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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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雪地獄

 雪洞のお陰で思いのほか、昨夜は心地よく眠ることができた。

 目覚めるなり、ソロンは外の様子を見るため雪洞を出た。

 兵士達のものと合わせて、十ほどの雪洞が雪原に並んでいる。それをまばゆい朝日が照らし出していた。


 昨日とは打って変わって、恵まれた天気のようだ。空気が澄んでいるのか、日差しも強い。冬の下界にしては珍しい晴天だといえるだろう。

 外には既に、多くの亜人達の姿があった。その中心にいるのは、隊長たるメリューだ。早くも出発の準備を終えたらしい。


「おはよう、メリュー」


 と、ソロンが声をかければ、


「おお、ソロンか。今日こそは、昨日の遅れを取り戻すぞ!」


 メリューは意気揚々と声を上げていた。


「―――! ――――――――!」


 さらには、仲間の狢人(むじなびと)達に向かって、ドーマ語で叫びかける。

 それに呼応するように、雪洞の中から残りの者達も続々と起き出した。


 晴天の中で、一行は雪原を歩き続けた。

 吹きつける雪はなく、風も至って穏やか。寒いことに変わりはないが、昨日より歩きやすいのは確かなようだ。

 そんな中で――


「んん……? あれはなんだ?」


 先頭を進むメリューが、眉をひそめた。

 ガザガザという奇妙な音。

 見れば雪が揺れ動き、川のような流れを作っている。あろうことか、流れはこちらへと向かってくるようだ。


「のあっ、雪崩(なだれ)だよ! 気をつけて!」


 ミスティンがハッとしたように声を張り上げた。


「これはまさか!? 飲み込まれるなよ!」


 メリューも叫び、雪の流れから離れようと背中を向けた。ソロン達四人も雪崩を避けようと、それぞれ走り出す。


「――――――!」


 メリューは走りながら、ドーマ語で後続へ警戒を呼びかける。それに従って、兵士達も散り散りに走り出す。

 雪崩は勢いを増し、ゴウゴウという音を雪原に響かせる。


「くぁっ!」


 逃げ遅れたアルヴァが、雪に足を絡め取られた。

 雪に飲み込まれようとするアルヴァの手を、ソロンは迷わず左手でつかんだ。


「ぐっ!」


 右手で刀を雪に刺して、踏ん張ろうとするも、雪の流れは次第に激しくなる。

 刀の位置が雪の中でずるずると下がっていく。やはり、やわらかい雪では二人の体重を支えるのは難しいようだ。


 ソロンも足を取られ、冷たい雪に二人で飲み込まれていく。

 刀に力を入れて、もう一度強く雪へと刺し直す。だが、これでは時間稼ぎにしかならない。

 事態を打開するために、ソロンは頭を目まぐるしく回転させた。

 雪崩はある一点に向けて、流れているようだった。それはまるで渦のように。


 そこで気づいた。

 土砂崩れというものは通常、一方向に流れていくものである。

 ソロンは雪の降らない国の出身であるが、理屈としては雪崩も同じだろう。そもそも地形は平坦で、雪崩が起こるような条件だとは思えない。

 ではなぜ、雪はこのように渦巻いているのか?


