王の体へ触れる前に停止し、地面へと落ちていった。恐らくは、あの赤黒い瘴気が弾き落としたのだ。


「やはり、混沌の化身か……。獣王め、身も心もバケモノになったようだな」

「なんですか、混沌の化身って……?」


 シグトラのつぶやきに、ソロンが聞き返してくる。


「ザウラストが生み出した究極の魔物だ。一度だけ退治した経験があるが、厄介な相手だった。純度の高い混沌――あの赤黒い霧が攻撃を無効化する障壁となる」

「まさか、神獣ですか……!?」

「神獣……か。ああ、連中はそう呼んでいるようだな。お前も知っていたか」

「ええ、それより倒せるんですか? 神鏡も何もないみたいですけど……」

「神鏡? まさか星霊銀の鏡か? 混沌の障壁を消し去るには、星霊銀に魔力を込めてぶつけるのだ。必ずしも鏡である必要はない」


 切迫する状況の中で、シグトラは早口になって説明した。

 獣王の膨張はようやく止まり、その大きさは近辺の建物すら上回る程になっていた。

 その姿は、もはや人と言えるようなものではない。毛皮のような体表と鋭い爪だけが亜人としての名残だった。


「そう言えば、アルヴァも同じ名を口にしていた覚えがあります。でも、その星霊銀は……?」

「星霊銀の矢が宝物庫にしまわれている。メリュー、ソロンを連れていけ!」

「承知しましたが……父様は!?」

「俺はこのバケモノを止める。早くゆけ!」

「はい!」「はい!」


 二人そろって返事をし、走り出した。

 血のように赤い獣王の眼光が、シグトラをにらみつけていた。あのような姿となっても、シグトラへの敵意を失っていないのだ。

 異形と化した獣王の巨体が、地響きを鳴らしながら近づいてくる。

 今も兵士達が矢を放っているが、やはり赤黒い瘴気に(はば)まれてしまった。


 獣王を包囲する兵士達の中から、シグトラは一歩前へと進み出た。

 蒼煌の刀を構えて、獣王をにらみ返す。


「さて、残った力でどれだけしのげるか……。頼んだぞ、メリュー、ソロン」


 * * *


 ソロンはメリューと共に、アムイ城へと走っていた。

 まだまだ深夜の闇は深く、夜明けは遠そうだ。色々なことがあって長く感じられるが、城に潜入してから大した時間は経っていないのだ。

 幸い、城の近くだけあって照明は整備されている。蛍光石の燭台が足元を照らしてくれていた。


「混沌の化身か……」


 シグトラから聞いた言葉を、ソロンは反芻(はんすう)していた。

 それはソロンが過去に見たあの存在のことだろう。ザウラスト教団の連中は神獣と称していたが……。あれらも大抵の攻撃を無効化する異能を持っていた。

 城へと続く坂道をソロンは走り続けた。


「う、はあ……」


 後ろを走るメリューの息が荒い。足取りを遅くしながらも、彼女はなお坂を登り続けた。


「大丈夫?」


 走る速さを落としながら、ソロンはメリューの調子を(うかが)った。

 塔を登って城内に潜入し、シグトラを救出。その後も十分な休養もなく戦い続けたのだ。

 メリューも頑張ってはいるが、子供のように華奢な体である。さすがに体力的に厳しかったのだろう。


「すまぬ……ソロンよ。今は急を要する。私を置いて先にゆくがよい」

「いや、それだと宝物庫の場所が分からないんだけど」


 そもそも場所は宝物庫である。部外者のソロンが簡単に入れるはずはなかった。


「……一理あるな」


 メリューはあっさり納得した。この娘もわりととぼけてるな――と思ったが口には出さない。


「じゃあ、こうしよう」


 ソロンはメリューの手を取った。小さくて冷たい手の平だった。


「う、うむ……」


 メリューはわずかに戸惑っていたが、何も言わなかった。

 そのまま彼女を引っ張って、ソロンは走り出した。メリューも必死で足を動かしてくれる。

 坂道を登り切り、見張りもいない城門をくぐった。戦場は前方に移動しており、この辺りに残っている兵士は、ほとんどいなかった。

 門を抜ければ、次は城の前庭である。


「昔を思い出すなあ」

「昔とはなんだ?」

「帝都に現れた神獣を倒すため、城内を走り回ったんだよ。アルヴァと一緒にね」

「その話ならば、上帝にも聞いたな。混沌の化身については、父様から聞いたこともあるが……。まさか、それがそうだとはな」


 帝都に現れた神獣との戦いで、ソロンは神鏡の元へと走ったのだ。そうして、鏡の力によって、神獣を守る瘴気を振り払った。随分と昔のように感じられるが、まだ七ヶ月しか経っていない。

 そして、今は神鏡の代わりに星霊銀の矢を探し求めていた。


 前庭を走って、二人は城内を目指す。

 先程ソロンが炎上させた木の姿が痛々しい。城で火災を起こし、敵を混乱させる作戦も役には立たなかったのだ。


「ぜえ、はあ……!」


 メリューが激しく息を切らしていた。無理矢理に引っ張ったせいで、ついに限界が来たらしい。これ以上、引っ張り回すのは酷だろう――と、ソロンは手を放した。

 その時――城内からこちらへと近づいてくる人影があった。

 ソロンは思わず身構えたが――


「おい、どうしたんだ?」


 人影はグラットだった。

 思わぬ場所で出くわしたせいか、(いぶか)しむような声音(こわね)である。ひょっとしたら、彼はソロンの元へ向かっていたのかもしれない。


「あれ、アルヴァは!?」


 真っ先に気になったことだけを尋ねる。


「ミスティンに任せてきた。んで、何があった?」

「後で説明するよ!」


 それを無視して、ソロンは城内へと走っていく。悪いが説明している暇はない。

 メリューもよたよたと走って付いてくるが、いかにも足取りは重かった。


「よく分からんが手伝うぜ」


 するとグラットも追いかけてきた。

 しかも何を思ったか、グラットは後ろからメリューを抱きかかえた。対象の見た目も相まって、どことなく犯罪的である。


「こら、何をするか!?」


 メリューが足をばたつかせ、必死の抗議をする。


「お前、限界じゃねえか。軽いし運んでやるよ」


 それを無視したグラットは、メリューを持ったままソロンと併走し出した。足取りは軽快で、荷物の重さを感じさせない。

 メリューが自身で走るより、よほど速そうだった。


「あははっ、助かるよ」


 当人は嫌がっているが、このほうがよさそうだ。今は何よりも速さが優先されるのだから。

 ソロンは走りながら、グラットへ手短な説明をした。


「よく分からんが、あのバケモノがさらにバケモノになったんだな」


 グラットは適当なりに正しく解釈したようだった。

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