大君軍の反攻
「父様、全員の武装が終わりました」
うなだれるソロンをよそに、メリューが報告のためにやって来た。
シグトラは「うむ」と頷いて、ソロンのほうを見た。
「すまんが、今はここまでだ。機会があれば、またいくらでも話してやるさ」
「ええ、絶対ですよ」
ソロンは念を押しておいた。まだまだ聞きたいことは残っている。
「それでは暴れるとしようか」
「父様、あまり城に被害を出さないでください。帰るところがなくなってしまいますので」
「分かっているとも、メリュー。だが、戦いに勝たねば意味がないのも確かだ。島が残っていれば、寝床ぐらいはなんとかなる」
「はあ……」
あまり分かっていなさそうなシグトラの言葉に、メリューは溜息をついた。
そして、シグトラは地下牢に整列した一同を見回す。
『目標は獣王とハジン――この二人さえ倒せば、こちらの勝利は確定したようなものだ。城内を駆け抜け、まずは玉座の間を制圧する! 我ら大君軍に勝利をもたらすのだ!』
シグトラの号令を、メリューが人間向けに通訳してくれる。
元囚人とカズー隊の者達が静かに拳を振り上げた。
鬨の声は上げない。今はまだ敵に気づかれてはならない。騒ぎを起こすのはこれからだ。
それでも、彼らは底知れぬ熱気を秘めていた。
獣王に攻め込まれ、大君を殺害された。君族であったハジンに裏切られ、投獄されて拷問を受けた。
特に元囚人達は抱えた怒りをぶつけようと、全身に力をみなぎらせていた。
*
地下牢を出たシグトラ軍は、怒涛の勢いで階段を駆け上がった。
シグトラ自らが先頭をゆき、その隣の兵が松明で城内を照らし出す。
数百人もの亜人と一緒に、ソロン達五人も後ろに続いた。
階段を上がり切ったところは、一階の廊下だった。暗かった地下とは異なり、こちらには燭台が灯されている。
「―――。――!?」
見張りをしていた敵の衛兵が、こちらに気づいた。
衛兵は二人。全くの不意打ちだったらしく、見るからに狼狽していた。
そこをシグトラは見逃さない。
自ら刀を振るって、衛兵へと接近する。
衛兵は盾を持って刀を防ごうとしたが、その時には首と胴体が切り離されていた。
もう一人の衛兵は背中を向けて、逃亡を選んだようだったが……。
突如、シグトラの瞳が光るや、衛兵の足が止まった。首を後ろから刀で貫かれ、衛兵はあえなく絶命した。
メリューの父であるシグトラも、もちろん念動魔法の使い手のようだ。恐らくは、その能力もメリューを上回っているはずだ。
「何だよ、今の動き……!」
あまりの早業に、グラットは呆然と口を開けた。
「あの通りの超人なんだよ。師匠は」
「今のはハジンの部下だな。やはり、奴の部下が城に残っているのだろう。このまま突っ切るぞ。――――――――!」
シグトラは振り返って刀を掲げ、ドーマ語を交えて叫んだ。
「うおおぉぉ!!」
彼の部下達が呼応して、鬨の声を上げる。熱狂がこの場を支配していた。
進軍する一行は扉を押し開けて、中庭へと殺到した。
天井が吹き抜けとなった中庭。樹木と花々が彩りの中に泉を囲んでいる。それらが燭台に照らされて、幻想的な美しさを演出していた。
……が、それを眺めている暇はもちろんない。
数百の軍勢が、中庭を突っ切って奥へと進んでいく。無粋ではあるが、やむを得なかった。
「――――――!?」
敵の衛兵が悲鳴に近い叫び声を上げた。こちらの勢いを見てすぐに逃げ出そうとする。
ここに至って、深夜の城内に鐘の音が響き渡った。
ようやく敵軍も騒ぎに気づいたのだろう。異変を知らすべく、誰かが警鐘を鳴らしたようだった。
城内には当然、こちらを大きく超える敵兵がいるはずだ。だが、すぐにそれだけの人数を動員するのは難しい。敵の足並がそろうまでは、こちらのほうが優勢だった。
一階の広間を突き抜けて、さらに階段を上がっていく。
その上には、二階の広間があった。メリューによれば、その奥にある大部屋が玉座の間だという。
玉座の間の前だけあって、そこには大勢の敵兵が待ち構えていた。
