天を衝く塔
グラットを先頭にして、塔の中へと足を踏み入れる。
ガラス窓から差し込む夕日によって、暗い屋内の様子がかすかに見えた。
「うひゃあ……。こりゃたまんねえな!」
その光景に各自が声を上げた。
壁に張りつく形で、螺旋階段がどこまでも続いている。塔の中央には柱も何もなく、ポカンと底知れぬ空洞ができていた。
やはり頻繁な手入れはされていないらしく、照明は見当たらない。階段に沿って延々と続くガラス窓だけが、唯一の光源となっている。
「すっごいね~!」
ミスティンは歓声を上げて、天井を見上げていた。もっとも、塔の天井はあまりに高く、見上げたところで黒い空間が見えるだけであった。
「凄いけど、目眩がしそう……」
ソロンは登る前から肝を冷やしていた。
「登るのは夜になってからですよ。メリュー殿下、この塔を登り切るには一時間程度でしたね?」
既に打ち合わせ済みの内容を、アルヴァは改めて確認した。
塔を登れば、城内までは後わずか。
そして、城内への潜入は、夜間に行う手はずとなっていた。一行は休憩後、明日の日の出を待たずして塔を登ることになる。
「そのはずだ。だが、夜間に登る都合上、少しは多めに見たほうがよいだろうな」
「分かりました。それでは食事としましょうか」
「うむ、どちらかが広間につながっているはずだ」
と、メリューは袖を振って、二つの扉を指した。
どうやら、塔に連結していた建物につながっているらしい。そのうち一つは宿泊用の広間なのだそうだ。
「おお、こっちみたいだな」
と、さっそく扉を開けたグラットが確認した。
窓と暖炉があるだけの殺風景な広間である。それでも、風よけができるだけマシというものだった。空っぽの暖炉に薪をくべれば、凍えずに過ごすことができるだろう。
*
亜人達を集めて、広間で夕食を取ることになった。
狭い室内に、五十人にも及ぶ屈強な亜人達が座り込む。暖炉も不要ではないかという暑苦しさである。
ソロン達五人もその中心で、食事を取っていった。亜人達の尽力で、食事は精一杯豪勢なものが用意されている。
メリューはカズー達と盛んに言葉を交わしていた。明日は共に死地へ向かう彼らを、勇気づけているのだろう。
「大変なことに巻き込んでしまったな。そなたらは私の部下でも何でもないのに……」
スープを一口飲んだ後、メリューがポツリとそんな言葉をこぼした。
「ああ、大変だぜ。なんたって、明日は敵さんの城に潜入だ。バレたら大立ち回りになるだろうな」
「すまぬ。城内がどれだけ危険か分からぬが……」
「なんだ? 今日のメリュー殿下は随分と殊勝なこったな」
そう言ってグラットは、乾いた肉を噛み切った。
「殊勝にもなろうさ。私は生まれてこの方、これほどの死地に挑んだことはない」
メリューはうつむき、パンを持つ手を止めた。
ミスティンはそんなメリューの顔を覗き込んで。
「怖いの?」
「……怖くないと言えば、ウソになるな」
メリューはためらいがちに肯定した。今日の深夜には命懸けの潜入を行うのだ。緊張するのも当然というものだろう。
「大丈夫だって、なんとかなるよ」
ミスティンはメリューの背中を軽く叩く。
「根拠もなく言われても困るのだが。……この娘はいつもこうなのか?」
「いつもこうですよ。面白いでしょう?」
アルヴァは余裕の笑みで即答した。
「ううむ……。大物なのか? それとも頭が足りないのか?」
メリューは不躾なぐらいに、まじまじとミスティンの顔を覗き込んだ。
対するミスティンも堂々と微笑んで見せる。
一見、脳天気に見えるミスティンだが、それは決して愚鈍から来ているわけではない。彼女は友人達と命運を共にしようと、覚悟を決めているのだ。だからこそ、その言葉には迷いがない。
……たぶん。
「それより、食事はちゃんと取ったほうがいいよ。明日の戦いが終わるまでは、もう機会もなさそうだし」
「ソロンの言う通りです。食事が終われば、すぐに就寝してもらいます」
「そうだな」メリューは改めてパンにかじりついた。「大した義理もないだろうに……。すまぬな」
それから、また殊勝に頭を下げてみせる。
「義理ならありますよ。帝国に迫った獣王軍を追い出してくださいましたので」
アルヴァは何でもないように答えた。
*
