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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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雲海を抜けて

 暗闇の中で、五人は螺旋(らせん)階段を登り始めた。

 ガラス窓からわずかに星の光が差し込んでくるが、それだけを頼りに登るのは難しい。


 グラットがランプに火を(とも)したので、辺りが照らし出された。続いて、アルヴァも蛍光石のブローチを胸元につけた。この二つの光を頼りに階段を登ることになる。

 もっとも、上から監視する敵がいれば、光は目印となってしまう。だが、それ以上に暗闇の中で足を踏み外すほうが恐ろしかったのだ。


「分かっちゃいたけど、バカみたいに高いなあ……」


 時計回りにどこまでも続く階段を見上げて、グラットがぼやいた。

 ランプや蛍光石のささやかな光では、さほど遠くまでは見通せない。光の届かぬ暗闇に、階段が飲み込まれていく有様が不気味だった。


「私が先を行こう。我らは暗闇でも目が()く。危険があれば、いち早く察知できるだろう」


 隊長としての責任感からか、メリューが先頭を切った。恐れることもなく、階段へと一歩を踏み出す。

 グラットも堂々たる足取りでそれに並び、ランプで先を照らした。


 階段の幅はそれなりに広く、三人ぐらいまでは並べそうだ。五十人で後から登る亜人達にとっては、少し狭いかもしれないが……。

 二人の後ろに、(かろ)やかな足取りでミスティンが。慎重な足取りでアルヴァが続く。


 肝を冷やしながら、ソロンは最後尾に付いた。

 最後尾なのは、もちろん怖気づいたからではない。背後の危険に備えるためであり、アルヴァ達が落下しないよう気をつけるためだ。

 ソロンは前を歩くアルヴァに向かって。


「アルヴァは高いところ大丈夫だっけ?」

「大丈夫かと問われれば大丈夫ですが、人並みには苦手です」


 回りくどい答えを返してきたが、要は普通に苦手ということらしい。

 歩みを止めず、アルヴァは一瞬だけ振り向いて。


「――ソロンは平気なのですか?」

「あんまり平気じゃないけど、どうにか我慢するよ。もしそっちが転びそうになったら、こっちで支えるから」

「大丈夫ですよ。一応の手すりはありますから」


 そう言って、アルヴァは木製の手すりをつかんだ。


「けど全体的にボロいからなあ。どっかが破損してないといいけど……。ねえ、メリュー。ここって、どれぐらい放置されてたわけ?」

「緊急時の避難経路として、年に一回は点検されているはずだぞ。ボロいのは否定せんが、そこまで心配するほどでもなかろう」

「それじゃ、思ったよりはマシなのかな……」


 不安は拭い切れないが、一応はメリューを信じることにした。


 *


 変わらぬ階段の連鎖を、無言で登り続けた。響くのは五人の足音と、窓の外で渦巻く風の音だけだった。

 まだ登り始めて十分程度だが、既に下を覗き込んでも底は見えない。高所恐怖症には耐えられない光景である。

 上を見ても天井は見えず、下を見ても底は見えない。かといって、窓から覗く星空に変化があるはずもない。つまり景色に一切の変化はなかった。


「景色、変わんねえなあ……」


 ランプが照らし出す先を見上げて、グラットが嘆息した。


「つまんないねえ」


 それにミスティンも同調する。軽快だったはずの足取りも既に重々しい。


「もう弱音か? 登山よりこちらのほうが楽であろう」


 ぼやく二人を、メリューが叱咤(しった)する。

 実際、こちらは人が歩くために造られた人工の階段である。自然の厳しさをむき出しにした山肌より、易しいのは確かだった。


「そうだけどよぉ。変わり映えしないってのは、本当につまらんぜ。もうちょっとこう、造ったヤツも気を()かせてよかったんじゃねえか」

「よいではありませんか。構造が単純なぶん、見通しがよくて助かります。これなら道中に奇襲を受ける心配もないでしょう」

「うむ、道中は大丈夫だろう。警戒するなら、やはり出口での待ち伏せだろうな」


 アルヴァとメリューが話を真面目な方向に転じたが。


「でも退屈だよ。遊び心が欲しいよね。壁に絵を描くとか」


 その甲斐(かい)なく、ミスティンが蒸し返した。


「そなたら、観光気分だな……。私は緊張してそれどころではないのだが」

「なんだ緊張してんのか? しっかりしろよ、年長者だろ。最初はあんなにふてぶてしかったくせに」


 メリューを見下ろして、グラットが言った。


「無茶言うな。そなたらと一緒にするでない」

「そうだよ。メリューは年長でもまだ子供なんだから、優しくしてあげないと」


 ミスティンがあらぬ方向で、メリューを擁護(ようご)した。


「そういう意味ではなくてだな……。そなたらに緊張感がないことを、私は問題にしているのだ」


 緊張感のない会話はしばらく続いた。そのお陰か、メリューの緊張も多少はほぐれたようだった。


 あまりにも同じ光景が続くので、永遠に終わらないのではないかと錯覚しそうになる。


「三十分経過しました」


 懐中時計を覗き込んで、アルヴァが告げた。進んでいる実感がない中では、時間だけが唯一の証拠である。


「けっこう登ったよな。いい加減、天井が見えてこねえかねえ……」

