獣王の咆哮
城門前に輝く蛍光石の燭台が、大都アムイの町並みを照らし出す。
大勢の巨大な影が、城に向かってまっすぐに行進してくる。その数は、十体や二十体では留まりそうにない。
大きな足で一歩一歩、坂を登って迫りくる。その動きは、魔物とは思えないほど整然としていた。
ソロンもよく知る異形の魔物――緑の聖獣グリガント。
その他にもソロンの知らぬ魔物の姿があったが、いずれもザウラスト教団の魔物なのは明らかだった。
巨体の魔物にとって、アムイの道は窮屈で仕方ないらしい。邪魔な建物を容赦なく薙ぎ倒しながら進んでくる。
獣王の兵士達は、それよりも後ろをゆったりと行進していた。まずは、魔物を盾にして進軍する作戦らしい。
既に避難しているのか、住民達が騒ぐ様子は見られなかった。
「連中、よっぽど緑カバが好きなんだな」
敵の陣容を目にしたグラットがつぶやいた。
「グリガントだね。随分、ザウラスト教団と深くつながってるみたいだな」
ソロンやアルヴァにとって、ザウラスト教団は因縁深い相手だ。メリューからその成り立ちを聞かされたとはいえ、その全容はいまだに謎に包まれていた。
アムイの町は南の雲海から北の城に向けて、やや急な上り坂となっている。
そのため、城側に陣取るこちらのほうが、高所を制していた。そして、戦いの上では高所を陣取ったほうが有利である。
カズーとその部下、元囚人、降伏したハジンの部下、義勇兵、そしてソロン達。これら寄せ集めが、シグトラ軍の陣容である。合計で五~六百人といったところだろうか。
「――!」
シグトラの号令に従って、兵士達が一斉に射撃を開始した。
坂下の魔物に向かって、矢雨が降り注ぐ。
戦いに不慣れな義勇兵も混ざっていたが、彼らもそれぞれの武器で攻撃した。狩りの経験を持つ者は弓矢で、そうでない者も投石で。
投石機から放たれた巨石が、グリガントの脳天に直撃した。さしもの巨体もこれには転倒せざるを得ない。容赦なく殺到する矢が、巨獣にとどめを刺した。
ソロン達も負けじと攻撃に加わった。
ミスティンの矢は、風を帯びて驚くほど遠くまで飛んでいく。その勢いは凄まじく、魔物の巨体すらも吹き飛ばす。
ソロンが放った炎はグリガントの体を焼いた。それだけではとどめにならなかったが、炎を目印に兵士達が矢を集中してくれた。
アルヴァの稲妻は別格の破壊力を持っていた。的確に頭部を狙い撃つ連射で、グリガントを一人で仕留めてしまった。
グラットはどこからともなく、投げ槍を持ってきていた。自慢の遠投で、グリガントの肉体へ深々と突き刺す。接近戦になるまでは、超重の槍は温存するつもりのようだ。
そうして、グリガントの屍の山が築かれていく。
自然、聖獣の血ともいえる赤黒い瘴気が、周囲に充満していた。この瘴気は人の生気を奪い取る危険なものだ。慎重に距離を取って戦い続ける。
だが、倒しても倒しても、緑の聖獣は屍を踏みつけ前進してくる。
前をゆくグリガントが、民家に備えつけていたタルをつかんだ。殺到する矢にも耐えながら、グリガントはタルを思い切り放り投げた。
恐るべき距離を飛んで、タルは盾を構えた兵士に直撃した。
戦場に鈍い音が響き渡る。
あまりの衝撃に、盾を持ってしても防ぎ切れなかったのだ。兵士は後ろへと吹き飛び、数人を巻き込んだ。
「ちいっ、あの距離でも攻撃してくんのかよ!」
グラットが顔をしかめる。
こちらが坂の上にいる以上、飛び道具の応酬ではこちらが優勢のはずである。だが、それを覆しかねない程に、グリガントの怪力は脅威だった。
このままでは敵の攻撃に押され、隊列が崩壊してしまう。
「―――!」
突如、指揮を執っていたシグトラが前に出た。その手には、自らの元に戻った蒼煌の刀がきらめいている。