合計で百人は超えている。大急ぎで結集したらしく、敵の息は荒い。
数としては、いまだシグトラ達が優勢である。それでも、敵が引き下がる様子はない。自分達の主君を守ろうと、敵も決死の覚悟なのだ。
「この守りの堅さ……。ハジンは間違いなくこの先だな」
シグトラが玉座の間へと続く扉をにらみつける。
「んじゃ、蹴散らすとしましょっか」
グラットが軽々と槍を構え、好戦的な意志を見せた。
「待て、お前達はテラスから合図を出してくれ」
シグトラはテラスの方角を指し示した。玉座の間とは、反対方向のようだ。
「おうっと……」
気勢を削がれ、グラットがずっこけそうになった。
「師匠、大丈夫なんですか?」
数の上では優勢でも、自軍の大半は牢に囚われていた者達だ。体力が充実しているとはいえない。
「問題ない。俺だけでも百人分の働きをしてやる。無駄話はいらんから、とっとと行け!」
シグトラは手を振り、ソロンを急かす。
「分かりました!」
この人に対しては心配するだけ無駄か――と、ソロンも悟った。
「私は父様と一緒に向かう。そなたらも気をつけるのだぞ」
そこでメリューとも別れることになった。
ソロンはアルヴァ、ミスティン、グラットを連れて、テラスへと走り出す。
「置き土産だよ」
別れ際、後ろを振り向いたミスティンが一発の矢を放った。
矢は突風と共に広間を駆け抜け、一人の敵兵を貫く。同時に巻き起こった衝撃が、数人の敵兵を転倒させた。
整然としていた敵の隊列が、この一矢で崩れた。
「風の魔弓か。メリュー、お前の友達は優秀だな!」
シグトラはその隙を見逃さず、敵へと駆け出した。メリューと亜人達も後ろに続く。
ソロン達はその戦いを見届けることもなく、テラスの扉を押し開いた。
外に出れば、ひんやりとした冬の冷気が伝わってきた。
眼下には大都アムイの港町が広がっている。戦いの最中でなければ、眺めのよさに遠慮なく魅了されるところだったが。
ソロン達にとっては、初めて見るドーマの首都である。本来なら、雲海から町の景色を見るはずだったのだ。
深夜にも関わらず、町のあちこちには明かりが灯っていた。大勢の敵兵が松明を掲げ、慌ただしく駆け回っているのだ。
そして、遠くに臨む雲海からも、光が放たれていた。
ジャコムと獣王――両軍の竜玉船が、視界を照らすために明かりを使っているのだ。
最も大きな光は炎上する竜玉船だろうか。くれぐれもジャコム側の船でないことを祈るばかりだ。
戦いの情勢は気になるが、ここから推し量れることは少ない。今は自分達の役目を果たす時だ。
「では、いきますよ」
アルヴァは杖を高々と掲げ、雷を打ち上げた。
闇夜を切り裂くまばゆい雷光が、星天へと届く。
これを合図にして、太守ジャコムが総攻撃をしかけてくるはずだった。
「それじゃ、僕も」
ソロンも刀から炎を放ち、前庭の木々を炎上させた。
城から火の手を上げて、雲海に向かった獣王軍を翻弄させる作戦である。
事前にシグトラから了解を得て、炎上が拡大しない場所を狙っている。
不要に自然を破壊するのは心が痛むが、背に腹は変えられない。敵を翻弄させねば、苦戦を強いられるのはジャコム達だ。見捨てる訳にはいかなかった。
「イノシシのおっさんが来るまでには、まだ時間があるな。そんじゃ、もうひと暴れしようぜ」
グラットが今度こそ――とばかりに、城内を指差した。
「そうだね。でも、敵がどう動くかが難しいね。あっちに獣王がいるんだろうけど、雲海から城へと引き返してくるのか……。それとも戦力を割いて送ってくるだけなのか……」
ソロンは城内へと踵を返しながら言った。
「それに、そもそもの前提が先生の予想に依ってますから。獣王が城内に残っている可能性もありますよ」
アルヴァは抜け目なく多種の可能性を考える。
「どっちでもいいんじゃない? 私達はこの奥にいる相手を倒すだけだよ」
「俺も同意だな」
ミスティンが単純な結論を下し、グラットもそれに賛同した。
相手が獣王だろうと、ハジンだろうと敵の要人なのに違いはない。アルヴァもそこには異論を挟まなかった。