「確認してみましょうか?」


 グラットの他愛ない愚痴(ぐち)に、アルヴァが反応を示した。


「おぉ、どうやるんだ?」

「見ていなさい」


 アルヴァは蛍光石のブローチを胸元から外し、天井へ向けて掲げた。

 途端、その手の平からまばゆい光が放たれた。アルヴァが蛍光石へと魔力を込めて、光を何倍にも増幅したのだ。

 階段を吸い込んでいた闇が切り裂かれ、天井が映し出された。それも、あと数分でたどり着ける程度の距離だ。


「わあっ、やった! 見えたよ!」

「おお、これで終わりか。思ったより楽勝だったな」


 ミスティンとグラットが歓声を上げる。二人の足が自然と早まった。


「はて、こんなに短かっただろうか?」


 メリューだけは怪訝(けげん)そうな顔をしていた。


 *


「ぬか喜びかよ。まだあるじゃねえか……」

「え~」


 グラットとミスティンが落胆をあらわにした。


「あはは……。残念だったね」


 階段を登り切った先には、石床の広場があった。実際のところ、螺旋(らせん)階段はなおも延々と上に続いていた。


「すまん。途中に踊り場があったことを忘れていた」


 バツが悪そうに、メリューが言った。

 つまり天井に見えたのは、長い階段の踊り場に過ぎなかったのだ。


「仕方ありませんね。ここでちょっとだけ休憩しましょうか」

「そだね」


 そう言うなり、ミスティンがごろんと広場に転がった。転落の心配もない一面の広場であるため、少し気が抜けたのかもしれない。


「まあ、落胆することはない。ここがちょうど中間地点になっていたはずだ。私は最初から一時間だと言っただろう」

「半分かあ。これでどのくらいの高さまで登ったのかな? っていうか、上界ってどのくらいの高さなんだろ?」


 寝転んだままのミスティンが、ふとそんな疑問を漏らした。


「上界の高さなら、確か僕の背丈の数千倍だったかな。細かくは忘れたけど……」


 ソロンは記憶を元に答えた。


「なるほど。ちなみに、どうやって高さを計算したのでしょう?」


 いかにも興味津々といった(てい)で、アルヴァが尋ねてきた。


「えっと、ナイゼルが言ってたんだけど、影の長さを測ったんだったかな。黒雲の真下から見て、どこまで上界の影が伸びているかを確かめて……。その影を長さの明確な棒の影と比較して――」


 うろ覚えながら、必死でソロンは答えたが、


「ということは、三平方の定理ですか。確かに妥当な計測方法ですね。上界から測るのは困難なので、なかなか貴重な情報ですよ。今度、ナイゼルさんに尋ねてみましょう」


 どうやら、今ので通じたらしい。アルヴァは一人満足気に合点していた。

 ナイゼルにしても、測定にはガノンドが持ち込んだ帝国由来の数学を使ったらしい。となると、もちろん彼女にも自明な方法だったのだろう。


「もっとも、この塔自体はそこまで高くないがな。元々、高い山の上に建てられておるから、塔の高さは限られている。精々が地上から雲海に至るまでの四分の一といったところだろう」

「四分の一ですか……。それでも、建造物の高さとしては、桁外れですよ。よくぞまあ、こんなものを建てたものです。土台の確保は大変だったでしょうね」

「上界ができて間もない頃に建てられたそうだが、詳しくは我々も知らん。界門があればこんなものは不要だから、その技術が確立される前の産物であろうな」



 そうして、踊り場を過ぎてさらに三十分は登り続けただろうか。


「風?」


 ミスティンが静かにつぶやいた。

 注意をこらせば、確かに肌へと触れる風がある。どうやら真上から吹いてくるらしい。


「そう言われてみれば……。なんか、あったかい風だね」

「うむ、そろそろ上界だな」


 メリューの口調は確信に満ちていた。


「なるほど、気圧に差があるため風が起こるのですね」


 アルヴァがまたも合点していたが、ソロンには何のことだか分からない。


「上界の空気が漏れてきているのだ。あちらのほうが気温が高いからそうなる」


 そうしたら、メリューが説明をしてくれた。


「アルヴァが言ってたアレのことかな。雲海が空気と熱を溜めてるってヤツ」

「そう、その通りです。この塔は雲海の上までつながっているため、空気の入れ替わりが起こるわけです。そろそろ、頂上が見えるのではないでしょうか」


 そう言ったアルヴァは、またも蛍光石を手に持ち、上へ向かって光を飛ばした。

 そして、ついに光が天井をとらえた。


「おお、ようやくだな」


 グラットが歓声を上げた。

 伸び続けていた階段が、岩の天井へと入り込んでいる。あの岩天井こそが上界の底に当たる部分なのだ。


「これって、雲海!?」


 ミスティンが外を見て、声を上げた。

 ソロンもガラス窓から外を見れば、白い霧のようなものに塔が包まれている。こちらの照明を反射して、キラキラと光を散乱させていた。


「うむ、我らはこれより雲海を抜けて、上界へと至るのだ。だが、見とれている暇はないぞ」


 メリューはそう言って、階段を登る足を速めた。

 どこまでも続くかと思われた螺旋階段も、ようやく終わりを迎えたのだ。

 見下ろせば、気が遠くなりそうな螺旋階段の連なりが見える。あれを登ってきたのだと思えば、ソロンの感慨もひとしおだった。

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