シグトラは刀を上段に掲げた。
刀身へと青い炎が立ち昇っていく。その熱気に兵士達は騒然となった。
「せいっ!!」
気合の一声と共に刀が振り下ろされた。
蒼炎がほとばしり、接近しようとしていたグリガントを飲み込んでいく。それも兵士が数十人がかりでも苦戦するグリガントが、一挙に四体だ。
後には黒焦げとなった巨獣の死骸が転がっていた。
大将自らの奮闘で、シグトラ軍が一気に士気を取り戻した。兵士達が残った敵に集中攻撃を浴びせ、押し戻していく。
「もうあの人だけでいいんじゃねえか……?」
グラットは呆れ気味にそんなことを言っていたが。
「そうはいかないよ。アルヴァの雷鳥ほどじゃないけど、何度も使える技じゃないからね」
ソロンも魔刀の使い手として、おおよその感覚は分かっている。いかにシグトラとはいえ、無尽蔵に使えはしないはずだ。
「まあ、そりゃそうか。楽できそうもねえな」
「ええ、油断しないでください。敵も何らかの手を打ってくるでしょうから」
アルヴァは注意を呼びかけながらも、魔法を放つ手を休めなかった。
こちらが勢いを取り戻したとはいっても、グリガントはまだまだ残っているのだ。今の優勢を維持するのは容易ではなかった。
「分かってらよ。しっかし、あいつらに恐怖ってもんはねえのかよ?」
黒焦げになった仲間達を目にしても、後続の魔物達が足を止める気配はない。そんな有様を見て、グラットは辟易していた。
「そだね。普通の生き物だったら、怖くなって動きが鈍ると思うよ」
ミスティンもグリガントへの違和感を隠さない。
「あれはザウラストの生み出した軍事用の魔物だからな。普通の生物だとは思わんほうがいい」
「詳しいようですね?」
メリューの発言に、アルヴァは気を惹かれたようだった。
「そなたらよりはな。教団についても後で父様に聞くがよい。それよりまだまだ来るぞ!」
メリューは話を止めて、注意をうながした。
*
ソロン達の活躍もあって、シグトラ軍は攻め寄せるグリガントを何体も撃退した。
だが、グリガントの数には抗い切れず、またも兵士達は追い込まれそうになる。
シグトラは再び、蒼煌の刀を振るい敵を焼き払った。
その時――グリガントの背後から、猛烈な勢いで向かってくる敵の姿があった。
グリガントよりも小さいが、人間よりは遥かに大きな影である。
巨体を思わせないほど軽快に、影は屋根の上を飛び渡る。
ドーマの屋根は三角型で、雪もかかっている。とても、飛び回るのに適した地形ではないはずだ。
それでも、敵は見る見るうちにこちらへと接近してきた。
「――――!」「―――――!」
戦場がドーマ語のざわめきに包まれた。
ソロンがそれを疑問に思う間もなく、メリューが叫ぶ。
「獣王が来たぞ!」
雄大な体躯を誇り、獅子のような顔をした男。背丈はソロンの倍、体重はソロンの五倍でも収まらないだろう。
その手には爪が光っており、体は黒い金属のような防具で覆われていた。
「がああぁ!!」
屋根につかまった獣王が、戦場を揺らすような咆哮を上げた。
それに応じるかのように、獣王の爪が伸びていく。続いて、爪は鋭い光を放ち始めた。
「あれは!?」
明かりを反射しているわけではない。まぎれもない魔法の光だ。
「――――!」
シグトラが号令し、獣王に向かって大量の矢が射かけられた。
獣王が片手で爪を一振りすれば、その周囲に突風が巻き起こった。
矢は風に煽られ、散り散りに落ちていく。
亜人や魔物の中には、生まれながらにして魔法の力を持つ種族がある。例えばメリューら銀竜がそうであるように……。そして、獣王に備わった爪も、風の魔法武器となっているようだった。