「――ゴクだ! 焼け!」


 メリューが何かを叫んでいる声が聞こえた。けれど、雪崩の音がそれを妨害する。


「アルヴァ、あの中心だ。撃てる!?」


 それでも、わずかに聞こえた声を頼りに、アルヴァへと呼びかける。今、ソロンが刀を抜くわけにはいかない。できるとすれば、彼女だけだ。


「う、はぁ……なんとか」


 口に雪が入ったのか、苦しそうにアルヴァが声を出した、

 そうして、雪の中でもがきながら、杖を腰のベルトから抜こうとする。だが、無理な体勢でうまく力が入らない。


 次の瞬間――杖は自ら動いたかのように、すんなりと抜けた。そのまま、アルヴァの手の中にすっぽりと杖が収まった。

 杖先の魔石は赤色。炎を発する火竜石を、雪原の戦闘に備えて準備していたようだ。


「燃えなさい!」


 アルヴァは渦の中心に杖を向けて、勢いよく炎を放った。

 炎は雪を溶かしながら、渦の中心へと向かっていく。

 雪の量は膨大で、焼け石に水ではないか。そんな不安もあったが――

 突如、奇妙な叫び声が聞こえ、雪の流れが止まった。


 溶けた雪の中心から現れたのは、大きな甲虫のような魔物だった。甲殻を持った胴体で、頭には二つの触覚が生えている。

 いや……蟻地獄(ありじごく)と表現すべきだろうか。体には今も、燃え移った火が残っていた。



「お~い、大丈夫かあ!」


 グラットとミスティンが、雪をかき分けながら走ってくる。


「ふう……」


 アルヴァは全身を雪塗れにしながら、呆然と息を吐いた。


「ケガはない? アルヴァ」


 そう尋ねながら、ソロンは彼女の顔へと手をやった。顔と黒髪についた雪をそっと払い落とす。


「……問題ありません、ありがとう。あなたも」


 と、アルヴァはこちらの雪を払い落としてくれる。顔をいじられてくすぐったい。

 ミスティンがアルヴァの、グラットがソロンの雪払いを手伝ってくれた。


「――まったく……酷い目に遭いました。すみません、足を引っ張ってしまって……」


 誇り高いアルヴァは、自分の失態を恥じているようだった。


「別にいいよ。いつも引っ張ってもらってるから、たまにはね」

「すまぬ、私がもっと早く警告できていれば……。これは雪地獄という魔物だ。雪を操り、獲物を捕らえるのだが――まさか、こんな場所に出没するとは……」


 とぼとぼと寄ってきたメリューが、申し訳なさげに説明した。

 魔物の中には、魔法とほぼ同様の力を用いるものがいる。竜族の息吹が最も有名だが、今の不自然な雪崩も間違いなく魔法によるものだろう。


「大丈夫、声は聞こえたよ。君が焼けって言ったから。……さっきの杖も君の魔法だよね?」


 さきほど、アルヴァの腰に差さっていた杖が、自分から動いたのは錯覚ではない。あれはメリューの念動魔法によるものだろう。


「うむ。あれもそなたらの判断あってのものだ。見事だったぞ。……はぐれた者がいないか確認してくる」



 散り散りになった兵士達を、メリューが声をかけて再集結させていく。巻き込まれたのは、近場にいたアルヴァとソロンだけで、はぐれた者はいないようだった。


「またさっきみたいな魔物が出ないだろうな?」


 グラットは危惧を抱いたようだが、メリューは首を振って否定した。


「さすがにそれはないだろう。雪地獄は恐ろしい魔物だが、そうそう出会うことはない。その辺りは安心してもらってよいぞ」

「まあ、そりゃそうだろうけどな。あんなのがしょっちゅう出たら、人が生きられねえぜ」

「すまぬが、苦労をかける」


 と、メリューは頭を下げる。


「――獣王の手下と出会わぬため、人通りの少ない道を選んでいるのでな。どうしても、魔物と遭遇する可能性は高くなる」

「その程度は覚悟の上です。むしろ、さっきのは私の不注意でした。次に不審な雪の動きを見かけたら、正面から焼いて対処しますよ」


 アルヴァは豪快な対処方法にたどり着いたようだった。


「ねえねえ、メリュー」

「なんだ?」


 ミスティンに頬をツンツンされたメリューが反応する。


「これって、雪がなくなったらどうしてるのかな?」


 ミスティンは雪地獄の死骸を指差した。


「少なくとも私は、雪のない時期の目撃例を知らんな。一説では、地中で眠っていると言われておる」

「冬眠ならぬ夏眠(かみん)か。世の中には変な生き物がいるんだねえ」


 *


 雪地獄の襲来があったものの、その後は順調だった。

 初日の吹雪はウソのように、晴天に恵まれ続けた。もっとも、下界のことなので晴天といっても(くも)ってはいるのだが……。


 メリューによれば、大都(たいと)近辺の下界にはそれなりの町があるらしい。

 しかしながら、敵との遭遇を避けるため、そのいずれにも近寄らない方針だった。予定通りに、人気(ひとけ)の少ない雪道を進んでいく。

 出会ったのは魔物ぐらいのものだが、雪地獄のような危険なものはなかった。いずれもカズー隊の兵士達が、危なげなく一蹴してくれた。


 そうして進んだ旅も三日目。

 晴天は続き、初日の遅れも取り戻しつつあった。


 晴れやかな天気の中では、遠くからでも黒雲がよく見えた。

 黒雲の正体は、島の下方を包む雲海である。

 つまり、あの黒雲の上にはアムイ島が隠れているのだ。それこそがソロン達が向かう目的地である。それを目印にすれば、雪原の中でも迷いはしなかった。


「実に重畳(ちょうじょう)だ。ほぼ予定通りの日数で来ているぞ。アムイ山のふもとに小屋があるから、今日中にそこまで進むとしよう」


 メリューが指差した先には、黒雲下にそびえる山があった。

 下界でも上界でも、ソロンが見たこともないような巨大な山。黒雲へ届けとばかりに、山は天を目指していた。


 アムイ山は黒雲下の例に漏れず荒れ果てている。植物は乏しく、岩と土ばかりをさらしていた。魔物がいるだろうことも考えれば、登り切るには相当に骨が折れそうだ。

 そして、その頂上には――


「わあ、あれかな!?」


 山の頂上を指差して、ミスティンが声を上げた。

 そこには細く上界へと伸びる建造物があった。

 今までその存在に気づかなかったのは、もやに隠れて姿が朧気(おぼろげ)だったからだ。


「うむ、あれが我々が登るアムイの塔だ」

「は~、本気で上界まで(つな)がってるんだね」


 呆けたように、ソロンがつぶやいた。


「アムイ島の下にあるから、アムイ山でアムイの塔なのか? まんまだな」

「ふっ、凡下の発想だな」


 グラットの指摘を、メリューが鼻で笑い飛ばす。


「ボンゲだって」


 と、ミスティンが声を上げて笑う。


「うるせーよ。じゃあ、違うのかよ?」

「うむ。アムイとは天を()くという意味だからな」


 メリューがそれだけ言えば、アルヴァも合点がいったとばかりに。


「なるほど、下界の山のほうが先にあったのですね。上界が創られたのち、上にある島にもアムイの名が付けられたと」

「そういうことだ。我らの祖先は、上下界を行き来しやすくするため、あの山に目をつけた。上界の島に都を築き、下界の山に塔を建てたのだ」


 メリューは自国の歴史を誇らしげに語っていた。

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