「今がおおよそ十八時ですね。零時頃に出発するので、それまでは休みましょう」
食事を終えたところで、手元の懐中時計を覗き込みながら、アルヴァが言った。
今回の作戦は、スエズアの太守ジャコムと示し合わせて行う必要がある。当然、時刻に関してもある程度の正確さが要求された。
ちなみに、ドーマの時計は帝国式とは大きく異なる。
機械式の時計はなく、日時計や水時計が中心となっていた。そもそも、時刻を表す数字は十二個ではなく、十個なのだそうだ。その辺りの話は、ラーソンが事前に教えてくれていた。
「眠るなら、もう一つの部屋を使え。さすがにここで眠るのは、そなたらには辛かろう」
メリューがアルヴァに向かってそう勧めた。広間とは別にもう一つの扉があったことを、ソロンも覚えていた。
「あちらは何の部屋なのですか?」
「塔の管理室だ。昔は管理人が常駐していたそうでな、あちらの部屋を使っていたらしい」
「なるほど、じゃあ、そっちを使わせてもらうよ」
ソロンも、メリューの勧めに賛同した。彼らには悪いが、大勢の亜人達がいる中で女性が雑魚寝するのは辛いはずだ。ふもとの小屋と同じようにさせてもらおう。
そうして、五人だけは管理室で眠ることになった。
「……ちょっと近すぎない?」
「仕方ないでしょう。狭いのですから」
ソロンの右に付いたアルヴァが答えた。
狭い管理室に五人を詰め込んだ結果、身を寄せ合って眠るハメになったのだ。
……が、右側が気になって仕方ないのが、若きソロンの悩みである。このままでは眠れそうになかった。
「僕達だけは広間で眠ってもいいけど……」
「部屋を分ければ、起こす手間もかかります」
ソロンは遠慮がちに提案してみたが、あっさり拒否された。
「ソロン、俺が代わってやろうか?」
左隣のグラットが言ったが、
「お断りします」
これは即座にアルヴァが跳ね除けた。
グラットの位置は例によって、壁際である。隣にはソロンしかいなかった。
「……だそうだ。添い寝してくれる女の子がいるんだから、ありがたく受け入れろよ」
「そう言われてもねえ……」
仕方ないので、ソロンは意識的に左を向くことにした。こうやって、グラットに意識を向けておけば、今夜は平和に眠れるかもしれない。
一方、アルヴァのさらに右側では。
「ミスティンよ。私を抱き枕にするのは、やめてもらえないだろうか?」
「んん? なんで?」
「私は、お前の倍近くも生きているのだぞ。しかも、大君の孫娘だ。少しは敬え」
「そっか、メリューは偉いんだね」
「うむ、偉いぞ。だから、その腕を離せ」
「でも、あったかいし、抱き心地いいよ?」
「お前はそうでも、私は違う。そもそも、我ら銀竜は寒さに強く、寒冷地に適した種族だ。密着してまで暖を取る必要はない」
「ヤダ」
「ヤダとはなんだ」
……というように、不毛な寸劇が繰り広げられていた。
*
色々な緊張があったせいか結局、その夜はわずかしか眠れなかった。就寝時刻が早すぎたこともあって、どうにも落ち着かない。
マントと毛布にくるまったソロンの隣で、もぞもぞと動く気配があった。
薄目を開けて、様子を見てみる。
淡い光が漏れてきた。アルヴァが蛍光石の光で、懐中時計を確認しているようだ。
「さあ、零時を過ぎました。そろそろ行きましょうか」
非情にも、アルヴァは出発を告げた。
どんなに眠れぬ夜であろうとも、目覚めの時はやってくるのだ。
とはいえ、準備は昨夜のうちに終えている。
誰も不平不満を述べることもなく、すんなりと全員が起き上がった。恐らく、皆もほとんど眠れなかったのだろう。
毛布などの余分な荷物は、この部屋に残した。恐らくはもう二度と回収することはない。次に眠る場所は、アムイ城のベッドでありたかった。
管理室の扉を開け、塔の下層へと足を踏み入れた。
「しばし待て」
と、メリューが広間の扉を開けた。
カズー達へ声をかけるためだ。もっとも、ここでは事前に声をかけるだけで、連れてはいかない。
彼らはメリュー達から遅れて出発する予定だ。
兵士達が城に入るのは、本格的に戦いを始める前からでよい。まずは五人で城内に潜入し、メリューの父の救出を図るのだ。
「よし、ゆくぞ」
カズー達に声をかけ終えたメリューが、仲間達へと目線をやる。
そうして、五人は螺旋階段へと向かった。