「ひゃーっ、緑カバに負けじとバケモンだな……!」
「私が」
ミスティンが弓矢を構え、獣王に狙いを定めた。
放たれた矢は、空気の渦をまといながら獣王へと向かっていく。
対する獣王は迫る矢に向けて、爪をまっすぐに伸ばした。
風の爪と風の弓との対決。
空気の渦が獣王の爪からも巻き起こされ、矢がまとう風を打ち消す。ミスティンの矢は無効化され、街路へと落ちていった。
「そこ!」
だが、アルヴァはその隙を見逃さない。杖先から雷光がきらめいた。
稲妻が夜の街を走り、獣王の鎧へと突き刺さる。
「ぐぬうっ!」
獣王は唸り声を上げたが、それでも倒れなかった。
獣王は咆哮を上げて、ミスティンとアルヴァを威圧する。彼もこの二人は別格の相手だと認めたらしい。
「ひゃっ!」
ミスティンが悲鳴を上げ、アルヴァもわずかに身をすくませる。
ソロンは二人の前に出て、威圧する獣王を牽制した。もっとも、敵との距離は遠く、ここからでは炎の魔法を当てられそうにない。
シグトラがいまだしかけていないのも、敵との距離を測っているためだろう。
「黒鋼ですか……。遠くから狙い撃つことは難しいようですね」
黒鋼とは魔法を防ぐ耐魔金属である。高価な上に重量があるため、防具としての使用は難しい。それを可能とするのは、獣王の膂力あってのものだろう。
「お姫様の切り札でも無理か?」
グラットの質問に、アルヴァは首を横に振る。
「あれなら黒鋼ごと破壊できるかと思いますが……。まず、回避されるでしょう」
かつてアルヴァが雷鳥で葬った相手は、いずれも巨大な魔物だった。
獣王も巨体ではあるが、さすがにそこまでの大きさではない。何より、雷鳥は魔力を集中する段階から大きな光を放つ。知能を持つ相手には、確実に警戒されてしまう。
獣王は屋根から飛び降りながら、爪を大きく振るった。
巻き起こる風が竜巻となり、シグトラ軍の一角へと向かってくる。
矢を射つどころか、立っているのもままならない。倒れる者、よろける者……。兵士達が散々に崩れた。
「―――! ――――――!」
混乱する自軍を立て直そうと、シグトラが大声で叱咤する。
「ぐっ、あちらからも来ているぞ!」
混迷する戦場の中で、メリューが叫んだ。
正面からの進行を避け、向かって左側から迂回してくる魔物達の姿があった。その数は少なくとも、十体を超えていそうだった。
「自らが注意を引き、そこに別働隊を投入ですか……。考えて攻めているようですね」
アルヴァが敵の攻勢に感心してみせる。
「獣王は俺に任せておけ! それより、雷鳥で魔物共を一掃してくれないか?」
指揮を執っていたシグトラが、アルヴァへと叫びかけた。
「構いませんが……。市街地まで巻き込んでしまいますよ」
「俺が許す。住民はとっくに避難している。建物など、後で建て直せばいい」
「分かりました。皆も援護をお願いします!」
話が終わるなり、シグトラは自ら獣王へと向かっていった。
兵士達もそれを見守るしかなかった。矢を君子に当てるわけにもいかないため、手出しはできない。二人の戦いは、恐らく一騎打ちになるだろう。
アルヴァは獣王から距離を取り、市街を駆け出した。雷鳥を放つため、魔物達との位置関係を調整しているのだ。
それを追って、ソロン、グラット、ミスティン、メリューの四人も走る。
そして、アルヴァはある一点で静止した。
左側の街道の中でも、見通しのよい場所だった。城に向かって行進してくる魔物達が、ちょうど通過するはずの場所だ。ここからなら、より多くの敵を巻き込めるだろう。
「集中します」
アルヴァはただ一言。
「分かった。寄ってくる敵は僕達が排除する」
それだけでソロンが理解するには十分だった。